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2009年11月29日 (日)

米国で個人発明家支援サイトが人気

日経産業新聞(2009/11/25)で見た情報だけど、米国で個人発明家支援サイトが人気らしい。

エディソン・ネーションというサイト。

発明家からアイデアを募って、それを大手メーカーや大手小売店への橋渡し(ライセンス契約の仲介)をするらしい。

このサイトの運営会社は発明家支援のテレビ番組「Everyday Edisons」の制作もやっているらしい。

まぁ、この手のサイトは日本にも15年くらい前にあった。確か「発明スパーク」というサイトで、週刊ポストなど幾つかの雑誌で取り上げられていた。いつの間にか無くなっていた^^;

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2009年11月24日 (火)

今後の更新はゆっくりペースになります(中間報告と御礼)

今から1年半前(2008年4月頃)にこのブログを始めたときは、手持ちの特許出願が100件を超えて、特許がかなりの数、次々と成立しそうな雰囲気だったので、1~2年後には主な特許を取得し終わって、大企業とのライセンス交渉や訴訟などの展開もありえる、それらの報告(相手企業の名称や交渉内容などの秘密事項を除く公開可能な範囲内での報告)などをこのブログでできるかなという甘い予想を持っていました。

あれから1年半が過ぎて、特許は25件近く取得したのですが、客観的には珠玉混交で、モノになる(ビジネスになる=カネになる)特許がその中に入ってるかどうかはよく分かりません。最も期待していた出願の数件は、拒絶査定になってしまい、現在、分割出願で仕切り直しの段階で、特許になるかどうか不明で、仮に特許になるとしても、後2年くらいはかかるでしょう。

そういうことで、特許取得にしても、企業との交渉や訴訟にしても、ここ2年くらいは、足踏み状態が続き、新しい展開はないだろうと思います。

一方、今年の春ごろからは、民主党の小沢秘書が逮捕された件などで、政治的な主張もしてきましたが、政治的な状況としては、今年9月に政権交代がなされ、現在、それなりに「静かな革命」としての成果が出ているのではないかと思います。それで、政治についても、特に何か書きたいという気持ちが生まれてきません。まぁ、小沢秘書の公判が始まればまた何か書き出すかもしれませんが。

そういうことで、このブログの更新は今後はゆっくりペースになって行くだろうと思います。

もちろん、「野良犬のようなちっぽけな個人でも大企業・大組織と戦って勝てるんだという実例を何個か作っていく」という当初の目標はこれからも掲げて行きますし、何か展開があれば、このブログその他で発表して行きたいと思います。

こんなブログでも、今までに8万を超えるアクセスを頂いたこと、大変嬉しく思います。今まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。

決して終わりではありませんが、一応の区切りと考えて、御礼の言葉とさせて頂きます。

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2009年11月15日 (日)

デジタル放送のみを受信できるDVDレコーダに関する私的録画補償金の問題

マイコミジャーナルの「関係者の合意がないまま課金できない - DVDレコーダ補償金訴訟で東芝が見解」(末尾に引用)などの記事によると、DVDレコーダは、もともと文化庁の省令に「補償金の対象機器」として規定されていたが、これが「ダビング10で複製が制限されたデジタル放送のみを受信できるDVDレコーダ」をも含むかどうかについて関係者間で論争があったところ、最近、文化庁の著作権課長が「含まれる」という文書を出したため、補償金を徴収しないとする東芝を権利者団体が訴えた、という経緯らしい。

文化庁の著作権課長が「含まれる」という文書を出したのは、もともと、文化庁は権利者側に立っていることから、そうなったのだろう。

東芝の主張は、補償金は私的な複製を(無制限に)我慢するしかない権利者のために認められたものだから、ダビング10で複製が制限されている機器は、補償金の対象機器に含めるべきではないということだろう。

逆に、権利者側の主張は、たとえダビング10があるとしても、9回までとはいえ、私的な複製を我慢しなくてはならないのは同じだから、他のDVDレコーダと同じように補償金を徴収すべきということだろう。

補償金の根拠規定は、著作権法30条2項(メーカーによる補償金の徴収は別の規定)。

(私的使用のための複製)
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
  一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合
  二 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合
2 私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器(放送の業務のための特別の性能その他の私的使用に通常供されない特別の性能を有するもの及び録音機能付きの電話機その他の本来の機能に附属する機能として録音又は録画の機能を有するものを除く。)であつて政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるものに録音又は録画を行う者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。


