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2009年9月21日 (月)

新自由主義者の日本改造計画?

池田信夫さんによるアゴラでの記事「『地域間格差』はもっと拡大すべきだ」は次のように主張している。

・・・人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。

(中略)比較優位から考えても、農業や在来型製造業から知識集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前で、成長率を高める上でも、知的労働者を都市に集中しないと国際的な都市間競争には勝てません。過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうがいい。

このような都市化によって、古きよき日本のコミュニティが崩壊して伝統が失われるという批判もあるでしょう。しかし戦後60年以上の間に、日本の総人口の90%以上は入れ替わり、国土もすっかり姿を変えました。いま伝統と称されているのは、国宝や文化財を除けば、たかだか明治以降にできた習慣にすぎない。それを守ろうとするのは自由ですが、そういう趣味の領域に国家が補助金を出す必要はありません

ハイエクもいったように、伝統とは多くの場合、既得権の別名にすぎない。都市化によってそれが失われることを恐れているのは、地方公務員と政治家だけです。そして1票の価値に大きな差のある選挙制度が、島根県民の一人あたり公共投資が東京都民の2倍に達する「逆格差」を生んでいます。今後は高度化するインフラ整備はコンパクト・シティに集中し、過疎地は自然や文化財を保存してリゾートとして生き残ればよい。それぞれの地域が個性をもって競争するために、「格差」はもっと拡大すべきです。
」(太字は当ブログによる)

この池田さんの主張は、要するに、社会のインフラ整備や国際的な都市間競争の面からは、多くの人間が都市に移住して働くという形態が社会として最も効率的で有利なので、都市と地方との格差をより拡大させることにより、地方の人間の多くを都市に移動させて、都市は人間が住むところ、田舎はリゾートに行くところと、明確に分離すべき、というものだ。

この池田さんの主張は、富裕層や強者をより裕福に強い立場にするためには、「効率」が何よりも大事で、それについていけない者が落ちて行く、つまり「相対的貧困」が増大して行くのは仕方が無い、ただ「絶対的貧困」に対してだけは生活保護というセーフティネットを準備すべきという新自由主義の立場からは、極めて論理一貫している。

だから、これは、ある意味、「裸の資本主義」という新自由主義の本質をさらけ出した主張だろう。

僕は、この主張を読んで、裸の共産主義=マルクス主義と似ているような気がした。何が似ているかというと、人間を「効率だけでやっていける機械」とみなしている点だ。マルクス主義も、人間を機械とみなして、優秀な官僚が作る計画経済に従って労働する形態が、最も効率的なユートピア社会だと考えた。

人間が「機械」ならば、効率を最大限に高めて、都市と田舎を分離して、全ての人間を都市に移住させて働かせて、田舎には大規模農業とリゾートだけとするのが理想的な形態だろう(働けなくなった老人は田舎のリゾートで暮らしてもよい)。

ブロイラーなどの養鶏場でも、きゅう舎に多くの鶏を一列に整然と並ばせて定期的に餌を与える形態が、最も効率的に卵を産ませるための理想的な姿だ。

だけど、そういう「効率的で理想的な生活」に、人間は、長期間、耐えられるだろうか?

人間は「ストレス」に弱い生き物で、ストレスで病気になったり自殺したりするものだ。合理的に効率的にやれば幸せになれる、というものではない。

また、地域の文化、伝統、コミュニティにしても、「効率」からみればくだらないものかもしれないが、人間のストレスの緩和などに、それなりの役割は果たしていると思う。

新自由主義では、「相対的貧困」と「絶対的貧困」を明確に区別して、「相対的貧困」は善で対策は不要、「絶対的貧困」は生活保護などの対策が必要だとしている。

なぜ「相対的貧困」は善で対策は不要だとするかというと、「相対的貧困」は「社会格差」と同義(格差が生じるなら相対的に金持ちと貧困の差が生じるのは当たり前)だからだ。つまり、新自由主義のように、「競争」が最高の善だとする以上、その「競争」の結果として必然的に生まれる「社会格差」も善であり、その「社会格差」の一側面である「相対的貧困」も善、なのだ。

しかし、「相対的貧困は善」だという立論は、最近の研究で否定されつつあるようだ。昨日(2009/9/20)の日経新聞に出ていたのだが、相対的貧困は、その貧困の側に居る人間にストレスを与えて寿命を短くしてしまう(つまり不幸にする)らしい。例えば、世界の中で最も豊かだが最も格差の大きい国(ストレスも最も高い国?)である米国の貧困層の寿命は、他の国の貧困層よりも短いらしい。

それは、戦後直ぐの復興期には「皆が貧しかったので貧乏でも気にならなかった」と多くの人が言っていること、それに対して、現代のように「周囲に金持ちが居るのに自分だけが貧乏なのは、不公正・不公平だと感じる、ストレスを感じる」と多くの人が感じているだろうことからも、予想できることだ。

だから、新自由主義のいうように、「競争は善、だからその結果としての社会格差も相対的貧困も善だ」と単純に割り切ることはできない。

今の自民党の総裁選でも、河野さんは新自由主義に立つようだが、この辺も考えて、新自由主義の欠陥をきちんと見て政策を考えて欲しい。

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2009年9月15日 (火)

「日本の針路を間違わないようにしてほしい」なんて麻生が言ったらしいけど・・・

「日本の針路を間違わないようにしてほしい」なんて麻生が鳩山さんに言ったらしいけど、進路を誤った人間に言って欲しくないねw

相変わらずの上から目線のようで、まぁマスコミもそういう気持ちで記事にしているんだろう。

自民党は河野太郎が総裁選出馬を目指すようだ。

河野太郎は前から良いと思ってたけど、それでは民主との違いが出てこなくなる。そもそも河野太郎は民主のような主張をしてる(外務省の密約問題など)のだから、民主に移った方がいいんじゃないだろうか。

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2009年9月14日 (月)

公正の実現こそ成長戦略

「公正の実現こそ成長戦略」、2009/9/9付け朝日新聞で上智大准教授の三浦まり氏が言ってたことだけど、すごく気に入ったので、パクらせてもらいました^^;

