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2008年6月29日 (日)

青色LED訴訟の升永弁護士、事務所解散

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2008062710412b1

「青色LED訴訟の升永弁護士、事務所解散 大手に移籍
青色発光ダイオード(LED)訴訟などの巨額裁判を担当したことで知られる升永英俊弁護士(65)が今月末に事務所を解散し、7月1日付で所属弁護士らと大手のTMI総合法律事務所(東京・港)に移籍する。企業法務分野の中小事務所の苦境を象徴する事例といえそうだ。」

解散しちゃいましたか。升永弁護士の東京永和法律事務所は、企業を退職した個人や個人発明家にとっては助っ人の希望の星のように思っていたので、とても残念です。

移籍先の大手のTMI総合法律事務所は、既に沢山の大手企業が顧客になっているだろうから、コンフリクトの問題(事務所の既存の顧客を相手にするような訴訟はできない)などから、個人が大手企業を訴えるような仕事は、おそらく、もう受任できないだろう。

実は、1年以上前なのだが、この東京永和には手紙と電話でコンタクトを取ったことがある。ある大手メーカーが自分の特許を侵害しているのではないかと思ったので、その契約交渉や訴訟を「安い費用で」頼めないかと打診したのだ。升永弁護士は大物過ぎたので、その部下の荒井裕樹弁護士に手紙を出して、その後に電話した。電話では、ケンモホロロという感じでは決してなく、本人がきちんとソフトに対応してくれた。ただ、一般的な相場は知らないが、提示された費用がすごく高くて、とても払える額じゃなかった(一般には、勝てる見込みが無いとか、トラブルになりそうな依頼者は、高い金額を提示して追い払うことを弁護士はよくやるらしいので、これかもしれないが、自分としてはそういうケースとは思えない)。それで、他の弁護士に頼むしかないなと思ったが、他の良い弁護士も知らないし、他の雑事にかまけてまだ何もやらないままズルズルしている。

荒井裕樹弁護士は、青色LED訴訟などでも大きな力を発揮した若手弁護士で、その著書「プロの論理力」を読んで感銘して、「この先生に任せたい!」と思った。テレビの「情熱大陸」も見て、この人なら、と思った。著書の後書きなどで「個人の力で勝負する個人の時代を・・・」なんて書いてあったので、この先生なら個人発明家なら成功報酬だけでいいですよ、なんて言ってくれるかなと期待したが、事務所のシステムを前面に出してきて、全くそんなことは無かった。

でも、東京永和は、青色LED訴訟の中村教授だけでなく他の日立や東芝など多くの元従業員発明者の訴訟を引き受けているが、元サラリーマンだった発明者の人たちがそんな高額を出せるとはとても思えないのだが。おそらく、ボスの升永弁護士が、個人的な気持ちや信念から、安く受任したのではないだろうか(全くの予想だが)。荒井先生ではなく升永先生にコンタクトを取った方がよかったかな、と後で思った。

確かに、元従業員発明者からの依頼、つまり労働者側からの依頼を受けて大手手業を訴えていると、大手企業からの仕事は来なくなるだろう。一時期の職務発明訴訟のようなホームランのような仕事の収入で、資金は貯まったろうが、職務発明訴訟の需要が一巡した今は、継続的に受ける仕事が少なくなりジリ貧になったのかもしれない。どうしても、個人からの仕事はたまにホームランはあっても所詮は単発でしかなく、継続的な仕事をくれるのは企業しかないから。

升永弁護士や荒井弁護士のレベルなら、自分だけの事務所にすれば、個人やベンチャーから、また大企業からも依頼は沢山あって十分やっていけるはずだ。経営者として、他の勤務弁護士やスタッフの雇用を気にした結果なのかもしれない。

でも、荒井裕樹弁護士の「プロの論理力」は、すごく良い本で、企業との交渉などにおいての弁護士のノウハウを学ぶことができて参考になる。弁護士の書いた本はこれ以外にも2~3冊読んだが、一番参考になった。荒井弁護士の「個人の力で勝負できる個人の時代を実現するために仕事をしている」という姿勢にも共感した。