裁判所としては、もし東芝を勝たせる結論が妥当と思っても、文化庁の著作権課長の「含まれる」という政令の解釈を問題にしたくはないだろう。なぜなら、裁判所が文化庁の政令の解釈が間違いだいう判決を出しても、文化庁が新たに政令を改正すれば容易に判決をすり抜けられるので面白くないからだ。だから、裁判所は、著作権法の解釈でいくと思う。

そこで、著作権法30条2項は上のとおりだが、この文言からは、東芝はかなり苦しいのでは。

消費者として心情的には東芝に勝ってほしいが、著作権法30条2項の文言からは、権利者側の解釈になるのが自然で、東芝の主張に沿うような結論にするためには、相当、文言を限定的に解釈するしかないが、かなり苦しい。

また、権利者側の、ダビング10があっても9回までとはいえ私的複製を我慢しなくてはならないのは同じなので、他のDVDレコーダと同じように補償金が必要だという考え方も一理ある。これが1~3回くらいの複製に制限されているなら話はかなり違ってくると思うけど。

以下、マイコミジャーナルの「関係者の合意がないまま課金できない - DVDレコーダ補償金訴訟で東芝が見解」の記事の一部を引用。

東芝は11日、私的録画補償金管理協会(SARVH)が同社に対し、アナログチューナー非搭載のDVDレコーダへの「私的録画補償金」の支払いを求めて東京地方裁判所に提訴した件について、同社の見解を発表した。

私的録画補償金の支払いの根拠となっている私的録音録画補償金制度は、私的使用を目的とした個人または家庭内での著作物の複製について、一定の割合で録音録画機器のメーカーから補償金を徴収し、著作権権利者への利益還元を図ることを目的とした制度となっている。この補償金を巡り、文化庁では「私的録音録画小委員会」で議論してきたが、iPodなどの携帯音楽プレイヤーやHDDレコーダ、PCといった現行の補償金制度外の機器についても対象に含めるよう求める権利者側と、著作権保護技術の進歩を理由に同制度の縮小を求めるメーカー側の主張は大きく異なり、結局、結論は得られなかった。

今回問題になっているのは、デジタル放送のみを受信できるDVDレコーダに関する私的録画補償金。メーカーが消費者から徴収した補償金の支払いを受け、権利者に分配する団体である私的録画補償金管理協会(SARVH)は10日、補償金の支払いを求めて東京地方裁判所に提訴した。

東芝ではこれに対し、11日に同社の見解を発表した。同見解ではまず、従来のアナログ放送においては、「著作権保護技術が施されておらず、無制限にコピーが可能」(同社)なことから、アナログチューナーを搭載するDVDレコーダーについては、補償金の対象にすることで関係者間の合意がなされていたと説明。

だが、「現在のデジタル放送においては著作権保護技術(ダビング10)が施されてコピーが制限されているため、デジタル放送の記録に特化したアナログチューナーを搭載していないDVDレコーダーが補償金の対象か否かについては、消費者、権利者、製造業者など関係者の合意にいたらず、結論が得られていない」とし、アナログチューナー非搭載のDVDレコーダへの補償金課金は、関係者の合意が得られていないとの認識を示している。

同社ではこうした認識にもとづき、同社が販売しているアナログチューナー非搭載DVDレコーダー5機種については、発売当初から現在にいたるまで、購入者から補償金を徴収していない。(中略)

同社は、これらの機器において補償金を徴収していないことについて、「補償対象か否かが明確でない状況で補償金の徴収を行ない、その後、当該機器が補償金徴収の対象外とされた場合は、商品の購入者に対する補償金の返還が事実上不可能であることから、現状の下では、当該商品の購入者から補償金を徴収できないと考える」と、その理由を述べている。

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2009年11月14日 (土)

市橋容疑者を通報した建設会社が取引停止に合っているらしい

あるブログから知ったのだけど、「通報があだになった。 08年8月19日から09年10月11日に姿を消すまで、約1年2か月間、市橋容疑者を雇っていた建設会社。警察へ通報後、市橋容疑者が勤めていたことが知られるようになり、取引先数社から契約を完全に打ち切られた。」ということになっているらしい(Yahoo!ニュースより。末尾に引用)。

このYahoo!ニュースでは、市橋容疑者を雇っていた建設会社が顧客先から取引停止にあってるが、通報というせっかくの正しい行為が「アダになった」、という論調で、この建設会社に同情的だ。

