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2009年4月29日 (水)

民主党の第三者委員会での岩井・日大教授との議論を聞いて

民主党の第三者委員会による岩井奉信・日本大学法学部教授(政治資金規正法の研究の第一人者)との議論を聞いた。

今回の小沢秘書について「虚偽記載の罪」が成立するかどうかという法解釈論については、岩井教授は郷原元検事と同じ意見だった。その内容を僕なりに要約すると、次の1,2のようなものだった(岩井教授の使用した文言とは少し異なっているが意味は大体同じと思う)。

1. 従来の解釈からは、「寄付した者」は形式的な基準で見て寄付をした者だとしているので、小沢秘書は「寄付した者」として形式的に銀行振込みをした政治団体の名前を書いたのだから「虚偽記載」には当たらないとして、小沢秘書は無罪になる可能性が高い。

2. 検察としては、「虚偽記載」の罪は実質的に(背後で)資金を出した人を書くべきでそれを書かなかった場合にも成立するという新しい解釈・新しい判例を取りにいくこと(裁判所に認めてもらうこと)を狙って、起訴したのだろう。しかし、新しい判例を取る(つまり、裁判所に新しい解釈を認めてもらう)ことは難しいだろう。なぜなら、従来より政治資金規正法を管轄する総務省は形式的なチェックをする権限しかもっておらず、その関係から、政治家側は、政治資金収支報告書には形式的に何処から振込みがあったかを書けばよく、その振込みをした政治団体が資金を何処から調達したのかまでは調査する必要はないと理解されているから。もし、「寄付した者」とは実質的に資金を出した者だ(実質的に資金を出した者を書くためには、銀行振り込みをした団体がその資金を何処から調達したのかまで調査する必要がある)という新しい解釈を採用すると、従来の政治資金規正法の運営の根幹がひっくり返ってしまうことになる。

また、今回の検察による起訴がタイミングなどの点で妥当だったかどうかについて、岩井教授は、 検察は行政機関(行政機関の中でも警察と同様に権力装置としての特殊性も持つ)であるから、なるべく政治に影響を与えないようにするという意味での「政治的配慮」が本来は必要で、それが今回は欠けていたために図らずも政治的な影響を及ぼしてしまった(つまり、今回の逮捕は、政権交代を阻止しようという政治的意図はなかったろうが、逆に政治との関係を十分に考えなかったために結果的に大きな政治的な影響を生んでしまった)、と述べた。この考え方は、前回の議論で桜井委員が言っていた「裁判所の権限を抑制するための理論としての統治行為論(高度に政治的な問題は国会での議論に委ねて裁判所は判断しないという理論)」がある程度は検察にも妥当するという考え方に近いだろう。

また、岩井教授は、今回の検察の逮捕・起訴がなぜ起こったかについて、現場の検察官の正義感、つまり小沢代表の今までの政治活動の汚れた部分を考えてこのような政治家が新しい総理大臣になることを見逃すことは出来ないという正義感から突っ走った可能性はあると述べられていた。

また、岩井教授は、アメリカなどでは、警察・検察は悪いことも多くするので常に「正義」とは考えられていない。日本でも、今回のことで、「検察は必ずしも正義ではない」という考え方を多くの国民が持つようになればある意味で健全でありプラスになると述べられた。

全体として、岩井教授の見解は、4人の委員とかなり近いと思えた。

ところで、以下は私見だが、最近、検察は、東洋大学元教授の高橋洋一氏の窃盗について、不起訴処分(起訴猶予)にしたらしい(ソース)。3/24の小沢秘書の逮捕のとき、検察は、政治資金規正法違反は最高5年の禁固で重罪であり単なる形式犯ではない、だから起訴は妥当だと主張していた。しかし、高橋洋一氏の窃盗は最高10年の懲役で、法定刑だけみれば政治資金規正法違反の2倍となっている。なのに、この最高10年の懲役の窃盗の方は不起訴。何か、検察の言ってることって、すごくデタラメな感じがする。

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2009年4月26日 (日)

民主党の第三者委員会での堀田・元検事と郷原・元検事の議論を聞いて

民主党が委託した「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」における堀田・元検事と郷原・元検事の議論を聞いてみた。

全体として、堀田さんは、郷原さんの先輩らしく、また、検察庁の王道を歩いて定年退職した人だからか、途中退職した郷原さんに対して何かちょっと威張ってるようで嫌な感じがした。大きな組織の中で長く生息してきた人間は、辞めてからもそういう感覚から抜けられないのだろうか。また、堀田さんの表向きはいかにも温和そうだがちょっとネチネチした嫌味のある言い方もあって、議論の全体の印象として、暗い陰湿な感じを受けた(ただ、民主党の委員会というアウェイにたった一人で出かけて行って4人を相手に堂々と議論したのは立派だ。竹中平蔵さんにも見習って欲しい)。

以下に、感じたことを2~3、書いてみたい。

1. 堀田さんは、検察リークについて聞かれて初めて答えるとき、いきなり、「郷原さんは検察内部で人事評価が高かったのに途中で辞めたのは、長崎の政治資金規正法違反の摘発のときに郷原さんがいろいろマスコミにリークしたのが検察内部で問題になって人事評価が下がったからではないか、そのために出世が望めないということで辞めたのではないかという噂が検察内部であった」という趣旨の発言をした。このネタ(隠し玉)は、おそらく、事前に検察側からこれを言ってくれと言われて、相当の準備をして狙って発言したのだろう、と感じた。

つまり、これは、郷原さんの今までの発言の信頼性を疑わせる個人攻撃そのものだろう。これを聞いて、僕は、検察内部の裏金の存在を告発しようとしてその前日に逮捕された三井環(元大阪高検公安部長)さんのことを思い出して、検察は怖い組織だと改めて思った。もし、長崎地検での政治資金規正法違反の事件でのリーク(事実かどうかは分からない)の問題がもし時効でなかったら(時効かどうか調べてないが)、検察は、郷原さんを口封じのため「国策捜査・逮捕」することも在り得たかもしれないと感じた(郷原さんは、自らのリークの事実は、明確に否定していた)。検察は、検察批判から自分を守るためなら、それほどのこともやる国家機関なのだと思った。

この堀田さんの発言は、郷原さんに対して、「今後の発言内容には気をつけろよ」と威嚇・恫喝し、萎縮させる効果を狙ったものだったのでは、と感じた。

2. 上記に関して郷原さんが「長崎の事件のときは、長崎地検から最高検などの上層部に話を上げた後になって急にリークが始まった(つまり、長崎の事件でリークしたのは最高検などの上層部の可能性がある)」という趣旨の話をした後に、堀田さんは、「マスコミのある社が、これこれの事件を本当かと聞いてきて、今そのネタを出されると捜査上まずいので、ちょっと出すのは待ってくれ、その代わり、この事件が進んだ段階でお宅の社に特別の情報を渡すからと、一つの社と取引をする(つまり、リークする)」ということは「ある」と明言した(郷原さんもそれはありえると発言していた)。

3. 堀田さんは、今回の小沢代表の行為は「政治資金規正法の趣旨に反するものだ、だから、逮捕・起訴は妥当だ」という趣旨の発言をしていた。

つまり、堀田さんは、「(a)政治資金規正法の趣旨に反する」→逮捕・起訴は妥当、という論理だ。

しかし、罪刑法定主義の原則から考えると、「(a)政治資金規正法の趣旨に反する」→「(b)罰則を定めた条文の構成要件に該当する」→「(c)故意(認識)がある」→逮捕・起訴は妥当、という流れになるはずだ。

この点で、堀田さんの意見は理論的におかしい(上記の(b)(c)(d)を抜かしている)と思ったが、これについての指摘が出席者からなされなかったのは残念だった。

4. 学習院の桜井敬子教授(政治学)の指摘で、すごく鋭いなと思ったのは、日米安保条約や自衛隊の合憲性などについて、このような高度に政治的な問題は民主主義のルート(世論・国民の選挙→国会の議論)で決めるべき問題だから司法のルート(裁判所)で決めるべき問題ではないという「統治行為論」(憲法での学説と判例の見解)があるが、検察も起訴か不起訴かを決めるなどの準司法機能を持っていることから、検察の捜査や起訴についても、政治的な色彩の強い問題については検察・司法のルートではなく民主主義のルート(世論・国民の選挙→国会の議論)でいった方がよいのではないかという視点からの検討も必要ではないかという考え方。今までほとんど議論されていない新しい視点だと思った。

5. また、同じ学習院の桜井敬子教授(政治学)の指摘だが、検察は、行政機関だけども政府からの独立性を持っているため純粋な行政機関とも言えないし、起訴か不起訴かを決めるなどの準司法機能はあるのに司法機関とも言えないという「ヌエ」的な性格を持っているので、検察は今まで「行政改革」にも「司法改革」にもきちんと乗っからなかった面があるため、「検察を改革しろ」という正面からの議論が無かったという指摘があったが、これも新鮮な視点だと感じた。

「検察の改革」は政権交代の後の大切なテーマになるだろうし、今回の選挙のマニュフェストにも入れるべきだと思った。

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2009年4月22日 (水)

日本漢字能力検定協会の元理事長側の意外な知財・特許戦略?

昨日(2009/4/21)付け日経新聞の「文科省 漢検 後援 取りやめ」の記事の中で、日本漢字能力検定協会の新理事長の鬼追明夫氏の記者会見の内容として、次のような事実が載っていた(スポニチでも同様の報道あり)。

記者会見した鬼追理事長によると、・・・(中略)・・・「前理事長とは距離を置く」と強調。しかし、親族企業2社のうち1社は検定の採点や統計などをしているため「特許権の帰属問題などもあり、好ましくないと思っても短絡的に(取引中止を)やろうというわけにはいかない部分もある」と述べた。(太字は当ブログによる)

漢検の話の中で急に「特許権の帰属問題などもあり・・・」という場違いな話が出てきたので気になって、少し調べてみた。

すると、確かに、この漢字検定協会の前理事長側(大久保昇氏と大久保浩氏)は「株式会社日本統計事務センター」の名前で、今まで(データベースに出ているものだけで、最近の出願はデータベースには出てない)に、計14件の特許出願を行い、その中で4件が特許されている(他は、既に拒絶されたり、まだ審査中など)。

この特許された4件を見ると、漢字検定と関連するものとしては3件がある(この3件の特許の内容は末尾に示した)。他に、株式会社オークの名義でも数件の出願と特許があるが、それらは、ネットワークを使用した商品の販売に関する発明などで、漢字検定とは関係ないようだ。

「株式会社日本統計事務センター」による最近の出願と特許には、コンサル会社の「日本総合研究所」と共同出願している(発明者も双方から出している)ものが多い。

これらの特許や出願が実際上どれだけの力を持っているのか、漢字検定の採点や統計の業務を他社に委託するとこれらの特許権の侵害になってしまうのかどうか、ここで簡単に判断することはできない。ただ、一般的には、漢字検定の採点と統計だけなら、大学のセンター試験や予備校の模試などの採点や統計と基本的に変わるところはないと思われるので、そういう試験の採点や統計をしている大手の業者に委託することは特許侵害にはならないのではと思う(もちろん、業者ごとにやり方が違うので、今までの漢字検定と全く同じやり方での採点と統計にはならないだろうが)。下記の特許3件の内容はざっと見たが、この3件の特許だけなら、特に問題は生じないと思う。ただ、他の出願中のものについては中身を見ていないので、何ともいえない。

なお、僕は漢字検定はやったことないので分からないが、例えば漢字の筆順とか跳ね上がりなども採点するようにし、その採点方法のやり方を特許又は特許出願しているのならば、かなり手ごわい特許になる可能性はある。下記の3件の特許にはこのような要素はない。出願中のものについては、中身を見ていないので分からない。

一応、他社に委託すると大久保元理事側の特許権の侵害になってしまうかどうか、検討する時間は必要だろう。

「うちはこういう特許を持っていますので、これからもずっとうちに委託された方が良いですよ(もし他社に委託するとうちの特許権の侵害の問題が生じる可能性がありますよ)」というのは、良く使われる脅し?営業の手口だ(例えばゼネコンなどが特許に詳しくない役所などを相手に良く使っている)。

そう考えると、大久保元理事長側が以前からこういう特許出願をかなり大量に( 「株式会社日本統計事務センター」だけで14件以上)行っていたということは、見かけによらず、かなり知的な戦略を採用していたということだろう。

【特許番号】特許第3687785号(P3687785)
【登録日】平成17年6月17日(2005.6.17)
【発明の名称】採点処理方法および採点処理システム
【出願番号】特願2001-246762(P2001-246762)
【出願日】平成13年8月15日(2001.8.15)
【特許権者】
【氏名又は名称】株式会社日本統計事務センター
【住所又は居所】京都府京都市西京区川島有栖川町51番地
【発明者】
【氏名】大久保 浩
【特許請求の範囲】
【請求項1】
入力手段により入力された解答データを集信し、採点処理を行って採点コンテンツデータを作成する採点処理手段により採点処理する方法であって、
試験において複数の受験者が解答を行った解答データを収集するステップと、
前記受験者の各種属性データを収集するステップと、
入力手段により入力された解答データを、変換手段により採点処理可能な形式に変換するステップと、
記憶手段によって記憶されている各設問に対して正答または誤答が解答された場合に生成される最も小さい解答データのデータ容量と、前記受験者が解答を行った解答データとを比較対照して、前記最も小さい解答データのデータ容量より小さいデータ容量の解答データを無解答と判断することを含む、解答判断手段により前記解答データが正答、誤答、無解答のうちいずれに該当するかを判断するステップと、
解答判断手段により正答または誤答であると判断された解答データについてのみ採点処理をするステップと、
前記解答データの内容毎に前記受験者の各種属性データの集計を行うステップとを含むことを特徴とする、採点処理方法。