升永弁護士や荒井弁護士などのような個人志向の弁護士がもっともっと日本に現れて欲しい。米国で大成功した個人発明家・レメルソン(故人)も、ホージャーという特許弁護士とタッグを組んむようになってから快進撃を続けるようになった。弁護士のホージャーの方からタッグを組もうと言って来たらしい。

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2008年6月22日 (日)

日曜発明家

僕が今も付き合っている発明仲間の一人がJさんだ。Jさんとは、13年前に知り合った。Jさんは、僕が「この道」に入る切っ掛けになった恩人だ。

Jさんは、僕の郷里に住んでいる。ある発明の会合で知り合ったのだが、知り合った当時、Jさんは、ちょうど大阪の大手電気メーカーからUターンしてきて、地元のメーカーに転職した後だった。大手電気メーカーを辞める前は、エンジニアとして年に30数件のペースで発明の出願をするなど、少なくとも発明の数はトップクラスだったらしい(実力もトップクラスだったろうと思った)。特許明細書の書き方も、企業研修で習っていて、慣れているようだった。アナログ回路やデジタル回路について基礎からの体系的知識を持ち、最先端の知識も持っていたので、地元のメーカーでは勿体ないと感じた。年は僕と1歳違いだった。

Jさんと親しくなってから聞くと、Jさんは、地元にUターンした直後から、自分で次々と発明して次々と出願していた。家電製品の発明が多かったと思うが、他の全く別分野の発明、例えば道路関係とか自動車関係の発明なども出願していた。内容は斬新な基本発明が多かった。

サラリーマンとして生計を立てながら自分の自由時間で発明して出願する「日曜発明家」とでも言うのだろうか。Jさんの転職した職場も少しは電気関係の仕事があるらしいが、家電製品などは全く作っていないので、「自由発明」は自分で出願しても全く問題ないよね、と2人で話した(Jさんは、以前の大手電気メーカーに居たときは、その大手電気メーカーは家電製品なども販売していたので、家電製品の発明をしたら会社に譲渡して会社の名で出願していたらしい)。

Jさんは、前回の記事のUさんとは違って、礼儀正しく温和な人だった。まあ、会社に勤めながら発明をする人は大体そうだろう。でないと会社勤めは続かない。

僕は25歳のときに実用新案の出願をしたりして、発明には興味はあったのだが、それはあくまで趣味と思っていた。しかし、Jさんは、姿勢が全く違っていた。Jさんは、大手電気メーカーの技術者が研究しているのと同じ分野(ターゲット)の発明を一足早く発明・出願して、大手電気メーカーにライセンスする(大手電気メーカーがライセンスを受けざるを得なくなるようにする)ことを狙っていた。まさに、個人発明家のビジネスモデルの2番目のものを、自分で考えて実践していた。

そんなことは無理ではないかと思ったが、Jさんは、「自分は大手電気メーカーの中に居たけど、内情を見れば、所詮は同じ人間がやっているので、大したことない、やれる可能性は十分ある」、と言った。それを聞いて、「それなら、オレもやってみよう」と思った。それから、僕は、「この道」に突き進み、発明を加速し、出願をどんどん出して行った。

それが今から13年前なのだが、その後、Jさんはストレスからか体調を崩して、それまでの次々と発明をして出願するということは抑えるようになった。知り合った当時、Jさんから、前の会社(大手電気メーカー)に居たときは楽しかった・・・という話を聞いていた。地元でいろいろストレスがあったのかもしれない。

でも、今も、自分の出願や特許についてのメーカーへの売込みなど、いろいろやっているようだ。電気や物理の知識はすごいので、今でも、技術的に分からないことなど、いろいろ教えてもらっている。これからも、ずっと付き合っていきたい発明家の一人だ。

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2008年6月21日 (土)

老発明家

僕が付き合っている発明家は2人いる。そのうちの一人、Uさんは、今81歳。知り合ったのは、15年くらい前で、僕の父と同年だったので、ヘーと思って、親近感をもった。

初めて出会ったとき、Uさんは、「オレのような人間もいるんだよ」と言った。僕は、昔から、自分で自分のことを変り者だと思ってたが、Uさんの変わりようは僕の比ではない感じだった。