でも、顧客が取引停止をしている理由は「通報したから」ではなく、「指名手配犯を確認しないで雇っていたから」だよね(従業員管理の問題)。これは、かなり正当な理由では。顧客からみると、依頼した業者の従業員の中に指名手配犯が居るかもと思うとかなり怖いと思うけど(例えば、建築業者なら、顧客の自宅の中に入ってもらって工事したりする)。

この点で、昨年のNHK特番「たった一人の反乱」(昨夏放送されたNHK特番「たったひとりの反乱」が「印象にあった」という。主要取引先である雪印食品の牛肉偽装を、内部告発した兵庫・西宮市の冷蔵倉庫会社「西宮冷蔵」の水谷洋一社長が、告発後に取引先を相次いで失うなどして休業し、再建するまでを描いた内容)で取り上げられた西宮冷蔵の水島洋一社長の場合とは少し違うのでは。

西宮冷蔵の場合は、「顧客の違法行為を通報したから」他の顧客から取引停止された。顧客が取引停止した理由は「通報したから」というもので、これは、取引停止の理由として正当性はないだろう。西宮冷蔵には取引停止になるような非は無かったと思う(顧客が違法行為をしていても顧客を警察に通報しないのが倉庫会社の義務だと仮定すれば、それを守らなかったという点で非はあるんだろうけど、西宮冷蔵を取引停止にした顧客はそこまでは考えていなかったと思う)。

まぁ、それと、今回の建設会社の場合、もし自分から通報しなかったら、いずれ週刊誌などで話題になってたはずで、そうなったらもっとマイナスだったろう。

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以下、Yahoo!ニュースより引用。

逃走中市橋容疑者雇い、仕事逃げた…大阪の建設会社 通報があだ
11月14日8時1分配信 スポーツ報知

 英国籍の英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者(30)が、逃亡中に住み込み勤務していたと公開写真を見て気付き、警察に通報した大阪府茨木市の建設会社が、取引先から相次いで契約を打ち切られていることが13日、分かった。建設会社関係者によると「社員の身元もきちんと調べない会社とは、取引できない」として契約を解除されることが続いたという。一方、千葉地裁は同日、この日も食事を口にしていない市橋容疑者の拘置を、22日まで認める決定をした。

 通報があだになった。 08年8月19日から09年10月11日に姿を消すまで、約1年2か月間、市橋容疑者を雇っていた建設会社。警察へ通報後、市橋容疑者が勤めていたことが知られるようになり、取引先数社から契約を完全に打ち切られた。ほかにも、一時的な取引中止や、新規契約交渉が難航する例もあったという。

 ただ、同社社長は「殺人犯(容疑は死体遺棄)を雇っていたということですから。結果論ですからね」と、ひょうひょうと受け止めている。社長は「通報すれば、取引停止の可能性があることは頭にあった。事前に話し合ったが、社会人の義務として通報した」ときっぱり。事業に支障が出るのでは、と社員たちと話し合った結果、決断した。

 契約打ち切りの一方、エールもあるという。社長は「『ようやった』と言ってくれるお得意さんもいる。『これからも仕事、頼むわ』とね」と明かし、より深い信頼関係を築けたケースも出ている。警察官からも「市橋(容疑者)がここで働いた金で整形したことが、整形外科医による通報を促し、逮捕につながった。犯罪人を雇っていたといわれるかもしれないが、気にすることはない」と励まされたという。また、捜査関係者は「取材活動の影響を受けたのかどうか、事態がよく分からないが、われわれが通報者を守り切れていないことは反省している」と述べ、遺憾の意を示した。

 社員らと話し合った際、社長には、昨夏放送されたNHK特番「たったひとりの反乱」が「印象にあった」という。主要取引先である雪印食品の牛肉偽装を、内部告発した兵庫・西宮市の冷蔵倉庫会社「西宮冷蔵」の水谷洋一社長が、告発後に取引先を相次いで失うなどして休業し、再建するまでを描いた内容だ。

 水谷社長を取り上げ、12日に放送された、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」も見たという建設会社社長は、「通報してよかったと思ってます。全然、後悔していない。建設業界自体も厳しい環境にあるが、頑張ります」と力強く笑った。」(太字は当ブログ)

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2009年11月12日 (木)

21世紀の日本は脱詐欺・脱宗教の時代へ?

