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2011年6月 5日 (日)

再臨界の「可能性」と「危険性」って同じだろ?

http://www.j-cast.com/2011/05/23096305.html?p=1

再臨界の「可能性」と「危険性」 取り違えてしまった菅政権 2011/5/23 18:57

   「再臨界の可能性」と「再臨界の危険性」の違いがよく分かっていなかったみたいだ――原子力安全委員会班目春樹委員長は、細野豪志・首相補佐官をこう痛烈に皮肉った。「再臨界の危険性」を班目氏が「言った」とする細野氏と、「言わなかった」と否定する班目氏とで見解が真っ二つに割れていた。(中略) 

  同じ5月22日、班目氏は福山哲郎・官房副長官に文書の訂正を求めた。政府(対策室)は結局訂正に応じ、班目氏の発言内容は「再臨界の危険性がある」ではなく、「(再臨界の)可能性はゼロではない」だったことになった。

   班目氏の「聞かれた記憶はない」は記憶違いだったことになる一方で、政府側は「危険性と可能性の違いを理解できていませんでした」と認めた形で、双方の歩み寄りによる「手打ち」に見えなくもない。

上の記事の意味が全く分からない。

班目春樹委員長は「自分は再臨界の可能性がゼロではない(つまり、ある)といっただけなのに、政府が危険性があると誤解した」と言って威張っているようだが、「再臨界の可能性がゼロではない(=ある)」と「再臨界の危険性がある」って全く同じだろ?

まず、「ゼロではない」は「ある」と同じだ。

班目氏は、「ゼロではない」は「事実上ゼロ」という意味だと言っているようだが、「ゼロではない」は「ある」という意味であり、「事実上ゼロ」の意味だなんて日本語では全く通らない。「クロ」と言ったのを「シロ」の意味だと主張しているようなもので、自分の発言に全く責任を持っていないということであきれる。

次に、「危険性」と「可能性」は同じだ。

「危険性」とは、「可能性」に、その可能性を議論している対象が危険なことか良いことかの価値判断を入れただけのことで、「再臨界の可能性がある」と「再臨界の危険性がある」との違いは、「再臨界が良いことか悪いことか」の価値判断が入っているかどうかの違いに過ぎない。

こういう日本語も分からずに政府に助言して混乱させまくっている原子力安全委員会委員長には、即刻辞めてもらった方がいい。

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2011年6月 4日 (土)

久しぶりの更新

気が付くと6ヶ月ブログ更新を放置していました。

昨日の首相の不信任決議の騒ぎについていろいろTVでやってて、10年以上前の「加藤の乱」と同じだという意見を見ましたが、本当にそうだと思いました。

あの「加藤の乱」では、当時最も首相に近かった加藤氏に、首相の目がなくなった。

今回も小沢さんに首相の目がなくなったというか、大物政治家としての影響力は大きく減殺されたと思います。

この震災復興の大切な時期に、自分の政治的な思惑や焦りから不信任決議を仕掛けた小沢さんの判断には、多くの人が疑問と不信を持ったはずです。「加藤の乱」の加藤氏と同じですね。

リーダーがリーダー足りえるのは、多くの人がその人の判断に信頼感を持つからだと思います。

今回の小沢さんの判断を見ると、とても信頼なんかできない。多くの人がそう感じたのではないでしょうか。

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