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2010年2月15日 (月)

小沢不起訴に対する検察審査会への申立-「起訴相当」の議決はあり得ない!

前回の記事の追加です(タイトルを少し変えました)。

僕は「起訴相当」はたぶんないと思っています。

検察審査会では、議論の前か途中に「裁判所が選んだ審査補助者の弁護士」か裁判官から「起訴に必要な証拠」とは何かなどの説明を聞くそうです。

本件での「起訴に必要な証拠」とは、「小沢さんが虚偽記載について具体的に共謀か指示をした」という供述などですが、それは新聞報道では無いとされています。

検察は「今回は起訴するのに十分な証拠はあったが十二分な証拠が無かった」と報道では言ってるらしいですが、僕は、負け惜しみのハッタリに過ぎないと思います。

なぜなら、新聞報道での検察の「十分な証拠」とは、石川議員らの「収支報告書の概要(結論的な部分)を説明して了解を得た」という供述、4億円の銀行融資書類の小沢一郎の署名、水谷建設の元社長の供述、水谷建設の5千万円の会計資料などだけで、これだけでは、「虚偽記載の具体的な共謀・指示があったことの十分な証拠」とは、到底、言えないと思います。

一般に、「起訴相当」とは、検察が「起訴猶予」とかで起訴するかどうかの裁量権をもっている関係で、今回は起訴するだけの証拠があって起訴できるはずなのに、(政治的な配慮などから)起訴しないとした『検察の裁量』は不当だ、だから起訴すべきだというものです。

よって、少なくとも検察審査会のメンバーが弁護士の説明をちゃんと理解して論理的に考えれば、本件については「起訴できる十分な証拠」が今のところ無いのだから、起訴猶予(起訴できるが裁量により起訴しない)などの『検察の裁量』を問題にするレベルの話でないので、「起訴相当」(十分な証拠があるから起訴すべき)という議決にはならないはずと思います。

もし今回、検察審査会で、「起訴相当か」がどうかの議論をするなら、それは、「今回は証拠が十分にあって起訴できるのに、大物への政治的配慮から、不当な裁量で起訴を見送った(つまり、実質的な起訴猶予だった)のではないのか」という議論だけと思います。まぁ、このような政治的配慮など全く無かったことは、1年間も1人の政治家をストーカーのように付け回したこと、小沢排除が検察や霞ヶ関の利益に繋がっていたこと、「検察が小沢に敗北」とかマスコミに書かることを検察が極度に嫌がってること、などからも明らかでしょうが。

まして、「起訴できるだけの証拠がなくても、小沢は悪いヤツだ(と感じる)から、起訴すべきだ」という感情論だけのメチャクチャな議決は当然に在り得ないと思います。

なぜなら、「起訴できるだけの証拠」がないのに(悪いヤツだと感じるから、あるいは、政治的な責任を取らせるために=政治的な失脚をさせるために)起訴する」ことは、完全な人権侵害、冤罪に繋がる「公訴権の濫用」、憲法違反であり、絶対にしてはいけないこと、だからです。

他方、「不起訴不当」(安易に不起訴にするのは不当なので、さらに起訴できるだけの証拠を得るべく、検察は証拠収集に努力すべき)は、有り得ると思います。

しかし、それよりも、「検察はガチでここまでやってそれでも証拠が得られなかったのだから、これ以上やっても証拠は得られない可能性が高い(そもそも事実も無かった可能性も高い)、だから、もうこれ以上の証拠収集はしなくてよい、不起訴は相当(妥当)だ」という「不起訴相当」の議決が一番可能性が高いのでは、と個人的には思っています。