勝間和代さんによる管直人副総理へのリフレ論のプレゼンに対する批判に関連して、池田信夫氏が書いたルサンチマンの力というエントリのコメント欄の中に、池田氏自身による興味深い一文がある。以下に引用(「ルサンチマン」の意味については、このエントリの一部を、末尾に引用しておく)。

20世紀はよくも悪くもマルクスの時代だったけど、21世紀はニーチェの「来るべき200年」の後半になるような気がします。ニヒリズムは、ニーチェの時代には彼ひとりの思想だったけど、20世紀後半にはインテリの常識となり、21世紀には先進国の大衆の常識になるでしょう。」(太字は当ブログによる)

マルクス主義は一種の宗教だったので、20世紀はマルクス主義を含む宗教の時代だったといえるだろう。宗教は一種のマインドコントロール=詐欺なので、その意味では、20世紀は、多くの大衆が詐欺にひっ掛かっていた時代だとも言えるだろう。

ニーチェは読んだことないけど、多分、ニヒリズムというのは、神とかで自分の人生をごまかさないで自分に正直に向き合え、ということだろう。そうすれば、詐欺や悪徳政治家からつけ込まれて騙されたり、宗教に引きずり込まれてマインドコントロールされることも少なくなるのではないだろうか。もちろん、心の平安を求めるという意味での宗教はずっと続いて行くだろうけど。

以下は、池田氏の上記エントリの「ルサンチマン」の部分の引用(太字は当ブログによる)。

・・・斎藤氏も指摘するように、社会変革と自己啓発は逆のベクトルをもつ心の動きである。前者は社会の現状を変えようとする外向きの動きだが、後者は現状を所与として「がんばれば報われる」と考える内向きの動きである。

この二つの動きを駆動している心理は何だろうか。私は、ニーチェのルサンチマンという
概念が似合うと思う。これは社会的弱者が抱く恨みや劣等感のような屈折した感情で、それが社会への攻撃に向かうと共産主義のような運動になり、内側に向かうとキリスト教のような宗教になる。乱暴にいうと、キリスト教は貧しい人々のルサンチマンに偽りの救済を売り込む史上最大の自己啓発運動だ、というのが晩年のニーチェの主張だ。キリスト教の与える「人生の意味」は偽りだから、その神学をつきつめると「人生に意味はない」というニヒリズムにたどりつかざるをえない。

・・・というニーチェの予言は現実のものとなりつつあるが、こういう自覚をもつのは、実は一部の知識層だけだ。大部分の民衆は、2000年前のキリスト教徒と同じように「貧しい者も努力すれば救われる」と信じて、何かにすがろうとするので、「生き方」本は同じようなことを書いても売れ続け、自己啓発セミナーや新宗教は次々に出てくる

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2009年11月11日 (水)

経済学と法律学

最近の勝間和代さんに対する批判など、池田信夫氏のブログなどを見ててよく感じることは、他人の主張に対して「間違いだ」という言葉を安易に頻繁に使っていることだ。経済学者には、こういう言葉の使い方が多いのだろうか。

そのような「間違ってる」という言葉で書かれた批判を読むと、そのときは、「間違ってる」と指弾された主張やそれを主張している人に対して、「とんでもない奴だ!」という気がしてしまうのだが、その後で、他の人(経済評論家や経済学者など)からは「いや、間違ってない、正しい」とも主張されて、どっちなんだ、という感じになる。

「間違ってる」とか「正しい」とかの「激しい言葉」が経済の議論を混乱させていると思う。「激しい言葉」を使っていると、内容から離れて感情的にもなってしまうので損だろう。

法律の世界では、「間違いだ」という言葉は、論理的に矛盾している場合を除いて、まず使わない。「どちらも正しい、どちらも理論的には成り立ち得る」ことを前提として、「どちらがより妥当か、どちらがより妥当でないか」を問題にするし、「(より)妥当だ」とか「(より)妥当でない」という言い方で議論する(判決では、妥当でないという意味で「失当である」なんて言葉がよく使われている。まぁ、これはこれで普通の人は使わないおかしな言い方で、ちゃんと「妥当でない」と言えばいいのにと思うけど)。

経済の議論の仕方は、法律に比べて、かなり幼稚というか遅れてると思う。

追記:法律も経済も、まず過去及び現在の事実認定をして、それを前提に自分の見解や解釈を立論するというのは、議論の構造として同じだろう。この事実認定の部分(経済では統計など)は、法律の議論でも「間違ってる、正しい」という言葉を頻繁に使ってるがそれは当然だ。そうではなく、見解や解釈を述べる部分では、法律の議論で、「間違ってる、正しい」という言葉を使うことはまずない。経済の見解というのは、自分の理論とそれによる将来予測だろう。例えば、リフレ論(物価上昇率の目標を定める、一種のインフレターゲット論)の立場なら、そのリフレ論と、この理論に基づく政策をやれば日本経済はこうなるだろうという将来予測との2つが、見解の中身だ。これについて、神様でもないただの他人が「間違ってる、正しい」という言葉を使うのはおかしいと思う。「私は妥当でないと思う、妥当と考える」ということができるだけのはずだ。