【特許番号】特許第4004299号(P4004299)
【登録日】平成19年8月31日(2007.8.31)
【発明の名称】試験問題提供システム、試験問題提供装置、試験問題提供方法およびその方法をコンピュータに実行させるプログラム
【出願番号】特願2002-26156(P2002-26156)
【出願日】平成14年2月1日(2002.2.1)
【特許権者】
【氏名又は名称】株式会社日本統計事務センター
【住所又は居所】京都府京都市西京区川島有栖川町51番地
【特許権者】
【氏名又は名称】株式会社日本総合研究所
【住所又は居所】東京都千代田区一番町16番
【発明者】
【氏名】大久保 浩 (他、株式会社日本総合研究所内を住所とする3人)
【特許請求の範囲】
【請求項1】
コンピュータを用いておこなう試験において試験問題を提供する試験問題提供システムであって、
ネットワークに接続されたサーバーが、
前記試験問題の一つの問題を構成する文書情報を一つのコンテンツとして、または、前記試験問題の一つの問題を構成する図形情報および前記試験問題の一つの問題を構成するイメージ情報の少なくとも一つと前記文書情報との組合せを一つのコンテンツとして、前記コンテンツを複数記憶する記憶手段と、
前記記憶手段によって記憶された複数のコンテンツの中から任意のコンテンツを選択する選択手段と、
前記選択手段によって選択されたコンテンツを前記記憶手段によって記憶された複数のコンテンツの中から抽出する抽出手段と、
前記抽出手段によって抽出されたコンテンツのレイアウトを指定するレイアウト指定手段と、
を備え、
前記ネットワークに接続された受験者用端末装置が、
表示画面を制御して、前記レイアウト指定手段によって指定されたレイアウトに基づいて前記抽出手段によって抽出されたコンテンツを表示するとともに前記コンテンツに対応する解答欄を表示する表示制御手段と、
前記表示画面に表示されたコンテンツを指示するコンテンツ指示手段と、
前記コンテンツ指示手段によって指示されたコンテンツに対応する前記解答欄にカーソルを移動するカーソル制御手段と、
を備えたことを特徴とする試験問題提供システム。

【特許番号】特許第3887525号(P3887525)
【登録日】平成18年12月1日(2006.12.1)
【発明の名称】オンライン試験システム
【出願日】平成12年7月11日(2000.7.11)
【公開番号】特開2002-23610(P2002-23610A)
【特許権者】
【氏名又は名称】株式会社日本統計事務センター
【住所又は居所】京都府京都市西京区川島有栖川町51番地
【発明者】
【氏名】大久保 浩
【特許請求の範囲】
【請求項1】
受験会場サーバと試験管理サーバと採点サーバとを有するサーバと、サーバにネットワークを介して接続された受験端末とを含む、オンライン試験システムであって、
受験端末は、
受験者数に応じて複数設置され且つ受験会場毎に設置された受験会場サーバに接続され、
ネットワークを介して受験会場サーバから配信された問題を示す文字・記号を記録した試験コンテンツデータに対応して入力された解答に基づいて、OMRによる処理及び/又はOCRによる処理に使用される解答コンテンツデータを作成する解答コンテンツデータ作成手段を備え、
受験会場サーバは、
受験会場毎に設置され、
ネットワークを介して、受験端末と、試験管理サーバ及び/又は採点サーバと接続され、
受験会場毎に抽出された受験者の個人情報及び受験会場で実施される受験者が受験する試験を特定するための情報を記憶する手段と、
受験端末から受験者により入力される受験票に記載されている情報と前記記憶する手段に記憶されている受験者の個人情報とに基づいて、演算処理して受験者の認証を行うとともに、前記認証した内容に基いて、試験管理サーバから配信され記憶された試験コンテン
ツデータから抽出し、受験会場で実施される試験の種類に対応し且つ各受験者が受験する試験の種類に対応した内容であって、少なくとも問題を示す文字・記号を記録したテキストデータを含む試験コンテンツデータを、ネットワークを介して受験端末に配信する問題コンテンツデータ配信手段と、
受験端末で作成された解答コンテンツデータを、ネットワークを介して受験端末から集信する解答コンテンツデータ集信手段と、
前記集信した解答コンテンツデータを、ネットワークを介して採点サーバに配信する解答コンテンツデータ配信手段とを備え、
試験管理サーバは、
受験者データベースに記憶されている全受験者の氏名,住所,電子メールアドレス等の個人情報と、受験する試験の種類を特定する情報とを、演算処理して受験者及び試験の種類を特定する手段と、
試験コンテンツデータベースに記憶されている試験コンテンツデータを、前記試験の種類の条件に基いて、演算処理して受験会場サーバに配信する試験コンテンツデータを抽出する試験コンテンツデータ抽出手段と、
試験コンテンツデータを、ネットワークを介して受験会場サーバに配信する試験コンテンツデータ配信手段と、
採点サーバにより作成された採点コンテンツデータを受験者に提供する採点コンテンツデータ配信手段とを備え、
採点サーバは、
ネットワークを介して受験端末から集信した、OMRによる処理及び/又はOCRによる処理が可能なOMR用及び/又はOCR用の画像データを含む解答コンテンツデータと、前記試験コンテンツデータの画像データを含む解答データとに基づいて、OMR処理アプリケーション及び/又はOCR処理アプリケーションにより採点処理を行ない、OMR処理アプリケーション及び/又はOCR処理アプリケーションにより作成された採点結果によって採点コンテンツデータを作成する採点コンテンツデータ作成手段を備え、
前記採点コンテンツデータ作成手段は、
WWWサーバで閲覧可能なデータを作成するデータ作成手段及び/又は受験した試験に合格したことを証明する書類を印刷することができる印刷データを作成する印刷データ作成手段と、
入力された試験管理サーバの受験者データベースを検索・抽出して、受験者のメールアドレスを検索するメールアドレス検索手段と、
前記採点コンテンツデータを前記受験者の電子メールアドレスに送信する電子メールアドレス送信手段とを有し、
更に、前記解答コンテンツデータ作成手段は、
前記問題コンテンツデータ内に含まれている解答選択肢を選択・入力する入力手段及び/又は解答を示す文字や記号等を手書きにより入力する入力手段と、
前記入力手段により入力された内容をOMRによる処理が可能な画像データとして保存する画像データ保存手段及び/又は前記入力手段により入力された内容をOCRによる処理が可能な画像データとして保存する画像データ保存手段とを有する解答コンテンツデータ作成手段とを備える、
オンライン試験システム。

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2009年4月20日 (月)

パテントトロール対策についての特許庁の特許制度研究会の議論

パテントトロール対策としての「特許権の差止請求権の権利濫用法理による制限」について、特許庁が設営している特許制度研究会の第2回会合の議事録が特許庁ホームページに掲載されていた。

この議事録を見る限りでは、会合のメンバーは、企業、判事、学者、弁護士、弁理士がバランス良く配置されていると思うし、議論の内容も、特に大企業寄りということもなく、かなりバランス良くなされていると感じた。特に、企業との利害関係の無い判事が参加していることがバランスに寄与していると感じる。

この議事録の中で良いなと思った議論を引用すると次のとおり。

・日米の制度の違いは、日本は原則差止めも損害賠償も認められるのに対し、米国は権利侵害に対する救済は懲罰賠償も含み得る損害賠償が原則で、差止めは裁判官の裁量による例外的措置である点。・eBay判決は米国における一般原則を特許権侵害に当てはめたものにすぎない。日米の制度及び実務の違い、差止めを制限した場合の悪影響を考えて慎重に判断すべき。
・特許権侵害の回避努力にもかかわらず、意図せずに他社の持つ特許権を侵害してしまった場合に、その後ライセンス交渉に誠実に対応しているにもかかわらず事業を差し止められるとしたら不当ではないか。
・差止請求権の行使に対応し、製品における寄与度が低い特許を回避するのは一定期間があれば容易ではないか。
・特許の技術的回避にはそれなりの時間がかかる。差止め実施までの猶予期間を適切に設定できるのであればかなりの問題が解決できるのではないか。
・有償譲渡された特許権による差止めは、目的が実施料収入や損害賠償である場合が多いと思われ、裁判で和解を勧奨されれば解決するのではないか。
・小さな企業が市場拡大・独占を目指す場合には、差止請求権が非常に大事。一方、大企業が小さな企業の特許を無視して大規模な事業活動を行った場合に、eBay判決の4要素を考慮したとして、差止請求が認められ得るのか疑問がある。 ・日本は、各国と比較して進歩性の審査基準が厳しいため、価値のない特許権による弊害は抑制されている。また、裁判において無効の抗弁が認容される場合も多く、製品に対する寄与度を勘案して損害賠償額を算出しているため、米国に比べて高額賠償が出にくいなど、特許権が強力であることの弊害は生じにくい。
・特許権の性質について、従来は所有権類似のものと捉えて差止めを認めてきたが、知的財産が土地や建物などの境界線が明確な物を対象とする所有権とは本質的に異なるとすれば、必ずしも特許権を所有権と同様に考える必要はない。例えば、特許権の行使が権利濫用であるか否かを判断する際に考慮すべき要素を、特許制度特有のものとして規定してもよいと思う。
・日本において、理論的には一定の場合に権利の濫用であるとの理由(いわゆる「権利濫用法理」)により差止請求権を制限する余地はあるが、実務的には制限した場合の代替措置などバランスを取る方策を検討すべき
特許権の効力として将来分の金銭的填補と差止請求はセットで考えるべき。特許権が財産権である以上、代替措置やその後に発生する損失を経済的に填補するような制度を整備しなければ、国民の財産権を保障する憲法の規定に違反することにもなり得る
・裁判実務では、他の法域と同様に、一般原則である権利濫用法理により差止請求権を制限するのは困難ではないか。差止請求が相当でない場合には、特許権を無効または権利範囲を狭いと判断し、問題を回避していると言われている。しかし、これでは侵害自体が否定され、損害賠償まで否定することとなり、行き過ぎたこととなる。権利侵害を認めた場合に権利濫用と判断した事例はないのではないか。したがって、現行制度では損害賠償だけ認めて差止請求を認めないという運用を行うのはかなり難しく、これでは硬直的であり立法措置が必要。例えば、損害賠償請求を原則として例外的な場合に差止請求を認める制度があり得るが、特許権の保護のベースが下がることが懸念される。
・差止めを制限したとしても、特許権侵害として損害賠償を認めている場合には、理論上は侵害行為に刑事罰が適用され得るが、それでは行き過ぎであるため、刑事罰を適用されることのないよう、侵害の違法性を打ち消す目的で、裁定と同様の効果を差止制限に伴わせるような制度設計はできないか。

・事務局より、差止めを認めるかを判断する際の考慮事項として、次の4つの要素を示した。  1)侵害を放置した場合、権利者に回復不能の損害を与えるか  2)損害に対する補償が、金銭賠償のみでは不適切か  3)両当事者の辛苦を勘案して差止めによる救済が適切か  4)差止命令を発行することが公益を害するか  (以上の引用で、太字は当ブログによる)

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2009年4月19日 (日)

鳩山さんは「国への参政権」ではなく「地方参政権」と言ったのだが

痛いニュース経由だけど、民主党の鳩山さんが「定住外国人にも地方参政権を与えるべき」と発言した(もともとの民主党の政策らしい)ことについて、2chなどで騒ぎになってるらしい。ソースはニコニコ生討論会らしい。

しかし、この痛いニュースの見出しは次のようになっている。

民主・鳩山幹事長 「日本列島は日本人だけの所有物ではない」 「定住外国人への参政権付与は当然。韓国は既に認めている」

これだけを見ると、いかにも、鳩山さんが定住外国人に「(国への)参政権」を認めるべきと言ったように見えるが、ニコニコニュースを見ると、はっきりと「地方参政権」という前提で話している。

「国への参政権」と「地方への参政権」を混同して騒いでいる人も中には結構居るのではないだろうか。

鳩山さんが言っているのは、あくまで、「地方参政権」(地方の選挙権)だ。

国政への参政権は「国民」(日本国籍を持っている人)である必要があるべきだろう(なぜなら、「国民」主権の原則から)。

しかし、地方政治への参政権を与えるのは、国籍の有無に拘わらないで、「国民」でなくても「住民」であればよい、という考え方も十分にありえると思う。

鳩山さんの言っているのは、定住外国人にも「地方の政治」に参加する権利を与えようというだけで、「国の政治」に参加する権利を与えようという訳ではないのだから、「売国奴」という言葉は当たらないと思う ( 「売地方奴」というのなら分かるが)。

このような政策が妥当かどうかの問題はあるが、少なくとも鳩山さんの「失言」ではない。それが、もともと民主党の政策なのだから。

また、鳩山さんの発言が「非常識」だというような書き込みもあるが、外国人にも地方参政権を認めるべきというのは、日本の憲法学者の間では多数説だ。国政についても外国人に参政権を認めるべきという憲法学者も、少数だが存在する。

なお、民主党も、政権をとればすぐに実現すると言ってるのではないと思う。自民党の「憲法改正」と同じように「遠い目標」として言っているのではないかと思う。僕も、個人的にはどうかと思っている。昔、オウム真理教の信者が田舎の小さな村に多数で一斉に住民登録を求めて、「村が乗っ取られる」としてそれを拒否した騒ぎがあったが、確かに、地方の村や都会でも外国人が多いエリアでは「乗っ取られるのでは」という不安はある。