人間の尊厳を傷つける派遣切り、絶対的・相対的貧困、ワーキングプア、格差拡大で人心が疲弊した状態から、社会の公正さを取り戻して、人間の尊厳を大切にする社会に変えることが、一般の人たちのやる気を生むことにも繋がり、中長期的な「成長戦略」になる、というような主張だったが、全くそのとおりと思った。

今まで、新自由主義の経団連の言うことばかり聞いてこんな悲惨な状況になったのだから、もう、しばらくは、経団連の言うことは無視した方がいいね。かといって自分たちに都合の良いことばかりの労組の言うことを聞くのも真っ平だけどw

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2009年9月13日 (日)

浜矩子さんのグローバル経済批判

文芸春秋10月号の、エコノミスト(兼 同志社大教授)浜矩子さんの主張は、ユニクロを例にして、ある企業が価格破壊を起こすと他の企業も価格破壊で対抗するので、どの企業も利益が削られて、どの企業の従業員も低賃金になり、従業員=消費者としても安い価格のものしか買えなくなり、皆が不幸になる、今のグローバル資本主義では「自分さえ良ければ」という気持ちで皆が動く(例えば自社だけでも生き残ろうとして価格破壊をする)ことによる合成の誤謬で皆が不幸になるから、「自分さえ良ければ」ではなく「他人のために」という気持ちで行動すべきというような内容だったと思う(立ち読みで、細かいところは覚えていないけど)。

これに対して、池田信夫さんが次のようにコメント欄で反論している。

浜氏の話は、私もあきれました。価格競争が失業を生む? これは逆を考えてみればわかります。もしユニクロが倒産して洋服の値段が2倍になったら、低所得者は衣類を買わなくなり、繊維部門の所得は減るでしょう。さらに中国との競争によって、高価格の日本の繊維産業は全滅するでしょう。こんな人物が「経済学部教授」をやっている同志社大学って大丈夫なんですかね。

浜さんの論文を読んだときはもっともと思ったが、池田さんの反論ももっともと感じた。

どうも、経済学者というのは、とにかく、立場によって言うことがバラバラで、1人の言うことを信用すると大変危険だ。法律では、条文があるので、いろんな法学者がたくさんいても、みな条文から離れることはできないので、それぞれの主張に根本的な違いはない。これに対して、経済学はそうはいかないようで、人によって全く正反対の主張になってしまうようだ。

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2009年9月11日 (金)

特許無効審決の効力を遡及効から将来効へ?(ダブルトラックの弊害の解消策)

ダブルトラック(特許の有効性判断が侵害訴訟と特許庁での無効審判との2つのルートで行われ得ること)の弊害の解消策が、特許法改正の重要論点となっている。

この問題は、手続の進行段階により、

裁判所で侵害訴訟を行っている段階において、それと並行して特許庁での無効審判請求がなされると、2つのルートから特許の有効性を攻撃できる被告と比較して原告(特許権者)が不利であり不公平ではないか(また、原告としては特許侵害訴訟を提起しただけなのに、被告の出方によって特許無効審判やその審決取消訴訟などまで戦線が拡大してしまい、弁護士費用などが予想外に膨れ上がってしまう)という問題と、

侵害訴訟の原告(特許権者)勝訴判決が確定した後の段階において、その後に被告が無効審判請求を何回も繰り返した結果、無効審決が確定したら、現行法では再審により確定した勝訴判決が覆ってしまうが、それは原告(特許権者)に酷ではないかという問題と、の2つがある。

これらについて、知財高裁判事などもメンバーとなっている特許庁の特許制度研究会(第4回)で高度な議論が展開されている。

①については、特許侵害訴訟を行っているときは、特許無効審判請求を禁止したらどうかという意見が有力のようだ。

例えば、侵害訴訟提起後は、無効審判請求を禁止し、裁判官の進捗管理の下、特許庁に有効性の判断を審理付託することを可能とすべきという意見。あるいは、侵害訴訟で特許庁の知見を活かすにも、求意見制度などによれば足り、わざわざ無効審判を並走させる必要はないという意見。

②については、無効審決の効力を現行の遡及効から将来効に変更したらどうかという意見が有力のようだ。将来効にしたら、無効審決の前に確定した侵害訴訟の判決が覆ることはなくなるからだ。

例えば、侵害訴訟では特許の有効性を判断できなかった過去の制度を前提とすれば、事後の審決確定が再審事由となるのは自然。しかし、特許法104条の3が導入され、侵害訴訟で特許の有効性が判断できる現在の制度を前提にしても、事後の審決確定が再審事由に該当すると考えるべきか、または、特許の有効性が判断された侵害訴訟の確定判決は事後の審決確定によっても覆らないとすべきかという問題だという意見。また、侵害訴訟とその後の無効審判での結論が異なる原因には、1)公知技術に関する新たな証拠の発見と、2)侵害訴訟ルートと無効審判ルートとの純粋な判断齟齬による場合が考えられる。最終的には、1)については後出しであるとして、また、2)については侵害訴訟で無効の抗弁を主張する機会が与えられていたとして、蒸し返しを制限するかどうかという価値判断の問題という意見。

以下は私見。

もし無効審決の効力を遡及効から将来効に法改正するなら、無効審決の対世効の規定が憲法違反ではないかという問題は解消されるだろう。憲法違反の主張は、対世効が遡及効を含むからこそ問題にしていたのだろうから。将来効だけなら、無効審決も、通常の行政処分の一つに過ぎない。

また、もし無効審決の効力を遡及効から将来効に法改正しても、侵害訴訟での無効判断は遡及効を有するまま、とする必要がある(まぁ当然だけど)。なぜなら、差止め請求だけなら将来効だけでよいのだが、損害賠償の問題を判断するには遡及効が必要だから。だから、もし無効審決の効力を遡及効から将来効に法改正して、その後に特許庁での無効審決(将来効)が確定したという場合でも、特許侵害に基づく損害賠償請求訴訟が提起されたら、その裁判の中で特許の無効判断(遡及効)を改めて行う必要がある。差止め請求だけの訴訟なら、無効判断は不要(というか、そもそも、特許無効審決が確定した後に差止め請求をする人はいないだろうけど。これに対して、特許無効審決(将来効のみ)が確定した後でも損害賠償請求する人はかなりいるだろう)。

