カテゴリー「個人発明家」の6件の記事

2009年11月29日 (日)

米国で個人発明家支援サイトが人気

日経産業新聞(2009/11/25)で見た情報だけど、米国で個人発明家支援サイトが人気らしい。

エディソン・ネーションというサイト。

発明家からアイデアを募って、それを大手メーカーや大手小売店への橋渡し(ライセンス契約の仲介)をするらしい。

このサイトの運営会社は発明家支援のテレビ番組「Everyday Edisons」の制作もやっているらしい。

まぁ、この手のサイトは日本にも15年くらい前にあった。確か「発明スパーク」というサイトで、週刊ポストなど幾つかの雑誌で取り上げられていた。いつの間にか無くなっていた^^;

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2009年2月11日 (水)

ボタンをさがせ!

最近よく見てるchikirinの日記、昨日の記事にあったボタンをさがせのボタンとは、自分が考えていることを現実に反映させるためのツボという意味のボタンなのだが、それが何処かにあるのか、なかなか分からない。そういうことは多い。僕も、生活の中で自分でどうしたらと迷うことは多い。

ただ、仕事というか発明家になるということについては、迷うことは少ない(他に仕事はあるのだが)。

僕にとってのボタンとは、①発明と特許出願をやり、②特許をとって、③大企業とライセンス交渉や特許侵害訴訟をやることだ。それが、今の僕と現実社会とを繋ぐ扉のようなものだろう。

僕が本格的に発明とその特許出願をやり始めたのは今から12年前の1996年ごろ、僕が39歳のときだ。1996年から1999年ごろまでは、年20-30件のペースで出願していた。2000年ごろになるとペースも落ちて、内容も低調になったと思う。

当時の出願は審査請求期間が7年のため(今は3年)、7年ぎりぎりで審査請求したので、ちょうど2-3年前から今にかけて、特許になったり拒絶になったりの審査結果が出ている。特許になっても、1997年ごろの出願のものは、後、7-8年で特許切れになる(特許期間は出願日から20年なので)。

今は、特許は10件以上、出願中のものは数十件(この中で、拒絶査定になって不服審判請求しているものは10件以上)、拒絶・見做し取下などダメになったものは既に100件以上あるのかな。

今までをみると、1996年から1999年ごろまでが①の発明と出願の時期のピークだった。それから、2006年ごろから今年の2009年ごろまでが②の特許を取るという段階のピークだろう。今後、1-2年後には②の段階を過ぎて、③大企業とライセンス交渉や特許侵害訴訟をやるという段階になる。この③が一番大変そう。。。

まあ、今から、侵害訴訟などの勉強をやって準備していこうと思います。

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2009年1月 2日 (金)

ネットと特許は似ている

ネットと特許は似ている。

ネットは、地方の個人でも世界に発信したり繋がることができるという意味で個人の力を増強し最大化するためのものだろう。

特許の世界も、もともと、地方の中小企業や個人でも、一つの基本特許を武器に、世界を相手に、大企業とも対等に渡り合えることを可能にするものだ(法の下の平等)。

ネットも特許も、どちらも、個人の力を増強して、大企業と対等に戦うことを可能にしてくれるものだと思う。

まだネットが無かった頃でも、米国では、1980年代が特に輝いていたがその前後も含めて、レメルソンやカーンズなどの多くの個人発明家が大企業と対等に渡り合って莫大なライセンス料や損害賠償金を獲得していた。それは、1980年代の当時の彼らには、ネットという武器は無かったけど、「サブマリン特許」という武器があったからでもあるだろう(サブマリン特許は、当時の米国特許法の欠陥、例えば出願公開制度が無かったとか特許期間が特許成立から17年間だったなどの「欠陥」をついて生み出されたもので、出願から特許成立までを10数年以上わざと引き延ばして非公開状態のままにしておき、その発明の内容が大企業により実用化された後に突如として特許を成立させ公開させるというもので、実用化していた大企業はそのときにびっくりする訳だがもはや手の打ちようがないというものだった。だが、その後、米国特許法の改正により今は米国でも公開制度もあるし特許期間も出願日から20年となって、サブマリン特許が成立する余地は無くなった)。

