カテゴリー「発明家人生」の6件の記事

2009年1月21日 (水)

異端の役割

Chikirinさんが下のようなマトリクスを示して「日本に起業家が少ない理由」を分析してて、面白いなと感じた。

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僕は昔から下側の人間で、意味が無いと感じることを続けるのが我慢できない方だったし、組織も向いてなかったから、そうだよなあと思った。中学校から、学校でもクラブ活動しないで(いったんは何かに入るが1-3ヶ月後に退部というパターン)、ずっと帰宅部。まあ、バカ話する友達は同じ帰宅部に何人かいて楽しかった。

高校時代は何かいつもふてくされてて全く勉強しなかったので、2年の終わりには最下位から5番目まで成績が下がった。それで、これはいかんと思って3年から勉強を始めたけど間に合わなくて浪人、でも、予備校は合わないというか、これ以上、教室での集団生活は嫌だと思って自宅で宅浪。当時Z会と双璧だったオリオンの通信添削のお世話になった。

その後も、25歳のときは1年間、実家でニートを経験した。今から25年以上前のことで、当時はニートなどの言葉もない時代だし、田舎だったので、結構、世間体は気になったような。でも、結構、遊びに出てたけど。ちょうど、そのニートだったとき、高校の同窓会があって行こうかどうか少し迷ったが行った。皆、僕のことは知っていたが。その後、就職して、転職して、35歳から独立して自営、という流れで、ここまで来た。

自分の経験からも、組織を離れてやろうとすればリスクがあるので、僕のようなもともと組織では無理という人間(この場合は能力は普通以下でもよい)か、ある程度のパワーを持った経営能力のある人間かでないと難しいと思う。

僕のようにもともと組織は無理という人間は、それしか道がないから、自営とかになってうまく行かなくても、何とか、ほそぼそとでもいいから、そのままやろうとする。だけど、組織でもやっていけるという人は、自営とか経営がうまく発展して行かなければ(ほそぼそとはやっていけるとしても)、組織に戻った方がよいということになると思う。

確かに、世の中をオペレーションしているのは組織であり、NTTとか郵便局とか役所とか、大組織がないと、社会は回っていかない。だから、組織から離れた個人(自営業者だけでなく、ニート、フリーターもこの中に入る)や小集団は、社会のアダ花というか、社会の周縁、異端の位置にある。なお、ここで「自営=異端」というのはずっとそのままほそぼそとした自営というケースであり、大組織を目指すベンチャーは「異端」ではない(最初は異端でもそのうち主流になる存在という意味)。ベンチャーの経営者などは、もともと、大組織でも十分やっていける人でなくてはうまく行かないことが多いのではと思う。

上で、組織を離れた個人(自営、ニート、フリーター)や小集団は社会の周縁に位置する異端に過ぎないと書いたが、そういう「社会のアダ花」ともいうべき異端にも、社会の中で、それなりの役割はあると思う。料理でいえば、ステーキなどの主材(これは大組織)にはなれないが、香辛料のような役割だ。

そういう異端の役割の一つに、社会や時代を動かす「触媒」という役割があると思う。大組織は恐竜と同じでなかなか時代や環境の変化を感じ取りにくいので、異端である個人や小集団がいち早くその時代や環境の変化に気づいて、「触媒」となって、社会を「刺激」して行き、やがて大組織もその時代や環境の変化に気づいてそれに合わせて少しずつ変わって行き、社会全体のオペレーションも変わって行く、という流れだ。僕が目指す発明家も、そういう役割をもっていると思う。

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2008年10月30日 (木)

発明は必要の母・必要は発明の母

栗原潔さんのブログ、よく見ているのですが、「発明は必要の母」というタイトルの記事が出てました。

その中から引用(元ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一さんの言葉らしい)。

「(発明は必要の母だというのは)イノベーションは最初の発明者が想定したのとは違う方向に進むことが多いからだ。蒸気機関は最初は炭鉱用のポンプとして生まれ、長い間交通機関には使われておらず、エジソンは録音技術をボイスメモとしか捉えておらず、音楽産業を想像できなかった。つまり発明は予測の範疇を超える。」