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2009年11月 8日 (日)

池田信夫氏が勝間和代バブル消滅を主張

管副総理に行ったという勝間和代さんのプレゼン内容に、池田信夫氏がブログで批判をしている。

僕は経済はさっぱりだが、読んだ限りでは池田氏の論旨の方がしっかりしていると感じる(他のことでは池田氏の意見には反対のことが多いんだけど)。

勝間さんのプレゼン資料を見ると、ド素人の僕から見ても疑問がある。例えば、この資料の最後の8ページに「円高は内需拡大に全く貢献しない」とあるが、本当にそうなのか? 円高か円安かの国全体への影響はプラマイゼロのはずだ。輸出振興の点では円高は製品の輸出価格の増加をもたらしてマイナスになるだろうが、その逆に内需拡大の点では円高は原材料や製品の輸入価格の低下をもたらし庶民の購買力が増加するからプラスになるのでは?(違うかな?) 他にもいろいろあるが、とにかく、いくら何でもこの資料はちょっとひどすぎると思う。

勝間さんの本がベストセラーになったりカツマー現象があったりしても、それはスピリチュアルと同じレベルで世間で騒いでるだけなら問題ない。

でも、それが政府の政策に影響を及ぼすのはまずい。いったい、誰が勝間さんを管副総理への教育係に指名したのだろうか? これは問題だと思う。

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2009年11月 7日 (土)

人生の本質

ドラマ「不毛地帯」のエンディングが、最近の私は気に入っていて、極寒の地の中に立つ主人公の姿は、私がいつも感じている気持ち、気分に非常に似ていると、毎週、エンディングを見ながら思っています。一言で言えば、寂寥感ということでしょうか。流れている歌も、そこはかとなく寂寥感が出ていて、しみじみとさせられます。

人生の中では、晴れがましい場面があったり、人に誉めそやされたりといったこともありますが、その本質は寂しさではないかと私はいつも感じています。そういった寂しさをいかに乗り越えてゆくかが、人生における最大の課題なのかもしれません。

上は落合洋司弁護士のブログからの引用だが、人生の本質が寂寥感、寂しさ、空しさではないかというのは、僕も50歳を過ぎてよく感じるようになった(落合弁護士は「空しさ」までは書いてませんでしたが^^;)。

無常観とか、人間は1人だというのも最近よく感じる。

俳句はよく分からないが、松尾芭蕉のわびさびなどもそういうことだろうか。

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2009年11月 6日 (金)

特許法の改正(不服審判請求の印紙代の返還)の件で民主党にメールしておきました

特許法の改正(審判請求の印紙代の返還)の件で、民主党にメールしておきました。
少し前にこのブログで2~3回記事にしてたのをまとめた内容です。
民主党議員の事務所に電話して聞いてみたら、民主党本部にメールすればよいとのことだったので。以下、その内容を転載しておきます。少し長い^^;

民主党の特許庁(経済産業省)関連のご担当者様へ
(中略)
提案タイトル:特許法の改正に関する提案(特許法で定める拒絶査定に対する不服審判請求の特許印紙代は、審査官による拒絶査定が不当だったことが審決や判決で判明した場合は、出願人に返還すべきでは?)

はじめに
特許庁は、ちょうど今、2011年に特許法の大改正をすべく準備をしている最中です。そのための特許庁長官の指摘懇談会「特許制度研究会」を、1~2ヶ月に一回のペースで、行っています。
(http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toushin/kenkyukai/tokkyoseidokenkyu.htm)
この「特許制度研究会」は、知財高裁判事などを含むメンバーから成り、毎回、的確な議論が行われています。
つきましては、この私の提案に関しても、この特許制度研究会の俎上に乗せて頂き、法改正が妥当かどうかの議論に含めて頂くことを希望いたします。以下、本文です。

1. 特許出願に対して審査官が審査の結果として拒絶査定を出したときは、出願人としては、まだ特許を目指そうとすれば、不服審判請求をやるしかありません。しかし、特許庁に対して拒絶査定不服審判請求をやるとき、その特許印紙代は、例えば請求項の数が50個なら、「49,500円+請求項の数×5,500円」の計算式から、324,500円となってしまいます。
通常の出願は請求項の数が5~10個くらいが多く、その場合は、不服審判請求の印紙代は10万円かそれ以下で済みます。しかし、請求項の数が50個くらいの出願も結構あり、その場合は、30数万円の特許印紙代を納付しなくてはなりません。
しかし、そもそも、特許庁審査官の拒絶査定という行政処分に対する不服審判請求について、何故、「常に」出願人側が特許印紙代を支払う必要があるのだろうか?という疑問があります。