僕の父は数年前に亡くなったが、Uさんはまだまだ元気で、たまに電話してきたりする。昨日もいきなり電話してきて、○○という大手メーカーが(自分の発明に)喰らい付いてきた、と興奮して話すものだから、そんなことはないだろう(どうみても、Uさんの出願してる発明は企業が乗ってきそうなものではなかった)と思い、「詐欺かも知れないから気をつけた方がいいですよ」、と言った。しかし、こちらの言うことはお構いなしに、これから、いろいろ手伝ってくれとか言われてしまった(ハー)。よく聞いてみると、○○というメーカーの人ではなく、そこと取引があると自分で言っている人が使わせてくれと言って来たらしいが、ただその人もネット上で知り合っているだけで、実際に会ったことはないらしい。どうも、よく分からない。発明家には、もともと、自分の発明のことを興奮して大げさに言う人が多いようなのだが。

Uさんは、昔は家族が居たらしいが、20年くらい前から身寄りは無く、十数年前から、老人ホーム暮らしだ。同じ県内にある複数の老人ホームを、4回くらい引越ししている。78歳頃にも、前の老人ホームから今の老人ホームに引っ越したが、そのバイタリティには驚いた。一度、部屋に遊びに行ったことがあるが、自分の学生時代のアパートの部屋を思い出した(ディジャブというのか)。散らかり放題という感じで、パソコンやゲーム機も無造作に置いてあって、NHK教育番組のパソコン講座のビデオテープが散乱していた。勉強家だなと感心した。

Uさんが発明を始めたのは、50歳になってから、と言っていた。50歳を過ぎて、東京で働いているとき、発明学会を知って発明を始めたらしい。今も、パソコンでホームページを作って、いろんな企業のホームページを検索してメールなどで発明の売込みをしているらしい。暇なときは、ネットで知り合った人たちと、スカイプでカラオケをやったりしているらしい。

オレもこういう老人になるのかな。

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2008年6月15日 (日)

永久機関の発明? ウォーターエネルギーシステム

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080612_wes/

「「ジェネパックス」という会社が、直接水を供給することによって発電する「ウォーターエネルギーシステム」というのを開発することに成功したそうです」

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080612_wes_q_and_a/

「「水から電流を取り出すことを可能にした」という発表が本当ならまさにエネルギー保存の法則を打ち破る可能性のある永久機関、あるいはフリーエネルギー装置ができそうな勢いの「ウォーターエネルギーシステム」ですが、現場では各報道機関の人たちが代表取締役に山ほどツッコミを入れまくっていた」

GIGAZINEの2つの記事からの引用ですが、この技術「ウォーターエネルギーシステム」をマスコミ発表した企業(ジェネパックス)は、この技術などで大阪府から経営革新支援法経営革新計画承認企業の認定を受けているらしい。また、この技術は、テレビ東京のワールドビジネスサテライトやその他番組でも好意的に放映されたらしい。

しかし、これについては、もしアナウンスのとおりなら、擬似科学の一つである「永久機関」だという評価が多いようです。また、この技術の実態は、担体に固定された金属粉末を還元剤として水素を発生させるというタダの使い捨ての一次電池に過ぎないのではないか、という見方が有力のようですが、仮に、そのような使い捨ての一次電池なら、何kmか走って金属粉末(還元剤)を使い切ったら通常の乾電池と同じにその度に新しい電池を交換しなければならないのに、それを隠しているのは、ペテンに過ぎないということです。

永久機関とは、外部から何もエネルギーを受け取ることなく仕事を外部に取り出すことができる機関、と定義されています(第1種永久機関の定義です。他に、第2種永久機関もあります)。

例えば、「水の落下するときの重力エネルギーだけで水車を回し、その回転エネルギーだけで水を汲み上げ、再び水を落下させるという繰り返しで、水車を永久的に回す」という装置は、水をその高さまで持ち上げるためのエネルギーを外部から供給する必要があるので、不可能とされています。

また、「永久磁石の反発力だけを利用して永久的に動力を供給する装置」というようなものもよく提案されてますが、永久磁石の反発力を発生させるためには2つの磁石を近づけなくてはならず、その近づけるために外部のエネルギーを供給する必要があるので、不可能とされています。

特許庁でも、永久機関は、エネルギー保存法則に反しており発明として完成していないので、特許できないと言っています。そういうアナウンスをするほど、永久機関の発明の出願が多いということでしょう。もちろん、出願する人は、「これは永久機関ではない」と言ったり、「永久機関は実は存在する」と言ったりするのですが。

