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2010年4月30日 (金)

「検察官による起訴」と「検察審査会の議決による強制起訴」とは全く違う

TheJournal の郷原さんの寄稿から引用

「また、起訴、不起訴の判断に関して、検察の場合は黒という確証があったときに起訴するが、検審の判断は白か黒かを公開の法廷で明らかにすべきということで良いのではないかという考え方もあり得ます。刑事司法全体がそういうシステムに変わり、世の中もそれを前提にして動いていくのであれば、それはそれで悪いことじゃないと思います。そうなると、検察という組織がこれまで刑事司法で果たしてきた役割の大部分は失われます。今までの日本の刑事司法はそうじゃなかった。やはり検察が起訴ということに対して一定の責任を持っていたわけです。ですから、検察の判断というのが基本的に正しいという前提で刑事司法のシステムはできているんです。だから、検面調書というのは、その内容が法廷供述と相反したら情況的な保障だけで検面調書証拠能力がある。それは、検察官の面前では本当のことを話すけど法廷では嘘をつく、偽証をするということを刑事訴訟法の規定自体が前提にしているわけです。しかも、検事が立証しようとしていることをずっと否認し続ければいつまでも身柄が拘束できるという、国際的にもほとんど例のないような「人質司法」のシステム。これはみんな検察官のところで適正な捜査が行われ、検察官が適切な事実認定をするという前提で組み立てられているわけです。(中略)

ただ、もし検審の起訴相当2回で、検察審査会の議決の強制力で裁判にということであれば、これは検察の問題じゃないから、まだ捜査が裁判で続いているという考え方もできるかもしれないし、そういう方向に持っていくならそれはそれでいいかもしれないです。ただ、私はそうはあってほしくない。やはり、検察の役割をもっと日本の社会は重視すべきだと思っているし、やはり、検察が本当に適正な判断ができる捜査機関であれば、こんなことにはなっていないわけで。」

基本的には同感ですね。
今までは検察が「起訴するかどうか」という判断を裁判の前段階の判断として行ってて、そこで「99%有罪」と判断したものだけを起訴してたので、「起訴されたら議員辞職しろ」となっていた。

これに対して、検察審査会の起訴相当2回による強制起訴では、「検察官による99%有罪の判断」はないのだから、「起訴されたら議員辞職しろ」という主張は前提がなくなると思います。
それだけでなく、強制起訴によるときは、有罪かどうかはフィフティフィフティだから、裁判中も被告が差別なく日常生活を送れるように保障されるべきで、弁護士費用なども国庫でみるべきでしょう。

このように「検察官による99%有罪の判断の下での起訴」と「検察審査会による有罪かどうかはフィフティフィフティの強制起訴」との2つのルートができたので、マスコミや国民は、それぞれに対して別々の見方や対処をする必要があると思います。

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