不服審判請求をする場合というのは、
(a)審査官の処分が実際に不当であった場合と、
(b)審査官の処分は実際には妥当なのに出願人側が不当だと誤解していた場合と、
の2つがありえます(実際上は、私の感覚では、(a)が30%、(b)が70%くらいと思います)。

実際に(a)か(b)かどっちだったかは、後に、審判請求の結果である審決、又は、この審決に対する取消訴訟の判決(知財高裁による)などにより、はっきりと、判明します。
少なくとも、(a)のケースだった、すなわち、審査官の拒絶査定が実際に不当であった(審査官が妥当な処分をしていれば出願人は不服審判請求をしなくて済んだはずで、その印紙代も支払わなくて済んだはず)という場合は、特許庁は、審判請求の特許印紙代を出願人に返還すきべだと考えます。

そして、上記の(a)の場合とは、次の①と②の2つが満たされた場合と思います。
①「審判請求時の補正」が為されなかった場合(これと同視し得る場合をも含む。例えば、「審判請求時の補正」は行われたが、その補正の内容が「誤記の訂正だけ」で拒絶査定の理由とは関係の無い補正だったという場合など)。
・・・もし「審判請求時の補正」がなされたら、出願人としては、拒絶査定を一応は受け入れた(是認した)からこそ「審判請求時の補正」をしたのだろうと考えられても仕方ないから、「印紙代の返還」を主張することを放棄したと考えてもよいと思います。

②上記①の場合において、特許を認める審決が為されたこと、又は、審判の中で審判官が(拒絶査定のままでは拒絶を維持できないと判断して)「新たな拒絶理由通知」を出願人側に発したこと。
・・・前者の特許審決が出た場合は、審判官が拒絶査定の誤りを正面から認めた場合だといえます。また、後者の「新たな拒絶理由通知」を発した場合は、審判官は、「拒絶査定は、仮にその拒絶という方向性が正しいとしても、拒絶査定の理由やそれまでの手続が、拒絶を維持するものとして「不十分だった(その限りでは妥当でなかった)」と判断した場合だ、と言えます。

そして、上記①及び②の条件を満たす場合は、「審査官による拒絶査定が妥当でなかった(もし拒絶査定が正当なものだったら、出願人は、不服審判請求を行う必要は無く、その印紙代を支払う必要もなかった)」というケースに当たると確定できるので、その場合は、その審決(上記①の場合は特許審決だけだが、上記②の場合は特許審決の場合と拒絶審決の場合との両方あり得る)の中で、印紙代の返還させるために、その審決の主文の中で、(本件は審査官の審査内容が不当であり本来は審判請求は必要なかったケースなので)印紙代を返還する。という文言を入れればよいと思います。

民事訴訟でも、裁判所が出す判決の主文の中に「訴訟費用(印紙代など)は(敗訴した)被告の(又は敗訴した原告の)負担とする」という文言が入りますが、それと同じ方法で可能です。特許法の改正だけで済むと思います。

2. このような意見に対しては、審判は「続審」(発明が特許されるべき否かを審理対象とするのであって、審査官の行政処分が妥当か否かを直接の審理対象とするのではない)であるから、理論的におかしいという反論があり得ます。

 これについて考えますと、まず、審判が「続審」である(この点で、「審決の当否(審決が妥当か否か)」を対象とする審決取消訴訟とは異なる)という実質的な意味は、出願人側は審判請求のときに権利化に向けて補正ができるし、審判官側も審判中に補正の機会を与えるための拒絶理由通知が出せる、ということです。
 しかし、「審判請求時の補正」がない場合は、審判は、実質的には、「拒絶査定の当否(拒絶査定が妥当か否か)」が対象になっています。したがって、少なくとも、この場合は、「続審」であることは問題にならず、「審決の当否(審決が妥当か否か)」を対象とする審決取消訴訟と同じに考えてよいと思います。