以下に、特許庁ホームページより、特許庁の特許制度研究会(第4回)の議論の一部を引用しておく。

①についての議論の一部の引用

○ キルビー最高裁判決2及び特許法104条の3は、紛争を一回的に解決することが望ましいという理念に基づく。しかし、侵害訴訟の被告の多くは無効審判も請求するため、2つのルートの利用により紛争処理の結果の予測が困難になり、侵害訴訟が紛争解決システムとして機能しなくなっている。現行制度は同じ証拠・理由であっても侵害訴訟の被告に特許を無効とするチャンスを二重に与えており、特許権者に一方的に不利な状況。侵害訴訟か無効審判かのどちらかに絞るのではなく、104条の3によって生じる特許権者のリスクを軽減させる立法措置を講ずるべき

○ 制度としては、特許権の有効な権利範囲の迅速な確定とともに、シンプルで正確かつバランスの取れたシステムが望ましい。例えば、侵害訴訟提起後は、無効審判請求を禁止し、裁判官の進捗管理の下、特許庁に有効性の判断を審理付託することを可能とし、侵害訴訟における特許無効の判断には対世効を持たせるべき。特許無効の判断の効果は将来のみに及ぶとすれば問題ない。

○ 当事者は、無効審判よりも侵害訴訟の方に力を投じていることが多い。また、特許の有効性の判断は侵害訴訟に集約した方が効率的であると考える。死力を尽くした侵害訴訟での結果については、現状よりも強い効力を当事者間に及ぼしてもよい。

○ 無効審判制度に存在意義はあるが、侵害訴訟で有効性判断をしている場合も敢えて全件について無効審判をやることに意味はあるのか。侵害訴訟で特許庁の知見を活かすにも、求意見制度などによれば足り、わざわざ無効審判を並走させる必要はない。

②についての議論の一部を引用

○ 最終的に決め手となるのは再審の在り方をどうするかである。事後の審決確定が侵害訴訟の再審事由に当たることを認めるかどうかにより、今回議論している他の問題も全て影響を受ける。特許無効の審決の遡及効の考え方を徹底するのか、既存の紛争解決の結果を尊重するのかという現実的な問題であるのみならず、理論的には、特許の効力をどのように考えるべきかという問題である。侵害訴訟では特許の有効性を判断できなかった過去の制度を前提とすれば、事後の審決確定が再審事由となるのは自然。しかし、特許法104条の3が導入され、侵害訴訟で特許の有効性が判断できる現在の制度を前提にしても、事後の審決確定が再審事由に該当すると考えるべきか、または、特許の有効性が判断された侵害訴訟の確定判決は事後の審決確定によっても覆らないとすべきかという問題。制度利用者はどちらを望むのか。

○ 侵害訴訟とその後の無効審判での結論が異なる原因には、1)公知技術に関する新たな証拠の発見と、2)侵害訴訟ルートと無効審判ルートとの純粋な判断齟齬による場合が考えられる。最終的には、1)については後出しであるとして、また、2)については侵害訴訟で無効の抗弁を主張する機会が与えられていたとして、蒸し返しを制限するかどうかという価値判断の問題。公益的な側面と手続的な側面のいずれを強調するかという価値判断とも言える。

現行制度下においては訴訟で特許無効の抗弁および訂正の再抗弁が主張できるのであるから、侵害訴訟判決確定後に再度争う余地を認める必要はない

○ 無効になる確率は、判断基準のばらつきと、新しい証拠の出現に依存する。後者が大きく影響しているのなら、それを制限するという案もある。特許の質に大きく影響する可能性も懸念されるが、一回の紛争処理手続の中で無効理由が出せなければ、無効理由に関する証拠の後出しは認めないという整理もあり得る

○ 侵害訴訟判決確定後に、被告であった者が無効審判を請求することは日常的にあり得る。確定判決が後に覆る可能性があるということは、侵害訴訟は安心感のない紛争解決手段であることを意味し、紛争解決モデルとして問題があることを意味するため、再審は制限されるべき。

○ 日本の特許権は、侵害訴訟で勝っても後に特許が無効化され、権利行使の結果が覆される潜在的なリスクが高いというイメージから、日本での出願を見送るという国際的な動きもあると聞いている。無効審判を廃止すべきとまではいわないが、侵害訴訟で徹底的に争ったら、それで紛争解決は終結し、再審にはならないとした方が良いのではないか。

無効審決の効果は遡及すると定める特許法125条を改正し、将来効のみとするのはどうか。その場合であっても、過去に命じられた差止めが将来にわたって継続するという問題が残るが、それを無効にするための法律上の手当を行えばよい。権利が無効になっても、過去に支払ったライセンス契約のロイヤルティの返還義務はないとするのが有力説であり、すでに特許が無効となった場合の効果を将来のみに及ばせる考え方は存在。

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拒絶査定不服審判請求の特許印紙代は出願人に返還すべきでは?

特許出願に対して審査官が拒絶査定を出したとき、まだ粘ろうとすれば、不服審判請求をやるしかない。

しかし、特許庁に対して拒絶査定不服審判請求をやるとき、その特許印紙代は、例えば請求項の数が50個なら、「49,500円+請求項の数×5,500円」の計算式から、324,500円となってしまう。

通常の出願は請求項の数が5-10個くらいが多く、その場合は、不服審判請求の印紙代は10万円かそれ以下で済む。しかし、請求項の数が50個くらいの出願も結構あり、その場合は、30数万円の特許印紙代を納付しなくてはならない。

しかし、そもそも、特許庁審査官の拒絶査定という行政処分に対する不服審判請求について、何故、出願人側が特許印紙代を支払う必要があるのだろうか?

