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2009年6月27日 (土)

民主党は検察の国策捜査・起訴に対する対策案をマニフェストに

今、政治的な思惑で動いているとの検察批判は国民の間で強い。
民主党は、マニフェストに「検察改革」を入れるべきと思う。

例えば、次のような内容だ。
1. 今の検察審査会の議決は検察の処分が不当とする場合としては「起訴相当(不起訴としたのは不当で起訴すべき)」及び「不起訴不当(不起訴としたのは不当でもっと捜査すべき)」となっているが、これに、「起訴不当(この起訴は選挙が差し迫った時期に行われており選挙に政治的影響を与える可能性が高いので不当であり、起訴を止めるか起訴するとしても時期を選挙の後にずらすべき)」という議決も新たに入れるべきと思う。

つまり、今回の小沢秘書の逮捕・起訴のように、極めて総選挙が差し迫った時期に、政治的思惑の疑いがある起訴について、検察審査会が「起訴したのは不当だ(不起訴とするか起訴するにしても時期をずらすべき)」という議決ができるようにすべきと思う。

これは、民主党第三者委員会が「今回のような選挙が近づいている時期に逮捕することに対しては、法務大臣の指揮権発動もありえたのではないか」という見解を出しており、僕は妥当と思うが、反対の意見(新聞社説など)も少なくない。

そこで、法務大臣の指揮権発動に代わって、国民から選ばれた検察審査会がこのような「起訴は不当だ」との判断をすることは妥当と思う。

そして、この「起訴不当」の決議があったときは、例えば、①起訴はそのまま維持して公判を(選挙に影響を与えないように)選挙の後に強制的に繰り延べる、②被告人は拘置・拘留から直ちに開放する、などの法的効果を生じさせるべきだ。

2. 法改正により検察審査会の「起訴相当(不起訴としたのは不当で起訴すべき)」が2回出たら自動的に起訴されるようになったが、「不起訴不当(不起訴としたのは不当でもっと捜査すべき)」が2回でても何も特別な効果がないというのは妥当でない。

そこで、「不起訴不当」が2回出たら、「特別(独立)検察官」を弁護士の中から裁判所が指定して、起訴に向けての証拠の「捜査」をさせる、という制度を導入することが必要と思う。

3. 今の法務省の中枢には検察官が登用されているが、このような人事を続けていると、検察官は、検察庁に居る間も、法務省での出世を考えて、政権に擦り寄る姿勢になってしまう。だから、検察官は原則として検察庁のみで、法務省には入らないようにすべきと思う。検察官の人事交流は、弁護士などの民間や法務省以外の官庁や地方自治体との間で行えばよいと思う。

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2009年6月25日 (木)

検察にはどんどん逮捕・起訴して自爆してもらいましょう(笑)

毎日新聞のスクープで明らかになった、自民党の与謝野さんと離党した渡辺さんがオリエント交易などのダミー団体からの献金を受けてきて、収支報告書にはオリエント貿易とは書かないでダミー団体の名前を書いたことが「虚偽記載」になるのでは、という話。

民主党の小沢秘書の逮捕・起訴が国策捜査であり不当だ(「虚偽記載」ではなく無罪だ)と主張してきた者としては、どのように対応すべきか?

政治資金規正法の「虚偽記載」にいう「寄付をした者」とは「形式的に見て寄付行為をした者」と解すべきであり(形式説)、小沢秘書は「外形的に献金を行った団体」の名前を書いたのだから「虚偽記載」ではない(むしろ、背後で資金を拠出しただけで形式的には献金を行っていない西松建設の名前を書けばその方が虚偽記載になる)という立場からは、与謝野氏や渡辺氏の秘書も同じく無罪のはずだから逮捕すべきではないというべきかもしれない。

しかし、郷原・元検事や岩井・日大教授などのほとんど全ての民間の専門家(弁護士や学者)の解釈(形式説)よりも、たとえ極めて少数でも一つの役所(検察庁=法務省)の公権解釈は公的な権威があるとされている。現状では、総務省が「虚偽記載」の解釈を分からないと言っている(民主党第三者委員会の総務省担当者とのヒアリングのビデオ参照)以上、検察=法務省の解釈が唯一の公権解釈だ。

その検察の公権解釈が「虚偽記載」にいう「寄付をした者」とは「実質的に見て献金をした者で、例えば背後で資金を拠出した者だ」というもの(実質説)である以上、検察には、この立場に立って粛々と迅速に処理してもらうしかない。

検察は速やかに、与謝野・渡辺両氏の収支報告書を記載した会計責任者を捜査・逮捕して起訴すべきだ。検察審査会も、検察の公権解釈を信頼?して、バンバン「起訴相当」を出すべきだ。

ただし、法律の解釈を最終的に決めるのは裁判所で、検察ではない。

検察には、頑張って、与野党を問わず、どんどん政治家秘書を逮捕・起訴してもらって、その後に、裁判所でどんどん「法解釈の誤り」で無罪にしてもらって、思いっきり自爆してもらいましょう(笑)

およそ戦いは、常に、「相手の嫌がること困ることをやる」のが鉄則だ。

では、検察は、今、何を一番嫌がっているのか? 

それは、世論から「与野党を問わず、虚偽記載の議員秘書は全てどんどん逮捕・起訴しろ」と迫られて、それをせざるを得なくなることを、一番嫌がっているはずだ。

なぜなら、そんなことしてたら、後で、ホントに、裁判で「虚偽記載に関する検察の解釈(実質説)は誤りである」として全ての公判で全員が無罪になってしまう可能性が高く(実は、検察も、そんなことは十分に分かっている)、もしそうなったら、検察はホントに玉砕・炎上してしまうことになるからだ。

検察には、是非、頑張って、全員無罪になって華々しく逝ってもらいましょう(笑)。

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民主党は「検察改革」をマニフェストに

民主党がマニフェストを固めつつあるようだが、野党への弾圧・国策捜査を続ける検察に対する批判は強いのだから、「検察改革」は是非入れて欲しいテーマだ。

先日の記事でも書いたが、今の法務省の要職を検察官が占めている現在の人事システムだと、どうしても、検察庁に居る間も、法務省での出世を考えて政権に擦り寄る姿勢を採ってしまう検察官が多く出てくるので、検察官の政治的中立性を保つことが難しくなってしまう。

だから、検察官を検察庁以外の法務省には原則として配属させないようにするという人事システムの改革が必要と思う。

その代わり、検察官と弁護士・民間との間での人事交流を行うようにすべきだろう。

また、この前の検察審査会で西松の国沢氏の二階大臣側への献金について「起訴相当」が出て、これが2回あると強制的に起訴される。これに対して、二階大臣の政治資金規正法違反については「不起訴不当」とされただけで、これは2回あっても何も無い。