3.  また、そもそも、世間では、「ユーザーの責任で故障した商品の修理は有償とする、しかし、メーカーの責任で故障した不良品の場合の修理は無償とすべき」というのが常識です。
 それなのに、特許庁の取り扱い(現在の特許法)では、「ユーザー(出願人)の発明がもともと進歩性などがないために出された拒絶査定に対する不服審判請求は有償とする(ここまで私も当然と思います)、それだけでなく、審査官の審査内容に不備があったために出された拒絶査定(不良品)の場合でもその修理すなわち不服審判請求は有償とする」としている訳です。これは世の中の常識に反しています。「世の中の常識に反する法律」は改正する必要がある、と思います。

4.  行政処分に対する不服審判請求の制度は、税務署や公正取引委員会にもありますが、いずれも、官庁に支払う印紙代などは、全く必要ありません。例えば、独占禁止法52条は、公正取引委員会の処分(排除措置命令と課徴金納付命令)に対する審判請求を定めているが、所定の審判請求書を出すだけで、印紙代などは必要ありません。

では、なぜ、特許庁の処分に対する不服審判請求だけ、印紙代が必要だとしているのでしょうか。それは、おそらく、特許庁の仕事は、最初に出願人が出願という積極的なアクションを行って(イニシアチブをとる。このときも印紙代が必要)、それに対する応答として審査官が審査の処分を下すという構造をとっているため、拒絶査定不服審判請求の段階でも、漫然と「常に」印紙代が必要だと定めているのだろうと思います。

これに対して、税務署や公正取引委員会の処分は、国民の側から最初に役所に積極的に処分を要請するのではなく、役所の方が勝手に(イニシアチブをとって)国民に対して行政処分をするのであるから、それに対して国民の側(国民から見ると不当な行政処分の被害者の側)から不服審判請求をするためには印紙代が必要だとすると、国民は怒り狂うでしょう。

そういう違いがあるのだろうと思います。

5.  特許庁の拒絶査定不服審判請求の費用は、民事訴訟の裁判と似た構造だと思います。裁判でも、最初にアクションを起こす(イニシアチブをとる)原告が、まず最初に印紙代を裁判所に支払います。しかし、裁判では、原告と被告とのいずれか負けた方(つまり不当であるとされた方)が、最終的に印紙代などの訴訟費用を負担することになっています(判決の主文でそれも定める)。つまり、印紙代は、最初に原告が支払うが、それは「仮の支払い」であって、裁判で負けた側(悪いことをしたか間違った判断をしていた方)が、印紙代を最終的に負担することになっています。

この裁判における印紙代の支払い義務の分配は極めて妥当・公平と思いますが、そうだとすれば、特許庁での不服審判請求でも、審査官の処分と出願人側の判断とのどちらが正しいかを争うのだから、負けた方がその費用を負担するのが妥当・公平のはずです。よって、不服審判請求で出願人が勝ったとき(ただ、「審判請求時の補正」をしてから勝った場合は審査官の審査は妥当だったという場合も多いので、その場合は、「審判請求時の補正」がもしなくても出願人が勝っただろうと言える場合だけ)は、負けた側つまり不当な処分をした審査官の側(特許庁)が印紙代を最終的に負担すべきだから、特許庁は、最初に出願人が仮に支払った印紙代(審判請求の費用)を、出願人に返還すべきだと思います。

また、こうすることによって、特許庁の審査官に、適正な審査を行う方向の「動機付け」を与えることが可能になります。

6.  なお、もし、このような審査が不当であつたために不服審判請求の印紙代を出さねばならなかったことが審決で判明したときは出願人に印紙代を返還するという制度にするときの技術的な方法としては、審判請求の印紙代については審判請求時には特許庁は「預かり金(供託金)」として出願人から受け入れておいて、審決で審査官の審査は正当だったと確定した段階で国庫に帰属させるという方法が妥当ではないかと思います。(印紙代は、いったん国庫に帰属させると返還の手続が大変なようですので、このように考えました)

7.  それから、もし、このような「印紙代の返還」が制度化されれば、印紙代の返還をも視野に入れる出願人側としては、拒絶査定を受けた後に不服審判請求をするとき、補正をしても余り意味がないと思えるときは、「審判請求時の補正」をしないで不服審判請求だけをするというケースが増えるでしょう。それは、不服審判の事件を、前置審査(拒絶査定をした審査官が関与するもの)を介さずに直接に審判官のところに持っていくことになるので、不服審判のためのトータルの期間や手間を短縮・軽減させることに繋がるという制度上のメリットがあると思います。