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2009年4月16日 (木)

「店のご飯を無断で食べたと元店員を刑事告訴」の記事から

痛いニュース経由だけど、牛丼チェーン「すき屋」を展開するゼンショーが、バイトの残業代の不払いを理由に自社に対して刑事告発と民事訴訟をしている元店員を、「賄いのご飯どんぶり5杯分を盗んで食べた」として刑事告訴したらしい(その後、検察により嫌疑不十分で不起訴になった)。

これに限らず、最近は、日本も訴訟社会になったためか、裁判沙汰を嫌がらず、むしろ、相手との争い・駆け引き・交渉を有利に進めるために、積極的に裁判や警察・検察を「利用」(悪用)してやろう、というのが増えていると思う。

以前から、米国では、パテント・トロールといって、買い集めた特許をネタに無理筋の高額の特許侵害訴訟を仕掛けることにより相手を威嚇・恫喝し、和解に応じさせて高額のライセンス料収入を勝ち取る、という手口が流行っている。

日本でも、数年前の「オリコン訴訟」では、オリコンは、自社のランキングの信用性にケチをつけた個人ジャーナリストに対して、5千万円という高額の損害賠償訴訟を提起して、「恫喝訴訟」として有名になった。

最近も、八百長疑惑を報道した週刊現代が、日本相撲協会から1億円以上の損害賠償訴訟を提起され、判決で1,500万円の支払いを余儀なくなされた。

最近、日本郵政は、かんぽの宿の問題などを批判しているフリージャーナリストの町田徹氏に対して、国会で参考人として意見陳述したときの資料について、西川社長名で謝罪と訂正を要求する内容証明郵便を送りつけて、その中で「本書(内容証明のこと)到達後、2週間以内に貴殿において上記の対応(訂正・謝罪)がとられない場合には、法的措置をとることになりますので、念のため申し添えます」と恫喝しているらしい。日本郵政は、町田氏の記事を載せている報道機関にも、抗議の内容証明を送りつけているらしい(町田氏によるダイヤモンド・オンラインの記事「あの西川郵政社長が「国会の権威」に挑戦 「参考人」制度が揺らぎかねない事態に」より)。

かんぽの宿の問題で多くのメディアがこの疑惑を報道しなかったとき、オリックスは、何か自社に不利な内容の報道があると直ぐに損害賠償や刑事告訴などをチラつかせて恫喝してくるから、メディアが萎縮しているのではないか、という話を何処かで読んだことがある。

町田氏の記事にもあったが、最近は、多くのメディアで部数や広告収入が激減して「訴訟抵抗力」(訴訟などに対応する軍資金)が低下しているため、恫喝好きで好戦的な企業や宗教団体には萎縮して批判のトーンを落としたりスルーしたりする傾向があるらしい。

これが、最近の「マスコミの劣化」「マスコミの偏向」の大きな原因の一つだと思う。

つまり、

①ネットの台頭によりマスメディアが昔のように儲からなくなってしまったこと、その結果、

②マスメディアに、企業や宗教団体などからの威嚇や恫喝にビビらないで済むだけの「余裕」や「訴訟抵抗力」がなくなってしまったこと、また、

③マスメディアにとって広告料を払ってくれるスポンサーが神様のようになって、スポンサーの圧力や意向に容易に且つ過剰に反応しやすくなってしまったこと、

が、最近の「マスコミの劣化」及び「マスコミの偏向」の最大のそして歴史的かつ構造的な要因だと思う。

要するに、上記①~③の結果として、マスメディアが、「反権力を貫くことができない、弱腰の日和見体質」になってしまったのだ。

マスメディアが提供する言説と同レベルの言説を今ではネットでタダで見ることができる。だから、メディアの部数は落ちるし、そうなれば広告も激減する。

その結果、メディアが儲からなくなるだけでなく、メディアを通じて生計を立てていた多くの評論家や作家なども、だんだんと収入が激減して、フリーのままでは食べていけなくなるだろう。大学教授とか、シンクタンク職員などの勤め人にでもなって日々の生計を確保しながら、副業のように片手間で論説を書いてマスメディアを通じて収入を得るか、それが無理ならネットのブログなどで無料で出すしかなくなるだろう。今でも、短歌などのマイナーな世界の作家は、そうして生活しているらしいが、やがて全ての物書きはそうなっていくのだろう。

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2009年4月15日 (水)

ワンタイムパスワードの一方式の発明・特許

ITベンチャーのパスロジ株式会社(所在地:東京都千代田区、代表取締役 小川 秀治)のプレスリリースによると、同社は、この度、トークンレスワンタイムパスワード製品『 PassLogic (パスロジック)』に関する日本では3件目(米国や韓国の特許を含めると6件目)の特許を取得した、らしい。

以下に一部引用。
「「パスロジック方式」は、1997年に発明された技術で2000年に米国特許が成立しています。「パスロジック方式」では、ブラウザ上に表示される乱数表の中から、各ユーザごとに設定されている“位置”および“順番”(この部分が認証情報)で数字を抽出しパスワードを生成します。乱数表は取得するたびに表内の数字が変わるため、認証毎にパスワードが変化する「ワンタイムパスワード」を実現できます
(中略)

【取得済みの Passlogic関連特許】
米国 2000年 「乱数表から抜き出してパスワードを生成するシステム(パスロジック方式)」(US6141751)
日本 2006年 「パスロジック方式に2経路を追加してセキュリティを強化したシステム」(JP3809441)
米国 2007年 「パスロジック方式をシングルサインオンとして利用するシステム」(US7206850)
韓国 2007年 「パスロジック方式に2経路を追加してセキュリティを強化したシステム」(KR10-0716082)
日本 2008年 「パスロジック方式をUSB等のデバイスで利用するシステム」(JP4090251)
日本 2009年 「ユーザが抜き出し位置を登録するシステム」(JP4275080)
※「」内は、特許の内容をわかりやすく表現したもので、実際の特許名称ではありません。」

今回の特許を取得した方式については、ここに詳しい。

また、ワンタイムパスワードの関係で同社が最初に取得した日本特許第3809441号の特許クレームは次のとおり(ちょっと長い)。

【請求項1 】
 認証サーバが、所定のパターンを構成する要素群の中から選択された特定の要素に基づくパスワード導出パターンを登録する登録ステップと、
 認証サーバが、ユーザの情報端末装置から送信された、利用対象システムに割り当てられたシステム識別情報を受け付ける受付ステップと、
 認証サーバが、前記情報端末装置から前記システム識別情報を受け付けた場合に、前記所定のパターンを構成する要素群のそれぞれに所定のキャラクタを割り当てた提示用パターンを生成する生成ステップと、
 認証サーバが、前記情報端末装置に、前記生成した提示用パターンを含む所定の画面を提示させて、前記パスワード導出パターンに対応する特定の要素に割り当てられたキャラクタの入力を前記ユーザに促す入力ステップと、
 認証サーバが、前記利用対象システムから入力された前記キャラクタを受け付け、前記提示用パターンと前記ユーザのパスワード導出パターンとに基づいて、前記受け付けたキャラクタが正当であるか否かを判断する判断ステップと、
 認証サーバが、前記情報端末装置から受け付けたシステム識別情報に基づいて、前記キャラクタを受け付けた前記利用対象システムが正当であるか否かを判断する判断ステップと、
 認証サーバが、前記判断ステップにおいて判断した結果を前記利用対象システムに通知する通知ステップと、
を備えることを特徴とするユーザ認証方法。

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郷原信郎・元検事の「小沢代表が今、行うべきこと」を読んで

2009/4/14付けの日経ビジネスオンラインの郷原信郎・元検事による「小沢代表が今、行うべきこと」の記事は、内容がよくできていると思う。以下に一部引用する。

検察捜査を巡る問題が先決事項である理由

(中略) そして、もう1つ重要なこと、小沢代表の秘書が逮捕され起訴された事実が、果たして、政治資金規正法違反になるのかどうか、違法なのかどうかについて、根本的な疑問があるということだ。

 3月11日の「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」 でも述べたように、政治資金規正法では、収支報告書に「寄附をした者」、つまり寄附の外形的行為を行った者を記載するよう求めているだけで、寄附の資金を 誰が出したのかについては記載する義務はないというのが、これまでの一般的な解釈だ。小沢氏の秘書が、寄附の資金が西松建設から出たものだと知っていたとしても違反にはならない違反になるとすれば、寄附名義の政治団体には全く実体がなく寄附行為者になり得ない場合、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ。しかし、事務所を賃借し、常勤の役員もいると言われるこの団体が政治団体としての実体がないとは言い難い。それが実体がないと言うのであれば、全国に何千、何万とある政治献金を行うだけの目的の団体の設立届が虚偽で、それを寄附者と記載した収支報告書は虚偽記載ということになる。

 もう1つ、あえて検察の解釈論を忖度するとすれば、今回の寄附名義の政治団体は、実体があっても、人的にも資金的にも西松建設のダミーであって、 西松建設と一体のものだから、このような政治団体の実体を認識した以上、西松建設を寄附者と記載すべきだという、脱税事案などでよく用いられる「法人格否認の法理」のような考え方を取ろうとしている可能性もある。

 しかし、実質的な所得の帰属に応じて課税しようとする税の世界の問題、その中で、実質的に多額の所得を得ているのに、それを形式上ごまかして税を免れよ うとしている人間を処罰する脱税事犯の摘発の問題と、政党・政治家が共通のルールによって政治資金の透明化を図り、健全な民主主義を実現していこうとする 政治資金の世界とは全く異なる。従来の解釈を逸脱した法解釈による罰則適用は捜査機関による不当な政治介入を招く恐れがある、もし、そのような解釈論を取るのであれば、事前にそのことが明示される必要があろう

 このように考えると、小沢氏の資金管理団体の収支報告書について虚偽記載罪が成立するのか否かについて重大な疑問があり、そもそも、これを政治資金規正法違反だとする検察の主張自体が、公判審理に入る前の段階で崩壊する可能性すらある

(中略)検察には、今回の起訴の前提となる法解釈について説明すべきだ。

 (1)政治資金収支報告書には「資金の拠出者」の記載も義務づけられている、(2)「実体がない政治団体」は「寄附者」として記載してはならない、(3)特定の法人・団体のダミーのような存在の政治団体は「寄附者」として記載してはならないこのいずれかの法解釈を取らない限り、本件について虚偽記載罪が成立することはあり得ない。」(太字は当ブログによる)

この記事では、郷原さんは、現在の小沢さんの辞任の是非や検察捜査の不当性の有無の問題を議論するためには、その前に、今回の小沢秘書について本当に政治資金規正法違反の「虚偽記載」という形式犯が成立するのかどうか(有罪かどうか)の問題を先決問題として議論すべきであり、この問題と小沢氏の辞任や検察捜査の妥当性の問題とを別個に議論してよいという考え方は妥当でない、と主張しているのだが、僕もこれには全く同感だ。

つまり、現状では、多くの論者は、「(従来の有罪率99%の実績から考えて)検察が起訴した以上は小沢秘書は有罪になるのは間違いない」という前提で議論していると思える。例えば、今月号の「文芸春秋」を立ち読みしたのだが、「小沢一郎の罪と罰?」(正確な題名は覚えてない)で立花隆と朝日新聞の何とか委員の人が対談していたが、朝日の人が「検察は有罪であることについて自信満々のようですね」と言うだけで、この問題は簡単にスルーして、有罪になることを前提に、小沢氏は辞任すべきかなどについていろいろと議論していた。

また、最近の世論調査などでは、「小沢氏は辞任すべき」という人が7割くらい(毎日新聞)、「総選挙が近づいたこの時期の検察の行動は問題なかった(国策捜査ではない)」という人も半分くらい、居るらしい。

しかし、私見だが、これらの世論調査の結果の具体的な内容は、

小沢秘書が有罪になると確信しながら、秘書は有罪になるのだから(そして、政治資金規正法違反は5年の禁固で、決して軽い罪ではないのだから)、小沢さんも同じ責任があるとみて辞任すべきという人が7割、また、この時期の捜査・起訴と言っても有罪の人間を捜査・起訴しただけだから検察の行動は問題ない(国策捜査ではない)という人が半分くらい、ということだろうと思う。

他方、②小沢秘書が無罪になるだろうと考えながら、秘書が無罪になるとしても、小沢さんには政治的・道義的な責任があるから辞任すべき、また、無罪の人をこの時期に捜査・起訴したとしても検察の行動は問題ない(国策捜査ではない)という人たちは、ほとんど居ないのではないかと思う(そもそも、「無罪となる」と考えている人はほとんど居ないから)。

また、逆に、③小沢秘書は有罪になるだろうと考えながらも、なお、小沢氏は辞任しなくてよい(政治資金規正法違反と多額の献金受領は大目に見る)という人が3割、また、検察の捜査は政権交代を邪魔する国策捜査的なものでおかしいと考える人たちが半分くらい、居るということも言えると思う。僕には、「有罪になる」と思いながらも③のような回答をしている人たちが「かなり居る」ということは、驚くべきことだと思える。

他方、④小沢秘書は無罪になるだろうと考えながら、だから、当然に小沢氏は辞任しなくてよい、また、当然に検察の捜査は国策捜査的でおかしいと考える人たちは、ほとんど居ないと思う(そもそも、「無罪となる」と考えている人はほとんど居ないから)。