この検察審査会が「不起訴不当」とした場合の手当ても、これからの法改正でやっておくべきだろう。一つの例としては、「不起訴不当」が2回出た場合は、裁判所が弁護士などから「独立検察官」(特別検察官)を選定して捜査させることだ。

追記: 「独立検察官」については、阪口徳雄弁護士のブログに書かれている。以下に一部引用。

今回の「他の被疑者」のケースのように、検察がまともに捜査しない場合に「起訴相当」決議は難しい。満足な証拠を集めていないからである。その結果、市民の怒りの「不起訴不当」決議になった。
検察審査会の「不起訴不当」決議に関する、検察の再捜査の義務があることは当然.
検察はこの議決を重く受け止めキチント捜査をして起訴すべき。
今後のあり方として、不起訴処分をした、同じ検察に再捜査を命じても、殆ど同じ結論になる可能性が大。
裁判所が「独立検察官」を選任し、新しい視点で捜査の補充をするスキームなどの法改正が必要となろう
」(太字は当ブログによる)

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2009年6月24日 (水)

米国パテントトロールの現状

米国パテントトロールについて、2009/6/23付け朝日新聞の記事に出ていたので、一部引用。

「特許トロールは、米国に200社以上あるとされる。多くは投資家から集めた資金を元手に特許を買い集め、特許侵害でメーカーを訴えて和解金を得て出資者に分配している。08年には米国の特許侵害訴訟全体の中でトロールが関係した件数は16%を超えた。」(太字は当ブログによる)

パテントトールの事業は、形だけ見ると、他人から特許を買い集めて、それをライセンス供与したり、転売したり、ライセンス無しに実施している侵害企業を訴えたり、ということで、日本のTLOのビジネスモデルと基本的に変わらない。

パテントトロールの「特許をネタに収益を上げる」という目的そのものはTLOと基本的に同じであり、違うのは、その手段・方法が「やりすぎ」(強欲すぎ)ということに過ぎない。

弁護士などが中心となったもう少しましなトロールが出てきてもよいだろうし、日本にはほとんどトロールがいないが、日本にこそ必要だと思う。

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2009年6月20日 (土)

西松事件(国沢被告)の公判・判決は小沢秘書の公判にどう影響するのか

西松事件(国沢被告)の公判は、被告が起訴事実を争わないため、昨日(6/19)だけで結審し、判決は7/14とのことだ。

6/19の公判(裁判)では、法律解釈も事実認定も、予め裏で司法取引?をして争わない、裁判所も特に法解釈などについて訴訟指揮はしなかったから、7/14の判決は、起訴どおりの判決になるのだろう。

この判決が出ると、小沢秘書の公判にどう影響するのだろうか。郷原・元検事などの専門家の解説を待ちたいが、とりあえず、私見を述べておきたい(以下については、素人なので、とんでもない勘違いもありえます)。

国沢被告の政治資金規正法違反の起訴事実は「他人名義での寄付・献金」の禁止の違反ということだ。つまり、「西松建設が他人(ダミーの政治団体)の名義を使って寄付をしたこと」が違法だというものだ。この行為は、寄付・献金をした西松建設から眺めたものだが、この寄付・献金を受け取ったのは小沢氏側、そして小沢秘書はこの受け取った寄付・献金を収支報告書に政治団体からの寄付・献金と記載した(寄付行為者として、西松建設ではなく政治団体の名前を記載した)ために「虚偽記載」だとして起訴されている。

この国沢被告に関する「他人名義で寄付した」という犯罪構成要件の解釈は、小沢秘書に関する「寄付をした者」の解釈とは異なるべきと思う。

すなわち、まず、小沢秘書に関する「寄付をした者」の解釈については、今では広く知られているように、「形式的に見て寄付をした(銀行振り込みをした)者」(形式説)か「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」(「背後で実質的に資金を拠出した者」も含む)(実質説)かという争いがある。

しかし、国沢被告に関する「他人名義で寄付した」という文言については、そもそも形式説はありえないのではないだろうか? なぜなら、「他人名義を使う」ということは「形式的な名義を偽ること」なのだから、「他人名義を使ったかどうか」は「形式的な名義の背後に居る者」を実質的に見て決めるしかないだろう。つまり、「他人の名義で寄付した」かどうかは、その名義が実質と合致しているかどうか、という実質を考える(つまり実質説)しかない。形式説のような考え方はありえないと思う。

だから、「他人の名義で寄付した」罪に関して、「実質的に見て、西松建設が、他人である政治団体の名義を使って、寄付した」のだと検察は主張し、被告もそれを認めた。裁判所も認めるだろう。僕も、これは妥当だろうと思う(国沢被告・前社長は、総務部長?当時に、主導的に2つの政治団体を設立して、社長になってからも献金を担当していた)。

これに対して、小沢秘書のケースは、受け取った側だ。「寄付をする側の行為」に関する罪と、「寄付を受ける側の行為」の罪とは、それぞれ別個に検討されるべきものだ。それは、例えば、著作権者の許諾を得ないでコンテンツを「送信する」のは違法(公衆送信権の侵害)だが、それを「受信する」(ダウンロードする)のは適法とされているのと同じだ(今国会で無許諾コンテンツの受信=ダウンロードも違法(ただし罰則なし)だと著作権法が改正されてしまったが)。

小沢秘書が「虚偽記載」となるかどうかの決め手となる「寄付をした者」の法解釈については、既に郷原さんなど多数の専門家が述べているので、ここで繰り返す意味はないのだが、簡単に述べておきたい。次のA(形式説)とB(実質説)との2つがある。

A.(形式説) 「寄付をした者」とは、「形式的に(外形的に)見て寄付をした(銀行振り込みをした)者」と解釈すべきで、このケースでは西松の政治団体(なお、このケースでの西松の政治団体は、代表者も事務所もあってパーティもやるなどある程度の実態があり全くのペーパーの架空の団体ではない)。

B.(実質説) 「寄付をした者」とは、「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」と解釈すべきで、例えば「実質的に背後で資金を拠出した者」もこれに含まれると解釈すべきで、このケースでは西松建設。

郷原さんや岩井・日大教授(政治資金規正法の第一人者)などの通説はAの形式説で、岩井教授によると、今までも現在もほぼ全ての政治家がAの形式説を前提に処理しており、もしBの実質説に解釈が変更されると、今までの政治資金の処理が根底から覆って大混乱になるとのことだ(民主党第三者委員会での議論のビデオより)。