※コメントでの議論をいくつか追記としてまとめておこうと思いましたが、長くなりそうなので別エントリにします(2010/2/20)。

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雑談(政治関係)」カテゴリの記事

コメント

「十二分な証拠」じゃなくても「十分な証拠」で
十分なんだよと検察審査会が判断すれば
起訴相当なんですかねw

でもそう判断されたらされたで
検察も大変じゃないですかね。

十分な証拠で起訴に持ち込まなかったのはなぜなのか
改めて追求されてしまうような気がします。


というより、そもそもこのような制度は
なかなかひっくり返らないように出来てるんじゃないんですかね。

だって、そんなに簡単にひっくり返されるなら、
本職、いらないじゃんって話になるような気がします。

投稿: hikasu | 2010年2月15日 (月) 04時34分

hikasuさん
こんにちは

>「十二分な証拠」じゃなくても「十分な証拠」で十分なんだよと検察審査会が判断すれば起訴相当なんですかねw

論理的にはそのとおりですね。
僕も、「十分な証拠」があれば「十二分な証拠」がなくても起訴していいと思いますよ。まぁこれは言葉遊びのようなものですね。

だから、「十分な証拠」とは何か、が問題ですね。

あくまで僕の考えで間違ってるかもしれませんが、少なくとも今回、検察が言う「十分な証拠」があったというのはハッタリで、今ある証拠は実際は「5分くらいの証拠」だけだと思います。

だから、もし、これだけの証拠で起訴するのなら、冤罪に繋がる公訴権の濫用、憲法違反だと個人的には思います(本文を少し訂正しました)。

投稿: 寝たろう | 2010年2月15日 (月) 12時07分

寝たろうさん、こんにちは(いま16日10:30頃です)

まず、前提としてこの判断を不服とする者が、
誰かというのがありますよね。
検察の不起訴を不服とする人は一般的にいって、
数え切れないほどあると思います。
それなのに、今回の不起訴を取り上げて検察審査会で、
審査しようとすること自体、裁判所の恣意的なものを感じてしまいます。
検察といい、裁判所といい、信じられない存在になってしまった。
とりあえず、心あるひとたちがもう一度原点に返ってやり直さないといけない。
それを終えたら、また、新しい風を吹き込むって、その繰り返しを行わなければって思います。

投稿: xtc4241 | 2010年2月16日 (火) 10時41分

xtx4241さん
こんにちは

>それなのに、今回の不起訴を取り上げて検察審査会で、
審査しようとすること自体、裁判所の恣意的なものを感じてしまいます。

検察審査会への申立ては、告発した人だけしかできないんですかね。多分そうかなと思います。

検察審査会への申立てそのものは悪くないと思いますけどね。検察審査会のメンバーの選択が本当にクジで適正に行われているならばです(今は適正と思います)。

裁判所が(拘置期限の延長などで)検察の言いなりになってるのは是正してほしいですね。

投稿: 寝たろう | 2010年2月16日 (火) 11時05分

どうやら、また元福島県知事冤罪事件みたいに虚言王水谷と捏造したみたいですね。
ただし、石川氏の弁護側は受け渡したとされてる日は別の場所に居て証人もいるとアリバイ主張してるので捏造失敗に終わりそうです。
西松裁判に続き検察真っ青になる気がします。
小沢氏は無理でしょう、石川氏の自白だけなら上司と部下にある確認と報告だけですから。
恐らく収賄でやりたかったんだろうけれど小沢氏が白すぎて出なかったので無理でしょう

投稿: ひろ | 2010年2月16日 (火) 17時39分

ひろさん
コメントありがとうございます。

西松事件で無罪、村木元厚生労働省局長の事件も無罪、今回のでも無罪となりそうで、いよいよ検察は追い詰められて、今度の検察人事が見ものですね^^

投稿: 寝たろう | 2010年2月16日 (火) 19時50分

検察審査会への申立について・・・。

「起訴相当」を議決される~起訴しなかった検察の根性無し。素人さんは起訴できると思い込んでいるのだから、無罪と分かっていても、恥をかくのは覚悟の上で、「検察のプライド」で、起訴しなさいよ!~そういうイメージが私には浮かぶ。