上記の①~④の中で、ボリュームが多いのは、共に「有罪になる」と考えている①と③で、特に①が多いと思う(そもそも、「無罪となる」と考えている②と④は、ほとんど居ない)。

特に、①の人たちは、「小沢秘書が有罪になると確信しながら、小沢氏の辞任や検察の捜査について答えた人たち」だ。それが、「小沢秘書は無罪になる」ということになれば、①の人たちの相当部分は逆の答えになる可能性が高いと思う。

だからこそ、小沢秘書が政治資金規正法違反かどうかは、最初に検討すべき極めて大切な論点になるのだ。ただ、この形式犯の法解釈は難しいので、マスコミも詳しく解説できていない。この点で、郷原さんの今回の記事は大いに参考になると思う。

つまり、僕が今まで新聞などで見た情報では、従来の検察が「虚偽記載」で逮捕・起訴した事案は全て、埼玉県知事の親族や鈴木宗夫議員などの事案を含めて全て、金額の虚偽記載(少なくとも一部の記載漏れ)があった場合(少なくとも一部が「裏献金」の事例)だった。つまり、少なくとも一部の金額の「記載漏れ」があればそれは必ず「(金額の)虚偽記載」となる。だから、「虚偽記載」の事実が存在することは明らかであり、後はその認識(故意)があったかどうかだけが有罪(形式犯だが)かどうかの決め手になる。

これに対して、今回の小沢秘書の事案は、金額の点での虚偽記載は全くない(全て「表献金」)。今回、検察は、(政治団体には有る程度の実体はあったため)、「寄附者(献金をした者)」としては「背後で資金を提供した企業」の名前を書くべきなのに「実際に銀行から振込みをした団体(有る程度の実体はある団体)」の名前を書いたのが虚偽記載だという法解釈(すなわち、「有る程度の実体があっても企業(西松建設)のダミーのような存在である政治団体」は「寄附者」として記載してはならないという法解釈)を考え出して、それをいきなり主張して、逮捕・起訴したものと思われる。しかし、このような法解釈は、従来の検察や法務省などによる一般的解釈とは全く異なる特異なものであり、今回の事件では、従来の一般的解釈からは「虚偽記載」の事実はないので、その認識(故意)を問題にする前に、無罪なのではないか、というのが郷原さんの考え方だと思う。僕も同意見(参考1参考2)。

つまり、今回の小沢秘書の検察による起訴内容は、次のようになっている。「大久保被告は、03~06年、西松建設から計3500万円の企業献金を受領しながら、陸山会と第4区総支部の政治資金収支報告書に、新政治研と未来研からの献金との虚偽の記載をした」(毎日jpの3月25日付けの記事から引用)

この起訴内容の中では、「背後で資金を提供した西松建設から、献金を受領した」のか「実際に銀行から振込みをした政治団体から、献金を受領した」のか、法的に見てどちらと評価すべきかにより、「虚偽記載」かどうかが決まるのだが、この点についての事実関係はそれほどの争いはないだろう(政治団体が有る程度の実体を有していたという事実認定ではほぼ争いはないだろう)から、法解釈論が最大の争点となるだろう。このように、検察の新しい、従来の一般的解釈から逸脱した法解釈論が妥当かどうかという「虚偽記載」の法解釈が決め手になるということは、それだけでも、今回の検察の逮捕・起訴は、極めて特殊・特異なものだと思う。

なお、私見としては、前述のような検察の解釈は、従来は検察や法務省により適法だと解釈されていた行為を、検察内部の解釈の変更(公表もされていない)だけで、いきなり、不意打ち的に違法として逮捕・起訴するものであるから、「刑事法規に該当しなければ刑罰を課されることはないとし、この観点から類推解釈などをも否定する罪刑法定主義」からみても、極めて問題だと思う。

また、私見としては、前述のような検察の解釈は、「虚偽記載」の罪になりたくなければ「献金をしてくれる団体について、その内部の実態が何処かの企業のダミーなのかどうか、もしダミーとすればその背後に居る企業は何処かをいちいち詮索して確認せよ」と政治家側に要求するものであり、憲法が保障する「結社の自由」「団体自治」「団体の政治活動の自由」「団体の構成員のプライバシー(個人情報)の保護」などの侵害に繋がる結果を惹起させる可能性のある法解釈であり、妥当でない、と思う。

いずれにせよ、この虚偽記載の罪の法解釈の問題は、極めて大切な問題だが、別に、検察と裁判所だけに任せるべきものではないし、公判が始まらないと検討してはいけない問題ではない。学問的見地からも検討してよい問題だ。民主党は、早急に、郷原さんを含めた複数の弁護士や刑法学者のチームを結成して、このチームに法解釈について検討してもらって一般に公表したらどうだろうか? (2009/4/16追記:この件は、郷原さんなどの第三者委員会のホームページに意見投稿ボタンがあったので、そこから意見として投稿しておいた。)

次に、郷原さんの上記の記事では、「小沢氏は早く公判を開始して早期の無罪判決を目指すべき(総選挙前の今年7月頃の判決を目指すべき)」と主張している。以下に一部引用。

「小沢代表は、今回の事件が政治資金規正法違反に該当しないと一貫して主張してきた。 しかも、筆者が指摘するように検察の起訴事実について重大な疑念が生じている。そうである以上、最も重要なことは、公判の場で早急に結論を出すことだ。選挙違反事件について公職選挙法で「100日裁判」が要求されているのと同様に、今回の事件についても、早急に公判前整理手続で争点を整理し、集中審理によって、早期に判決が出せるようにするべきだ。私は、起訴直後から、「選挙との関係を考慮し遅くとも7月ぐらいまでには判決が出せるようにすべきだ」と述べてきた(3月25日付朝日新聞など)。

 弁護側が、早急に手続きを進めることを強く求めれば、裁判所も、検察もそれに応じざるを得ないはずだが、報道されている限りでは、小沢代表秘書の起訴から20日余り経過した現在まで、保釈に関する動きも公判手続きに関する動きも全くない。違反に該当するかどうかも微妙な形式犯で40日以上も秘書の身柄拘束が続いているのは、決して容認できることではないはずだ。」(太字は当ブログによる)

この公判の開始時期の点は、小沢氏側の戦術により変動するのだろう。公判になって、またいろいろマスコミに出るとイメージが悪くなることなども考えているのかもしれない。しかし、5月からは、裁判員制度が始まる関係で、マスコミの報道姿勢はかなり変わる可能性はある。僕も、郷原さんの意見に同感だ。

小沢氏の側は、有罪の判決が出る可能性もゼロではないので、判決は総選挙の後にしたいという考えもあるのだろうか。しかし、どんなに引き伸ばしても、総選挙前に、公判が開始されて冒頭陳述はあるだろうから、そのときにまたいろんなことがマスコミから書かれてしまってイメージが低下することは避けられない。とすれば、早めにやって、早めに無罪判決を得るようにした方がよいのではないだろうか。

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2009年4月14日 (火)

北野誠「タレント廃業危機」と「マスコミの劣化」

人気タレントの北野誠が、出演しているすべてのテレビとラジオの番組を降板することになったらしい(ソース)。

しかし、どのような「不適切発言」が原因なのかは報道されていない。ラジオで某宗教団体(S学会)とその教祖を批判したためとか、某芸能事務所社長の個人性癖をばらしたためとかネット上で言われているが、双方が、相手のことが原因だとネットに盛んに書き込みしているような感じだ(参考)。S学会は、多くのラジオ番組のCMスポンサーにもなっているらしい。

僕はこの記事を見て、数年前のオリコン訴訟を思い出した。オリコンが自社のランキングの信頼性を批判した個人ジャーナリストに5千万円という大金の損害賠償請求訴訟をして「恫喝訴訟」として話題になった。

大組織などの圧力によって個人が仕事を奪われたり生活を脅かされたりして恫喝されると、個人はやはり自分や家族の生活を考えて、黙ってしまうしかない。

また、最近の「かんぽの宿」の問題をサンプロなどの報道番組がスルーしてたこととも似ている。あれも、オリックス不動産などがサンプロのスポンサーになっていたことと関係があると思う。

つまり、マスコミが、スポンサーからの圧力に簡単に屈して、それまでの出演者を急に番組から降板させたり、番組の内容をスポンサーの望むように変えたりするのは、「マスコミの劣化」として共通する問題であり、それは「マスコミの偏向」にも繋がっている。

こういう「マスコミの劣化」や「マスコミの偏向」は、小泉政権の頃、ライブドア事件の前頃から、目立ってきたと思う。

何故そうなったのか、自分なりの仮説だけど、マスコミに「余裕」がなくなってきたからではないだろうか。特に経済的余裕がなくなってきたから、簡単に外部の圧力に屈してしまう。

つまり、ネットの台頭によりマスコミが「相対化」されて、広告料なども値下げ圧力に晒されたり、広告の依頼も少なくなると、マスコミの人たちも、年収が減少する可能性など、自分の生活が心配になってくる。そうすると、「社会の木鐸」というような使命感よりも、当面の収入、当座のスポンサーのご機嫌取りに目が行くようになる。

同じことは、弁護士の業界などでもあるようで、最近の弁護士は「余裕」がなくなっているようだ。弁護士も、数年前までは、仕事は弁護士側が選ぶような状況で、顧客側が「先生、この仕事、何とか引き受けてください、お願いします。」と頼みこむような感じだった。それが、最近は、弁護士数の増加、周辺の司法書士や行政書士の台頭により、かなり焦ってきたように見える。従来は弁護士は広告を打つことは「みっともない」としてきたが、司法書士や行政書士がサラ金や自己破産などの広告を大量に出して仕事の受任を増やしているのを見て、このままでは仕事を奪われるだけだとして、最近は弁護士も広告を出そうという感じになっているらしい(参考)。

弁護士は顧客のことを「お客様」とは言わないで「クライアント(依頼人)」と呼ぶ。これは、顧客と弁護士とは対等の関係であること、弁護士は顧客の言うことをただ聞くだけでなく逆に教える立場にもなるし、弁護士の方針を聞かない顧客なら弁護士から切ることもあるということ、つまり、「弁護士にとって顧客は決して神様ではない」ということを示すものだ(医者や経営コンサルタントでも同じ)。それが、最近は、弁護士側の立場が弱くなって、「クライアント」から「お客様=神様」に徐々に変わりつつあるように思う。

テレビの広告業界などでも、広告主を「お客様」でなく「クライアント」と呼んできたのでは、と思う(推測)。それが、だんだんと、テレビ局などマスコミ側の立場が弱くなってきて、「お客様=神様」に変わってきている。

だから、「お客様は神様で、お客様の言われることは絶対です。」ということになって、スポンサーの圧力に素直に従うようになってきたのではないだろうか。また、明示的な圧力はない場合でも、テレビ局側の方で勝手にスポンサーの意向を忖度して、萎縮して自主規制してしまうことも多いと思う。

それが、「マスコミの劣化」「マスコミ偏向」の歴史的な原因の一つだと思う。

つまり、根っこは、小泉政権時代の市場万能主義にあると思う。市場万能主義が蔓延することにより、使命感や社会正義などを含むあらゆるものが「金銭で相対化」された(まぁ、資本主義とはそういうものだとホリエモンが言っていた)、その結果、マスコミの使命感なども相対化されて、マスコミに儲けを与えてくれる大組織のスポンサーの力が、相対的に強くなったのだと思う。だから、マスコミが容易に圧力に屈するようになった(第二次大戦の直後の頃、「闇米は不法だから」と言って食べないで餓死した裁判官が居たのだが、そういう使命感は、最近の「相対化」の風潮の下では、あまり尊重されることはない。)

ただ、それだけではないようにも思う。市場万能主義の本家は米国だが、米国ではどうなっているのだろうか。そこまでマスコミが劣化しているという話は聞いたことが無い。何かかが日本とは違うのだろう。米国では、一足先に、ネットの攻勢でマスコミが「経営危機」に晒されているらしいが、「劣化」や「偏向」とは違う。まぁ、米国では新聞は地方紙などがほとんどで全国紙などが少ないということなどで日本とは事情が違うのかもしれない。テレビもケーブルテレビが多いらしいし。

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2009年4月10日 (金)

知財高裁への審決取消訴訟の件数などの統計(2007年)

審決取消訴訟(侵害訴訟ではない)の統計(特許のみ)について、少し特許庁ホームページを見たので、纏めておきたい。以下は、特許だけの数字(商標や意匠は含んでいない。ただ、商標や意匠についての審決取消訴訟や無効審判の数は極めて少ない)。

1 「知財高裁への審決取消訴訟」の統計
a.査定系(拒絶査定不服審判、訂正審判など)の審決(請求不成立)取消訴訟
(a1)2007年の査定系(拒絶査定不服審判、訂正審判など)の審決(請求不成立)取消訴訟の出訴件数は、192件
(a2)2007年になされた査定系の審決取消訴訟の全ての判決の件数は、188件、その中の原告勝訴判決の件数は25件で、原告勝訴率は13%(=25件÷188件)。

b.当事者系(無効審判請求など)の審決取消訴訟
(b1)2007年の当事者系(無効審判など)の審決取消訴訟の出訴件数は137件
(b2)2007年になされた当事者系(無効審判など)の審決取消訴訟の全ての判決の件数は、108件、その中の請求棄却(審決維持)判決の件数は79件、請求認容(審決取消)判決の件数は29件。