だから、「サブマリン特許」という技が使えなくなった今の発明家は、米国でも当時の発明家よりも成功は難しいと言えるが、今はサブマリン特許の代わりにネットという武器がある。また、今は、パテント・トロールという、大企業と戦うだけの資金やノウハウを持っていない個人発明家たちから特許を買い取ってくれる企業も多く存在している(1980年代にも、当時はパテント・マフィアと呼ばれてたが、リファックス社などのパテント・トロールは存在していた)が、これも、1980年代の当時と比べたらプラス要因といえるだろう。まあ、パテント・トロールが個人発明家にとって本当にプラスになっているのかは、その特許の買取価格によるのだろうが。

日本では、このような個人発明家の成功例はほとんどない。少し前、松下昭さんという元大学教授がソニーとJR東日本を相手にスイカやエディが自らの電子マネー関連の特許を侵害しているとして数十億円の損害賠償等の訴訟をやっていたが、最近、敗訴している(平成19年(ワ)第21051号平成20年9月17日東京地裁判決)。

まあ、二股ソケットを発明した松下幸之助さんや木製人力織機を発明した豊田佐吉さんなどは、パナソニックやトヨタ・グループを創業したという意味で大成功しているが、これは発明家が事業をやって成功したという「エジソン型」で、純粋にライセンス料や損害賠償で大企業に勝ったという「レメルソン型」の成功例はほとんどないと思う。

理論的には、ネット社会になって、日本でも、そして地方の個人や中小企業でも、基本特許を手に入れられれば、それを武器に、大企業と対等に渡り合って契約交渉や訴訟を通じて多額のライセンス料や損害賠償金を獲得するという「レメルソン型」の成功は可能なはずだ。その理論を現実に適用して実現してみたい、というのが今の僕の目標だ。

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2008年7月21日 (月)

拒絶理由通知と拒絶査定で大変

今、特許庁から、拒絶理由通知が9件と拒絶査定が3件、同時期にきてて、大変です。

拒絶理由通知の9件の中、7件は、互いに関連の出願でして、それを審査官は一度に拒絶理由通知を送ってくるのですね。この7件の拒絶理由通知の中身は、80%コピペでした。

しかし、今ほかのことも手一杯で、今月下旬の期限には間に合わないので、期間延長申請をして1か月の応答期間(補正書・意見書を提出する期間)の延長を申請するしかない、という状況です。1件当たり2,100円かかるので、7件だと14,700円というのは痛いです。

拒絶査定の方は期間延長はないので、不服審判請求のみは拒絶査定から30日内の期限内にやって、補正は審判請求から30日以内、理由補充は2-3ヶ月くらい遅れてもOKらしいので、後回しでいいようです。

それにしても、不服審判請求は請求項1個の最低でも55,000円かかり、請求項1個増えるごとに5,500円プラスというのは高すぎると思います。拒絶査定が正当なものなら仕方ないですが、中には不当としか思えない拒絶査定もありますので、そのために出願人側が印紙代を負担するのはおかしいと常々感じています。不当な拒絶査定であると判明した後に、「不当な拒絶査定により、もともと支払う必要の無かった印紙代を、支払わざるを得なくなった」として国家賠償請求も可能かもしれませんが、訴訟をするには額が小さすぎます。

出願審査請求も高いですね。こちらは、可能ならば(自営か会社の場合)、研究開発費を売上げの3%以上確保するようにして、その上で、減免申請をして出願審査請求を半額にするのがベターでしょうね。

このように、弁理士費用が高いのは別としても(僕は明細書は自分でやっています)、印紙代もバカになりません。特許庁は独立会計で、今、金は余っているようで、その金を使うために、いろんな研究会などを立ち上げてはいろんな施策をどんどんやっているという面もあるようです。

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2008年4月12日 (土)

ドジ力=発明力?