不服審判請求をする場合というのは、(a)審査官の処分が実際にも不当であった場合と、(b)審査官の処分は実際には妥当なのに出願人側が不当だと誤解していた場合と、の2つがありえる。

実際にどっちだったかは、後に、審判請求の結果である審決により、又は、この審決に対する取消訴訟の判決(知財高裁による)により、はっきりと、判明する。

少なくとも、(a)のケースだった、すなわち、審査官の拒絶査定が実際に不当であった(審査官が妥当な処分をしていれば出願人は不服審判請求をしなくて済んだはず)という場合は、特許庁は、審判請求の特許印紙代を出願人に返還すきべだろう。

すなわち、行政処分に対する不服審判請求の制度は、税務署や公正取引委員会にもあるが、いずれも、官庁に支払う印紙代などは、全く必要はない。例えば、独占禁止法52条は、公正取引委員会の処分(排除措置命令と課徴金納付命令)に対する審判請求を定めているが、所定の審判請求書を出すだけで、印紙代などは必要ない。

では、なぜ、特許庁の処分に対する不服審判請求だけ、費用が必要だとしているのか。それは、おそらく、特許庁の仕事は、最初に出願人が出願という積極的なアクションを行って(このときも印紙代が必要)、それに対する応答として審査官が審査の処分を下すという構造をとっているため、拒絶査定不服審判請求の段階でも、漫然と印紙代が必要だと定めているのだろう。

これに対して、税務署や公正取引委員会の処分は、国民の側から最初に役所に積極的に処分を要請するのではなく、役所の方が勝手に国民に対して行政処分をするのであるから、それに対して国民の側(国民から見ると不当な行政処分の被害者の側)から不服審判請求をするためには印紙代が必要だとすると、国民は怒り狂うだろう。

そういう違いがあるのだろう。

だから、特許庁の拒絶査定不服審判請求の費用は、裁判と似た構造だと思う。裁判でも、最初にアクションを起こす原告が、まず最初に印紙代を裁判所に支払う。しかし、裁判では、原告と被告とのいずれか負けた方(つまり不当であるとされた方)が、最終的に印紙代などの訴訟費用を負担することになっている(判決でそれも定める)。つまり、印紙代は、最初に原告が支払うが、それは「仮の支払い」であって、裁判で負けた側(悪いことをしたか間違った判断をしていた方)が、印紙代を最終的に負担することになっている。

この裁判における印紙代の支払い義務の分配は妥当・公平と思うが、そうだとすれば、特許庁での不服審判請求でも、審査官の処分と出願人側の判断とのどちらが正しいかを争うのだから、負けた方がその費用を負担するのが妥当・公平のはずだ。よって、不服審判請求で出願人が勝ったときは、負けた側つまり不当な処分をした審査官の側(特許庁)が印紙代を最終的に負担すべきだから、特許庁は、最初に出願人が仮に支払った印紙代(審判請求の費用)を、出願人に返還すべきだと思う。そのように特許法を改正すべきだろう。

以上は、最近、個人的に50個くらいの請求項の出願をしてて、それ対して拒絶査定が来てしまったので、高額の印紙代にびっくりして、じっくり考えたことだ。この件については今もうまい手はないか思案中だ(審判請求時に補正して請求項の数を少なくすれば印紙代も安くできるが、もともと権利を十分に確保するために請求項の数を50個にしたのだから)。

ただ、この個別の件は離れて、不服審判請求の費用負担の一般的な問題として上記のことについては特許法の法改正を検討すべきと思ったので、民主党の議員かどこかに、法改正の話をもって行ってみようと考えている(民主党本部へのメール送信はやっておいた)。議員の知り合いは全く居ないし、こういうことはやったことがないんだけどw

追記: コメントを頂いて考えたことを追記しておきます(2009/9/30)。

A  要するに、審査官の拒絶査定が不当であり、もし正当な審査を行っていれば拒絶査定不服審判を行う必要は無かった(印紙代を支払う必要は無かった)といえる場合は、印紙代の返還はあるべきと思う。
その場合とは、①「審判請求時の補正」が無かった場合、②「審判請求時の補正」はあったが、拒絶査定の理由とは関係ない部分の補正だったなど、その補正があってもなくてもいずれでも特許審決が出ただろうと言える場合、などがあると思う。

B  もし、このような、出願人に印紙代を返還するという制度にするときは、審判請求の印紙代については審判請求時には特許庁は「預かり金(供託金)」として出願人から受け入れておいて、審決で審査官の審査は正当だったと確定した段階で国庫に帰属させるという方法が考えられる(コメントで知ったが、印紙代は、いったん国庫に帰属させると返還の手続が大変なようなので)。

C  それから、もし、このような「印紙代の返還」が制度化されれば、印紙代の返還をも視野に入れる出願人側としては、拒絶査定を受けた後に不服審判請求をするとき、補正をしても余り意味がないと思えるときは、「審判請求時の補正」を全くしないで不服審判請求だけをするというケースが増えるだろう。それは、不服審判の事件を、前置審査(拒絶査定をした審査官が関与するもの)を介すことなく直接に審判官のところに持っていくことになるので、不服審判のためのトータルの期間を短縮させ手間(特許庁と出願人側の手間)を軽減させることに繋がるという制度上のメリットを生むと思う。

D  他方、こういう「印紙代の返還」の制度を作ると、審査官が(印紙代の返還に繋がる拒絶査定を避けて)萎縮して安易に特許査定を乱発するようになるのではないかというデメリットが考えられる。これに対しては、審査官が自信を持って拒絶査定ができない(しかし特許査定もおかしいと感じている)ような難しいケースについては、例えば、(a)審判と同様に3人の審査官のチーム(合議体)で審査するようにする、(b)審査官の裁量で上級の審判官に事件を移したり、審査官が担当したまま審査官が上級の審判官の意見を聴取できるようにする(侵害訴訟の中で裁判所が特許庁の意見を求める「求意見制度」と同じようなもの。できたら、出願人と審判官と直接のやり取りも認める)、などの対策が可能と思う。

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2009年9月 7日 (月)

消費者庁の長官人事の見直しは国家公務員法上、不可能なのか?

2009/9/1に発足した消費者庁の長官人事について、麻生内閣が任命した長官は元官僚出身で不適当だから見直すと民主党は主張しているが、消費者庁の幹部は「国家公務員法で長官の身分は保障されており、人事の見直しは法的には簡単ではないはずだ」と余裕を見せている(参考)。

国家公務員法75条第1項(身分保障): 職員は、法律又は人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはない。

国家公務員法がある限り、法律の事由がなければ、免職はもちろん、部長などへの「降任」もできない・・・orz。

(※なお、もし成果主義や実力により降格してよいという法律を新たに作ったら、それが「法律の事由」になるから、成果主義や実力による降格が可能になるだろう)

官僚支配の打破を掲げる民主党にとってはすごい難題だと思う。

それで、さっき一つ思ったのだが、ちょっとウルトラCになるが、今の消費者庁設置法を国会でいったん廃止し、それと同時に同じ内容の消費者庁設置法を国会で成立させて即日施行するようにすればよいのでは?