このジェネパックの「水から電流を取り出す装置」は特許出願もされているようです(弁理士が代理して出願しているようです)。

http://kantan.nexp.jp/pat_pdf/A/2006/14/2006244714.pdf

その特許請求の範囲は、次のようなものです。

 燃料極と酸素極を電解質を挟み対向配置させ、
 前記燃料極に純水を供給し、
 前記酸素極に酸素を供給し、
 前記燃料極および前記酸素極で発生する電気化学反応により、これらの極から直流電力を出力させ、
 前記燃料極として、ゼオライト、コーラルサンドおよびカーボンブラックの微粒子粉末の焼結体に白金が担持されたものを用い、
 前記酸素極として、ゼオライトおよびカーボンブラックの微粒子粉末の焼結体にルテニ
ウムが担持されたものを用いることを特徴とするウォーターエネルギーシステム。

この特許請求の範囲を見る限りでは、永久機関ではなく一次電池の発明だとするのなら、進歩性は別としても発明性は認められる可能性はあると思います。

この「ウォーターエネルギーシステム」が永久機関であることについては、次の掲示板の発言が適切と思ったので、引用しておきます。

http://atom11.phys.ocha.ac.jp/bbs01/msg.php?mid=26149&form=list

「>えと、これ永久機関ですか?

化学が好きでない人たちは「化学反応」というと何でも起こせそうに思うのですが、分子が反応して分子より安定な化合物になる反応は余分なエネルギーを取り出しながら反応させる事ができます。酸素分子と水素分子から水をつくる反応ではエネルギーが取り出せる訳です。でもその前段階に書いてある「化学反応」という部分は、分子より安定な化合物である水を酸素と水素に分けていますから、エネルギーをどこかから受け取らないと起こらない反応なんですね。という訳で、その「化学反応」を起こすのに必要なエネルギーをそのまま使った方が効率の良いシステムになるというだけなんですね。」

「フリーエネルギー」という言葉は、確か、10数年くらい前のバブルの頃かバブルの終わった頃に、船井幸雄さん(著名経営コンサルタント)の本などで、インドの行者(サイババ)が「日本製のメーカーのロゴの入った時計」を何も無い空間からポッと取り出したなどの話などと一緒に、盛んに紹介されていたのを思い出します。こういう話は、10年か20年に1回くらい、世の中に出てくるのですね。バブルやその他と同じで、皆が忘れた頃にまた誰かが引っ張り出してくるわけです。

永久機関などのエセ科学は、錬金術、M資金、バブル、ねずみ講、マルチ商法などと共通するものがあると思います。それは、人間の根源的な欲望や夢を刺激する幻惑性を備えていること、特に近視眼的になっている人たちには、そのロジックの中に巧妙に隠されているウソを見抜くことが難しいこと、などです。

数年前、たまたまだが、永久機関を30年以上、研究・試作しているという人に出会ったことがある。その人は、地方で、小さな鉄工所を経営していた。「後もうちょっとでできそうなところまでは、何回も行くんだけどね・・・」と言われてました。でも、その「後もうちょっと」が理論的に不可能なのが永久機関なのでしょう。

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2008年6月14日 (土)

運動会の騎馬戦で1人余った男児、騎馬戦に参加できず→保護者、涙の抗議

http://www.oita-press.co.jp/localNews/2008_121331623793.html

「大分市内の小学校で七日あった運動会の騎馬戦競技で、児童数が奇数だったため、四人一組の騎馬に加われなかった児童一人が、終始競技に参加できず、保護者が抗議、校長が謝罪していたことが十二日、分かった。教育関係者は「学校側に初歩的な注意力が足りない」と指摘している。学校によると、騎馬戦は四年生から六年生までが行う競技で、男女八十九人がいた。
騎馬を組む際、四年生の男子児童一人が取り残された形となった。児童は、個人戦、団体戦ともに加わることができなかった。運動会終了後、保護者が「配慮がなさすぎる」と涙ながらに抗議。
校長は「騎馬戦で児童がけがをしないかということに注意が集中し、指摘されるまで気付かなかった。反省している」と話している。」