普通は「必要は発明の母」だけど、発明は「必要の母」つまり「発明の母の母」になる、ということだ。

これは、基礎科学の分野、大発明・大発見を見ると、当然だね。アインシュタインの相対性理論など革新的な理論が発表されると世界中の人々が触発されてあちこちで議論が沸き起こって新しい理論が次々に生まれたみたいな。

コンピュータの発明も、最初は数学者のチューリングが設計した計算モデル(チューリング機械)から始まったけど、トランジスタの発明と半導体の発明が結婚してコンピュータに適用されて小型で高速のコンピュータになって、徐々に通信の世界(インターネット)やロボットの世界まで進出してきた。

本当の科学者は「何のため」なんか考えないで「ただ面白いから」という好奇心だけで突き進む。本当の大発明はニーズなんかすっとばして、そのニーズは数百年掛けて徐々に多様に生まれていく、そして、その次々と生まれるニーズのためにその大発明が数百年掛けて使われていく。

これに対して、僕のような普通のレベルの発明家や通常の企業の研究者や開発者がやる発明は、まずニーズをつかまえてそれを解決するために何とかひねり出すというだけで、大発明のような雄大なロマンや発展性はない。一つのニーズを解決したらそれで終わりという単発の発明だ。

もう一度生まれてきたら、今のようなチマチマした発明ではなく、一生に一つだけでもいいから、大発明をやれるような人間になってみたい。

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2008年8月24日 (日)

ズボンをはいた雲

大学に行っていた頃は、ド田舎から東京に出てきて、将来は何か大きなことをやる人間になりたいと思っていた。それで、その頃から30歳ごろまでは「成功するための・・・の方法」というようなハウツウ本や雑誌の記事をたくさん読んでいた。

大江健三郎の「日常生活の冒険」という小説を読んだのは大学生のころで、その中に、哲学と冒険が好きなのだが自堕落で今でいうフリーターのような生活をしている青年に、主人公が「こんな生活してて将来どうするつもりなんだ」と聞いたとき、その青年が、マヤコーフスキイの「ズボンをはいた雲」という詩をそらんじて「オレは自分は将来何か新しいことをいかにもオレらしくやるだろうという予感があるんだ。だから、今はその時を待ってるのさ」と言う場面がある。この「ズボンをはいた雲」という詩はずっと僕のお気に入りだった。

「ズボンをはいた雲」

ぼくの精神には一筋の白髪もないし、年寄り臭い優しさもない!

世界を声の力で撃ち砕き、僕は進む、美男子で、二十二歳。

自分が何者か分からないとき、自分が何者かになりたいと思うときは、友人と議論したりいろんな本を読んだりして人生観を確立したいと思うし、いろんなハウツウを見に付けて他人より抜きん出たいと思う。まさに、「ズボンをはいた雲」だ。

僕はここ10数年、「成功するための・・・の方法」というようなハウツウ本は全く読んだことがない。本屋で平積みされてても手にしたことも無い。今でも、「成功するための・・・の方法」というようなハウツウ本(勝間さんなど)は良くベストセラーになっているので、読者は多いのだろう。あんなのは、カーネギーの頃など昔からのものを定期的に焼き直して出しているだけのものが多いのだと思うが。

今の僕は、よく言えば、人生観はそれなりに持っているのだろうし、ノウハウやハウツウも自分なりにこれでいいと思っている。パソコンでの資料の整理法など自分の不得意な分野は今でもハウツウの記事を読んだりはするが、それ以外はまず読まない。速読が良いと言われて若い頃はトライしたこともあるが、ダメで、ずっと遅読のタイプで、本を読む冊数は少ないと思うが、このままで良いと思っている。メモ帳とかは30歳ごろからずっと手作りの手帳(といっても市販の手帳を少し改良するだけ。まあ、これも一つの発明だろう)を使ってて、今もずっとこれだ。僕のメモ帳は独自のもので、メモ帳についてはいろんな本などが出ているが、僕の手作りのメモ帳のようなものは全く紹介されていない(いつか記事にしたいと思う)。