「起訴相当」の議決せず~検察の証拠は、やっぱり「しょぼかった」のか!検察の目的は、やっぱり「小沢失脚」だったんだ~こんな感じのイメージが私には浮かぶ。

投稿: よく分からない | 2010年2月16日 (火) 23時06分

こんにちは
>「起訴相当」の議決せず~検察の証拠は、やっぱり「しょぼかった」のか!検察の目的は、やっぱり「小沢失脚」だったんだ~こんな感じのイメージが私には浮かぶ。

そうですね。僕もそういうイメージです。

投稿: 寝たろう | 2010年2月16日 (火) 23時14分

こんばんは。
やはり少し違う意見を持っています。

確かに検察が起訴する場合、「確実に有罪に持ち込めるだけの材料がある」のが事実上の基準といわれます。
ただ、検察審査会の議決はこのような検察の基準に従う必要は無いのではないでしょうか。
「この事件は検察の裁量でおしまいにするのではなく、公開の司法の場で事実を明らかにする必要がある」と判断すれば起訴相当の議決を出してもよいと思います。

もし、審査会が検察に証拠を開示させてみたら、ロクな証拠もない言いがかり捜査だったとかであれば、さすがに起訴する必要はありませんね。
でも、逆に起訴して「検察が持ってる証拠はこんなにしょぼかった!」というのが白日の下に晒されるのも愉快ではありますが。

投稿: なおとけ | 2010年2月17日 (水) 00時49分

なおとけさん
こんにちは

「起訴」がどういうものか、でしょうね。
僕は弁護士でないので、自信をもっていえませんし間違ってるかもしれません。

ただ、僕の考えでは、「起訴」は、有罪になるだけの証拠があるという確信の下でなくてはやってはいけないものだと思うんですね。それは一般人も政治家も同じです。政治家なら幹事長辞任などもありますね。
だから、「実験的に起訴してみよう」というような起訴は憲法違反だろうと思います。

だから、僕のような「起訴」の考え方からは、「起訴相当」とは、「有罪にできるだけの証拠がそろっているのに、そしてそれを検察も認識してるのに、検察の裁量で起訴しなかった事件について、そのような裁量はおかしいので、起訴すべきだ」という場合が原則で、ほとんどこれと思います。
例外的に「検察の証拠についの考え方がおかしい、この証拠で十分に有罪になる」という場合もあるかもしれませんが、実際はほとんどないでしょう。

つまり、「不起訴」が「(形式的には嫌疑不十分だとしても)実質的には起訴猶予によるもの」なのかどうかの判断、「有罪にするのに十分な証拠があるかどうか」の判断は、検察官と検察審査会(国民)との間で一致するべきだし、実際に一致するのがほとんどだと思っているのです。

なぜなら、証拠の判断は、結局、社会常識によるものなので、検察官、裁判官、国民でそんなに違わないはずだからです。

投稿: 寝たろう | 2010年2月17日 (水) 01時42分

しつこくてすみません。もう少しだけ議論させてください。

今の検察は「確実に有罪にできる事件だけを起訴する」スタイルで、ある意味優秀であるとは思いますが、本来は裁判所が判断すべき事柄を検察レベルで勝手に判断しているのではないかという懸念があります。

また、証拠に関する判断が違うからこそ、原告と被告と判事という3つの立場が成り立つのであり、検察審査会はさらに別の立場も取りえるのではないかと思います。

有罪になる確率が比較的低い事件での起訴が問題に思えるのは、社会が未成熟で推定無罪の概念が浸透していないからだと思います。
これこそが「裁判を受ける権利」を認めた憲法に反する状況なのではないでしょうか。

投稿: なおとけ | 2010年2月18日 (木) 22時47分

なおとけさん
こんにちは

3つの論点、なるほどですね。法律とかやってるのですか。
もっともと思います。ということは、僕の方が少し間違ってるのかもしれません。何せ、僕も大学は法学部を出ましたが、上に書いたことは書籍には当たっておらず、ほぼ自分の考えで書いてるので、妥当でない部分もたくさんあると思います。

>今の検察は「確実に有罪にできる事件だけを起訴する」スタイルで、ある意味優秀であるとは思いますが、本来は裁判所が判断すべき事柄を検察レベルで勝手に判断しているのではないかという懸念があります。

