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2008年10月19日 (日)

アイデア社長 2

以前、発明仲間のアイデア社長について書いたけど、もう一人、親しくしていたアイデア社長がいた。

そのアイデア社長、Mさんとはここ1年くらい、連絡してなかったのだけど、思い出した。ある人から、最近、破産したらしいと聞いたので。

Mさんは、建築関係資材の製造販売の仕事をしていた。自分で発明をして特許も取っていた。しかも、その発明を基に実際に建築資材を作って、自社の独自製品(特許製品)として販売していた。従業員は営業マンが何人か居ただけで、自分で製造する設備はなかったので、多分、受注を受けてから製造委託してたのだろう。

Mさんは、僕より5歳くらい年上で、建築関係の仕事は長いらしく、すごく成功したという訳ではないが、そこそこ儲かっているらしかった。

Mさんとは、6年くらい前にちょっとしたことで知り合って、最初に会ったときは、昼の2時頃から夜の11時頃まで、途中でお茶や食事のために場所を移動しながらトータルで9時間くらい話し続けた。若い頃はそういうことは珍しくないが年を取ってからはオジサン2人だけで酒なしで9時間も一緒に話し続けるというのは数年に一度あるかないかだ。まあ、そういう風に意気投合した。バイタリティがあって、ユーモアがあり、話がうまくて人を飽きさせない、頭も切れる、という印象だった(ただ、僕を含めて多くの発明家に共通の特徴だが、自分のことを過大評価するという面もあったかもしれない。)。

Mさんも、僕のことを気に入ったようだった。というのは、最初に会ってからまだ半年も経っていないときに、「中国に商談に行くので、一緒に付いて来ないか」と誘われたから。

聞いてみると、「Mさんの会社の独自製品(建築資材)は素晴らしいので、現地の企業と一緒に提携してやるなら何社か紹介しますよ」という話が、たまたま知り合ったブローカーのような日本人から、持ちかけられたらしい。そのブローカーの知り合いの日本人が上海でコンサルタント会社の雇われ社長をしていて、日本企業と現地企業の橋渡しをしているとのこと。

Mさんは、僕に「一部始終をアンタの目で見て、総合的な感想を言ってくれんか」と言った。まあ、その頃はちょうど忙しくなかったし、旅費や食費などの一切の費用は見ると言われたので、冬だったけど(死亡者が出たサーズ騒動はその翌年だった)、付いていくことにした。

商談で会う相手は全部コンサルタント会社の社長がお膳立てしていた。日程は、1週間くらいで、その間に青島→上海→湖南省→上海→青島というような日程で、とにかく飛行機とタクシーで動き回った。メンバーは、Mさんと僕と、日本人のブローカーのような人と、上海のコンサルタント会社の雇われ社長(日本人)と、補助者の中国人と、通訳アルバイトの日本学生(30歳代)という「ちょっと大袈裟な人数」で移動した。しかも、商談した後は必ず会食やカラオケなどで深夜まで飲んでたので、それらは全て(おそらく商談の相手の数人の飲食代も)Mさんの出費だったろうから、これだけでも相当の散財だったと思う。

そんな感じで1週間が経ったが、商談する企業は1日当たり1~2社で、従業員数十人から数百人程度の中小企業という感じで、こんなチンケな企業に会うためにわざわざ湖南省まで飛行機で飛んでいって意味あるのか、と疑問を持った。というか、企業はいっぱいあるだろうが、そのコンサルタントが知っている企業だけが相手なので、限られている。コンサルタントの費用もバカにならない(商談の打ち合わせのためにMさん抜きで勝手に顧客と飲みに行って、その飲み代だけをMさんに請求したりということも、しょっちゅうあったらしい)。こんなんなら、商工会議所やジェトロなどの公的機関がコンサル料はほぼ無料で中国企業との商談会とかやっているから、その方がよっぽど費用は掛からないのに、と思った。

どうも、Mさんは、コンサルタントとブローカーに利用されてるのような気がした。また、Mさんの製品が日本で成功したので中国に進出しようというのなら分かるが、日本で長年やってて特に成功してないのに中国で成功しようというのは順序がおかしいような気もした。

帰国してから、「あのコンサルタントとブローカーは胡散臭いというか怪し過ぎるので、もう止めたら?」と言いたかったけど、Mさんは、コンサルタントとブローカーのことを物凄く気に入ってたようで、ちょっと言い難い雰囲気があったので、言わなかった。Mさんが相当の余裕資金を持っているように僕からは見えたのも、言わなかった原因だ。今から思えば、きちんと言っておいた方が良かったと思う(そのためにこそ僕に一緒に付いて来てくれと言ったのだろうから)。「商工会議所とかでも同じことはやってくれるのでは」ということは言ったが、「ああいうのはダメだ」という答えだった。

まあ、僕はよく分からないし、一緒に行ってもほとんど役に立てることはないと思ったので、それ以後、同行することは無かった。その後も、Mさんとは、中国の話しは抜きで親しく付き合っていたが、2~3年過ぎる頃から徐々に付き合いは薄くなって行った。

Mさんは、その後も、例のコンサルタントやブローカーとは親密に付き合ってて、1~2ヶ月に一度くらいは、中国に行って同じような感じで商談していたらしい。幾つかは話が進んだりしたらしいが、そのためにかえって出費がかさんだりして(例えば合弁会社を作ろうということになればそのことでまたMさんの出費がかさんでしまう)、とにかく動けば動くほど金が出て行ってしまうのだが、金が入ってくることはほとんど無かったようだ。

しかし、当時は、中国五輪まで数年という建設ラッシュで、建設業界ではユーフォリオ(バブル的な陶酔)があって、Mさんもそれに乗せられていたのかもしれない。そんな感じで、数年が経ったが、中国五輪も終わってみたら、ほとんどプラスは無くマイナスだけが残ったということかも知れない。

まあ、そんな感じでMさんとの付き合いは5年くらい続いたが、今は連絡が付かない。先日、携帯電話に電話してみたが、繋がらなくなっていた。

確かに、Mさんは破産したらしいけど、それは、僕を含めて自営とか会社を経営している人の宿命というか良くあることなのだろうと思う。Mさんは、失敗に終わったとは言え、果敢に挑戦した結果なのだから立派だと思う。

あれだけバイタリティのある人だから、今もどこかで元気に仕事をしたり発明を考えたりしているのだろうと思う。

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