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2010年3月 5日 (金)

山崎行太郎の郷原・元検事への批判について

評論家の山崎行太郎が、民主党からの参議員出馬を断って小沢は信用できないと発言した郷原・元検事を「国家論的思考がない」と批判してて、それが阿修羅で紹介されている。

http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/605.html

この阿修羅のコメントを半分くらいみたが、16のコメントに同感した。

16のコメントは次のように述べている。

「検察は佐藤優を全く恐れていなかったでしょうね。
彼がどんなに本質的なことや個別体験を語って検察の化けの皮を剥がしても、検察は恐くないんです。
「それはそれ。小沢疑惑は小沢疑惑」という方向で片付けることができるから。
検察が最も恐れたのは郷原の「法律論や捜査技術論」ですよ。
これが小沢の捜査の正当性を粉砕した。
石川議員逮捕以降、週刊朝日、ゲンダイ、フリージャーナリストが検察と全面戦争できたのは「法律論や捜査技術論」に基づいていたから。
「法律論や捜査技術論」とネットワークが検察とマスコミを追い込んだ。
歴史的な出来事ですよ。」

昨年3月からの西松事件や今年1月からの小沢事件で、陰謀論とか政権交代の意義とかの国家論・政治論的な視点、そういう「別の世界」から批判されても、検察が動揺することは全くなかったろう。

それは、医者に対して政治的におかしいと批判しても医者はなんとも思わないのと同じだ。「医学的におかしい」と批判すれば、目の色を変えるだろうが。プロとはそういうものだろう。

だから、検察は、「検察と同じ世界」である法律のプロの立場から「法律的にこれこれがおかしい」と法理論的に具体的に論証する郷原さんの存在に一番困ったと思う。そして、最近は一般の知的レベルが上がってるので、ネットやテレビで郷原さんが発信する緻密な法律論を、多くの人が理解し支持した。これは検察にとって想定外だったろう。

少なくとも山崎行太郎のいうような「小沢事件の政治的本質」を主張するだけでは、検察を追い込むことは絶対にできなかったろう。

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雑談(政治関係)」カテゴリの記事

コメント

三井環さんの件があるので、
郷原さんはなんで無事にいられるのか?と
思ってしまいます。

投稿: hikasu | 2010年3月 6日 (土) 00時19分

hikasuさん
こんらちは

三井さんや植草さんは、僕の予想ですけど、やっぱりそれなりの「事実」はあったんじゃないかと思います。事実が全くないのにやるのは検察でも難しいでしょう。
ただ、その「事実」で逮捕するのは他のとのバランスがとれないので「政治的だ」というのはあります。

今の厚生労働省の村木さんの場合は「事実」がないんですが、これは菅谷さんと同じ冤罪で、例外と思います。

郷原さんは検察にやられないように、違法駐車やスピード違反もしないように、毎日を送ってるんだろうと思いますよ。

投稿: 寝たろう | 2010年3月 6日 (土) 00時29分

おはようございます。(いま8日9:50頃です)

本文については全くの同感です。
でも、コメントに対する返事には違和感があります。
植草さんや三井さんの不当逮捕について、容認とも取れてしまう。
40キロ制限のところを50キロで走っていた人を摑まえた。
200キロで走っている人がいるのにも限らず。
そんなことは許してはいけないんですよね。
それが、自分と利害が反するのがミエミエのひとたちに対して、不当な容疑ですから・・・。
これでは検察国家になってしまいます。

投稿: xtc4241 | 2010年3月 8日 (月) 08時54分

xtc4241さん
おはようございます。

>40キロ制限のところを50キロで走っていた人を摑まえた。
200キロで走っている人がいるのにも限らず。
そんなことは許してはいけないんですよね。

確かに僕もそう思うんですよね。そういう「恣意的な逮捕・起訴」を政治的な思惑で行うのは許されない、と。

ただ、こういう「バランス論」は、純粋な法律論とまでは言えず「法律と政治の中間の議論」だと思います。
違法駐車で切符を切られてる人間が「何でオレだけが」と婦人警官に文句言っても「規則は規則ですから」と言われると仕方ないですよね。
検察も「何でオレだけが」と抗議しても「全てのケースを逮捕できないから一罰百戒でお前を逮捕するのだ」という言い訳は、少なくとも法律的には成り立ちます。

たとえ本音が政治的思惑で国策捜査であっても、形式的には法律論で片がつくわけです。
本音は政治的思惑だろうといっても、それを証明できなければ水掛け論で終わりますよね。

だから、検察や国税を批判している人たちは皆、検察と国税から目を付けられてるので、法律違反をしないよう日常的に気をつけてると思います。僕のようにあまり気をつけてない人間は匿名で批判した方がいいでしょうね^^;

投稿: 寝たろう | 2010年3月 8日 (月) 10時22分

こんにちは(いま11日pm2:25頃です)

>「全てのケースを逮捕できないから一罰百戒でお前を逮捕するのだ」という言い訳は、少なくとも法律的には成り立ちます。

「一罰百戒」の意味ですが、こいつが気に入らないから、逮捕する。というのは、政治的なことじゃないですか?
やはり、一罰は200キロで運転してるやつを逮捕するのが、法律的ないし正しい方法のような気がします。
それであれば、200キロはまずい。少なくとも100キロにはしようという自省が働きますから。

投稿: xtc4241 | 2010年3月11日 (木) 14時27分

xtc4241さん
こんにちは

>「一罰百戒」の意味ですが、こいつが気に入らないから、逮捕する。というのは、政治的なことじゃないですか?

それは僕もそう思いますよ。ただ、「何らかの事実」がある場合は、政治的だと非難しても今の制度では検察に対抗できないと思います。

検察の暴走には2つあると思います。
(1)冤罪・・・「事実」が全くないのに、検察が事実を捏造する場合。菅谷さんや今裁判している厚生労働省の村木さんはこれと思います。
(2)国策捜査・・・問題になる「事実」はあるのだが、それは法解釈によっては犯罪に該当しない可能性があるし仮に該当するとしても極めて軽微なものなのでそれで逮捕したり起訴するのは政治的思惑によるもので不当だと思われる場合。佐藤優さん、小沢秘書の大久保さん、石川議員などはこれと思います。

(1)にしても(2)にしても、検察の暴走を防ぐには、米国のように大陪審制度が必要かなと思います。

投稿: 寝たろう | 2010年3月11日 (木) 17時12分

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