悪く言えば変化や成長が止まってしまったのかもしれない。しかし、そうでもないだろう。自分なりの方法論とやりたいことが既にあって、今はそれを実行している段階なのだと思う。

方法論といっても、まず情報を収集して、それを元に戦略を立てて(最悪のシナリオを含む複数のシナリオを考えて)、リスクをとって行動する、という当たり前の方法論だ。

今は、この方法論で、自分の人生の中でやりたいこと、当面は、個人発明家という自分の関心のあることをビジネスに繋げることができるかどうか、実験しているところなのだと思う。

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2008年6月 3日 (火)

「肥溜め」の思い出

「肥だめ絶賛、循環型社会ヒントは江戸時代 環境白書
政府は3日、08年度の「環境・循環型社会白書」を閣議決定した。白書では、江戸時代の社会システムを検証。特に「肥だめ」の効用についてほぼ1ページを割いて詳細に解説した。し尿は放置しておくと悪臭ばかりか感染症の源にもなる。しかし、し尿を肥だめに入れておくと嫌気性細菌の代謝作用で、安全な肥料として安定化された。こうして都市住民のし尿が肥料として農村に運ばれ、その肥料でつくられた作物が都市で消費されており、白書は「まさに循環型社会を構築していた」と絶賛している。 」

上の「肥溜めの循環型社会に学べ」というasahi.comの記事(リンク先は既に無い)を見て思い出した。

「肥溜め」には、懐かしい思い出がある。

僕が生まれ育った田舎には、田圃や畑の畦道の側など、いたるところに、肥溜めがあった。僕の実家も周りもほとんどが兼業農家で、肥溜めから肥料を汲んで畑にまくことなどいつもやっていた。

それで、僕が通った中学校では、裏に大きな山があった。中学校3年の春、その裏山で火事があった。朝、歴史の先生が教室に飛んできて、「お前ら、みんな、火事を消しに行け!」と叫んだので、皆が走っていった。僕も田圃の間の畦道を皆と走ったが、途中で片足を何かに突っ込んで転んだ。よくみると肥溜めだった。片足がスッポリと肥溜めに突っ込んでいた。火消しの手伝いは全くできなかったというか、それどころではなく、どうしようか、途方に暮れた。

友達の中には笑っているヤツが多かったが、一人だけ、Kという親友がいて、そいつだけは側にいて親身に心配してくれた。でも、体操服などの着替えもなく、田舎者なので、家に帰るという智恵もなくて、校舎の横の水道で片足をズボンごと適当に洗っただけで、そのまま授業に出た。肥溜めは堆肥化していたので、ほとんど臭くなかった。ただ、運の悪いことに、その日は、ちょうど4月のクラス写真を撮る日で、ズボンは黒色で分からないのだが、運動靴は白色が片方だけ肥溜めの色になっていた。隣に座った女の子が嫌そうに僕から離れるように斜めになっていて、そのクラス写真は今も手元にある。まあ、これは有名な話で、中学校のほとんどの同級生はまだ覚えているだろう。

あの頃の僕は、こういう風に、全くドジなヤツで、周りからもそう思われていた。でも、それが、発明家としての才能の元になっているような気がする。つまり、うまくいえないが、ドジということは、世の中や周囲にうまく適応できないということであり、それは発明の原動力になるような気がするのである。

また、田舎の自然に囲まれて(人工的な刺激に惑わされないで)、のんびりと平凡に育ったこと、本が好きだったことなども、発明を生み出すために最も大切な「想像力」(創造力ではない)を育てるのに役立ったのではないかと思う。

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2008年5月 1日 (木)

ノラ犬人生

自分の人生を振り返って、ノラ犬人生だったし、これからもそうだろう、と思います。別に悪い意味ではありません。こういうのが、自分の性に合っているのです。

カッコよく言えば、昔から群れるのが嫌いな一匹狼です。でも、一匹狼なんて、そんなにカッコよくないので、ノラ犬で十分です。立派な組織の中枢に居座るのは苦手です。暖かい檻の中よりも、風雨に晒されても、野に放たれて自由にやってるのが性に合っています。