痛いニュース」経由で知りましたが、小学校時代の運動会を思い出しました。運動オンチでチビだったので、運動会をどうやり過ごすか、結構悩んだものです。徒競走とチャンスレース(運動能力とは関係なく順位が決まるレース)のどちらかを選べと言われて、徒競走でビリになるのは嫌だけど、運動オンチのために作ったと言われたチャンスレースに出るのも何だかな~という感じで、同じ運動オンチの友達はどう動くかを見たりして、いろいろ悩んだりしてたものです。上と同じような経験では、僕だけではなかったけど、背が低い男子生徒何人かがフォークダンスで女役をやらされた記憶があります。親や親戚が見ている前で、アレは嫌だった。

しかし、こういうことが新聞記事になるというのは、昔なら絶対に無かったと思いますが、それだけイジメとかハブとかに敏感な人たちが増えたのでしょうね。

確かに、これは理不尽であり、学校の落ち度であり、親が学校に抗議するのはおかしくないと思います。ただ、昔は、僕の経験では、学校の中で理不尽なことは沢山あったけど、それなりに我慢したり、適当にやりすごして、そういう経験を積んで、世の中を学んだのだろうと思います。この記事の子にとっては、どちらが良かったのか、分かりませんが、この経験を何とかプラスに転換して、他人の痛みの分かる大人になって行ってほしいと思います。

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2008年6月 3日 (火)

「肥溜め」の思い出

「肥だめ絶賛、循環型社会ヒントは江戸時代 環境白書
政府は3日、08年度の「環境・循環型社会白書」を閣議決定した。白書では、江戸時代の社会システムを検証。特に「肥だめ」の効用についてほぼ1ページを割いて詳細に解説した。し尿は放置しておくと悪臭ばかりか感染症の源にもなる。しかし、し尿を肥だめに入れておくと嫌気性細菌の代謝作用で、安全な肥料として安定化された。こうして都市住民のし尿が肥料として農村に運ばれ、その肥料でつくられた作物が都市で消費されており、白書は「まさに循環型社会を構築していた」と絶賛している。 」

上の「肥溜めの循環型社会に学べ」というasahi.comの記事(リンク先は既に無い)を見て思い出した。

「肥溜め」には、懐かしい思い出がある。

僕が生まれ育った田舎には、田圃や畑の畦道の側など、いたるところに、肥溜めがあった。僕の実家も周りもほとんどが兼業農家で、肥溜めから肥料を汲んで畑にまくことなどいつもやっていた。

それで、僕が通った中学校では、裏に大きな山があった。中学校3年の春、その裏山で火事があった。朝、歴史の先生が教室に飛んできて、「お前ら、みんな、火事を消しに行け!」と叫んだので、皆が走っていった。僕も田圃の間の畦道を皆と走ったが、途中で片足を何かに突っ込んで転んだ。よくみると肥溜めだった。片足がスッポリと肥溜めに突っ込んでいた。火消しの手伝いは全くできなかったというか、それどころではなく、どうしようか、途方に暮れた。

友達の中には笑っているヤツが多かったが、一人だけ、Kという親友がいて、そいつだけは側にいて親身に心配してくれた。でも、体操服などの着替えもなく、田舎者なので、家に帰るという智恵もなくて、校舎の横の水道で片足をズボンごと適当に洗っただけで、そのまま授業に出た。肥溜めは堆肥化していたので、ほとんど臭くなかった。ただ、運の悪いことに、その日は、ちょうど4月のクラス写真を撮る日で、ズボンは黒色で分からないのだが、運動靴は白色が片方だけ肥溜めの色になっていた。隣に座った女の子が嫌そうに僕から離れるように斜めになっていて、そのクラス写真は今も手元にある。まあ、これは有名な話で、中学校のほとんどの同級生はまだ覚えているだろう。

あの頃の僕は、こういう風に、全くドジなヤツで、周りからもそう思われていた。でも、それが、発明家としての才能の元になっているような気がする。つまり、うまくいえないが、ドジということは、世の中や周囲にうまく適応できないということであり、それは発明の原動力になるような気がするのである。

また、田舎の自然に囲まれて(人工的な刺激に惑わされないで)、のんびりと平凡に育ったこと、本が好きだったことなども、発明を生み出すために最も大切な「想像力」(創造力ではない)を育てるのに役立ったのではないかと思う。

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