これに対して、検察はBの実質説(検察が今回の小沢秘書を逮捕して初めて考え出した少数説、というかほぼ検察だけの1人説)に立っているようだ。Bの実質説に立つことを前提とすれば、今回の国沢被告の「他人名義での寄付」の罪を認める判決は、小沢秘書を有罪にもっていくための「ポイント稼ぎ」になってくれるだろう。なぜなら、「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実を、7/14予定の判決が認めてくれることになるからだ。

つまり、もしBの実質説に立つならば、「寄付をした者」とは「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」だと解釈すべきで、それは本件では西松建設である。そして、この「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設であるという事実は7/14(予定)判決も認めている。そして、故意(認識)の問題についても、小沢秘書が「実質的に背後で資金を拠出した者が西松建設だということは知っていた」という供述をしている(?後述)、だから小沢秘書は有罪だ、という結論になる。要するに、検察は、今回の国沢被告の公判(司法取引して検察と被告とが馴れ合ってる公判)と判決を、今後の小沢秘書の公判で小沢秘書をうまく有罪にもっていくための「仕込み」として利用しようとして、そのシナリオは一応成功したということだ(裁判官が検察の狙いどおりの内容の判決を7/14に出してくれるかどうかはまだ分からないが)。

しかし、Aの形式説(通説)に立つことを前提とすれば、「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実が7/14の判決で認定されたとしても、何も問題はない。なぜなら、Aの形式説からは、「形式的に見て寄付行為をした者」は政治団体であり、西松建設ではない(西松建設は「実質的に背後で資金を拠出した者」に過ぎない)から、小沢秘書は政治団体の名前を書くべきであり、それで十分だったからだ(むしろ、もし西松建設の名前を書いていたら「虚偽記載」の罪になってしまっただろう)。

検察は、6/19の国沢被告の公判の中で、小沢秘書が「献金が実質的には西松建設からの資金だろうと知っていたと供述した」と主張したそうだ。しかし、仮にそのような供述が真実だと仮定しても、それは、この「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実(Aの形式説からは犯罪とは関係のない事実)を小沢秘書も認めたということに過ぎない。それは、あくまで、Bの実質説に立って初めて意味がある(故意が成立するという意味で)が、Aの形式説に立つならば全く意味がない供述だ。なぜなら、Aの形式説(通説)に立つ以上、「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったかどうかは、「虚偽記載」の罪の成否に全く関係ないからだ。だから、Aの形式説に立つ以上は、そのような犯罪の成否に関係のない事実を小沢秘書が認識していようがいまいが、また、そのような犯罪の成否に関係のない事実について小沢秘書がどのような供述をしていようがいまいが、全く意味はなく、どうだっていいことだ(犯罪の成否に関係のない事実でも、動機や情状としての意味がある場合はあるが、Aの形式説からはそもそも無罪になるので、それもない)。

以上より、Aの形式説という従来の通説に立つ限りは、今回の国沢被告の判決の内容が小沢秘書の公判に対して与える影響は、ほとんどないと見てよいと思う。

ただ、それは、あくまで純法律的にはということで、判決が出てマスメディアが騒ぎまくって小沢氏や民主党のイメージが毀損されることは十分にありえる。

なお、最後に、上記のAの形式説とBの実質説とについて、Aの形式説が妥当だという理由を書いておきたい。

理由① もしBの実質説を採用したとすると、郷原さんも書いているが、会計責任者は、正しいだろうと思って形式的に寄付行為をした者の名前を書いていても、後から検察が来て実質的に見たらそれは違うから「虚偽記載」だということになって逮捕・起訴されてしまうことになり、すごく不安で怖いことになる(行動の自由が不当に害される)。というか、そのような解釈をもし採用するのならば、有罪となる行為を予め明確に一般の国民に示して国民の自由を保障することを要求する罪刑法定主義(憲法31条、同39条など)に反することになり、そのような不明確な「虚偽記載」の罪を定めた規定そのものが違憲・無効となるだろう。これに対して、Aの形式説を採用するならば、有罪かどうかは一般の国民にも予め明確に分かるので、「虚偽記載」の罪を定めた規定は憲法違反ではない。以上より、検察(だけ)が主張するBの実質説は妥当でない。

理由② もしBの実質説を採用したとすると、政治家は、団体から献金を受ける度に、その団体の背後に実質的な資金の拠出者などの黒幕がいないどうかを団体に確認したり調査しなくてはならないが、「政治権力を持つ政治家」が「献金してくれるという団体」に対してそのような確認や調査を行うことは、その団体の内部に対する干渉になり、団体の政治活動の自由や団体自治を侵すことになるし、団体の各構成員の個人情報を侵害することにもなってしまう。Bの実質説は、このような団体の政治活動の自由、団体自治、団体の構成員の個人情報を侵害する行為を政治家に強要するものであり、妥当でない。

それから、「二階俊博・経済産業相が代表をしている「自民党和歌山県第3選挙区支部」に計600万円を献金していたとされる疑惑だ。国民が刑事司法に参加する検察審査会の仕組みが変わったこともあり、これまで以上に慎重な証拠の検討を迫られた特捜部の捜査は長期化している」というニュース。これは、おそらく小沢秘書と同じ「虚偽記載」の問題だろうが、これは、検察は本当に困っていると思う。

つまり、検察審査会が頑張って「起訴相当」を2回やってくれると、二階側が起訴されるが、それを検察はすごく恐れていると思う。なぜなら、上記のAの形式説とBの実質説との法解釈の争い(小沢秘書の弁護団との解釈の論争)を、もう1人の裁判官の前でもやらねばならなくなるからだ。小沢秘書だけなら、つまり1人の裁判官だけなら、プレッシャーをかけたりして何とかなる(有罪率99%の実績は十分なプレッシャーだ)かもしれないが、2人もはきつい。逆に、小沢秘書側には、二階側が起訴されると助かると思う。

また、この件では、植草一秀さんのブログも参考になる。

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追記: 上記のAの形式説とBの実質説とについての文献として、民主党第三者委員会の報告書があるので、その一部(おそらく郷原さんの執筆)を引用しておく(なお、以下で太字と赤字は当ブログによる。なお、以下の赤字の部分の「法務省」とは「検察」とイコールだ。検察は法務省に所属している)。

