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2009年9月21日 (月)

新自由主義者の日本改造計画?

池田信夫さんによるアゴラでの記事「『地域間格差』はもっと拡大すべきだ」は次のように主張している。

・・・人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。

(中略)比較優位から考えても、農業や在来型製造業から知識集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前で、成長率を高める上でも、知的労働者を都市に集中しないと国際的な都市間競争には勝てません。過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうがいい。

このような都市化によって、古きよき日本のコミュニティが崩壊して伝統が失われるという批判もあるでしょう。しかし戦後60年以上の間に、日本の総人口の90%以上は入れ替わり、国土もすっかり姿を変えました。いま伝統と称されているのは、国宝や文化財を除けば、たかだか明治以降にできた習慣にすぎない。それを守ろうとするのは自由ですが、そういう趣味の領域に国家が補助金を出す必要はありません

ハイエクもいったように、伝統とは多くの場合、既得権の別名にすぎない。都市化によってそれが失われることを恐れているのは、地方公務員と政治家だけです。そして1票の価値に大きな差のある選挙制度が、島根県民の一人あたり公共投資が東京都民の2倍に達する「逆格差」を生んでいます。今後は高度化するインフラ整備はコンパクト・シティに集中し、過疎地は自然や文化財を保存してリゾートとして生き残ればよい。それぞれの地域が個性をもって競争するために、「格差」はもっと拡大すべきです。
」(太字は当ブログによる)

この池田さんの主張は、要するに、社会のインフラ整備や国際的な都市間競争の面からは、多くの人間が都市に移住して働くという形態が社会として最も効率的で有利なので、都市と地方との格差をより拡大させることにより、地方の人間の多くを都市に移動させて、都市は人間が住むところ、田舎はリゾートに行くところと、明確に分離すべき、というものだ。

この池田さんの主張は、富裕層や強者をより裕福に強い立場にするためには、「効率」が何よりも大事で、それについていけない者が落ちて行く、つまり「相対的貧困」が増大して行くのは仕方が無い、ただ「絶対的貧困」に対してだけは生活保護というセーフティネットを準備すべきという新自由主義の立場からは、極めて論理一貫している。

だから、これは、ある意味、「裸の資本主義」という新自由主義の本質をさらけ出した主張だろう。

僕は、この主張を読んで、裸の共産主義=マルクス主義と似ているような気がした。何が似ているかというと、人間を「効率だけでやっていける機械」とみなしている点だ。マルクス主義も、人間を機械とみなして、優秀な官僚が作る計画経済に従って労働する形態が、最も効率的なユートピア社会だと考えた。

人間が「機械」ならば、効率を最大限に高めて、都市と田舎を分離して、全ての人間を都市に移住させて働かせて、田舎には大規模農業とリゾートだけとするのが理想的な形態だろう(働けなくなった老人は田舎のリゾートで暮らしてもよい)。

ブロイラーなどの養鶏場でも、きゅう舎に多くの鶏を一列に整然と並ばせて定期的に餌を与える形態が、最も効率的に卵を産ませるための理想的な姿だ。

だけど、そういう「効率的で理想的な生活」に、人間は、長期間、耐えられるだろうか?

人間は「ストレス」に弱い生き物で、ストレスで病気になったり自殺したりするものだ。合理的に効率的にやれば幸せになれる、というものではない。

また、地域の文化、伝統、コミュニティにしても、「効率」からみればくだらないものかもしれないが、人間のストレスの緩和などに、それなりの役割は果たしていると思う。

新自由主義では、「相対的貧困」と「絶対的貧困」を明確に区別して、「相対的貧困」は善で対策は不要、「絶対的貧困」は生活保護などの対策が必要だとしている。

なぜ「相対的貧困」は善で対策は不要だとするかというと、「相対的貧困」は「社会格差」と同義(格差が生じるなら相対的に金持ちと貧困の差が生じるのは当たり前)だからだ。つまり、新自由主義のように、「競争」が最高の善だとする以上、その「競争」の結果として必然的に生まれる「社会格差」も善であり、その「社会格差」の一側面である「相対的貧困」も善、なのだ。

しかし、「相対的貧困は善」だという立論は、最近の研究で否定されつつあるようだ。昨日(2009/9/20)の日経新聞に出ていたのだが、相対的貧困は、その貧困の側に居る人間にストレスを与えて寿命を短くしてしまう(つまり不幸にする)らしい。例えば、世界の中で最も豊かだが最も格差の大きい国(ストレスも最も高い国?)である米国の貧困層の寿命は、他の国の貧困層よりも短いらしい。

それは、戦後直ぐの復興期には「皆が貧しかったので貧乏でも気にならなかった」と多くの人が言っていること、それに対して、現代のように「周囲に金持ちが居るのに自分だけが貧乏なのは、不公正・不公平だと感じる、ストレスを感じる」と多くの人が感じているだろうことからも、予想できることだ。