つまり、こうすれば、現在の長官は、その地位を基礎付ける根拠法(旧・消費者庁設置法)が無くなり、自動的に失職する(と思う)。他の職員も全員失職するが、その直後に、即日施行される新しい消費者庁設置法に基づき再任すればよい。長官だけは再任しない。

消費者庁は未だできたばかりで活動をほとんどしていないので、設置法を切り替えても影響は少ないはずだ。

今のままでは官僚に舐められたままになってしまう。こういう非常手段を使っても多くの国民は是認するのではないだろうか>民主党

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「特許庁の知的財産活動調査票の無駄遣い」についてコメントを頂きました

2009/9/3付けの「特許庁の知的財産活動調査票の無駄遣い」の記事>について、次のようなコメントを頂いた。

いま出先で正確な情報を確認できないのでざっくりした数字になりますが、例年2500万円前後で落札されているようです。8000サンプルの調査のようなので分析や報告書の作成まで含めた票単価で3000円程度というのは、それなりのクオリティを担保できていると考えれば郵送調査としてはリーズナブルな方です
コストだけでみればネット調査の方がはるかに安くなりますが、公的機関が実施する実態調査の場合は機会平等の観点から郵送調査や訪問留め置き調査(国勢調査が代表的ですね)が選択されることが多いようです。
とはいえ、世論調査やイメージ調査などはすでにネット調査も多くなってきているようですから調査方法の妥当性などは追及されるべきでしょうね。
ただ、それを追及しようとすると、数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだというジレンマもありますね。法律を書き換えるためのコストもかかってくる可能性もありますし。
そう考えると新政権にはなるべく大きなところを見極めて切り込んでもらいたいと期待しています

今回の調査票が8,000サンプルというのはそのとおりのようだ。特許庁のホームページで確認した。http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htm 

このページでは8,000サンプルと記載されている。しかし、「落札額」が2,500万円という数字は、このページにはない(僕の見方が悪いのかもしれないが)。(追記: 今回の新しいコメントで指摘されたが、こちらにあるようだ。http://www.jpo.go.jp/koubo/choutatu/sougou/h20sougou/pdf/h20_sougou_hyouka/200711_42.pdf 平成20年度は、みずほ情報総研が2,500万円で落札している)

この前の記事の一部に事実誤認があったのはお詫びして訂正しますが、それでも、かなり疑問がある。以下に、疑問を列記しておきます。

1.コメントでは「例年2,500万円前後で落札」とあるが、上記のURLには、そういう「落札額」は書かれていないし、どういう団体に落札されたのかも書かれていない。おそらく、これは、「落札」のある「一般競争入札」ではなくて「随意契約」なのでは? おそらく、1億円以上にすると一般競争入札にする必要があるので、2,500万円以下にして随意契約でよいようにしているのでは? ※後でみたら、上記のように、コメントの指摘のとおり、一般競争入札らしいhttp://www.jpo.go.jp/koubo/choutatu/sougou/h20sougou/pdf/h20_sougou_hyouka/200711_42.pdf

2.特許庁は、少なくともhttp://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htmでは、知的財産活動調査の概要だけ説明しているが、それ以上の詳しい情報、一般競争入札か随意契約か、どこの団体に委託したか、どれだけの金額で委託(落札?)したかは一切、公開していない。公開すべきだろう。 ※上記1のとおり、一般競争入札らしい。

3.昨年は同じような調査を7,500サンプル行って、45%の回収率だったようだ(上記のURLに記載されていた)。それで思い出したが、確か、昨年も僕のところに同じような調査票は来た。無駄と思ったので回答しなかった。今年も無駄と思うので回答する気はない。45%の回収率だと、今回8,000人(法人と個人)に送っても、回答は3,600人程度。しかも、各回答の入力項目は10-20件程度なので、入力作業は自動化してるだろうけど人手でやっても大したことない(仮に1人のオペレータが手入力でやるとしても、1人当たりの回答の入力は1~2分くらいで終わる。だから、たった3,600人分の回答の入力なら、1人が手入力しても、1~2週間で済むはず)。また、回答人数が3,600人しかないから、それを処理するだけなら普通のエクセルやアクセスで十分だろう。それなのに、「わずか3,600人の回答の入力と統計処理だけで1,500万円」(=2,500万円から、8,000件の調査票などの作成と郵送代との予想費用額1,000万円程度を引くと、1,500万円となる)というのは高すぎると思うがどうだろうか。

4.対象の8,000人に送る調査票と資料の作成費用の予想額1,000万円にしても、十数ページの調査票と記入要領と付録を分厚くて表面がツルツルの超高級紙を使って印刷し、しかも記入要領は多色刷りとするのは「無駄使い」ではないだろうか。分厚い超高級紙ではなく、普通の用紙にすれば、資料制作費も安くなるし、軽くなるので郵送代も安くなる。

5.この調査の委託先は、おそらく随意契約のため公開されていないが、多分、天下り団体だろう。そもそも、このような知的財産活動調査は、今の多額の費用に見合うだけの社会的意義があるとは思えないので中止すべきだろう。

6.特許庁は、このような無駄な知的財産活動調査ではなく、「今の特許庁の政策に対する、ユーザー(出願人)側からの不満・要望」をどうして調査しないのだろうか? このような調査をすれば、今の特許庁の「迷走」(僕はそう思う)を脱して、特許庁がユーザー(出願人)のために、これからやるべきこと、そのためのいろんな改善策が、すっきりと見えてくると思う。

例えば、今の拒絶査定に対する不服審判請求の特許印紙代が高すぎることもその一つだ(そもそも不服審判請求は審査官の審査結果(拒絶査定)が不当であるからこそ行うという面がある訳で、そうだとすると、特許庁の方がユーザーである出願人側に「うちの審査官の不手際で不服審判請求までさせてしまって申し訳ありません」という迷惑料を払うのが本筋と思うが、今はその逆で、しかも極めて高額の印紙代が要求されている)。