「2-1.違反の成否
(1) 法解釈上の問題
ア 「寄附をした者」とはどのような意味か
検察側の主張は、「寄附名義の政治団体は西松建設のダミーであり、本件の寄附について収支報告書に『寄附者』として西松建設と記載しなければいけない、それを政治団体と記載したことが虚偽記入に当たる」というものと考えられるが、検察の主張の重要な根拠とされているのが、寄附の資金の実質的な拠出者が西松建設だということだと思われる。
ここで問題になるのが、政治団体や政党が寄附を受けた場合に、会計責任者に政治資金収支報告書に記載することが義務づけられている「寄附をした者」とはどのような意味なのか、ということである。寄附者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と資金の拠出者が異なっている場合に、外形的行為者と資金の拠出者のいずれが「寄附をした者」に該当するのか
(中略)
イ 関係当局の見解と問題点
この点について関係当局の見解を把握するため、政治資金規正法を所管する総務省及び罰則について審査を行う立場にある法務省の担当者にヒアリングへの出席と回答を求めたが、法務省当局からは、出席も回答も得られなかった。
総務省からは担当補佐が出席したが、「収支報告書上、寄附の内訳への記載が求められる寄附者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄附を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか(例えば、寄附として現金を持参してきたのはAだが、その資金はB が拠出していると認識していた場合に、その寄附を受領した政治団体Xの会計責任者は、寄附者をAと記載したら良いのかBと記載したら良いのか)」との質問に対して、「法律上『寄附をした者』を記載することとされているので、総務省としては、会計責任者が法の趣旨に則り、実態を把握して『寄附をした者』を記載してくださいとしか言えない」との回答に繰り返すのみであった。
この点に関し、衆議院法務委員会で、「『寄附をした者』というのは、資金を拠出した者という意味なのか、自分の名前で振り込みや金銭の行為などの外形的行為を行った者を意味するのか」との質問が行われたのに対して、大野恒太郎刑事局長は、「これは寄附した者をいかに認定するのかという事実認定、当てはめのことになる。実際に誰が寄附をした者なのかという認定をするに当たっては、金銭交付に至った経緯やその意図、金銭交付に関与した者の状況等、諸般の事情を個別具体的な事案に応じて判断することになる」旨、答弁した
要するに、法務省は、寄附の外形的な行為者と資金の拠出者が異なっている場合、いずれが「寄附をした者」に当たるかは、形式的に判断すべきことではなく、諸般の事情を総合的かつ実質的に判断しなければ結論を出せないというのである
このように、「寄附をした者」の判断について、一般論を示すことなく、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解によれば、政治団体、政党の政治資金の処理を行い、政治資金収支報告書の作成・提出を行うことを義務づけられている会計責任者は、寄附者をどう記載すべきかを自ら判断しなければならず、しかも、そこで、結果的に記載が誤っていたと認められた場合には、虚偽記入罪の刑事責任を問われるリスクを負わされるということになる。それは、政治資金収支報告の実務に重大な影響を与えることになりかねない。
(2) 寄附をめぐる実態との関係
このように、政治資金規正法の解釈としては、「寄附をした者」とは、基本的に、「寄附
者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、このように解したとしても、例えば、寄附名義の団体、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような存在で、寄附行為者としての実体がまったくない場合には「行為者」と認められず、資金の拠出者が寄附者となる場合もあり得る。
そういう意味で、実態とまったく無関係に判断できるわけではない。
本件は、刑事事件として起訴された事案なのであるから、実態に基づく判断は、最終的に
は、公判手続の中で証拠による事実認定に基づいて行うほかない。しかし、実態に基づいて検討を行うための一つの手がかりとなる資料がある。それは、西松建設が2009 年5 月15 日に公表した内部調査委員会による調査報告書である。
同報告書に記載された政治団体の実態及びその政治資金の寄附の実態によれば、これらの団体を、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような実体のない団体とは認め難い。「寄附をした者」が政治団体ではなく西松建設であるとの検察の主張立証には相当な無理があり、「寄附をした者」を政治団体と記載したことは虚偽記入罪には該当しないのではないかと思われる。」

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「検察官が法務省の要職を占めている」現在の人事システムを改めることが必要

昨日の西松事件公判(被告:国沢前社長)についてだが、今日(6/20)の新聞を見てたら、記事中に検察に批判的な部分を幾つか見つけたので、一部を引用する(以下の引用で、太字は当ブログによる)。検察批判が少ないとはいえ以前と比べると格段に増えているが、マスメディアも政権交代後の保身を考えたのだろう。

・6/20日経新聞より引用。渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事法)の発言として「・・・検察は政党の動きに巻き込まれてはならない。検察官が法務省の要職を占める人事システムを改めるなどして中立性を高めることが必要だ。

・6/20朝日新聞より引用。郷原・元検事の発言として「・・・容疑を認めている国沢幹雄被告らの公判で、何の文句も言われないからといって、検察側は言いたい放題だった。争っている大久保被告は完全にかやの外で、反論の機会も無いまま、有罪のイメージができあがる。こんなやり方が裁判員制度のもとで許されるのか。アンフェアだ

・6/20日経社説より引用。「西松建設は多くの政治家に政治団体名義で献金をしてきた。その中でなぜ小沢代表代行への献金だけを立件したのか、検察は明快な説明をしておらず、総選挙が近いだけに政治的意図を勘繰る声さえ出ていた。

・昨日(6/19)の日経夕刊より引用。岩井奉信・日本大学法学部教授(政治資金規正法の研究の第一人者)の発言として、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は実質的な選挙期間だから、検察の捜査は選挙妨害だ、と言って、検察を批判していた。

上記(一番上の引用)のように、今回、渥美東洋教授は、現状の検察が政党(自・公)からの影響を受けている可能性があることから、中立性を高めるため、今の「検察官が法務省の要職を占めている人事システム」を改めることが必要だという一つの具体的な処方箋を示されている。

民主党・日本新党・社民党は、政権交代後を踏まえて、渥美教授や郷原元検事などを含む委員会を作って、今回のような検察の政治的な動きを是正・コントロールするためのシステム作りを検討して欲しい。

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実質的な選挙期間に検察が民主党を狙って捜査や公判をするのは「選挙妨害」では?