だから、新自由主義のいうように、「競争は善、だからその結果としての社会格差も相対的貧困も善だ」と単純に割り切ることはできない。

今の自民党の総裁選でも、河野さんは新自由主義に立つようだが、この辺も考えて、新自由主義の欠陥をきちんと見て政策を考えて欲しい。

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雑談(政治関係)」カテゴリの記事

コメント

寝たろうさん、こんにちは(いま24日11:45頃です)

>この池田さんの主張は、富裕層や強者をより裕福に強い立場にするためには、
「効率」が何よりも大事で、それについていけない者が落ちて行く、
つまり「相対的貧困」が増大して行くのは仕方が無い

ここまで、割り切れれば、すごいといえるかもしれませんね。
竹中さんも同じ考えでしょう。

ただ、こういう強者は、強者の世界だけで競争をしてくれればいいわけで、
普通というか、ほとんどのひとは「効率」だけじゃない世界を求めてると思います。
池田さん的世界には、音楽も、美術も、文学も、そんなものはこの世には必要ない。

お金がたくさんあっても、何に使うのか?
使うというより、貯めることに意味があるんでしょう、きっと。

投稿: xtc4241 | 2009年9月24日 (木) 11時51分

xtc4241さん
こんにちは

>ここまで、割り切れれば、すごいといえるかもしれませんね。

本当にここまで割り切れて、その考えを実名で主張するというのは、ある意味、立派です。
池田さんは、本当に精神的にも強者なんでしょう、きっと。

>ただ、こういう強者は、強者の世界だけで競争をしてくれればいいわけで、

そういう、強者だけの国を作って欲しいですね^^

投稿: 寝たろう | 2009年9月24日 (木) 20時28分

こんにちは、初めまして。読んでいて感じたことがあるので率直に書かせていただきます。

人間は利己的な生き物です。ボランティアでさえ「満足」「充実感」といったような対価を貰えないかぎりやる人はほぼいません。自分の身を削って、さらには不快感しか感じないのに他人の為に生きられる人など居ません。
快楽を求めるのは生物の本能で、それが人によってはお金儲けや権力の拡大であり、人によっては慈善活動であるというだけの違いしかありません。
しかも"ルール違反をせずに"お金儲けをすることは現在の社会にとっては必要でさえあります。

また、残念でもあり、当然でもあるのですが、強い者、勝った者がルールを作り、そうした者にとって住みよい世界を作るのです。弱者がいかに文句を言おうとも、何をしようとも、その事実からだけは逃れられないのです。弱者が強者になり、ルールを変える力を持った時には、それを振りかざすことはできますが、その行為は新たな弱者を生みます。
弱者には対抗する手段が一つだけあり、それは集団となることです。しかし、集団化にも問題はあり、そもそも弱い弱い人間が、集団化したからこそ、集団を維持する為に代表者が必要となったのです。集団で分業を進めたからこそ、富の集中が発生しました。
人は集団になると絶対に差が生じます。
格差のない社会というのは、結局、自分一人しかいない世界でしか実現しません。

また、強者は強者だけの国を作ってほしいとの話ですが、強者が去った後に残るのは貧困だけです。
ポルポトによって知識人・富裕層が根絶やしにされ、権力者であったポルポト一味が打倒されたカンボジアでは、まさしく強者がいない国になりました。
結果として残ったのは、人的資源の枯渇と、知的水準の大幅な低下、そして貧困です。

ちなみに、私は新自由主義者ではありませんので、相対的貧困や格差を善とは考えません。必要悪だと考えております。適度な競争は経済を発展させ生活を豊かにしました。(そもそも生存競争という意味では精子ひとつとってもそうですが) 競争と淘汰は質を高める効果があります。それは経済活動でも選挙でも、開発でも同じことです。ただ、社会保障全般を否定するつもりはありません。セーフティネットは、「挑戦」を可能にする為に必要だと考えておりますし(セーフティネットが無いと、成功すれば社会的に価値の高い挑戦が起こりにくくなってしまう)、過度の格差はおもに消費面と社会不安の問題から、経済に悪影響を与えるため望ましくないと考えています。

ブログ主さんは、「競争」とその結果についてはどのようにお考えでしょうか?
結果は完全に平等にすべきだとお考えか、それともある程度均す必要はあるが差は必要と考えるか、それとも結果に手を加える必要は無いと考えるか。
また、そもそも参加する機会があるのに参加しない人間に対してはどのようにお考えか。ぜひ聞いてみたいです。

投稿: nF2 | 2009年11月24日 (火) 19時37分

nF2さん
コメントありがとうございます。

>結果は完全に平等にすべきだとお考えか、それともある程度均す必要はあるが差は必要と考えるか、それとも結果に手を加える必要は無いと考えるか。

まぁ、僕は「ある程度均す必要はあるが差は必要と考えるか」という立場ですね。ほとんどの人はそう答えるでしょうが。

努力した人が報われることは必要でしょう。
ただ、差が有りすぎると社会不安にもなるし、全体が不幸になると思います。

池田さんなどは、競争=格差はいくらでもあってよい、絶対的貧困だけを手当てすればよいという立場ですね。
要は、サイクルの流れだと思います。今は、池田さんとは逆向きの流れが起こっているのでしょう。

投稿: 寝たろう | 2009年11月24日 (火) 22時21分

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