2 「特許庁審判部への審判請求」の統計
(a)特許拒絶査定不服審判請求の請求件数は、2007年は32,586件。この請求件数の中の半分は前置審査で特許され、残りの半分が審判官による審理に付される。2007年において、前置審査で特許されずに審判官の審理に付されて審判の結果が出た件数は16,725件、その中で請求成立(特許成立)審決が出されたのは前記17,725件中の38%の6,290件、請求不成立の件数は7,963件、審判途中での取下・放棄の件数は2,472件。

(b)無効審判請求の請求件数は、2007年で284件。2007年の無効審判の結果は、請求成立(無効成立)の件数は142件、請求不成立(無効不成立)の件数は82件、審判途中での取下・放棄の件数の35件。

(c)訂正審判請求の請求件数は、2007年で141件。2007年の訂正審判の結果は、請求成立の件数は61件、請求不成立の件数は27件、審判途中での取下・放棄の件数は70件。

3 全ての特許出願(毎年、約40万件程度)の中の審査請求されものに対して最終的に拒絶査定がなされた件数は、2006年は約13万件、2007年は約14.8万件。

以上をまとめると、次のようになる。

1 特許出願に対する全ての拒絶査定は、2006年は約13万件、2007年は約15万件。
 この全ての拒絶査定に対して不服審判請求(査定系・特許法121条)があったのは、2006年は2.6万件、2007年は約3.3万件(割合では、約2.0~2.5%くらい)。

2 また、この拒絶査定不服審判請求に対して請求不成立(拒絶)の審決が為されたのは、2006年は約8千件、2007年は約8千件。
 この全ての請求不成立(拒絶)に対して知的財産高等裁判所への審決取消訴訟(特許法178条)の提起がなされたのは、2006年では217件、2007年では192件(割合では、大体、請求不成立(拒絶)審決の件数全体の約2.5%くらい)。

3 そして、知的財産高等裁判所への「査定系の審決取消訴訟」(2007年の全提訴件数は、192件)における原告勝訴率は、約13%(2007年の原告勝訴判決の件数は、25件)。

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2009年4月 9日 (木)

「ダブル・トラック」解消のための方策(特許無効審判の制限など)

前回の記事で、NHKの番組の中で、特許の有効性に関する「ダブルトラック」の問題が指摘されていた、ということを書いたので、ついでに記しておきたい。

このダブルトラックについては、政府の知財戦略本部で特許法の改正が議論されており、2011年予定の特許法の抜本改正に含める方向らしい。2009/4/5付け日経ネットの記事を次に一部引用。

「特許権紛争、裁判所処理に一本化 特許庁との対立解消へ

政府は特許を巡る紛争の処理迅速化に向けた法改正の検討に入る。特許権の有効性に関し、裁判所と特許庁の判断が対立しかねない現行制度を改め、無駄な紛争の回避につなげる。知的財産戦略本部が6日に決定する2009年度から5年間の「第3期知的財産戦略の基本方針」で二重構造の問題点を明記。特許庁の無効審判制度の制限と、裁判所の判断への一本化を11年に予定する特許法抜本改正に盛り込みたい考えだ。」

 現在の制度では、特許侵害訴訟で原告勝訴の判決が確定して被告から原告に損害賠償金などが支払われても、その後に、敗訴した被告は、原告の特許について特許庁に何回でも無効審判請求を繰り返すことが可能であり(無効審判は理由が異なる限り同一特許について何度でも請求できる)、その結果、特許庁で特許を無効とする審決が確定すれれば、被告は、今度は裁判所に対して「特許庁が特許を無効にしたこと」を理由として再審請求をして、自分が敗訴した確定判決を取り消してもらって、さらに、その確定判決の取消に基づいて自分が既に支払った損害賠償金とその金利(年5%!)を、不当利得などとして原告に返還請求することも可能となっている(原告としては踏んだり蹴ったりになってしまう)が、それを防ぐための方策が入れられるのは、ほぼ間違いないだろう。

方策としては、①判決確定後に原告の特許が無効になっても再審事由にならないとする、などが考えられる。

さらに進めて、②無効審判請求を制限して(特許成立後何年以内というように請求できる期間を定める、回数を定める、などして)、少なくとも特許庁との関係では特許の有効性を確定させる(少なくとも特許庁との関係では特許の有効性を争えないようにする)、これにより特許の安定性を高める、ということも考えられる。

僕の意見としては、そもそも、当事者対立構造の手続、つまり当事者系の審判(現状では、特許では無効審判のみ)は廃止して、その機能は全部、裁判所に移せばよいのでは、と思う。

なぜなら、当事者対立構造の手続(特許庁審判官が裁判官役になる)は、特許庁審判官は慣れていない(特許庁審判官の多くは、もともとは理科系の学位を持つ審査官から出世した人たちであり、例えば弁論主義や自由心証主義などの教育を十分に受けているようには見えない)と思われるから。こういう手続や考え方は裁判官の方が慣れているし適性があるはずなので、裁判所の方がよい。

他方、査定系の審判(拒絶査定不服審判と訂正審判)は、今までどおり、特許庁でやればよいのではないだろうか。また、査定系としての特許付与後の第三者異議申立ても、昔のように復活させてもよいと思う(知財戦略本部でも議論されている)。この第三者異議申立ては、査定系の手続、つまり、第三者がトリガーを引くことができるが、その後の手続はあくまで特許庁と特許権者との間だけで行う、というものだ。つまり、この第三者異議申立ては、特許後は第三者は誰でも申立てはできるが、いったん手続が始まったら、その手続は、当事者が対立する構造(特許庁審判官は裁判官の役割)ではなく、審査と同じ特許権者と特許庁との間の手続という構造(査定系。第三者はタッチできない)、というものだ。こういう査定系の手続ならば、特許庁は慣れているのでよいと思う。

ダプルトラックによる不都合は、主には3つあると思う。第1は、いつまでも特許の有効性が宙ぶらりんのため、侵害者との関係で特許権者が不当に不利になっている(特許権者が最終的に勝ち抜くことが極めて難しい)ということ。第2は、いったん裁判所に特許侵害訴訟を提起した後は、原告としては、その訴訟への対処だけでなく、被告が提起した特許庁での特許無効審判請求への対処も必要になってしまう、つまり、提訴したら直ぐに、裁判所だけでなく特許庁へも戦線が拡大してしまうので、特に中小企業や個人にとっては、弁護士費用や手間などで過大な負担になってしまう、ということだ。以上の2つは特許権者にとっての不都合だが、第3に、裁判所などを含めての不都合として、紛争が長引いてしまうということもある。

追記: なお、上記のように、(a)原告勝訴判決が確定した後に特許庁による特許無効審決が確定したことは再審事由にならないというように法改正をするのなら、(b)原告勝訴判決が確定した後に特許訂正審判が確定した結果として特許請求の範囲が前の確定判決における被告製品をカバーしないものとなってしまった場合でも、そのことは再審事由とはならない、ということも法改正に含める必要がある。なぜなら、特許無効と特許訂正とで、同じように扱わないと、バランスがとれないからだ。

なお、上記と逆のケース、つまり、(c)原告の特許が訴訟において無効と判断されて原告敗訴判決が確定した後に原告による特許訂正審判請求が認められて訂正審判が確定した結果として特許が有効と判断されるようになった(しかも、訂正後の特許請求の範囲も以前として被告製品をカバーしている)場合でも、そのことは、特許法104条の3第2項の趣旨から原則として再審事由とはならない(正確には、再審事由が存在するとしてその判断を争うことは許されない)、というのが最高裁判例だ(最判平成20年4月24日平18(受)1772「ナイフの加工装置事件」)。

また、2009/3/2付けの「社内弁理士のチャレンジクレーム」にこの問題に関する記事があったのを発見したので、その一部を次に引用しておく。

「「特許侵害訴訟後に無効審決が確定した場合、再審事由となるか」という問題は、日本で「海苔異物除去装置事件」などに関連し活発に議論されている。この状況は米国でも同じなのだろうか。なぜなら米国でも訴訟と再審査の両方で特許の有効性を争うというダブルトラックが存在しているためである。

この問題について聴講者の方から質問がなされ、セミナー講師の工藤敏隆弁護士は「米国では訴訟において特許の有効性を争うのが基本であるため、特許訴訟後に無効審決が確定した場合であっても再審事由にはならない」と回答された。ただし、この点が実際に争われた事件は未だないという。

このように米国では訴訟の優位が明確であるため、ダブルトラック問題が生じないのだろうか。この点に関連し聴講者の方が「日本では特許権者による訂正審判・訂正請求の多用がダブルトラック問題の要因となっている。米国では訂正のための再発行などはあまり用いられていない。これが米国でダブルトラック問題が生じない理由ではないか。」という旨の発言をされた。」

このブログでは、訂正審判が、ダブルトラックが問題となる大きな要因だと主張している。確かに、裁判所などを含めての紛争の長期化という面では、それはあるだろう。

しかし、ダブルトラックの問題の本質(最大の不都合)は、特許権者と侵害者との間で特許権者が不当に立場が弱くなっているということだ。つまり、特許権者・原告側の武器としては①訴訟での攻撃防御、②特許庁での訂正審判があり、被告側の武器としては①訴訟での攻撃防御、②特許庁での無効審判があるが、特に、訴訟の中で被告側による特許の無効主張が可能になった結果(また、一般に、訂正審判よりも無効審判の方が強力である結果)、原告と被告との間で、武器としてのバランスが取れていない、ということが本質的な問題だと思う。

そして、訂正審判は原告側がイニシアチブを取ってやれることなので、原告は、弁護士費用なども考えて、戦線を訴訟以外には拡大したくないと思えば、特許庁への訂正審判をしなければよいし、それは自由に選択できる(被告による訴訟中での無効主張に対抗するために、つまり「再抗弁」を主張するために、特許庁への訂正審判請求をすることも当然にあってよい)。被告としては、特許庁への無効審判請求ができなくなっても、裁判の中で特許無効の主張はいくらでもできるのだから、特に不利になることは全く無い、と思う。

以上より、「被告側の無効審判請求は制限する、原告側の訂正審判はそのまま制限しない」としても、両者の武器のバランスを考えると、ちょうどよいのでは、と思う。

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NHKの「特許が危ない 知財高裁5年目の課題」を見て

2009/4/9深夜のNHKの「今日のニュース&スポーツ」の中の「特許が危ない 知財高裁5年目の課題」を見たが、その内容は次のようなものだった。

1 知財高裁が発足して5年目になったが、特許侵害訴訟の事件の中で、知財高裁(あるいは知財高裁を含めた裁判所?)により特許を無効と判断した判決は、2005年は31.9%、2006年は51.4%、2007年は42.1%、2008年は46.4%となっている(テレビを見ながらメモしました)。

要するに、特許侵害訴訟を提起したら、原告の特許は、だいたい50%くらいの確率で、無効と判断されてしまうようだ。

2 知財高裁が特許を無効と判断した事件の例として、携帯電話のマナーモードでの着信時のバイブレーション機能について、モーターにより回転する回転板?をわざわざ真円状にしないで偏って回転させることによりブルブルと振動させる発明について、それは自明だから進歩性がなく無効だとした例があるが、そもそも「自明」というのは何かが疑問だ、と解説委員が話していた。

私見としては、これだけで裁判所の判断が不当と決めることはできない、例えば、「モーターにより回転する回転板?をわざわざ真円状にしないで偏って回転させることによりブルブルと振動させる」という技術は既に公知で、「その公知技術を単に携帯電話に適用したこと」が発明の本体であるならば、それは容易・自明だから進歩性がないと判断したのかもしれない。

※この番組の内容を示すブログ(開設委員室)が開設されていたので、一部を引用しておく。

「・・・例えば、携帯電話をマナーモードにすると、呼び出し音が鳴らない代わりに、電話機がブルブルと震えて着信を知らせますが、ブルブルッと震えるのは、モーターに円盤を付けて回転させる際に、わざと不完全な円盤を組み込んで回転を不均衡にさせて振動を起こしています
しかし裁判所は、完全な円盤で振動しないなら、円盤を変形させれば振動が起きるのは自明のことだとしまして、特許庁が認めた特許を覆したという事例があります。特許を巡る裁判は様々な要素が絡み合って極めて複雑なので、余り単純化するのは危険ですが、こういう事例を見ると、「自明のことである」という判断そのものがどこかおかしいと思わざるを得ません。
新しい技術や見たこともない新製品のすべてが、100%新しく革新的なわけではありません。現実のものづくりの世界では、業界の常識をちょっと変えてみるとか、発想を少し転換させることによって、世の中に役に立つ技術が生まれることの方が多いのです。

アメリカ大陸を発見したコロンブスが、「いずれ誰かが見つけていたことだ」という皮肉に対して、「この机の上に卵を立ててみろ」と言い返したといいます。
そしてコロンブスは、誰も立てられなかった卵を立ててみせました。
実際には卵の底を潰して立てたのですが、この話の教訓は、あとから種明かしをされれば、「何だ」ということでも、発想を転換させて最初に立ててみせる事こそが重要なのだという点にあります。しかし携帯電話の事例に見られる裁判所の判断には、コロンブスの卵をそもそも認めない姿勢が窺えます。

もう一つ重要なのは、どんなに素晴らしい発明も、多くの場合、時間が経てば、当たり前のことと見做してしまう傾向がある点です。いわゆる「あと知恵」です。だからこそ特許の有効性を判断する立場にある特許庁や裁判所は、あと知恵という罠があることを常に自覚する必要があります。」(太字は当ブログによる)