今日(6/19)の西松建設の前社長・国沢氏の公判の冒頭陳述の新聞記事などを見たが、検察は、またまた小沢氏側が談合で「天の声」を発したとか何とか、小沢氏側に大きな風評被害を与えていた。マスコミの報道は、小沢秘書側の弁護士にも取材するなど、かなり抑制的だったと思う。与党議員は大騒ぎしてたが。

ところで、今日の日経夕刊にあったが、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は、公職選挙法は、立候補者個人のポスター貼りを禁止するなどの規制を加えているらしい。

そして、また、今日の日経夕刊では、岩井奉信・日本大学法学部教授(政治資金規正法の研究の第一人者)が、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は実質的な選挙期間に既に入っているのだから、この実質的な選挙期間内に検察が政界ルートを捜査したりするのは選挙妨害だ、と言って、検察を批判していた。

衆議院の任期満了から6ヶ月内という実質的な選挙期間に、検察は、郵便不正・悪用事件で民主党の石井議員に風評被害を与えたり、今日の西松事件の公判の冒頭陳述で小沢氏側に風評被害を与えたりと、民主党への選挙妨害のやり放題だ。捜査も公判もやるなとは言わないが、「総選挙に大きな影響を与える捜査や公判」については、総選挙後に時期をずらすことは可能なはずだ。

民主党第三者委員会で小沢氏が「検察の権力行使を外からチェックするシステムが必要だ」と言ったらしいが、ほんとに、検察が政治に干渉して国民による投票活動に影響を与える(選挙妨害をする)などの民主主義を破壊する行為をすることを第三者が規制・コントロールする制度(自衛隊のシビリアン・コントロールと同じような制度)を作る必要がある。

自衛隊と同じで「野放し」にするのは本当に危険だと思う。

ところで、今回の西松建設の前社長・国沢氏は、新聞によると、①2つのダミー団体の名義で計500万円を(小沢氏側の睦山会などに)政治献金した政治資金規正法違反の罪、②外為法違反の罪、という2つの「形式犯」で起訴されているらしい。

このうち、①の政治資金規正法違反の罪が、小沢秘書と関連する部分だ。

新聞記事だけでは、今日のところは、具体的な罰条・起訴事実がよく分からない(そのへんは明日の新聞で詳しく出るだろう)。

ネットで見たら、産経の記事の次の国沢氏の弁護人の最終弁論の部分が、参考になった。次に一部引用。「《弁護人は、政治資金規正法が寄付者を記すべきだという説と、資金の拠出者を示すべきだという説があると主張する》 「仮に(寄付者を記すべきだという)形式説が正しいとしたら、法の趣旨は収支の公開であって、違法性はさらに低いものになるのではないか」 《続いて、新政研と未来研を設立した経緯に話は及ぶ。弁護側は2つの政治団体を国松(沢?)被告が「主導して設立したのは間違いない」と認めた。・・・」(太字は当ブログ)

この太字の部分は、このブログでも何回も述べている郷原・元検事その他の従来より一般的な解釈(「寄付した者」とは「献金を振り込んだ者」で「背後で資金を拠出した者」ではないから、小沢秘書は「献金を振り込んだ団体」の名前を記載すればよかったのであり、西松建設の名前を書くとかえって「虚偽記載」となってしまう)を、国沢前社長の弁護人がそのまま述べたものだ。この部分は、「情状」として述べたものだろう(小沢秘書側の違法性が無いかもしれないし仮にあるとしても低いから、国沢前社長の違法性も低いはずというような意味?)。

まぁ、国沢前社長の方は「献金した罪」の該当性、小沢秘書の方は「虚偽記載の罪」の該当性と、それぞれ罪が問われている対象の行為が違うので、国沢前社長が仮に政治資金規正法違反の有罪となったとしても小沢秘書が有罪と決まるわけでは全くない

また、今日の冒頭陳述で、検察は、「小沢秘書が、実質的に西松からの献金だと知っていたと供述した」と主張したらしい。しかし、ここでは「実質的には(背後では)西松からの資金だろうと知っていた」ということに過ぎない。つまり、もし仮にそのような供述が本当にあったと仮定しても、小沢秘書は「実質的に拠出した」のが西松だと知っていただけのことに過ぎない訳で、あくまで客観的に見て「形式的に献金をした」のは西松ではなく政治団体なのだから、小沢秘書としては、きちんと政治団体の名前を書くべきなのであり、その政治団体の名前を書いておきさえすれば「虚偽記載」にはならず、無罪となる、と考える(郷原さんなども同じだろう)。

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2009年6月18日 (木)

自公議員だけじゃない、マスコミも自分の立ち位置探しに必死?

The Journalによると、東京新聞が6月17日から、小沢一郎前代表の秘書が逮捕された西松献金事件について、検察の一連の捜査を検証する『誤算 西松建設巨額献金事件』と題する連載を同日付朝刊から開始したらしい。

マスメディアの中で、「検察批判」?をするところが出てきた。

機を見る敏で、政権交代が現実になると見越して、「勝ち馬に乗ろう」という変わり身の術?もあるのかな(^^ 

どうせ、民主党政権になれば、記者クラブは廃止だから、検察から出入禁止になっても被害は大きくないと踏んだのでは?

東京新聞もそうだが、最近は、読売新聞も、反小泉・反郵政民営化の社説(鳩山弟支持・西川辞任すべし)を書いて、「民主党=与党」の立ち位置を獲ろうと舵を切ったようだ。

イス取りゲームで、早い者勝ちだ。

朝日は乗り遅れて、「検察・自民党=野党」の立ち位置しか残っていないかも。朝日が乗り遅れているのは、もしかして、郵政不正事件関連で検察に弱みを握られているとのネット上の噂と関係があるのか?

毎日は、・・・まさか公明・○○学会というのはないと思いますが(^^

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2009年6月16日 (火)

郵便制度悪用事件の政治家ルートの捜査は総選挙後に

今回の郵便制度悪用事件で、大阪地検が、割引制度の適用条件を満たす障害者団体であるとの証明書を偽造した容疑で、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長の村木氏を逮捕したことから、民主党が「第2の西松事件(国策捜査)か」と警戒しているらしい。

ここより引用「・・・(「凛(りん)の会」(現・白山会)の)倉沢容疑者は、かつて民主党の石井一副代表の私設秘書を務めていたうえ、白山会会長側は同党の牧義夫衆院議員側に24万円を献金していた。 このため、民主党幹部は「民主党議員が関係者として実名で報道されているのは知っている。常識的には、特捜部も総選挙前には(政界ルートに)動かないだろう。ただ、西松事件の前科がある。ここまで内閣支持率が下落すると、政権維持のために禁じ手に踏み込む可能性もゼロとはいえないかもしれない」と警戒している。」(太字は当ブログによる)

今までも「総選挙が近づいているときは、政界ルートの捜査は総選挙の後に」というのは常識だったのだろうが、黙ってると最近の検察は何をしでかすか分からない。

この「検察と総選挙」の問題は、国会でも早急に議論すべきだろう(本来はマスメディアが議論すべきだがマスメディアは検察・政権側に擦り寄っているのが現状だ)。自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題が内在していると考える(検察国家軍事政権、民主主義を破壊する点で同じようなものだ)。