まぁ、国家権力と戦う個人の人生を考えると、「試しに起訴しよう」というのは止めて欲しいと思いますが、なおとけさんの意見ももっともと思います。

>また、証拠に関する判断が違うからこそ、原告と被告と判事という3つの立場が成り立つのであり、検察審査会はさらに別の立場も取りえるのではないかと思います。

それはありますが、証拠の判断が違う幅はそれほど(どれだけかは問題ですが)大きくないと思います。

>有罪になる確率が比較的低い事件での起訴が問題に思えるのは、社会が未成熟で推定無罪の概念が浸透していないからだと思います。これこそが「裁判を受ける権利」を認めた憲法に反する状況なのではないでしょうか。

確かにそうですね。昔は離婚が大事でしたが、今は軽いイベントみたくなってますね。そういう感じで、自己破産や起訴も軽いイベントになれば、「試しに起訴してみるか!」もアリと思います^^;

投稿: 寝たろう | 2010年2月19日 (金) 01時40分

おはようございます。
お付き合いいただきありがとうございました。
実はこの議論のほとんどはvideonews.comの宮台さんと神保さんの受け売りなんです。すみません。

気軽に起訴されてしまうのは社会的コストの観点でも問題というのは理解しています。
捜査内容、証拠以外に、社会的コストや被疑者が強要されるコストや事件そのものの可罰的違法性については十分理解したうえで議決していただく必要はあると思います。

投稿: なおとけ | 2010年2月19日 (金) 08時06分

なおとけさん
こんにちは
昨日コメントした件で後から考えたことがあるので追加します。

>また、証拠に関する判断が違うからこそ、原告と被告と判事という3つの立場が成り立つのであり、検察審査会はさらに別の立場も取りえるのではないかと思います。

証拠に関する判断は社会常識によるので、「個々人」で違うのはほとんどなくて、「立場・役割」で違う場合が多いと思います。つまり、Aという人が弁護士の役割で特定の殺人事件について無罪だと証拠を評価していた場合でも、その同じAさんが今日から検察官の役割をしなくてはならなくなったとき、その同じAさんは、検察官の立場から、同じ証拠を有罪と評価するようになると思います。
それは、Aさんの「個人」としての実力とか性格からくる違いではなく、「立場・役割」からくる証拠評価の違いだと思います。
そして、検察審査会のメンバーはみな、「検察官と同じ立場・役割」(検察官としてどう考えるべきかという立場・役割)に立つので、証拠の評価はほとんど変わらないだろうと思います。

>有罪になる確率が比較的低い事件での起訴が問題に思えるのは、社会が未成熟で推定無罪の概念が浸透していないからだと思います。これこそが「裁判を受ける権利」を認めた憲法に反する状況なのではないでしょうか。

裁判を受ける権利は、文献に当たってませんが、おそらく、刑罰を受けるためには必ず司法裁判所による裁判を経なくてはならない(個人が行政機関から恣意的に刑罰を受けることはない)、そういう権利だと思います。だから、「無罪をはっきりさせるための権利」ということではないと思います。無罪を裁判で主張したい場合は、マスコミなどを相手に民事訴訟をすればよいと思います。

投稿: 寝たろう | 2010年2月19日 (金) 10時25分

前の投稿で「裁判を受ける権利」に言及したのは、
「起訴されてまだ争っている段階なのに、実質的に刑事罰と同等かそれ以上の社会的制裁を受けるのは裁判の形骸化を意味するので、裁判を受ける権利を侵害しているのではないか」
という、受け売りではないただの素人考えからくるものです。

投稿: なおとけ | 2010年2月20日 (土) 00時48分

なおとけさん
こんにちは
>「起訴されてまだ争っている段階なのに、実質的に刑事罰と同等かそれ以上の社会的制裁を受けるのは裁判の形骸化を意味するので、裁判を受ける権利を侵害しているのではないか」