自分の経験からは、雑でドジで抜けてる面があればあるほど、また、周りからアイツは何をするか分からんから大事な仕事は任せられないと見られているときほど、発明がどんどん湧いてくるということがあります。

昔の僕はそうでした。子供の頃から。付き合う友達は皆、優等生とは正反対の似たもの同士という感じで、中学校時代は、掃除はさぼるわ、遅刻はするわ、放課後の合唱練習もさぼるわ、雑でズボラでチャランポランで無責任という感じで過ごしていた。成績はまあまあだったが、僕がクラス委員なんてとんでもないという感じだった。僕も含めて親しい奴らは皆、拘束されるのが嫌で「学校嫌い」という感じだけど、気の合う仲間が居たから、結構、楽しかった。

このように、中学時代の友人たちは、皆、適当で良い加減な奴らばかりだったけど、あいつらとは不思議とすごく気が合った。高校からは、エリートっぽい人たちが進む進学校に行ってしまったので、最初の頃は、なかなか気の会うヤツに出会えなくて苦労した。徐々に出会ったが。

その傾向は、20歳代でサラリーマンをしてた頃も続いてて、上司や同僚は「アイツはドジで抜けてる、何をするか分からんから大事な仕事は任せられない(仕事はある程度はできるのだが)」と思われてたと思う。上司と衝突することも多かった。

また、30歳代で独立してからも、しばらくは、この性格が少しは続いていた。しかし、独立して、やはり「顧客の信頼」を得なければ、とやってるうちに、この性格は徐々に無くなっていった。今の僕の顧客はみな、僕のことを「ミスをしない、ソツのないタイプ」の人間だと思っていると思う。

このように変わったのは、独立したためだけでなく、時代が、「ミスが致命傷になる、デジタル時代」になったためもあると思う。アナログ時代とは違って、パソコンで金額の数字を一桁違って入力しただけで会社が倒産することもある時代は、「ミスをしない」性格にならなければ、やっていけない。進化論よろしく、僕も、そういう時代の変化に適応したのだろう。また、「ソツのない」の性格にしても、取引先にだまされて仕事や生活を失わないためには、顧客から仕事をもらうためには、必要なことだ。僕のことを「根っからのエリート」だと見ている顧客もいるのかもしれない。

しかし、困ったことに、そういう性格やタイプになってから、発明を思い付かなくなった。昔なら、発明がどんどんと自然に湧いてくる感じだったのが、無くなった。

大発明をするためには、「飛躍」できる人(「見る前に跳べ」というタイプ)、世間体などを捨てて「捨て身」になれる人、「カオス」(無秩序・混沌)と「熱狂」(狂気)を内部に抱えてて「不安定」な人、である必要があると思う。

要するに、発明は、ハチャメチャで不安定な人生から生まれるもので、秩序ある安定した人生からは生まれないものなのだろう。

今の僕は「秩序を大事にする安定した常識人で、つまらない大人」なのだろう。だから、発明が出なくなった。

昔の性格に戻るべきなのか、戻れるのか? どうすべきか? 今の僕の課題である。

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2008年4月 3日 (木)

発明を武器に世の中に切り込む

今まで、発明は趣味で金を使いながらやってきました。それで、この15年くらいは、つつましく、静かに固く大人しい人生を送ってきました。でないと、発明がそうとうの金を使うので、生活できません。

でも、この15年くらいで、特許出願が数十件以上となって、そろそろ、これらの発明を武器に、世の中に挑んでみたい、「人生の冒険」「日常生活の冒険」(大江健三郎)に乗り出してみたい、と思うようになりました。

僕の挑戦が、ただのドン・キホーテで終わるのか、少しは世の中に足跡か爪跡を残すことができるのか、どちらにせよ、その記録を残しておきたいと思い、遅ればせながらブログを始めました。

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