何年も前の事件を総選挙前に蒸し返す手法も合せ考えると、少なくとも、今回も西松事件と同じ「国策捜査」であることが明らかになった。」というこちらのブログ(謙虚と謙譲の音楽)の見方は説得力がある。

今回の郵便不正事件における検察の「何年も前の事件を、総選挙の直前のタイミングと合うように、時期を選びながら徐々に蒸し返していく、という手法」は、西松事件と全く同じだ。

しかし、検察は、今回は、前回の西松事件のときのように国策捜査の誘惑にかられることなく、政治家ルートの捜査(逮捕を含む)は総選挙の後まで遅らせるべきだ、と考える。その理由は、次のとおりだ。

1.総選挙における投票活動は、憲法上最も重要な、主権者たる国民による政治行為だ。その「憲法上最も重要な、総選挙における国民の投票活動」の内容に、どういう方向であれ、選挙を経ていないただの検察「官僚」が(間接的にでも)影響を与えることは許されない

2.検察の捜査、特に政界への捜査は、常に政権側の政治的意図による国策捜査の可能性、それがなくても冤罪の可能性がある(歴史上多いし、現代でも韓国を初めとして諸外国の例を見れば明らか)。しかし、もしそのような検察捜査の不当性・恣意性があったとしても、それが明らかになるのは、裁判が終わった後なので、少なくとも捜査・逮捕が行われてから数ヶ月か一年以上後になってしまう。つまり、もし総選挙の直前に検察による政界ルート捜査が行われると、必ず、その捜査が正当なものか不当で恣意的なものかが分からないままの状態で、つまり、国民の投票行動に影響を与えたままの状態で、総選挙における国民の投票活動が行われてしまう。その結果、もし総選挙の直前に政界への捜査がなされてマスコミによる世論操作が行われることにより「総選挙における国民の投票活動」の内容が影響され歪められてしまうと、もしその後に検察捜査の不当性・恣意性が明らかになっても、既に後の祭り、「民主政治上、取り返しの付かない甚大な損失」が生じてしまう

 ※民主党の第三者委員会の報告書でも、「西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。」と述べられている(18ページ部分)。

3.特に、検察による「野党側」の政治家の捜査は、総選挙前は行われるべきではない。なぜなら、歴史上及び最近でも韓国、ペルー、ミャンマーなどの諸外国の例を見れば、検察の政界ルートの捜査の中でも、特に野党側に向けられた捜査は、後で不当性・恣意性が判明するものが多い傾向があるからだ(そもそも検察官僚は政権側に所属しており、政権側に利用されやすいことからも当然)。

4.他方で、検察による政界ルートの捜査を総選挙が終わるまでの数ヶ月だけ遅らせたとしても、個々の政治家について、時効が成立してしまう、証拠隠滅の時間を与えてしまうなどのマイナスはあり得るだろうが、仮にそのようなマイナスが生じたとしても、上記2.で述べた「民主政治上、取り返しの付かない甚大な損失」と比較すれば小さなものに止まる。

5.民主党の第三者委員会の桜井敬子委員(学習院大教授)も堀田元検事を呼んでの議論のビデオの中で発言されているが、安保条約や自衛隊などの極めて高度な政治性を有する問題については、政治を取り扱う民主主義ルート(国民の選挙での投票活動と国会での議論)によって決めるべきで、国民の選挙を経ていない裁判官が決めるべきではないという「統治行為論」が認められている(判例・通説)が、同じことは検察の政界ルート捜査にも当てはまる。憲法上最も重要な国民による投票活動(総選挙)が近づいている時期に、国民の選挙を経ていない「ただの検察官僚」が政界ルートへの捜査・逮捕を行うことを通じて「国民の投票活動」の内容に(間接的にでも)影響を与えることは、憲法上、許されない自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題が存在しているのだ(検察自衛隊、いずれも実力・武力装置であり、その制御を誤れば民主主義が破壊されてしまう点で、同じような性質を有している)。

なお、当ブログの末尾に、民主党の第三者委員会の報告書の18~19ページ(おそらく桜井敬子委員(学習院大教授)による執筆と推測される)を引用しておく。この部分の特に指揮権発動について述べた部分(「法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる」)について、森法相が批判しているようだ(「雑感」に記載がある)。6/11付け読売新聞・社説も「・・・さらに、法相に捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現も盛り込まれている。一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われても、仕方あるまい。」と批判的に書いている。

確かに、この部分は少し誤解を受けやすい表現かもしれないが、僕は、ここの「指揮権の発動」とは、「仮に捜査・逮捕をやるとしても、国民の投票活動に影響を与えないように、捜査・逮捕の開始時期を、総選挙の後になるように数ヶ月だけ遅らせること」という意味だと思う。その意味で、この部分の論説には、上記5.で述べたとおり、全面的に賛成だ。この「検察と総選挙」の問題は国会でも議論すべきだろう。

追記1: 6/12付け毎日jpも上記の民主党・第三者委員会の報告書に批判的な記事を載せている。以下に一部引用。「報告書は今回の事件に関し「法相は高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断に委ねるという選択肢もあり得たと考えられる」とした。 検察庁法は個別事件に対し、法相による指揮権を認めるが、「検事総長のみを指揮できる」と制限している。戦後、実際に指揮権が発動されたのは1954年の造船疑獄事件だけ。当時の自由党の佐藤栄作幹事長への捜査が事実上ストップし、発動した犬養健法相は辞任に追い込まれた。その後、歴代法相は指揮権を事実上の「抜けない刀」と位置づけている。検察捜査が政治的に利用されないための配慮からで、今回の事件を巡っても森英介法相は「私は検察に全幅の信頼を置いている。指揮権行使は毛頭考えていない」と、国会答弁で繰り返した。 ある検察幹部は「法律専門家も入っているのに、信じられない議論だ。独立性が保たれているから公正な捜査ができる」と不快感を示す。また、法務省関係者は「民主党が政権をとったら積極的に指揮権を使うべきだとも読める内容で、恐ろしさを感じる」と漏らした。 小林良彰・慶応大教授(政治学)は「第三者委員会は独立したものであるべきだが、小沢氏への批判は薄く、検察批判や報道批判に多くを割いた。多くの人は、民主党の別動隊かとの印象を持つだろう」とした上で、「昨今、自民党も取り上げない法相の指揮権発動に言及したことに違和感がある。三権分立との関係をどう考えているのか」と批判する。 元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授は「仮に自民党側に捜査が及んでいた場合でも、指揮権に言及するような報告書を出しただろうか」と疑問を呈した。