上記の引用のように、解説委員は、知財高裁の進歩性判断について批判している。しかし、進歩性はかなり専門的な内容なので、学者や専門家に聞いたりして調べたのだろう。

また、上記の「コロンブスの卵」(あとから種明かしをされれば、「何だ」ということでも、発想を転換させて最初に立ててみせる事こそが重要)と、「後知恵」(どんなに素晴らしい発明も、多くの場合、時間が経てば、当たり前のことと見做してしまう傾向がある)とは、僕は同じことを言ってる問題だと思ってたが、この解説委員は別の問題だと捉えて、話していたようだ。

3 解説委員は、コロンブスの卵のような発明も大切、後智恵で考えれば簡単に思えてもなかなか思い付かないアイデアもあり、そのようなアイデアは保護されるべきだ、というような発言もしていた。

4 特許侵害訴訟が提起されたら、特許の有効性が裁判所と特許庁の双方で争われる「ダブルトラック」により特許の有効性がいつまでも宙ぶらりんのままになってしまうという問題も指摘していた。

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2009年4月 7日 (火)

「かんぽの宿」のアドバイザリー契約当初の売却想定価格は640億円

以下は2009/4/7付けの「植草一秀の『知られざる真実』」からの一部引用

「・・・(前略)・・・また、アドバイザ-から2度(平成20年8月、平成20年11月)にわたって「売却中止」を含めた選択肢の提示を受けていたにもかかわらず、社内で十分な検討もぜず強行したことが明らかになりました。また、かんぽの宿は赤字経営だと言われていましたが、メルリリンチが作った入札参加者へ提供した資料によると、平成21年は27億円の赤字ですが、来年22年からは10億円、13億円、16億円、17億円、17億円と毎年黒字経営ができることなっています。

7日(火)には参議院総務委員会でかんぽの宿の集中審議があります。午前中参考人聴取、午後質問です。参考人に竹中平蔵氏を指名しましたが、やっぱり出てきませんでした。私も質問ではトップバッターで厳しく追及することとしています。衆議院総務委員会も7日の午前中この問題について集中審議をするようです。」

(ここまで引用。太字は本ブログによるもの。)

「かんぽの宿」不正売却問題の全容が明らかになってきた。日本郵政が「かんぽの宿」を不正に低い価格で「オリックス不動産」に売却しようとしていたことがほぼ確実になったと見て良いだろう。

2008年1月のアドバイザー会社契約時の稟議(りんぎ)書では、売却想定価格が640億円で計算されていた。この金額であれば、資産価値の実態と比較しても、それほどの違和感は生じない。「かんぽの宿」疑惑を否定する論者は、懸命に109億円の正当性を主張してきたが、109億円が不当に低い価格であることは、このことによって明確に証明されたと言える。

また、アドバイザーからは二度にわたって売却中止の選択肢が提示されたが、日本郵政が安値売却を強行したことも明らかになった。

さらに、竹中平蔵氏などが「安値売却の最大の根拠」としてきた、「かんぽの宿」収支が2010年から黒字になると見込まれていたことまで明らかにされてしまった。(以下略)」(赤字は本ブログによる)

上記のように、「2008年1月の(日本郵政とメリルリンチ日本証券との)アドバイザー契約時の稟議(りんぎ)書では、売却想定価格が640億円で計算されていた」らしい。

このアドバイザリー契約では、成功報酬として、①売却額の1.4%、②最低保障として6億円となっていた。そのため、オリックス不動産への売却決定額が109億円というのは妥当だ(当初の売却予想額もこのくらいの金額だった)という日本郵政の主張を前提として、アドバイザリー契約の当初の売却予想額が109億円程度だったとすると、このアドバイザリー契約の成功報酬の考え方はあまりに不合理で不自然だということを、多くの人が主張していた。2009/2/12付け当ブログでも、次ように述べていた。

「日本郵政とアドバイザーのメリルリンチ日本証券との業務委託契約では、毎月1千万円(年1億2千万円)の手数料と別に、「売却価格の1.4%か、この額が6億円を下回る場合は最低6億円」を成功報酬として支払うという取り決めがあったらしい。

この成功報酬の取り決めを分析すると、「売却価格の1.4%」が原則で、「この額が6億円を下回る場合は最低6億円」の部分は例外ということになると思う(なぜなら、もともと成功報酬というのはそういうもので、出来高制が原則で、成功報酬の最低保証というのは、「最低これくらいもらわないとペイしないのでやってられない」という最低限の額のはずだから)。

そして、「売却価格の1.4%」が「最低保証の6億円」を超えるためには、今回のかんぽの宿の売却価格は、429億円以上でなくてはならなかった(売却価格が429億円に達して初めて、その1.4%の6億円が成功報酬となるから。429億円×1.4%=6億円)。

とすれば、この成功報酬の取り決めをしたときは、日本郵政とメリルリンチ日本証券との間で、「今回の売却価格は429億円を超える現実的可能性が高い」という共通認識があったはずだ。

なぜなら、もし、「今回の売却価格はどうせ429億円以下だろう」ということなら、メリルリンチ日本証券としては、売却価格が429億円だろうが300億だろうが100億だろうが10億だろうが、同じ最低6億円の成功報酬を受け取れるので、全くやる気・モチベーションが湧かないことになるが、そのような全くやる気・モチベーションを出させないような成功報酬の取り決めは、全く不合理で意味がないからだ。」

しかし、上記の植草一秀氏のブログからの引用のように、アドバイザリー契約当初の売却予想額が640億円だとすると、①売却価格の1.4%(640億円の1.4%は約9億円弱)、②最低保障として6億円(=アドバイザリー契約の当初は、売却価格は429億円(※429億円×1.4%=6億円)を超える、つまり、640億円くらいと予想したのだろうと読み取れる)は、合理的であり、不自然ではない。

ということは、要するに、オリックス不動産への売却が決まった後の日本郵政の総務大臣や国会への説明がおかしかったということだ。日本郵政は、国会などに、最初から、「アドバイザリー契約当初の売却予想額は640億円でしたが、最終の売却額は109億円になりました」と答えれば良かったのに、なぜそうしなかったのだろうか。

また、上記の植草一秀氏のブログからの引用によると、アドバイザーのメリルリンチ日本証券は、おそらく売却額が109億円というように当初の予想の640億円よりもすごく低くなってしまったことから、売却中止も選択肢の一つとして日本郵政に提案していたらしい。だとすると、メリルリンチ日本証券は、なるべく売却額を高くしようと頑張っていたのだとしたら、アドバイザーとして、ある程度の仕事はやっていたということになるのかもしれない。

しかし、仮にそうだとしても、1.2億円の手数料と6億円の成功報酬も支払うような難しい仕事ではないだろう。79施設の一括売却なら簡単だが、個別売却の方法でも2年くらいかければ、日本郵政の従業員4-5人が専属になって回していけるような仕事だと思う。仮に5人が専属でやっても、1人の年収が1千万としても年間5千万円で済むような仕事だ。他に不動産鑑定の外注費は、1件が仮に100万円とすると79件で7,900万円、これに他の経費(弁護士による契約書のチェックなど)と前述の専任の従業員の人件費などを併せて、79施設の売却のためのトータルの経費は2億円は掛からないと思う。

追記(2008/4/8)

山崎元さんが2008/4/8付けのダイヤモンドオンラインの記事で、下記のような意見を述べているが、全く同感だ。雇用の維持に拘るから売却価格が安くなってしまう。赤字がどうしても解消しない個別の施設については、従業員には、2年分の年収と退職金をつけてでもいいから、退職してもらって、土地と施設だけの売却とすればよいのでは。その方が、金銭面では、トータルでプラスになるのは間違いないと思う。

「率直に言って、筆者は、この雇用維持への過剰なこだわりが、今回の問題の大元にあると思う。むろん、通った法律には、雇用に留意するという付帯条件が付いているし(雇用を未来永劫守れとは書かれていないが)、雇用に手を付けると事前に宣言していたら、現場の抵抗で、郵政民営化自体がうまくいかなったのかもしれない。当時者として民営化に苦労した人なら、そう言うのかもしれない。

 ただ、雇用の現状維持が一つの保証条件のような形になっていることが、民営化の不徹底を招いているのではないか。業績次第でリストラも減給もある民間企業のスタンダードとはあまりにもかけ離れている。これでは、郵政民営化は形だけの民営化で、実質的には「親方日の丸」の無駄を、そのまま国民に転嫁しているのではないか。「雇用を重視したから、売却条件が悪くなった」という言い分の意味はそういうことだ。」

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2009年4月 4日 (土)

政治資金規正法の「目的」と「形式犯か実質犯」かの議論

以下は、2009/3/27のビデオニュース・ドットコム「検察は説明責任を果たしているか」の中の元検事の郷原信郎弁護士(桐蔭横浜大学法科大学院教授)と神保 哲生・ビデオニュース・ドットコム代表の発言の引用

「郷原: 政治資金規正法の規正は、「規制」ではなく「規正」だ政治資金を最初から悪と考えて抑制する法律ではない。日本の公共事業と政治の関係では、確かに問題のあるお金の流れがあったという現実はある。ただ、もともとの政治資金規正法の理念というのは、政治資金は国民の浄財として政治家に拠出される。それが、政治家を動かすひとつの糧になるという民主主義の考え方、アメリカの占領下で作られた法律だ。政治活動の中身と、どこの資金で賄われているのかを透明にして国民に開示することによって、国民の不断の監視と批判のもとにおく事を目的にしている
 ということは、最初から政治資金をめぐる癒着や腐敗を防止する」という法律ではない。政治腐敗防止法ではない。ここで検察は完全に読み間違いをしている。読み違えと言うより、意図的に歪曲して解釈している。
 
神保: 谷川次席検事は会見で、「政治資金規正法は政治資金をめぐる癒着や政治的腐敗を防止するため、収支の公開を通じて政治と金の問題を国民の不断の監視と批判の下に置くことを目的にしている。」と述べたと報道されているが、この部分は検察が話を作ってしまっているということか。

郷原: 政治資金規正法は、贈収賄とは全く考え方が違う。贈収賄は、公務員の職務を金で歪めたという話だ。それを明らかにできるのだったら、犯罪は全部を摘発できるとは限らないから、どれをつまみ食いしても良い。だから、検察には説明責任はないというのはその通りだ。
 しかし、政治資金規正法は透明化を求めているから、検察の捜査も透明でなければいけない。その意味では、検察の基本的考え方がこの会見で述べられた通りだとすると、検察こそが政治の世界の透明性や、検察の捜査に求められる透明性を完全に踏みにじってしまったというような解釈だ。」

この発言から考えると、政治資金規正法の「目的」をどう捉えるかが、政治資金規正法の「虚偽記載」の罪を形式犯と考えるか実質犯と考えるかと深く関係していると思う。

郷原弁護士は、政治資金規正法の目的について、政治腐敗防止ではなく、「政治活動の中身と、どこの資金で賄われているのかを透明にして国民に開示すること、要するに、政治資金そのものは悪ではない、政治資金の収支を透明化することが目的」だと捉えている。この立場からは、政治資金規正法の「虚偽記載」の罪は、政治資金の収支報告書の記載が正確に記載されないと政治資金の収支の透明化が実現できないことから定められたものであり、要するに「政治資金の収支報告書の記載が正確に記載されているかどうか」が問題なのだから、その違反は「形式犯」に過ぎないという解釈に結びつきやすい。

他方、検察は、上記の谷川次席検事の会見のように、政治資金規正法の目的について、政治資金をめぐる癒着や政治的腐敗を防止することが目的」だと捉えている。この立場からは、政治資金規正法違反の罪は「癒着や腐敗の無い政治秩序」を侵害又は危険にさらす「実質犯」である、よって、どのような行為があれば政治資金規正法の「虚偽記載」の罪が成立するのかについては形式的に判断することはできず、「癒着や政治的腐敗に結びつくような記載とはどのようなものか」を実質的に判断する必要があるという解釈に結びつきやすい。

政治資金規正法の立法過程では、上記の郷原弁護士の言われたような「目的」で立法されたのだろう(法律の起草・立法過程を調べたら直ぐに分かるだろう)。そして、少なくともごく最近までは、検察も、そして法務省も、郷原弁護士と同じ立場だった(法務省は今も同じ見解だと予想される)。

それが、検察は、この前の、小沢秘書を起訴したときの谷川次席検事の会見で、初めて、突如として、この罪は「実質犯だ」というような主張をし始めた。

何故このような「実質犯」だという主張を急に始めたのか?  それは、無理やりにでもそのような解釈の変更をしないと、今回起訴した小沢秘書が無罪になってしまうからだ。

つまり、検察としては、

①起訴した小沢秘書を、何としても「有罪」にする必要がある、

②そのためには、収支報告書に記載すべき「献金をした者」の解釈について、従来の解釈のように「資金を銀行から振り込んだ者」(西松建設の政治団体)ではなく、「背後で資金源となった者」(西松建設)を意味しており、「背後で資金源となった者」(西松建設)を記載しなかった場合は「虚偽記載」の罪になる、というように、従来の解釈を変更する必要がある、

③そのためには、「虚偽記載」の罪の性質について、実質的に判断して「背後で資金源となった者」を記載しなかった場合に成立するのだという解釈が取りやすくなるように、従来のように「形式犯」ではなく、「実質犯」なのだ、というように、解釈を変更する必要がある(※税務調査なんかでは、「実質課税」の原則から、契約書や法人の名義などの形式に拘ることなく背後の実質的な資金の流れに着目して課税されているが、これと同じように、「実質犯」だという解釈に立てば背後の実質に着目しやすくなると思われる)、