そうですね、確かに。
憲法は国家、特に立法と行政を縛るものなので、本来的には行政により直接に刑罰を受けない権利としての裁判を受ける権利があると思いますが、現代のマスコミは立派な権力の一つですね。
だから、マスコミからの攻撃を直接に受けて被害(実質的な刑罰)を受けるのは実質的な裁判の形骸化で、裁判を受ける権利を形骸化させるという考えはありえるでしょうね。最近の憲法の本にはあるかもしれません。

投稿: 寝たろう | 2010年2月20日 (土) 01時18分

個人発明家さん。
私より先に同じ内容を書かれていたのですね!驚きです。
若い時に法務の仕事をされていただけありますね。

≫議論の前か途中に弁護士か裁判官か

これは裁判所が選んだ審査補助者の弁護士です。裁判官はこの場には登場しません。

証拠の評価に関しては、検察と市民の判断が違う場合はおこりえます。明石花火大会歩道橋事件などがその一例です。ただ、起訴相当議決は11人中8人以上の賛成が必要ですから、『起訴相当議決』はマスコミが期待するほど簡単ではないのです。

投稿: 弁護士阪口徳雄の自由発言 | 2010年2月20日 (土) 09時39分

阪口徳雄先生
コメントありがとうございます。

>証拠の評価に関しては、検察と市民の判断が違う場合はおこりえます。明石花火大会歩道橋事件などがその一例です。

そうですね、確かに。
検察官という特殊な世界の人間と一般の国民とでは、社会常識が違うこともあり、その結果として証拠の評価が違うこともあるということですね(これは、裁判員制度でも、裁判官の常識と国民の常識は違うかもしれないといわれていることと同じ)。

ところで、この明石花火大会歩道橋事件は、事実関係を良く知らないんですが、警察署長という「検察の身内」が告発された事件なので、嫌疑不十分?で不起訴とされたとしても、「実質的な起訴猶予(起訴できたのに裁量で起訴しなかった)」だったという疑いがある場合ではないかと思いますが、どうでしょうか。

いろいろ考えますと、
①(起訴できる証拠はあるのに裁量で起訴しなかった)「形式的または実質的な起訴猶予」の場合と、
②検察官と一般国民との常識が違うために証拠評価に違いが出たのではないかと思われる場合と、
③検察や警察内部の身内が告発された、大物政治家であるなどの事情で捜査をまじめにやらなかった(そのために証拠が集まらなかった)のではないかと疑われる場合と、
が、「強制起訴」の議決をしてよい場合だということになるのかなと思います。

>ただ、起訴相当議決は11人中8人以上の賛成が必要ですから、『起訴相当議決』はマスコミが期待するほど簡単ではないのです。

僕もそう思いますし、ほとんどの法曹は、検察官を含めてそう思うのではないでしょうか。
それなのに、現役の検察官が(匿名かどうか忘れましたが)起訴相当の議決も十分ありえるなんて、本当はそう思っていないのに、そういう「政治的な」発言をマスコミを通じてしていることは許せないと思います。

役人は、市民に対しては「柔軟」であってよいとしても、政治との関係では「堅物」であるべきだと思います。

投稿: 寝たろう | 2010年2月20日 (土) 11時54分

植草 一秀の『知らぜらる真実』に小沢幹事長のことで、以前より記載されております。またそのリンク先にもデータがあります。ご参考にされたら如何でしょうか。
日米の核持込密約はないと日本ではされたが、アメリカの「公開文書」では既に密約ありとされているそうです。
同様に、アメリカで「公開文書」が、日本では公表されないことが多いそうです。何故なのか。
主流側の主張と少数派の主張を調査すべきでは。技術でも少数派から先進の技術がでてきたのです。ブログ東芝のワープロ日本語変換技術の発明者は誰なのか。ネットで出てきます。

投稿: 変人 | 2010年2月20日 (土) 21時31分

「個人発明家」さんの意見には賛成です。
検察と市民の意見にはそれほどの違いが生じることはあり得ない。
ある事実の直接の存否を証明する証拠がある場合の評価はだれでも同じです。