この毎日jpの記事に対する当ブログのコメント。上記の毎日jpで「森英介法相は「私は検察に全幅の信頼を置いている。指揮権行使は毛頭考えていない」と国会答弁で繰り返した」と書かれている。確かに、法務大臣という政権内部の人間が恣意的に指揮権を発動するのは良くない。だから、「政権内部」ではなく「国民の代表である国会」が、予め、法務大臣が指揮権を発動するときのルール・ガイドラインを議論して決めておくべきだと思う(今回のような、総選挙が近い時期では政界ルートへの捜査・逮捕は総選挙の後に延期する、というのも、このルールの一つだ)。そして、もし指揮権発動したら、その後で国会でそれがルールどおり行われたかどうか、事後チェックすればよい。森法相のように「検察に全幅の信頼を置いて、とにかく何も手出しはしない」という方がむしろ怖い。検察に全幅の信頼を置いて国会が何もしないのなら、検察が国会の上位に立つ検察国家になってしまい、民主主義が破壊されてしまう。自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題だ。

追記2: 6/12付けの元検事の落合洋司弁護士のブログでも、上記の森法相の発言について触れてあり、基本的に当ブログと同じ立場のようだ。以下に一部引用。「検察庁法上、法務大臣は、個別の事件につき検事総長のみを指揮できるものとされていて、検察権の行使が政治の不当な影響を受けることを防止しつつ、検察権が民意に反して暴走することも防止できるようにしています。 (中略) 森法務大臣は、「検察はこれまで一環して不偏不党を旨として活動してきた」と言っていますが、不偏不党が見せかけだけで、一党一派に偏った検察権行使が行われようとしていたり、一見、証拠に基づいているように見せかけながら、証拠が、脅迫や利益誘導等を織り交ぜながらでっち上げられたようなものであるといった正義に反するような事態に直面すれば、暴走を阻止するため指揮権を発動すべき場面というものはあり得るでしょう。 (中略) その意味で、森法務大臣が言うように、現在の検察庁が「全幅の信頼をおく」に値する存在なのかどうかということは、今後も検証する必要がありそうです。」(太字は当ブログによる)

検察やマスコミが標榜・偽装してきた「不偏不党」が”まやかし”だったと露わになったのが、この前の西松事件で、あれはあれで良かったのだろう。

追記3(2009/6/17): 元検事の郷原弁護士も報告書の「指揮権発動」部分へのマスコミの非難に対する反論を日経ビジネスオンラインで書かれている(「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を)。以下に一部引用。「・・・逆に言えば、この造船疑獄を巡る史実は、検察の権力に対する何らかの抑制システムの必要性を如実に表していると言えよう。そして、そういう意味での検察の捜査権限や公訴権の行使に対する唯一の民主的コントロールの手段となり得るのが、現行法上、この法務大臣の指揮権なのである。 「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」という検察庁法第14条の規定は、本文で、検察庁も法務省に属する組織であることから検察官の職務は法務大臣の一般的な指揮監督に服することを規定する一方で、但し書きで、具体的事件の捜査や処分について法務省と検察庁との関係を限定している。この規定により、一般的な事件については法務省が検察庁の捜査や処分に関わることはなく、検察庁から法務省への報告も行われないが、例外的に、検事総長にも報告されるような重大事件については、法務省が「法務大臣の指揮権」を前提に、検察庁から報告を受けることがあり得る。  この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「…大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない。  (中略) ・・・法務大臣として、「総選挙を控えた時期に、このように重大な問題がある政治資金規正法違反事件で、野党第一党の党首にダメージを与えることは、与党側の選挙対策上は有利になることではあっても、民主主義政党たる与党としても不本意なことである。国民に政権選択の機会を与えることを尊重すべきだ」と判断して、捜査の着手を遅らせるよう指揮権を発動する「選択肢」は十分にあり得たのではないか。それを行っていたとすれば、法務大臣の判断は、党利党略ではなく、本当の意味で検察捜査と民主主義との関係を真摯に考えた末での客観的で公正な立場から行った指揮権発動の判断として、歴史的な評価に値するものとなったのではなかろうか。」(太字は当ブログによる)

要するに、報告書の「指揮権発動」部分へのマスコミの非難は、またまたマスコミの勉強不足と思考停止の現れということだ。僕も全く同感だ。

以下、民主党の第三者委員会の報告書の18~19ページより引用:

3.検察権の行使と民主主義の関係

3-1.議院内閣制との関係
国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である

西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。

3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚
裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。

3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性
本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。

このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことを謳い、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとの謗りを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。
」(太字は当ブログによる)

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西川辞任が許されない「郵政民営化の裏のシナリオ」はあるのか

小沢秘書が逮捕されてからすっかり影が薄くなっていた「かんぽの宿」の問題が最近になってまた息を吹き返した。鳩山弟が「出来レース」と言い出したあの頃はほとんど注目されてなくて、何故マスコミは報道しないのか(オリックスなどがマスコミのスポンサーになっているからだろうと一応結論付けた)とやきもきしてたもんだけど。

あれから5ヶ月くらい経って、その間に、徐々に国民の間にも浸透したんだろう。読売新聞の世論調査では「西川辞任すべき」が67%だったらしい(ここより)。

郵政民営化に賛成という前提に立っても、西川続投支持という結論だけでなく、不透明な取引を主導したか止めなかった責任から辞任というという結論は十分可能だったはず。それなのに、小泉、竹中、これらに繋がる管(すが)、中川などの各議員はなぜ必死で西川氏に固執するのか。

以前からネットでは「小泉・竹中・西川と米国金融資本が描いたシナリオ」というのがいろんなところで言われていたのだが、当初は僕も「陰謀好きな人たちの見方」かなと思っていた。しかし、この見方はかなり説得力があるし、最近は賛同者が増えているようだ。

6/13付け日刊ゲンダイでは平沼赳夫元通産大臣が次のように発言しているらしい(ここより引用)。「西川さんが辞めないのは、そもそも就任のときから大きなシナリオがあるからでしょう。そのシナリオの中では西川さんは必要不可欠の人物だ。だから、辞めるに辞められないのだと思います。そのシナリオとは、日本の郵貯、簡保資金の解放ですよ。私が経産大臣をやっていたころから郵政問題は日米の政府間協議に上っていた。何度も政府間協議が開かれましたが、その会合には米国の民間保険会社の社長が来ていて驚いたものです。年次改革要望書でも郵政問題は取り上げられた。そうしたら、米国では研究よりも人脈づくりに励んでいたのではないかと思われる竹中平蔵さんが郵政民営化を推し進め、その竹中さんや米国のゴールドマン・サックスと強い絆がある西川さんが、前任者の生田正治氏に代わって日本郵政の社長に就任したわけです。彼が辞任しないのは、裏の大きなシナリオ抜きには語れない。鳩山大臣も当然、それを知っているから引けないのでしょう」(太字は当ブログによる)