④そのためには、政治資金規正法の「目的」について、虚偽記載の罪を「実質犯」と解釈しやすくするように、従来のように「政治資金そのものは悪ではない、政治資金の収支を透明化することが目的」ではなく、政治資金をめぐる癒着や政治的腐敗を防止することが目的」なのだ、と捉える必要がある。

以上の「①→②→③→④という検察の裏側の意図」を逆にした「④→③→②→①という表側の論理の流れ」が、おそらく、これから始まる公判の冒頭陳述で示される「検察の法解釈」の骨格になるだろう、と予想される。

しかし、このような、起訴した被告を有罪にするために、急遽、従来の解釈を無理やり変更するというという方法は、罪刑法定主義の理念に反することになり、裁判官が認める可能性は極めて低いと思う(参考1参考2)。

それと、上記の記事で、印象に残った部分(郷原弁護士の発言)を少し引用する。

「・・・政治資金規正法では、政治団体の会計責任者が処罰された場合に、代表者について「選任および監督」の過失がある場合には罰金刑が科される。(中略)
政治資金規正法の規定は、「選任および監督」となっているため、(注:小沢代表に)選任と監督の両方に過失が無ければ罰金刑も取れないし、失職もさせられない。(中略)

私も長崎自民党県連事件を調べている時に、この条文を目を皿のようにして見て、この「選任および監督」が「および」でなければ良かったのにと思った。選任の上の過失は問えないので、監督だけではいけないかと思ったことがある。法務省の刑事局に確かめていろいろと議論をしたが、ダミーを会計責任者に据えることを防止するための規定だからと言われ、納得した。そこまで検討をした経験のない人は、よく間違える。」

このように、政治資金を受ける団体の代表者の責任について、会計責任者の「選任および監督」についての責任だとしたのは、特に「選任についての責任」が必要だとしたのは、「ダミーを会計責任者に据えることを防止すること」を目的として定められたものだからだ(「政治腐敗の防止」を目的として定められたのではない)、という当時の法務省の刑事局の見解は、政治資金規正法の全体が「政治腐敗の防止」ではなく「政治資金の透明化を図ること」を目的とするもの(政治資金そのものを悪と見ていない)であり、その違反は「形式犯」にすぎないということを強く示すものだと思う。

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2009年4月 2日 (木)

裁判員制度開始に備えたマスコミの事件報道スタイルの変更

以下は昨日(2009/4/1)の「日刊サイゾー」からの引用

「裁判員制度のスタートを5月に控え、大手新聞各紙は事件報道をガラリと変えることになった。「逮捕段階から、容疑者をまるで有罪のように報道されると、裁判員はあらかじめ偏見を持ってしまう」という注文が司法当局から出たため、各紙とも記事のスタイルを根本的に見直すことになったようだ。  朝日新聞では、昨年中にすでにガイドラインをまとめている。その主な柱を5つ紹介しよう。  * * * (1)情報の出所を明らかにする  これまで逮捕容疑は、「調べによると、殺害した疑い」などと情報の出所を隠し、まるで真実であるかのように書いてきた。これは、「警察の捜査は間違いない」という警察ベッタリの幻想にすぎず、裁判員に偏見を与えかねない。そこで、逮捕容疑は警察の見立てにすぎないことをハッキリさせるため、「警視庁赤坂署によると、殺害した疑いがある」と情報源を明示することにした。 (2)発表であることを強調する 「赤坂署は佐藤容疑者を逮捕した」といった警察の広報のようなスタイルを改め、「赤坂署は、佐藤容疑者を逮捕した、と発表した」と書き改め、警察と距離を置いていることを強調する。 (3)認否を書く  容疑者が否認していても、これまで記事上に書かれることはなかった。これでは不公平なので、「捜査本部によると、容疑者は否認している(あるいは『認めている』)」などと書くことにした。 (4)「わかった」はできるだけ使わない  新しい捜査状況を特ダネとして報じるとき、「容疑者が殺害を認めていることがわかった」などと断定調で書いてきた。この「わかった」スタイルは、警察の取り調べ内容を真実と決めつけているのでできるだけ使わず、「警視庁によると、容疑者は殺害を認めているという」などと書く。淡白な表現になるので、裁判員に強い偏見を持たせないで済む。 (5)容疑者の言い分を書く  警察一辺倒だった取材を改め、弁護士も積極的に取材し、容疑者の言い分を書く。」

これによると、裁判員制度が始まる今年5月からは、朝日新聞などのメディアは、検察や警察からの報道垂れ流しを止めるらしい。

つまり、例えば、「関係者によると、・・・だと分かった。捜査機関もこの事実を把握している模様」 (関係者=捜査機関?) などの表現を止めて、裁判員に予断・偏見を与えないようにする。

例えば、「東京地検特捜部は、○○容疑者を、・・・という容疑で逮捕した、と発表した。しかし、同特捜部によると、逮捕された○○容疑者は、この容疑の事実を否認している。」とか、

東京地検特捜部は、○○容疑者が・・・という○○罪に該当する行為を行った、と主張している他方、逮捕された○○容疑者は、そのような行為は行っていない、と主張している。」というように、

裁判員を含む一般人に予断・偏見を持たせない冷静な書き方をする、ということだ。

今回の小沢秘書の事件でも、このような書き方をしていれば、世論なども大きく違ったろうと思う。まあ、「過激なタイトル」や記事ができなくなると、雑誌やテレビなどマスメディアの売上げはますます厳しくなる可能性はある。

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2009年4月 1日 (水)

元検事・モトケンブログによる政治資金規正法の「虚偽記載」の解釈について(一部反論)

民主党議員で弁護士の階猛(しなたけし)氏のブログ「弁護士としての見解-小沢代表秘書問題」に次のような記述がある。

「今回の逮捕・勾留の理由につき、検察は、①政治家の資金管理団体が企業献金を受けた罪、②他人名義でなされる企業献金を受けた罪、③収支報告書の寄付者の欄に虚偽の記載をした罪、という3つの罪の容疑があると説明しています。いずれの罪も、今回の献金が政治団体ではなく企業からのものである場合に成立します。

しかしながら、問題となっている献金は、すべて企業からのものではなく合法とされている政治団体からのものです。受け取った側としては、政治団体からの献金として処理するのは当然です。

報道によると、資金源が西松建設なのだから企業献金であるということのようですが、「政治団体からの献金でも資金源が企業の場合は企業献金と見なす」という規定はどこにもありません。もし今回の件が処罰対象になるとすると、法に書かれていない罪で国家が国民を処罰することになり、罪刑法定主義に反すると思います。

マスコミの中には「違法献金事件」として報じているところもありますが、そもそも違法な献金と言えるのかが問題なのです。」

この民主党議員のブログで述べている上記①②③の3つの罪は、いずれも、「今回の献金をした献金者(寄付をした者)は、政治団体ではなく企業(西松建設)であるということが成り立つこと」が前提であり、検察は上記のことが成り立つという法解釈及び事実認定を採用して、今回の起訴を行っている。

この民主党議員のブログに対して、元検事で弁護士兼創価大学法科大学院教授によるモトケンブログさんが、おそらく検察の法解釈を支援する立場から、小沢秘書の行為に関して、政治資金規正法違反でいう「虚偽記載」とは何かについて、解釈論を展開している。

つまり、西松建設Aが資金源である(この事実については誰もほぼ争いはないだろう)場合に、政治団体Bがその資金を自らの名義で小沢事務所側Cに献金した場合、「献金した者」はAなのかBなのか、つまり、献金を受けた側Cは「献金した者」の名前を収支報告書に記載する必要があるが、AとBのどちらを記載すればよかったのか、という問題だ。

「献金した者」が西松建設Aだと解釈すれば、収支報告書には「A」と記載すべきなのに「B」と記載したのは「虚偽記載」となる。他方、「献金した者」が政治団体Bだと解釈すれば、収支報告書には「B」と記載すべきで本件のように「B」と記載したときは「虚偽記載」ではないことになる。

モトケンブログでは、検察に味方したいというバイアスがあるのかどうか分からないが、検察が喜びそうな解釈(僕から見るとかなり苦しい解釈?)が展開されているが、これを読んで、主な論点は2つあると思った。全体はモトケンブログを見てもらうとして、主な論点の2つについて、以下に僕の意見を述べておきたい。

1.  まず、第1の論点として、「虚偽記載の罪」は形式犯だから、虚偽記載かどうか(虚偽かどうか)は形式的な基準で解釈すべきかどうか、について

モトケンブログさんの「虚偽記載とその故意(2)」の記事では、架空の事例を想定して、次のような解釈論を展開されている(架空の事例を挙げるのは、今回のように具体的事実がまだ不明な場合でも解釈論だけを論じるために有効)。

「・・・「形式犯」とは何かですが、手近なところで、ウィキペディアの定義を引用します。

保護法益の侵害や、危険の発生が成立の要件とはされない。一定の法益を保護するために、一定の行為規制を守らせることとし、かかる行為規制への形式的な違反をもって犯罪とするものである。

 水口弁護士の「形式犯」の定義がウィキペディアの定義と同様かどうかは不明ですが、

これはいわゆる形式犯ですから、虚偽であるか否かは形式的な事実認識が問われるはずです

と述べられています。
 これは、ウィキペディアの定義の「かかる行為規制への形式的な違反」に対応しているように思われます。

 しかし、「形式犯」は一定の実質的な法益侵害結果(またはその危険の発生)を必要とする「実質犯」の概念に対比されるものであり、「形式犯」の形式犯たる所以は「一定の行為規制を守らせること」にあるのであって、行為規制が守られているかどうかの判断基準が形式的であることを要するものではない、と私は考えます。
 形式犯の典型例として「運転免許不携帯罪」が
挙げられていますが、この犯罪の場合は、行為規制が「免許証を携帯すること」、つまり免許証を少なくとも運転中の車の中に置いていることが要求されておりその違反が問題になりますから、形式的判断で足ります。車の中にあるかないかだけを確認すればいいのですから。

 では本件で何が問題になるかというと、献金者についての虚偽記載の有無です。
 献金者についての虚偽記載の有無とは、献金者と誰それから献金を受けた旨の収支報告書の記載が一致するかどうか、という問題です。
 一致するかどうかの前提として、献金者は誰かという問題と収支報告書の記載上誰から献金を受けたことになっているかが確定される必要があります。
 その確定なくして一致しているかどうかの判断ができないからです。
 献金者と収支報告書の記載が確定した後の一致するかどうかの判断においては、さきほどの運転免許不携帯罪の成否の判断と同様に「形式的に」判断することが可能だと思われます。

 しかし、一致判断の前段階の「献金者は誰か?」という問題場面においては、形式的判断基準で判断しなければならない論理的必然性はありませんし、形式的基準で判断することはできないだろうと思います。

 この問題状況を運転免許不携帯罪の成否にあてはめますと、仮に運転者が運転免許証(に一見して見えるもの)を持っていたとしても、それが当該運転者にとって有効かどうかの問題と似ています。
 仮に、有効なものでなければ(例えば偽造免許証)、やはり運転免許不携帯罪は成立するのであって、その場合に運転免許証が有効かどうかは必ずしも形式的判断では答がでません

 したがって、「これはいわゆる形式犯ですから、虚偽であるか否かは形式的な事実認識が問われるはずです。」というご意見には直ちに賛成できかねるところがあります。」

しかし、上記の「偽造の免許証」は「免許証」とは言えないもの(完全なニセモノ)であるから、形式的な基準で見ても「免許証」は存在していないので、上記の事例は、上記の「有効なものでなければ(例えば偽造免許証)、やはり運転免許不携帯罪は成立するのであって、その場合に運転免許証が有効かどうかは必ずしも形式的判断では答がでません。」という主張を基礎付けるための事例としては適切ではないと思う(こういう適切でない事例をわざわざ出してくるのは、ミスで無い限りは、何らかのバイアスが掛かっているためかと思われる)。

これを検討するための事例としては、「形式的には存在しているが何らかの理由で実質的に無効であるような免許証」の方がより適切だ(例えば免許を受けるときに届け出た氏名と住所が虚偽であった場合は、本人が免許を受けたときに本人がそれについて故意だったか過失だったか無過失だったかに関係なく、免許証は形式的には存在しているが無効だろう)。

このような「形式的には存在しているが実質的に無効であるような免許証」を携帯していたという事例を考えると、形式犯としての免許証不携帯罪は、形式的には存在している免許証を携帯していても、実質的に無効であるならば、「実質的に有効な免許証」ではないということで不携帯罪が成立するだろうか? おそらく、形式犯だから、形式的基準から判断して、免許証は少なくとも形式的には存在しているのだから、不携帯罪にはならないという結論になるべきであり、この結論は、ほとんどの人が(モトケンブログさんも?)賛成するのではないだろうか?