しかしその事実(今回では共謀=A)を直接証明できる証拠がない場合はその共謀事実を他の間接事実(B,C,D・・)から推認する方法を取ります。このB、C、Dの間接事実から「共謀=A」事実を認定できるとみる人と、否、それでは認定できないとみる人と、かなり各人によって違いが生じると思います。裁判官でも地裁は無罪で高裁は有罪と分かれるのはこの為です。

小沢幹事長が土地を買うカネを銀行から借りたと最初は言いながら今回は自分のタンス預金と変えた事実からでも、小沢は今回の虚偽記載を知っていたはずというような乱暴な主張をする無知な記者もいます。

このような知っていたはずという認定は刑事事件ではあまり意味がない。他方、普通の常識から見てもオカシイにも関わらず否認する人も沢山います。裁判官はこのような簡単に事実認定できるケースでも否認するケースを見ています。
その結果、本当は知らない場合でも、知っていたはずである=嘘を供述していると認定するケースもあります。

なお明石花火大会歩道橋事件は取り調べた証拠は同じでだと思います。しかしそれらの事実だけでは「過失」に該当しないと検察は評価したのに対して検査審査会は「過失」に該当すると判断したのではないかと思います。これは規範概念ですからなおさら見解に違いが生じます。


投稿: 弁護士阪口徳雄の自由発言 | 2010年2月20日 (土) 21時45分

変人さん
コメントありがとうございます。

>植草 一秀の『知らぜらる真実』

これちらのブログは最近あまり見ていなかったので、また見るようにしてみます。

投稿: 寝たろう | 2010年2月22日 (月) 20時19分

弁護士阪口徳雄の自由発言さん
コメントありがとうございます。

>このB、C、Dの間接事実から「共謀=A」事実を認定できるとみる人と、否、それでは認定できないとみる人と、かなり各人によって違いが生じると思います。裁判官でも地裁は無罪で高裁は有罪と分かれるのはこの為です。

確かに、そういう違いはあるんでしょうね。ただ、この違いはそれほど重要なのかという気持ちがあります(後述)。

やはり、検察官と国民とで大きく違ってくるのは、被疑者が国家権力側(与党や野党の政治家や検察・警察内部)の場合で、そのときこそ、検察審査会の起訴相当の議決の社会的意義があるんだろうと思います。明石花火大会歩道橋事件もこういう場合ですね。

なぜ、被疑者が国家権力側のときに国民の常識と大きく違ってくるかというと、検察官がもともと国家権力側にいて当事者側の気持ちにも立ってしまう(例えば自分の立身出世とかも関係してくる)ため、冷静な判断ができなくなるのだと思います。

それと、検察という閉じた社会にいることからの「国民の常識の違い」というのは、こういう、高いレベルの問題、つまり、捜査をどこまでやるか、起訴するかどうかの「方針」という高いレベル(政治的なレベル)でこそ、出てくると思います。

今回の小沢事件の「検察の暴走」を許した検察首脳の「常識」も、「捜査の方針」という政治的レベルの問題において、多くの国民の常識とかけ離れていたと思います。

他方、被疑者が国家権力側でない場合に、個々の事件における具体的な証拠の評価という技術的レベルにおいては、かりに国民の常識と違いがあっても、それは、「検察官aと他の検察官bとの違い」が100とすると「検察官aと国民bとの違い」も100くらいで、それほど問題にする価値があるのかという疑問があります。
また、仮に個々の事件における具体的証拠の評価という技術的レベルにおいて検察官と国民の常識がかなり違うとしても、政治家(野党を含む)とか検察官・警察官が被疑者になる場合ではない一般の刑事事件については、国民はそれほど関心を持たないでしょうから、あまり問題にならないと思います。

それよりも、国家権力側が被疑者になっている事件について、検察がどのような姿勢で捜査・起訴を判断したかを問うことこそが、検察審査会の社会的意義が問われると思います。

投稿: 寝たろう | 2010年2月22日 (月) 20時45分

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