8.  他方、こういう「印紙代の返還」の制度を作ると、審査官が(印紙代の返還に繋がる拒絶査定を避けて)萎縮して安易に特許査定を乱発するようになるのではないかというデメリットが考えられます。これに対しては、審査官が自信を持って拒絶査定ができない(しかし特許査定もおかしいと感じている)ような難しいケースについては、例えば、(a)審判と同様に3人の審査官のチーム(合議体)で審査するようにする、(b)審査官の裁量で上級の審判官に事件を移したり、審査官が担当したまま審査官が上級の審判官の意見を聴取できるようにする(侵害訴訟の中で裁判所が特許庁の意見を求める「求意見制度」と同じようなもの。できたら、出願人と審判官と直接のやり取りも認める)、などの対策で対処可能と思います。

最後に
以上の内容については、私の方にメールや電話などでお問合せ頂いても構いませんし、内容を公表されたり、コピー・改変されても構いませんが、下に書いています私の住所・氏名などの個人情報は、民主党様の外部に対しては秘密にして頂きますよう、お願い申し上げます。(以下略)

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2009年11月 5日 (木)

憲法解釈の変更もマニフェストに入れるべきでは?

内閣官房長官が憲法解釈とその変更について、内閣法制局長官の意見にかかわらずに政治主導でやると言っていた。

しかし、法解釈には「文言を外れない無理でない解釈」と「文言を少し外れるような無理な解釈」があるが、どちらも可能な解釈で、要するに法解釈は融通無碍で、ある意味、その解釈者の都合や好みでどうにでもできるものだ。

歴代の内閣法制局長官は、プロの立場から、文言を外れた無理な解釈はしないという方針でやっていたと思う。それが、政治家が解釈するようになると、どんな解釈もありになってしまう。しかも、その解釈は、安保政策などの高度に政治的な問題については統治行為論という考え方により裁判所のチェックが及ばない(裁判所が自粛して判断しない)ので、もし内閣が「無理な憲法解釈」で「暴走」したら、次の選挙までは誰も止められなくなってしまう。

だから、まぁ、今の鳩山政権なら大丈夫と思うが、少し前の安倍内閣のような「暴走」する内閣が出来たときはすごく不安な面はある。

だから、憲法解釈の変更も重要な政策の変更と同じと考えて、選挙でのマニフェストに入れて、それで選挙に勝って始めてその憲法解釈の変更をする、という手順をとるべきだと思う。

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2009年11月 1日 (日)

ハチャメチャな人(発明仲間)

僕が今までに大きな影響を受けた発明家は5人くらいなんだけど、その中の1人、Gさんには発明家の生き方や姿勢というようなものを教わった。

Gさんとはある会合で知り合ったが、そのとき僕は30代後半、Gさんは50歳くらいだった。今から15年以上前だ。

Gさんは、そのとき、発明を始めたのは数ヶ月前からだと言った。ちょうど数ヶ月前から持病の糖尿病が原因で急に視力が極端に落ちて土木設計の仕事が全く出来なくなったが、ちょうど視力が落ちたその頃から急にいろんな発明やアイデアがどんどん湧いてくるようになったと言っていた。

医者からは、このままいくと、数ヵ月後には全く見えなくなると言われていたらしいが、Gさんはすごく元気で威勢が良かった。

Gさんとはお互いに気が合ったのか、誘われて何度かGさんの事務所にもお邪魔した。事務所は、十数人以上は入りそうなただっ広い空間に、女性事務員が1人居るだけだった。多分、数ヶ月前から設計の仕事ができなくなって何人かのスタッフをリストラしたのだろう。

事務所もいつか閉めるのだろうとは思ったが、Gさんは意気軒昂という感じだった。仕事はなさそうで、事務員さんが暇そうにしてたけど、僕がいる間だけでも、生命保険会社の担当者と交渉というか担当者を怒鳴りつけてたり(眼の病気による保険金のことで揉めてたようだった)、個人的な友人が訪ねてきたりして、結構やることはあるようだった。

僕がGさんを見て印象的だったのは、50歳にもなって、こんな自由で型破りでハチャメチャな人が居るのか、ということだった。とにかく、話し方から、行動まで、何から何まで自由気まま、自分の思い通り、という感じだった。視力が極端に落ちてそのうち失明すると言われてても、前向きで積極的だった。

もちろん、悩みは深かったろうし、僕にそれを見せないだけだったかも知れないが。

Gさんとは発明とは関係なく付き合いたいと思っていたが、しばらく会えないままに事務所に行って見ると、出て行って、もぬけの殻になっていた。自宅の住所などは聞いてなかったので、連絡はとれず、今も消息は分からないままだ。

わずか数ヶ月の短い付き合いだったけど、発明家あるいは自由人の生き方というか、姿勢のようなものを教えてもらったと思う。

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