これをより詳しく解説したのがここの記事だろう。以下一部引用。「・・・これ以降は私の推測であるが、「竹中平蔵・三井住友銀行・ゴールドマン・サックスのトップ二者」の密談では、西川善文氏を日本郵政株式会社のトップに据え、四分社化によるゆうちょ株式会社と、かんぽ生命の株式上場までの道のりを整えて置くことが話し合われたに違いない ここで竹中平蔵氏の役割は、2007年の4月に四分社化を実現して、郵政民営化を無事にスタートさせることであった(実際は生田正治氏の抵抗によって10月に延びたが)。一方、西川善文・三井住友銀行頭取の役割は、分割民営化された郵政事業を統括する日本郵政のトップに収まり、「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式をそれぞれ半分以上、つまりゴールドマン・サックスが経営支配権を持つまで買わせる計画ではないだろうか。それまではその計画が円滑に行くように、西川氏が日本郵政の舵取りをする必要があるのだろう。 2002年夏から、2003年1月にかけて行われた、西川氏とゴールドマン・サックス二名の三者の会談、及びそれに竹名平蔵氏を加担させた四者の会談では、四分社化と株式上場までの基本計画がじっくりと話し合われたと思う。郵政三事業を、いったんバラバラにしたうえで、アメリカの垂涎の的である郵貯と簡保は、全株を市場に放出する形に持って行く必要があったわけである。」(太字は当ブログによる)

何か、スケールが大きな話で今のところ証拠がない(関係者の「自白」などがあれば証拠になるが)だけに陰謀論に過ぎないといえばそれまでだが。

上記の裏シナリオを少し変形して、米国金融資本の代わりに国内の政商(オリックスなど?)を持ってきて「郵政民営化利権」という形にすれば、スケールが小さくなった分、ぐっと身近に感じられる議論になる。

週刊朝日編集長の山口一臣氏のブログの論はこういう系譜のものだろう。以下に一部引用「・・・これはいったい何なのか。ぼくは「規制緩和利権」の一端がはからずも露呈してしまった事件ではないかと疑っている。 郵政民営化には表の「志」とは別に裏コンセプトがある。それは郵政資産の売却だ。かんぽの宿などの不動産だけでなく、総資産300兆円以上といわれる「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命」の株売却もある。そこには当然、利権が発生する。郵政資産の売却に関する規制は、過去に民営化した国鉄(JR)や電電公社(NTT)に比べてかなりルーズだ。1万円で売却された物件が、すぐに6000万円で転売されてしまうことでもわかる。 民営化直前に「かんぽの宿」などの資産を5年以内に売却するよう法律に書き加えたのは、当時の竹中総務相だったといわれている。その竹中氏の盟友が、「かんぽの宿」の売却先だったオリックスグループを率いる宮内氏だ。宮内氏は、規制緩和を利用して自らの企業グループを急成長させてきた。「現代の政商」と呼ばれるゆえんである。(中略) こう考えると、なぜ「改革派」があれだけ西川氏にこだわるのかも見えてくる。別に西川氏でなくとも郵政民営化論者の財界人はたくさんいる(そもそも西川氏は全銀協会長時代は銀行の利益代表として郵政民営化に反対していた)。同じ民営化論者でも、コンプライアンスを重視し、経営の透明化を推進しようとする人物はパージされてしまう。これから資産売却が始まる日本郵政のトップは、改革派が築き上げた規制緩和利権の意義をよく理解し、その功労者への利益分配を忘れない人物でなければならなかったわけだ」(太字は当ブログによる)

日本の郵政民営化の「手本」とされたドイツポストも、サービス低下などで批判に晒されているらしい。2月14日には、ドイツポストの現役の総裁がドイツ史上最大の約158億円という巨額脱税の容疑で逮捕され、引退した(ここより)。

追記(2009/6/17):山崎元さんも「民営化利権」のストーリーに乗っておられるようだ。以下に一部引用。「・・・もう一点付け加えると、日本郵政が民間会社だから、政府がその経営に介入するのはおかしいという理屈は通らない。日本政府は現在100%の株式を保有する株主であり、株主として経営をチェックするのは当然のことだし、郵政民営化を決めた日本郵政株式会社法は日本郵政の取締役人事に対する総務相の認可権限を規定している。政府から資本が入っているのに政府は民間会社に株主の権限を行使できないとする考え方を採ると、政府の出資会社は一種の治外法権的な勝手な行動を取ることができるようになる。経営幹部の給料を公務員よりも高くできるし、行動も自由で、しかも大株主からの追及を受けない。官僚側からみると、これは特殊法人の好都合な進化型なのかも知れない。(中略) 原則として、経営介入が不適当な場合には政府が民間会社の株式を持つべきでない。加えて、政府が過半の株式を持っている会社を「民営化した」と呼ぶのは国語的な間違いだろう。(中略) ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の金融2社は2010年にも株式上場を予定しているが、この際に、西川氏が親しいとされる、三井住友銀行やその系列の証券会社、あるいはゴールドマン・サックス社などに何らかの便宜を図るのではないかという憶測もある。確かに、これら金融2社の将来の上場やそれ以外にもビジネス上の行動は、大きな「利権」になりうるが、この問題は現時点では推測に過ぎない。」(太字は当ブログによる)

陰謀論かどうかはともかく、いろんな懸念や問題がある以上、日本郵政の上場時期の延期、4分社化の見直しなどの法改正を、早急に国会でやるべきだと思う。

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2009年6月 9日 (火)

「世論調査は絶対」というマスコミは「西川退任」となるのが論理的帰結

西松事件で小沢辞任を必死で叫んでいたマスコミの論拠は「世論調査では小沢辞めろが大半」ということだった。自民党も同じ。

今回の日本郵政の西川社長の辞任問題では、世論調査では8割の国民が「辞任すべき」だった。

植草一秀さんのブログより一部引用

「6月7日放送のフジテレビ「サキヨミ」が、西川善文日本郵政社長更迭(こうてつ)問題について、独自に行った世論調査結果を公表した。(中略)

サキヨミの調査結果は以下の通り。

①西川社長続投を認めないとの鳩山総務相の姿勢を
支持する  58%
支持しない 42%

日本郵政西川社長は
辞任すべき 80%
続投すべき 20%
だった。」

小沢問題のときに示された「世論調査による世論に従うべき」というマスコミと自民党の立場からは、「西川は退任すべし」というのが論理的帰結だろう。何も迷うことはないはずだ。

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