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2009年5月30日 (土)

朝日新聞の「西松事件は国策捜査だったのか」を読んで

今回の「検察の暴走」とそれに犬のように追従する「マスコミの暴走」の問題は、ニューヨーク・タイムズなどの海外のメディアからも、心配(嘲笑も?)されているようだ。

ニューヨーク・タイムズの2009/5/29の記事「日本のメディアは検察庁が流す情報を丸投げ」の中では、日本のメディアは"watchdogs on authority"(権力に対する監視者)でなくてはならないのに、まるで"authority's guard dogs"(権力を守る番犬)のように振舞っていると、日本のメディアの動きが批判的に紹介されているらしい。

また、この記事の中では、社民党の保坂展人議員の「小沢氏がターゲットとなったのは、民主党が検察庁を含む官僚機構の簡素化をスローガンに掲げていたからだと信じている」という発言も紹介されているらしい。

http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/352.html

まぁ、そういう状況の中で、昨日(2009/5/29)の朝日新聞の「西松事件は国策捜査だったのか」を読んでみた。検察ベッタリの報道を繰り返して「検察権力の監視」を放棄した朝日新聞などを含むマスメディアの責任について全くスルーしていたこと、朝日新聞編集委員の村山治氏が明確な証拠も無しに国策捜査ではないと断言する発言をしていたことなど不満な点はあるが、一部にはかなり納得できる発言もあったので、納得できる部分を中心に、以下に引用しておきたい。

村山治(朝日新聞編集委員)「西松事件の最大の「功績」は、民主党や一部検察OBらが「検察の横暴」や「メディアとの癒着」を言い立てたことで、国民が、政治と検察、メディアの関係を見直すきっかけを与えたことだろう。検察権力の行使には何らかのチェックが必要だ。

村山治(朝日新聞編集委員)「政権と検察権力が癒着して政敵を倒すために意図的に行うことを意味して「国策捜査」という言葉を使っているとすると、それは違う。

・・・当ブログのコメント: この「・・・それは違う。」と断言している部分はおかしいと思う。今のところ、どちらにも明確な証拠はないのだから、国策捜査かどうかは、「私はこう考える」という「主張」ができるだけで、誰も「断言」はできないはずだ。

宮崎哲弥(評論家)「ただこの捜査、検挙は、最高検察庁の許可がなければあり得なかったはずだ。さらに法務省刑事局が証拠や法適用の妥当性を事前に精査しているならば、一部で憶測されたような「特捜部の暴走」説は考えにくいことになる。

・・・当ブログのコメント: この発言の意味はちょっとわかり難いが、宮崎氏は、この「・・・最高検察庁・・・法務省刑事局が・・・を事前に精査しているならば、・・・「特捜部の暴走」説は考えにくいことになる。」という表現を使って、今回の西松事件の捜査が、「特捜部の現場(末端)の暴走」ではなく、「最高検察庁や法務省刑事局などの上層部が精査した上での(=上層部が関与した)国策捜査」であった可能性もあるのでは、と指摘している訳だ。

村山治(朝日新聞編集委員)「確かにアメリカでは政権交代があり、しかも連邦検事が政治任用なので、検察と政治の関係をめぐる議論がしょっちゅう起きている。NYタイムズによれば、韓国でも今、「ささいなこと」で検察の追及を受けて盧武鉉前大統領が自殺したとして、「チェック・アンド・バランスのほとんどない検察」「現大統領官邸と検察の近さ」が批判されている。韓国の世論の矛先は検察や保守系メディア、そして現大統領に向かっているそうだ。(中略) 逮捕、起訴など検察権行使に対する指揮権発動は問題外だが、あまりにも政治による監視が検察に届かなくなっていることの方がいまはむしろ問題かもしれない。 検察が組織的に裏金をつくったり、暴走しかかったり、意図的に事件をつぶそうとしたりしているという具体的な疑いが指摘されたら、法務大臣は、行政上の権限を行使して検察に捜査経過を報告させ、必要と判断したら国民に説明する明確なルールをつくるべきだ。

川本裕司(朝日新聞編集委員)「だが今回は、東京地検特捜部長や名古屋高検検事長を務めた宗像紀夫氏が、朝日新聞紙上で元検察幹部としては異例の古巣批判をした。世論調査でも検察捜査への疑問の声が少なからずあった。

「宮崎さんの総括 検察公訴の当否、市民が審査を」の囲み記事より引用 「検察の権限は、捜査から刑の執行にまで及び、広範で重要な機能を果たしている。その行使をチェックする制度の必要性を感じる。 現在も市民による検察審査会が設けられており、特にこの5月21日から2度の「起訴相当」の議決によって法的拘束力が発生するなどの機能強化が図られた。加えてあえて将来的な課題を提起すれば、事後に不起訴処分を審査するだけでなく、アメリカの大陪審のように事前に公訴の当否を審査する機能を持たせたらどうか。検察が起訴に関する条件や判断の基準を開示する場にもなろう。 メディアも、検察の着手をたった十数時間早く「前打ち」するために、膨大な資源をつぎ込むのはもうやめるべきだ。検察の活動を検証し、とくに制度面において不備や欠陥があれば、改革を提議することが重要だ。それこそがメディアの果たすべき役割だろう。

・・・当ブログのコメント: 宮崎さんが提言しているように「事後に検察の不起訴処分を審査するだけでなく、アメリカの大陪審のように事前に検察の起訴=公訴の当否を審査する場、検察が起訴に関する条件や判断の基準を国民側に開示する場」を制度として作ることが必要だろう。それは、現在の検察審査会を拡充したもの、でもよいだろう。

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コメント

今晩は、寝たろうさん。masaです。

紹介されている朝日の座談会ですか。宮崎哲弥という登場人物といい、もし検察から頼まれて朝日が特集したと考えるとなかなか面白いですね。 少なくとも「国策捜査」との批判は検察にもかなり伝わっていると想像される。

投稿: masa | 2009年5月30日 (土) 19時20分

masaさん
こんばんわ
検察批判は今の世の中で相当広まってると思いますよ。これからますます広まるでしょうね。
特に、小沢秘書が無罪になる可能性が高いとなると、検察はなぜ無理筋なのに(それは検察も当然に初めから分かっていたはず)逮捕・起訴したのか、というのが当然に論点になってきますね。

投稿: 寝たろう | 2009年5月31日 (日) 00時08分

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