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2010年3月11日 (木)

冤罪と国策捜査(大陪審と予備審問)

少し前の記事へのコメントに記した内容とその補足を、ここに記しておきます。

「検察の暴走」には2つあると思います。

(1)冤罪・・・「事実」が全くないのに、検察が事実を捏造する場合。菅谷さんや、今裁判になっている厚生労働省の元局長・村木さんの事件はこれと思います。

(2)国策捜査・・・問題となり得る「一応の事実」はあるのだが、それは法解釈によっては犯罪に該当しない可能性があるし、仮に該当するとしても極めて軽微なものなので他のケースと比較してもその事実だけで逮捕したり起訴するのは政治的思惑によるもので不当だと思われる場合。

佐藤優さん、鈴木宗男議員、三井環さん、小沢秘書の大久保さん、石川議員などはこれと思います。

(1)は裁判所がちゃんとやれば無罪判決がでるので、そこで歯止めが効く(検察は国民から非難される。また、詳しくないが、本来は必要なかった弁護士費用や拘置期間中の自由拘束に対する国家補償もあると思う。さらに、菅谷さんのように明確な冤罪事件なら、捜査・起訴は検察の故意又は過失による不法行為だったとして、法的な責任を追及する国家賠償請求訴訟をすれば勝てるだろう)。

しかし、(2)は、一応の事実はあるので、検察の「不法行為」とは言い難い(言うとしても、「法解釈が妥当でなかった」「政治的な思惑があったのでは」というような道義的・政治的な責任の追及しかできない。検察の法的な不法行為責任=国家賠償責任を追及することは難しい)。

(1)にしても(2)にしても、法務大臣の指揮権は使い難いので、これとは別の、「検察の暴走」、「検察の起訴権・公訴権の濫用」を防止する制度(検察による起訴をスクリーニングする制度)が必要と思います。例えば、次の(a)(b)など。

(a)米国が採用している大陪審(起訴陪審)・・・検察が正式起訴を行うためには、一般国民が選ばれて構成される大陪審での審理・決定が必要だとする制度。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%AA%E5%AF%A9

(b)英国が採用している予備審問・・・大陪審と同じことを一般国民ではなく裁判官がやる制度。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%82%99%E5%AF%A9%E5%95%8F

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2010年3月 6日 (土)

平成元年まで、記者クラブ以外は、法廷での傍聴人のメモは禁止されていた

昔は法廷の傍聴席の傍聴人はメモを禁止されていたらしい。

まさかと思って調べてみたら、今から21年前の平成元年の1989年3月8日の最高裁判決まで、禁止されていた。

「法廷メモ訴訟」に関するウィキペディアから引用。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%BB%B7%E3%83%A1%E3%83%A2%E8%A8%B4%E8%A8%9F

「最高裁は請求を退けたものの傍論で、メモを取る行為自体について、「故なく妨げられてはならない」、「メモを取る行為が法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それを制限又は禁止することも許されるが、そのような事態は通常はあり得ないから、特段の事由がない限り傍聴人の自由に任せるべき」と判示し、判決当日、全国のすべての裁判所が、掲示板からメモ禁止の表示を削除、以来、一般傍聴人のメモが事実上解禁されている。」

なぜ、こんな信じられないような規則を裁判所が定めていたのだろうか?

表向きの理由は「メモを取る行為が法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる」ということらしいが、上記のとおり、「そのような事態は通常はあり得ない」と最高裁判決も認めている。

真の理由は多分、記者クラブとの癒着、裁判所官僚による記者クラブへの便宜供与だろう。

当時は、記者クラブだけは傍聴席でメモを取ることが原則的に許可されていた。それ以外の者は特別の許可が必要で、許可がもらえなかった米国弁護士が起こした裁判が上記の「法廷メモ訴訟」だ。

記者クラブが記事を独占したい(あるいは記事の間違いを指摘・批判されないようにしたい)ので、フリージャーナリストや一般人がメモをとるのを妨害したかったのだろう。

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2010年3月 5日 (金)

山崎行太郎の郷原・元検事への批判について

評論家の山崎行太郎が、民主党からの参議員出馬を断って小沢は信用できないと発言した郷原・元検事を「国家論的思考がない」と批判してて、それが阿修羅で紹介されている。

http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/605.html

この阿修羅のコメントを半分くらいみたが、16のコメントに同感した。

16のコメントは次のように述べている。

「検察は佐藤優を全く恐れていなかったでしょうね。
彼がどんなに本質的なことや個別体験を語って検察の化けの皮を剥がしても、検察は恐くないんです。
「それはそれ。小沢疑惑は小沢疑惑」という方向で片付けることができるから。
検察が最も恐れたのは郷原の「法律論や捜査技術論」ですよ。
これが小沢の捜査の正当性を粉砕した。
石川議員逮捕以降、週刊朝日、ゲンダイ、フリージャーナリストが検察と全面戦争できたのは「法律論や捜査技術論」に基づいていたから。
「法律論や捜査技術論」とネットワークが検察とマスコミを追い込んだ。
歴史的な出来事ですよ。」

昨年3月からの西松事件や今年1月からの小沢事件で、陰謀論とか政権交代の意義とかの国家論・政治論的な視点、そういう「別の世界」から批判されても、検察が動揺することは全くなかったろう。

それは、医者に対して政治的におかしいと批判しても医者はなんとも思わないのと同じだ。「医学的におかしい」と批判すれば、目の色を変えるだろうが。プロとはそういうものだろう。

だから、検察は、「検察と同じ世界」である法律のプロの立場から「法律的にこれこれがおかしい」と法理論的に具体的に論証する郷原さんの存在に一番困ったと思う。そして、最近は一般の知的レベルが上がってるので、ネットやテレビで郷原さんが発信する緻密な法律論を、多くの人が理解し支持した。これは検察にとって想定外だったろう。

少なくとも山崎行太郎のいうような「小沢事件の政治的本質」を主張するだけでは、検察を追い込むことは絶対にできなかったろう。

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