花でも、花壇や鉢などで大切に育てられている立派な花は苦手です。散歩の途中に道端や田圃の畦道で見かけるような、ひっそり人知れず咲いている野の草花の方に惹かれます。

人間でもそうで、勲章には全く興味がなく、逆に、講演会などの講師の略歴に黄綬褒章受賞などと書いてあると、そういうことに拘って略歴に書いてるということは、自分とは感性が違う人なのだろうなと、ちょっと引いてしまいます。

まあ、発明家には、こういう、ノラ犬(というか一匹狼)タイプの人が結構多いのではないでしょうか?僕はそう感じます。僕は、もう半世紀、こうやって生きてきました。こういう風が気持ちいいので、これからも、こうして生きていくつもりです。

話は違いますが、「一匹狼」というのは、狼の世界で本当にいるようです。少し前に見たNHKの「ダーウィンは見た」という番組でやってました。

狼は、普段は家族・親戚などのグループで群れて協力しあって生活していますが、あるとき、その中の若い狼がプラッと一人旅に出ることがあるようです。どういう理由か、自分の嫁さんを探すためか、それとも別の目的か、特に目的はないのか、よく分かりません。ただ、プラッと一人で群れから離れます。そして、一匹で旅をしながら生きていきます。

そのテレビの番組もそうでした。オスの若い狼でしたが、そういう、プラッと出て行くのはオスが多いのでしょうか。でも、一匹だけで生きていくのは大変で、例えば獲物の狩をしているとそこを縄張りにしている他の狼の群れに見つかってボコボコにされて死んでしまったり、食べ物が無くて餓死してしまったりと、かなりの危険を伴います。

そのテレビの番組でも、その若い一匹狼が狩をしているとき、そこを縄張りにしている他の狼の群れに襲われて、やられて、ほうほうのていで逃げてました。でも、そのとき、何を思ったのか、その群れの中にいた一匹の若いメスの狼が、その狼の後を追って付いていくのです。そして、2匹は夫婦になりました。そこで、その一匹狼の旅は終わりました。2匹は子供を生んで、自分の家族を作るのです。一つの家族という「群れ」の誕生です。すごく印象に残った番組でした。

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2008年4月25日 (金)

Stay Hungry. Stay Foolish.

You Tube で、ふと、アップルCEOのスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(2005年)を聞いてみました。英語の聞き取りは苦手ですが、最後のところだけは、すごくゆっくり言ってるのでどんなにヘタでも分かります。

Stay Hungry.  Stay Foolish. (ハングリーであれ、バカであれ)

以前の「ドジ力=発明力?」でも書きましたが、僕は、少なくとも、若い頃は、hunglyでfoolishだったと思います。あしたのジョーやがんばれ元気などのボクシング漫画が好きで、ボクシングの試合を見るのも好きで、中学のときは自分で米を入れる袋(家は兼業農家でした)に砂を入れてサンドバックみたいなのを作って、庭の木に吊るして叩いてました(ケンカは弱いので全くしなかった)。ボクシングのハングリー精神が大好きでした。享楽が嫌いでした。今はそうでもない。

バカでもあった。若い頃、酒に酔っ払って、タクシーに乗ってそのまま眠りこけて、タクシーの運ちゃんに道端に放られて(全く覚えてないが、多分)、知らない人の家の玄関の前の道に転がってました。朝、自分で起きました。運が悪ければ、車に轢かれていたでしょう。

それが、今は、おそらく仕事の関係かどうか、「ソツのない、緻密な人間」に一時的にでしょうが、なってしまった。これは、「堕落」というべきなのか。

最近は、全く発明が浮かばないようになってしまいました。でも、当面は、新たな発明はしなくても、今までの(10年くらい前からの)発明の出願(数十件が特許庁に係属中)の特許化、それらの特許をネタにしての企業との交渉や裁判などが忙しいので、発明が出てこないのは、まあ、そちらに集中できるという意味で好都合なのかもしれませんね。

でも、多分、今の僕は「本当の僕」ではない。いつか、また、あの頃に戻らなければならない、「本当の自分」を取り戻さなければ、と思っています。そうすれば、また、あの頃の、本当の自分、発明家人生を再開できるでしょう。

Stay Hungry.  Stay Foolish.

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