こういう調査は、費用の掛かる紙でなくネットで十分だし、特許庁のホームページに不満や要望を入力する掲示板を出しておくだけでもよいのでは。

7.上記のコメントでは「ただ、それを追及しようとすると、数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだというジレンマもありますね。法律を書き換えるためのコストもかかってくる可能性もありますし。そう考えると新政権にはなるべく大きなところを見極めて切り込んでもらいたいと期待しています。」という意見が記載されている。

しかし、「はした金なら、無駄遣いがあっても見逃してよい」という感覚は公務員にはあるかもしれないが、民間にはない。民間では、消しゴム一つでも、無駄を排除している。それに、「数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだ」という点は違うと思う。

今回の知的財産活動調査(例年2,500万円)については、社会的意義の高低による中止の可否の判断は優秀な人なら1人で1時間もかからないだろうから、「追及に要する費用」は1時間程度の人件費(数千円程度?)で済むと思う。だから、費用対効果は問題ない。しかも、この調査は例年行っているので、1年で2,500万円でも4年間では1億円になる。中止すべきかどうか検討する価値は十分にあると思う。

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2009年9月 3日 (木)

鳩山代表のニューヨークタイムズへの寄稿論文と池田信夫の誤訳?

鳩山・民主党代表のニューヨークタイムズへの寄稿論文についての池田信夫さんの論説を見てると、今まで頭の良さをひけらかして周囲の人間をバカにしていた池田信夫さんも、日本で新自由主義が劣勢になって相当焦ってるのが透けて見える。

例えば、池田さんによる、アゴラの記事「民主党は「世界の田舎者」になるな」。

以下に一部引用。

NYT論文の冒頭の文章は、鳩山事務所の公式訳にそのままあります。

During the time since then, post-cold war Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a US-led movement which is more usually called globalization. Freedom is supposed to be the highest of all values but in the fundamentalist pursuit of capitalism, which can be described as ‘freedom formalized in economic terms’, has resulted in people being treated not as an end but as a means. Consequently human dignity has been lost.

日本の次期首相が「日本はアメリカ主導の市場原理主義すなわちグローバリゼーションに打ちのめされた」と語り、経済的自由主義を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定しているのは、欧米人の目から見ると異様だから、彼らがニュース価値があると思って抜粋するのは当たり前です。しかもこの英訳は、鳩山氏の公式サイトですでに3週間以上、世界に発表されているのです。」(太字と赤字は当ブログによる)

しかし、上記の鳩山論文の"Freedom・・・in the fundamentalist pursuit of capitalism"は、文脈からいっても、その上にある"market fundamentalism"(市場原理主義)とほぼ同じ意味の「市場原理主義者が求める自由」とでも訳すべきで、「ただの経済的自由主義」と訳すのは明らかに「強引すぎる翻訳(=誤訳)」ではないだろうか?

 (「経済的自由主義」=私有財産制度は、日本国憲法29条でも定めているし、日本共産党でさえ肯定しているのでは? つまり、経済的自由主義=私有財産制度が、「人々を目的ではなく手段として扱うもの」ではないことは当たり前のことであって、鳩山さんがそんなことを言っているはずがないということは明らか)

つまり、上の”Freedom・・・ in the fundamentalist pursuit of capitalism・・・ has resulted in people being treated not as an end but as a means. ”は、市場原理主義者が求める自由は「人々を目的ではなく手段として扱う」結果をもたらした、くらいに訳すべきものだろう。

池田さんが言っている、「経済的自由主義市場原理主義者が求める自由を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定しているのは、欧米人の目から見ると異様」だというのは、世界的にみても事実に反している。欧米において、市場原理主義≒新自由主義≒新古典派経済学に対する多数の認識は、鳩山論文と共通している。

おそらく上記の「市場原理主義者が求める自由」を「経済的自由主義」にすり替えた誤訳は、自分の論理を成り立たせるために無理にやったのだと予想されるが、この辺に、最近の池田信夫さんの焦りが透けて見えてきて面白い。

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無駄遣い、特許庁にも沢山あるかも>民主党

特許庁には、民主党が狙う「無駄遣い」がかなり眠っている可能性が高い。

特許庁も特別会計だが、特許印紙代の収入が年間で1,500億円超、支出は1,000億円超で、毎年、かなりの剰余金=埋蔵金が貯まっている感じだ(例えば、特許庁ホームページに出てる平成19年度決算)。まぁ、会計の知識は余りないので深追いはできないが、外郭団体も幾つかあるし、実感として、かなりの無駄使いがあるのは間違いないだろう。

ずっと前からそう思ってたが、最近も、そう感じる事例に出会った(今までも、同じような事例は幾つかあったが、その一つ)。

それは、特許庁から、おそらく全ての出願人宛てに送られてきた「知的財産活動調査票」というやつなのだが、これが来る前には、「近日中に知的財産活動調査票を送りますので、ご回答をよろしくお願い致します。」という内容の予告のハガキがくるという丁寧さ、というか気前(金遣い)の良さ

そして、「知的財産活動調査票」が大判封筒で来たのだが、中身は、10数ページの調査票、10数ページの記入要領、数ページの付録が入ってるが、この各ページの紙質が、通常のコピー用紙の2~3倍の厚みがあり表面もツルツルのすごく立派な紙質(薄茶色のエコ仕様)で、記入要領にいたっては多色刷り、これら3つの印刷代だけでも、1人分で500円から1,000円くらいは掛かってるような気がする。さらに、大判の返信用封筒、統計資料(多色刷り)のオマケも同封されているので、往復の郵便代まで含めれば、1通当たりのコストは、軽く1,000円を越してると思う。次は特許庁からの封筒とその内容物の画像。