つまり、モトケンブログさんは、「「形式犯」は一定の実質的な法益侵害結果(またはその危険の発生)を必要とする「実質犯」の概念に対比されるものであり、「形式犯」の形式犯たる所以は「一定の行為規制を守らせること」にあるのであって、行為規制が守られているかどうかの判断基準が形式的であることを要するものではない、と私は考えます。」と述べている。

しかし、そもそも形式犯を設けるのは、(例えば「車は左、人は右」のように)一般人なら誰でも(深く考えないでも)分かるように形式的な基準で行為を規制するためであるから、その解釈を実質的にやるというのでは、一般人にとって形式犯に該当する行為がどのようなものか分からなくなってしまうので、一体何のために形式犯にしたのか分からなくなるし、罪刑法定主義上も問題があると思う。したがって、「形式犯」の形式犯たる所以は「一定の行為規制を守らせること」にあるのであるから、行為規制が守られているかどうかの判断基準も(一般人が容易に分かるように)形式的であることを要すると考えるのが妥当だ(罪刑法定主義からも)、というべきだろう。

よって、この第1の論点についてのモトケンブログさんの見解は妥当でないと考える。

2. 次に、第2の論点として、「企業(西松建設)を資金源としながら、個人・団体が献金したとき、どのような場合に、『献金した者』が個人・団体ではなく企業(西松建設)だということになるのか」、つまり、企業(西松建設)A→個人・団体B→政治家事務所Cへと資金が流れたとき、収支報告書に「献金した者」の名前を書くとき、どのような場合に個人・団体Bの名前を書いて、どのような場合に企業Aの名前を書くべきか? ということについて

この点について、モトケンブログさんの「虚偽記載とその故意(2)」の記事では、架空の事例を想定して、次のような解釈論を展開している。

「では、とういう場合に虚偽と言い得るのかという点が次に問題になります。
 こういう場合は、極端例から考えていくというのが私の常套手段です。

 (1) 西松建設が、全く存在しない架空の政治団体名義(仮に、A政治団体)で献金をした場合は、A政治団体こと西松建設と認定することが容易だろうと思われます。
 その場合は、真実の献金者は西松建設、収支報告書の献金者はA政治団体となって、虚偽記載と言えるという結論に異論を挟む論者はいないだろうと思います。

 (2) 次に、二階俊博・経済産業相との関係で報道されているように、仮に、西松建設の総務部幹部が実在の同社の社員や家族らの名義で、社員らの承諾を得ることなく献金していた場合は、その献金は社員らの金であるというわけにはいかず、また社員らの意思に基づかないわけですから、社員らの献金であるということはできず、社員らを献金者として収支報告書に記載した場合は、結局、虚偽記載になるという点についても異論を見ないのではなかろうかと思っています。

 (3) 次に、本件の検察の捜査について批判的な論者も、収支報告書に記載された政治団体が完全なダミーであった場合は虚偽記載になることを肯定されています。
 ただし、「完全なダミー」というのがどういう場合を言うのかについては明確な意見はなかったように記憶しています。
 「ダミー」というのはダミーとして(ダミーの限度で)存在していることを前提とする議論であると解されますので、(1)のように全くの不存在である場合とは異なると思われます。
 となると、何らかの形で存在しているがそれは政治団体とは認められない状態を言うことになりますが、そのような評価・判断は形式的判断とはほど遠いものであり、実質的判断と言わざるを得ないのではないかと思われます。

 (4) さらに別の例を挙げますが、例えば(2)の例のように、西松建設の従業員の名前で献金する場合において、総務部幹部が従業員の甲に対して、「小沢氏の政治団体に献金したいのだが、君の名前を献金者として使わせてもらえないか。金は会社のほうでだすから君は名義を貸してくれるだけでいい。」と持ちかけ、甲がそれに対して「わかりました。どうぞ私の名前を使って下さい。」と承諾し、総務部幹部が甲の名前で献金して、収支報告書には甲から献金を受けたと記載された場合はどうでしょうか。
 この場合は、甲は実在しており、甲の意思に基づいて会社の金が甲名義で政治団体に寄付されたということができます。
 さて、虚偽記載かそうでないかどちらでしょうか?
 私は、虚偽記載だと思います。

 では、この(4)の場合の甲を、ダミーとは言い難い政治団体に置き換えた場合はどうでしょうか?
 私の結論は、(4)と同様です。

 以上は、客観的にみて(つまり事実として)虚偽かどうかの問題を考えてみました。」

上記の引用した記事には、所定のバイアスからの意識的なものかどうかは分からないが、レトリックによる誘導・すり替えが行われていると思う。それは、上記の「では、この(4)の場合の甲を、ダミーとは言い難い政治団体に置き換えた場合はどうでしょうか? 私の結論は、(4)と同様です。」の部分だ。

ここでは、いかにも、上記の「(4)の場合の甲を、ダミーとは言い難い政治団体に置き換えた場合」が、小沢秘書のケースと同様の事例だと「匂わせて」いる。

しかし、上記(4)の事例のポイントは、「企業(総務部幹部)が・・・甲の名前を使って)献金した」という部分であり、甲(社員)が承諾していたとしても、「献金した者」はあくまで「企業(総務部幹部)」だったというのがポイントだ。よって、上記(4)は、「政治団体が・・・献金した」という小沢秘書のケースとは大きく異なっているので、これを類似の事例のように「匂わせる」のは論理的でない。

なお、この(4)の場合には、収支報告書の「献金した者」の名前としては「企業(総務部幹部)」を書くべきだというモトケンブログさんの解釈は、少し微妙な場合もありえるが、基本的に妥当だと僕も思う。なぜなら、上記(4)の場合は、「形式的な基準」という点から考えると、「企業(総務部幹部)が・・・献金した」場合に当たるからだ。つまり、上記(4)の場合は、少なくとも形式的には、ATMを操作して振り込んで「献金した」のは「企業(総務部幹部)」なのだから、(誰の名義でやったかは問わず、またその名義人が承諾していたかどうかを問わず)「企業(総務部幹部)が献金した」場合に当たる、だから、「献金した者」は企業(総務部幹部)だ、と見るのが、形式犯としての解釈(形式的基準でやる)に適しているからだ。(ただ、実質的な基準をも考慮すべきという立場からは、総務部幹部は「甲の手足」としてATMから振り込んだだけだと言える場合は、甲という個人が献金者だという結論になる場合もありえるだろう)。

とにかく、以上のように、小沢秘書の場合は、「政治団体が自分でATMなどから献金した場合」だから、「企業(総務部幹部)がATMから献金した場合」である上記(4)の場合と同列に論じようとするのは、全く論理的ではないと思う。

なお、ここで、この第2の論点に関して、僕の考えを次に纏めておきたい。まず、モトケンブログさんの仮想事例を参考に、次の4つの仮想事例を考えてみたい(以下の①~④は虚偽記載となりやすい順)。

企業(西松建設)が、実在しない架空の個人・団体」の名義を使って、献金した場合(モトケンブログさんの(1)の事例に相当)

企業(西松建設)が、実在する個人・団体」の名義を、勝手に(承諾なく)使って、献金した場合(モトケンブログさんの(2)の事例に相当)

企業(西松建設)が、実在する個人・団体」の名義を、承諾を得て使って、献金した場合(モトケンブログさんの(4)の事例に相当)

「実在する個人・団体」が企業(西松建設)からの資金を元にして、献金した場合

以上の①と②は、「企業(西松建設)が、・・・献金した場合」、すなわち「献金した者」は企業(西松建設)であるから、収支報告書の「献金した者」の欄には「個人・団体(それが実在するかどうかを問わず)」の名前を記載すると「虚偽記載」となることにほぼ異論がないようだ(モトケンブログさんによると)。まあ、そうだろう(なお、今回の二階大臣のケースは、社員の承諾を取ってなかったので②のケースになるそうだ)。そして、③についても、①②と同様に「企業(西松建設)が、・・・献金した場合」なので、モトケンブログさんは、①②と同様だとしている。僕も、形式的基準で見ると「献金した者」はあくまで企業(西松建設)なのだと言えるのだから、①②と同じだという結論には同意できる(ただ、有る程度は実質的に見て、企業が個人・団体の「手足」となっている場合などは微妙と思う)。

では、④はどうだろうか? モトケンブログさんは、上記①~③に相当するものまでしか事例を出しておらず、上記③の事例(モトケンブログさんの記事の中では(4)の事例)が小沢秘書のケースに相当すると「匂わせたい」感じだったが、それは論理的におかしいということは前述のとおりだ。

この④は、小沢秘書のケースと同じだと思う。この場合は、原則として、「「実在する個人・団体」が、・・・献金した場合」なのだから(背後の資金源がどこであろうと)、つまり少なくとも形式的な基準からみると「献金した者」は「実在する個人・団体」なのだから、収支報告書には「実在する個人・団体」の名前を書くべきであり、それで足りる、と解すべきだろう。そして、このような解釈からは、今回の小沢秘書の行為は「虚偽記載」には該当しない(よって、認識=故意の問題を云々する前に無罪)、という結論になる。

以上の④についての僕の解釈は、モトケンブログさんの解釈(記事の中では(1)(2)(4)として書かれていた、上記の①~③までの事例についての解釈)を、④の事例についてまで論理的に発展させたものなので、おそらく、モトケンブログさんの解釈からも、論理的に、同じ結論になるのでは、と予想される。つまり、モトケンブログさんは、自らのブログの(4)の事例、つまり、上記③の事例(団体・個人の承諾を得て、企業が献金した場合)について、「ボーダーライン的な事例なので、反対の見解も多いだろうが、自分は虚偽記載と考える」というニュアンスの見解を述べられていたので、上記③のボーダーラインを踏み超えた事例である上記④の事例(「「実在する個人・団体」が、・・・献金した場合」)については、上記③のボーダーラインの事例とは異なって虚偽記載ではない、という結論を採られるものと予想される。

ただ、上記で「原則として」と書いたのは、例外がありえるからだ。それは、「団体」についての例外だ。個人については「実在するが実体のないダミー」というのはありえないが、団体の場合は「実在する(総務省への届け出はある)が実体のないダミー」というのが在り得る。そこで、次の⑤の事例が問題になる。

⑤上記④で、献金を行った「実在する(総務省への届け出のある)政治団体」が「実体のないダミー(又は、全くのダミー)」だった場合(上記で引用したモトケンブログの(3)に相当する問題)

この⑤の場合、元検事の郷原信郎弁護士によると、「全くのダミー」の場合は虚偽記載になる、という解釈になるらしい(例えば「ガナルカナル化する・・・」)。では、この解釈を前提としたた上で、「全くのダミー」(実体のないダミー)の場合とはどういう場合か? この「全くのダミー」が形式的基準では分からないのなら、実体的基準によることになるとモトケンブログさんにより指摘・批判されている。

郷原信郎弁護士などが言われている「全くのダミー(実体の無いダミー)」とは、形式的に見ても「存在しない場合」と同視できるような場合を指すと言ってよいと思うが、具体的にどのような事実があればそうなるかは、判例の蓄積を待つことになるだろう。

ただ、形式的に見ても存在しない場合と同視できるような「全くのダミー(実体の無いダミー)」と言えるためには、少なくとも社会通念(常識)から見て「これは完全なペーパーのみの存在だな」と言えるような場合でなくてはならないだろう。しかし、この点で、今回の小沢秘書のケースでは、西松建設が作った政治団体は、会社側からの依頼で自分の意思で就任した代表者が常駐していた(但し事務局は西松建設の総務部が担当)、毎年4~5回は宴会施設を借りてパーティを開いて毎回10人くらいが出席していた、団体の会員は会社側から依頼されて自分の意思で加盟していたなどの事実があったと新聞などで報道されている(参考)。このような事実関係から考えると、少なくとも社会通念(常識)からみて、今回の小沢秘書の事件に関する政治団体について、「全く実体がないダミー」(ペーパーのみの存在)だという結論が出る可能性は、ほとんど有りえないように思われる。

3. なお、最後に、第3の論点として、この「虚偽記載の罪」は形式犯なのか実質犯なのか、という問題もあると思う。他の弁護士のサイトなどはもちろん、モトケンブログさんのブログでも、この「虚偽記載の罪」が「形式犯」だということは当然の前提として議論されていたように思われる。

しかし、2009/3/25付け日経新聞の「小沢続投 危うい結束」という見出し記事の中には、「「表のカネ」の立件に踏み込んだ検察当局は、収支報告書で政治団体名義を使って会社名を隠す行為を「形式犯でなく、政治とカネの実態について国民を欺く重罪」と強調。 (中略) しかし、元特捜部検事の郷原信郎・桐蔭横浜大法科大学院教授は「寄付の名義の問題だけで、寄付自体は隠していない。裏金の寄付とは性格が異なり、処罰価値があるか適切に判断する必要がある」と捜査に疑問を投げかける。」という文章が載っていた。また、同じ2009/3/25付け日経新聞の「「政治とカネ」より厳格に」という見出し記事の中には、「・・・検察幹部の1人は「検察内部でもかつては実体がない形式的な犯罪という考え方が主流だった。社会全体が虚偽の情報公開に厳しい目を向け、ルールを守ることの大切さを認識し始めた」と明かす。 (中略) 別の検察幹部も「社会情勢を反映し、検察の常識が変わってきたことを政治家は分かっていない」と漏らす。」という文章が載っていた(参考)。

これらの記事から見ると、検察は、今回、政治資金規正法違反の「虚偽記載の罪」の解釈を、従来の形式犯だという解釈のままだと今回の小沢秘書の行為が無罪となってしまうため、急遽、これを(形式犯ではなく)実質犯だという解釈に変更して起訴した、という可能性が高い、と思う。

検察が具体的にどのような「実質犯」だと解釈しようとしているのかは、今はよく分からないが(例えば「政治秩序」という法益を侵害するか又はその危険を生じさせる実質犯と見るとか?)。

しかし、もし、今回のように小沢秘書を有罪にするために急遽(恣意的に?)「虚偽記載の罪」の解釈を形式犯から実質犯に変更するということが認められるならば、今後、検察は、いつでも突然に解釈を変更して一般人を不意打ち的に有罪として逮捕・起訴することができるということを認めることになるので、罪刑法定主義上も極めて疑問だ。裁判官がこのような検察による突然の(恣意的な?)解釈の変更を認める可能性は、極めて低いと思う。

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