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2009年11月11日 (水)

経済学と法律学

最近の勝間和代さんに対する批判など、池田信夫氏のブログなどを見ててよく感じることは、他人の主張に対して「間違いだ」という言葉を安易に頻繁に使っていることだ。経済学者には、こういう言葉の使い方が多いのだろうか。

そのような「間違ってる」という言葉で書かれた批判を読むと、そのときは、「間違ってる」と指弾された主張やそれを主張している人に対して、「とんでもない奴だ!」という気がしてしまうのだが、その後で、他の人(経済評論家や経済学者など)からは「いや、間違ってない、正しい」とも主張されて、どっちなんだ、という感じになる。

「間違ってる」とか「正しい」とかの「激しい言葉」が経済の議論を混乱させていると思う。「激しい言葉」を使っていると、内容から離れて感情的にもなってしまうので損だろう。

法律の世界では、「間違いだ」という言葉は、論理的に矛盾している場合を除いて、まず使わない。「どちらも正しい、どちらも理論的には成り立ち得る」ことを前提として、「どちらがより妥当か、どちらがより妥当でないか」を問題にするし、「(より)妥当だ」とか「(より)妥当でない」という言い方で議論する(判決では、妥当でないという意味で「失当である」なんて言葉がよく使われている。まぁ、これはこれで普通の人は使わないおかしな言い方で、ちゃんと「妥当でない」と言えばいいのにと思うけど)。

経済の議論の仕方は、法律に比べて、かなり幼稚というか遅れてると思う。

追記:法律も経済も、まず過去及び現在の事実認定をして、それを前提に自分の見解や解釈を立論するというのは、議論の構造として同じだろう。この事実認定の部分(経済では統計など)は、法律の議論でも「間違ってる、正しい」という言葉を頻繁に使ってるがそれは当然だ。そうではなく、見解や解釈を述べる部分では、法律の議論で、「間違ってる、正しい」という言葉を使うことはまずない。経済の見解というのは、自分の理論とそれによる将来予測だろう。例えば、リフレ論(物価上昇率の目標を定める、一種のインフレターゲット論)の立場なら、そのリフレ論と、この理論に基づく政策をやれば日本経済はこうなるだろうという将来予測との2つが、見解の中身だ。これについて、神様でもないただの他人が「間違ってる、正しい」という言葉を使うのはおかしいと思う。「私は妥当でないと思う、妥当と考える」ということができるだけのはずだ。

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