Img_0200

この郵便代を含めて1通当たり1,000円超の資料を、おそらく全ての出願人(特許だけでなく商標なども含む)に送ってると思われるので、少なくとも数万人以上の法人と個人に宛てて送っているのだろうの中の約8,000サンプルに送っているらしい。とすると、これらの資料の作成と郵便代だけでも、少なくとも1-2千万円。さらに、この調査票が帰ってきたら、そのデータを入力したり統計処理したりするのに、どこかの外郭団体を使うのだろう(さらに、その外郭団体は、中間搾取のマージンを抜いてから、その仕事を何処かの民間企業に「丸投げ」するだろう)から、少なく見積もっても、トータルで1億円以上の支出になる1回の調査の委託額は2,500万円くらいらしい(頂いたコメントによる。正式には確認してない)が、例年行っているので、例えば4年で、トータル1億円となる。

この「知的財産活動調査票」の返送先は、「特許庁 総務部 企画調査課」となっている。

国勢調査などのように、ある程度の社会的意義が理解できるものならよいが、この「知的財産活動調査票」の質問事項を見ても、「知財コンサルティング」のニーズを探るなどの目的があるらしいが、各出願人に知財のために支出した費用額などを聞いてるだけで、少なくとも僕には1億円以上もかけてやるだけの社会的意義があるとは思えない。

また、仮に社会的意義があるとしても、なぜ、「すごく立派な紙質」で調査票を印刷するなど、「わざわざ金が掛かるような方法」を採用するのか。何か、邪推かもしれないが、とにかく何でもいいから金を使いたいという意図が透けて見えるような気がする。

この「知的財産活動調査票」、既に、1-2千万円以上の金額を使ってるが、今後も、統計処理などで1-2千万円以上の支出が必要になってしまうことを考えると、今、ここで「中止」も選択肢として検討すべきだろう。

昔から、特許庁は、特許印紙代で運営してて、「お金が余っている」という噂はあった。しかも、ここ10年は知財ブームもあって出願件数が伸びたため、その傾向はより顕著になっているはずだ(2009年はサブプライムローン破綻の関係で出願件数は急降下しているらしいが)。お金が余ってるのなら、印紙代を下げるとかすべきなのに、それをしなかった(最近になってやっと商標更新登録料などの値下げはしたが、極めて高額のままの拒絶査定不服審判請求や出願審査請求の印紙代は、早く下げるべきなのに、まだしていない)。だから、特許庁では、相当、埋蔵金が膨らみっぱなして、お金の「使い道」に困っている状況だと推測される。

特許印紙代の収入だとしても、知財のことだけに使うべきだということはなく、こういう財政の危機的状況なのだから、一般財源として使ってもよいのではないだろうか。また、「金が余ってる」のなら、ユーザー(出願人)のために特許印紙代を下げるのが筋であり、それをしないで(天下り団体のためかどうか知らないが)「必要性の乏しい事業」をやるというのは「無駄遣い」そのものだろう。

まぁ、特許庁は理系の技術者が多くいて利権も比較的少ない官庁だと思うが、その特許庁でさえ「無駄遣い」に関してこうなのだから、他の省庁は推して知るべしだろう。

民主党には、「特許庁 総務部 企画調査課」を調べてみることを勧めたい。

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追記(2009/9/7): コメントで、調査票は8,000サンプル、2,500万円とあったので、改めて検索してみると、特許庁ホームページの中のhttp://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htmに概略情報があって、サンプル数は8,000件と正しくて、委託金額はホームページには記載がないので確認できないが、このコメントはかなり信用性があると思われたので、一応、これに沿って訂正しておきます。ただ、やはり疑問はあるので、新ためて記事を書いておきました(次のURL)。http://hatumeika.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3423-1.html

追記(2009/9/4): コメントで、「上記の調査に関する情報は特許庁のホームページで簡単に見られますよ。調査結果も公表されていますし、調達情報を見れば応札企業や応札価格、落札価格も全部出ていますから、エントリーで書かれているような法外な額でないことは明らかです。」 とありましたが、今のところ、落札価格がどれくらいだったのか、僕の方で確認できてません。確認できて、僕が書いた「トータルで1億円以上」という予想金額が間違ってたら直ぐに訂正しますが、とりあえず、このままにしておきます。もし金額が分かる方がおられたら、コメントなどでご指摘下さい。

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2009年9月 2日 (水)

アゴラの記事のレベルが気になる件について

アゴラは池田信夫さんが中心メンバーなので新自由主義者たちが集まってて、ある程度のレベルは確保してるのだろうと思いたいが、題名に釣られてたまに読んでみると、レベルが気になる。

例えば、この松本徹三という人の論説「内需拡大の原資を如何にして作るのか?」はどう考えたらよいのだろうか。

この論説から一部引用。「(民主党の)内需拡大策と言っても、「大企業から税を取り立てて、これを一般家庭に配る一方で、労働組合を支援して、配当原資を削らせて賃上げを実現する」といった類の空想社会主義的な考えは、この際あらためて論じる価値もないでしょう

空想社会主義的な考え」とか「この際あらためて論じる価値もないでしょう」とか言われても、こちらはちゃんと「理由」を言ってもらわなければ、なぜそうなのか、分からないんだが。多分、大企業に課税すると外国に逃げちゃいますよということかな。大企業についてはそれはあるかもしれないね。しかし、個人の富裕層(配当課税も含む)についてはそうでもないだろう。税金が高いから外国に1人寂しく出て行くという人はそうそういないだろうから。1年の半分くらい外国に居れば税金がかからないと言って外国に住んでる人もいるらしいが、日本には家族がいるだろうし、そういう生活は見ててすごく辛いように感じる(しかも、よほど緻密にやっておかないと、バレたら刑事法的に問題がある可能性は高い)。だから、「富裕層から税を取り立てて、これを一般家庭に配る」という古典的な方法は別に悪くないはずだ。

もう一つ引用。「そもそも、民主党などが今言っていることは、「官僚支配を改めれば、無駄遣いがなくなり、この分を一般家庭にばら撒けば、消費が拡大する」という、失礼ながら高校の生徒会の会長選挙の演説のようなレベルの話ですが、無駄遣い(例えば公共事業)をやめれば、これまでこの無駄遣いで潤ってきた人達(例えば地方の土木建設会社)の仕事がなくなり、この人達の消費がなくなりますから、結局は同じことです。(勿論、私は「無駄遣いをやめないでもよい」と言っているのではなく、「これは別次元の問題だ」と言っているのです。)

これも、なぜ「失礼ながら高校の生徒会の会長選挙の演説のようなレベルの話」なのか、ちゃんとした「理由」が書いてないので、よく分からない。天下り団体や業界団体などに巣食ってる老人たちに中間搾取されてる無駄遣いを一般家庭に配ったり、無駄な公共事業に使う税金を一般家庭に配れば、自民党の族議員への政治献金や料亭通いなどの澱んだ消費でなく、「より良質な消費」や「環境などの成長分野の消費」に向けられる可能性があるので、経済成長にも資するのではないだろうか。しかも、ほんの一握りの天下り役人や工事会社の社長や悪徳政治家に「消費」してもらうよりも、多くの一般家庭に「消費」してもらう方がずっと国益にかなうはずだ。

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山崎元さんの「民主党路線は、小さな政府・高福祉」論

山崎元さんが、民主党路線は、「小さな政府・高福祉」になりえると主張している(末尾に引用)。

これは「政府のサイズ」をどう定義するかの問題だ。

つまり、民間でいうと、人件費や家賃などの固定費に注目して政府の大きさを問題にするのか、材料費などの売上に対応して変わる変動費に着目して政府の大きさを問題にするのか、ということだ。つまり、民間で、「高コスト体質かどうか」と「売上・収入が大きいかどうか(=変動費が大きいかどうか)」とは論理必然の関係にはならないが、それと同じだ。

つまり、人件費や家賃などの政府の固定費に着目した「高コスト体質かどうか」の観点から政府のサイズを問題にすれば、民主党の「直接給付」方式は、自民党が補助金でやってきたような天下り団体や業界団体に中間搾取させる「間接支援」方式に比べて、政府の固定費=政府のサイズはずっと小さくできる。これと民主の「無駄遣い排除」とをあわせると、「小さな政府」路線と言える。

これに対して、政府の変動費に着目した「福祉のための支出を大きくするかどうか」の観点からは、富裕層や大企業から税金をたくさんとって弱者を救済するという再分配政策を進めれば、「高福祉」になる。

「高福祉」になっても、それを実現するための政府の固定費を直接給付方式や無駄遣い排除で減らしていけば「低コストの小さな政府」になり得る。

だから、民主党路線では、「低コストの小さな政府・高福祉」が実現し得る。富裕層にとっては「高負担・高福祉」になるが、弱者にとっては「低負担・高福祉」も可能になる。

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以下に山崎元さんの論説を一部引用。

言葉の上では政府の大きさの定義の問題だが、所得の再分配的な財政支出と、政府関連組織の経費や公共事業の経費などをまとめて「大きな政府」「小さな政府」を対置する議論があり、これは不正確だと思う。

 民主党は既存の政府支出のムダを削ることを重要公約として掲げており、これは「小さな政府」の価値観だ。一方、子供手当や最低保障年金のような給付金は政府の支出ではあるが、これに介在する官僚組織を小さく保つなら、主な効果は所得の再配分であり、お金の使い道は民間(個々の国民)が自由に考えるわけだから、行政コスト上も資源配分への影響上も「小さな政府」を保つことが出来る。

 一方、所得の再分配を大きくするなら、福祉の効果としては大きいということになるだろう。(中略)

 仮に、「霞ヶ関のムダづかい」を削減することができて、この支出を経済的弱者への減税や給付金に振り替えることができれば、「より小さな政府」と「より大きな福祉」が少しずつ実現することになり、官僚以外に誰も反対しないだろう。

 所得の再配分としての福祉のサイズがどのくらいであるべきかは今後重要な検討課題だが、「ムダづかい」を「福祉」に切り替える置き換えには反対は少ないはずだし、非効率とされる政府の支出を民間の需要に振り替えるのだから、長期的には「成長戦略」的な効果があるかもしれない。」(太字は当ブログによる)

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2009年9月 1日 (火)

政治家には「エリート」は必要なく「普通の人」の方がよい

今日(2009/9/1)の午後5時半頃、テレビ朝日系の報道番組をみてて、キャスターの男性(坪井直樹さん?)が民主党の政治の特徴について述べていたのが興味深かった。

このキャスターは、今回の選挙で、静岡県の「片山さつき」さんというキャリア公務員出身の超優秀なエリートが落選して、長崎県の薬害肝炎訴訟の「福田衣里子」さんという普通の人が当選したのは、象徴的だと言っていた。

つまり、福田衣里子さんのような薬害患者は、障害者などと同じように、自分には全く責任の無い被害者であり、そういう人にこそ政治が目を向けなくてはならない。そういう人に目を向けることは、官僚には絶対に無理。だから、まず政治家が、普通の人の目線で、世の中で、そういう不条理や理不尽なことを見つけて、その対策を立てて、その執行を官僚がやるというのが正しい。

今までの自民党政治(官僚依存の政治)では、その、もともと政治家がやるべきことを、官僚に丸投げしていた。それが、やっと、まともな形になるだけだ。

以上がこのキャスターが言ってたことだが、そう考えると、政治家には、「エリート」は必要ない、むしろエリートではない「普通の人」(普通の人の目線で世の中を眺められる人)の方がよい、と思う。まぁ、外交や金融などの分野では普通の人でない専門知識を持っている政治家も必要だろうけど。

役人・行政には専門家・エリートが必要だが、民主主義の下では、国会は「普通の人」たちの代表こそが相応しい

テレ朝などマスコミも、政府広報などで多額のCM料を支払ってくれた自公政権に擦り寄っていた姿勢から転換して、一気に「民主よりの考え方」を前面に出すようになるのだろうか。

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自民党は小泉・竹中構造改革の総括を

自民党は、再起に向けて、是非、小泉・竹中構造改革の総括をして欲しい。

日本の中では、今の格差、ワーキングプア、失業、ホームレス、自殺などが溢れている悲惨な状況の原因について、

①小泉竹中構造改革が原因だとする者(民主党など。読売新聞社説も)と、

②小泉竹中構造改革が途中で止まってしまったからだ(だから、これから小泉改革をもっと推進すべき)と主張する者(竹中平蔵や池田信夫などの新自由主義者。財界寄りの日経新聞社説も)と、

に分かれている。

これについて、是非、自民党としての理論的な結着を付けて欲しい。それは、小泉改革を進めてきた自民党の責任でもあるだろう。

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