カテゴリー「雑談(政治関係)」の125件の記事

2009年11月14日 (土)

市橋容疑者を通報した建設会社が取引停止に合っているらしい

あるブログから知ったのだけど、「通報があだになった。 08年8月19日から09年10月11日に姿を消すまで、約1年2か月間、市橋容疑者を雇っていた建設会社。警察へ通報後、市橋容疑者が勤めていたことが知られるようになり、取引先数社から契約を完全に打ち切られた。」ということになっているらしい(Yahoo!ニュースより。末尾に引用)。

このYahoo!ニュースでは、市橋容疑者を雇っていた建設会社が顧客先から取引停止にあってるが、通報というせっかくの正しい行為が「アダになった」、という論調で、この建設会社に同情的だ。

でも、顧客が取引停止をしている理由は「通報したから」ではなく、「指名手配犯を確認しないで雇っていたから」だよね(従業員管理の問題)。これは、かなり正当な理由では。顧客からみると、依頼した業者の従業員の中に指名手配犯が居るかもと思うとかなり怖いと思うけど(例えば、建築業者なら、顧客の自宅の中に入ってもらって工事したりする)。

この点で、昨年のNHK特番「たった一人の反乱」(昨夏放送されたNHK特番「たったひとりの反乱」が「印象にあった」という。主要取引先である雪印食品の牛肉偽装を、内部告発した兵庫・西宮市の冷蔵倉庫会社「西宮冷蔵」の水谷洋一社長が、告発後に取引先を相次いで失うなどして休業し、再建するまでを描いた内容)で取り上げられた西宮冷蔵の水島洋一社長の場合とは少し違うのでは。

西宮冷蔵の場合は、「顧客の違法行為を通報したから」他の顧客から取引停止された。顧客が取引停止した理由は「通報したから」というもので、これは、取引停止の理由として正当性はないだろう。西宮冷蔵には取引停止になるような非は無かったと思う(顧客が違法行為をしていても顧客を警察に通報しないのが倉庫会社の義務だと仮定すれば、それを守らなかったという点で非はあるんだろうけど、西宮冷蔵を取引停止にした顧客はそこまでは考えていなかったと思う)。

まぁ、それと、今回の建設会社の場合、もし自分から通報しなかったら、いずれ週刊誌などで話題になってたはずで、そうなったらもっとマイナスだったろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

以下、Yahoo!ニュースより引用。

逃走中市橋容疑者雇い、仕事逃げた…大阪の建設会社 通報があだ
11月14日8時1分配信 スポーツ報知

 英国籍の英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者(30)が、逃亡中に住み込み勤務していたと公開写真を見て気付き、警察に通報した大阪府茨木市の建設会社が、取引先から相次いで契約を打ち切られていることが13日、分かった。建設会社関係者によると「社員の身元もきちんと調べない会社とは、取引できない」として契約を解除されることが続いたという。一方、千葉地裁は同日、この日も食事を口にしていない市橋容疑者の拘置を、22日まで認める決定をした。

 通報があだになった。 08年8月19日から09年10月11日に姿を消すまで、約1年2か月間、市橋容疑者を雇っていた建設会社。警察へ通報後、市橋容疑者が勤めていたことが知られるようになり、取引先数社から契約を完全に打ち切られた。ほかにも、一時的な取引中止や、新規契約交渉が難航する例もあったという。

 ただ、同社社長は「殺人犯(容疑は死体遺棄)を雇っていたということですから。結果論ですからね」と、ひょうひょうと受け止めている。社長は「通報すれば、取引停止の可能性があることは頭にあった。事前に話し合ったが、社会人の義務として通報した」ときっぱり。事業に支障が出るのでは、と社員たちと話し合った結果、決断した。

 契約打ち切りの一方、エールもあるという。社長は「『ようやった』と言ってくれるお得意さんもいる。『これからも仕事、頼むわ』とね」と明かし、より深い信頼関係を築けたケースも出ている。警察官からも「市橋(容疑者)がここで働いた金で整形したことが、整形外科医による通報を促し、逮捕につながった。犯罪人を雇っていたといわれるかもしれないが、気にすることはない」と励まされたという。また、捜査関係者は「取材活動の影響を受けたのかどうか、事態がよく分からないが、われわれが通報者を守り切れていないことは反省している」と述べ、遺憾の意を示した。

 社員らと話し合った際、社長には、昨夏放送されたNHK特番「たったひとりの反乱」が「印象にあった」という。主要取引先である雪印食品の牛肉偽装を、内部告発した兵庫・西宮市の冷蔵倉庫会社「西宮冷蔵」の水谷洋一社長が、告発後に取引先を相次いで失うなどして休業し、再建するまでを描いた内容だ。

 水谷社長を取り上げ、12日に放送された、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」も見たという建設会社社長は、「通報してよかったと思ってます。全然、後悔していない。建設業界自体も厳しい環境にあるが、頑張ります」と力強く笑った。」(太字は当ブログ)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年11月12日 (木)

21世紀の日本は脱自民党から始まって脱詐欺・脱宗教の時代へ?

勝間和代さんによる管直人副総理へのリフレ論のプレゼンに対する批判に関連して、池田信夫氏が書いたルサンチマンの力というエントリのコメント欄の中に、池田氏自身による興味深い一文がある。以下に引用(「ルサンチマン」の意味については、このエントリの一部を、末尾に引用しておく)。

20世紀はよくも悪くもマルクスの時代だったけど、21世紀はニーチェの「来るべき200年」の後半になるような気がします。ニヒリズムは、ニーチェの時代には彼ひとりの思想だったけど、20世紀後半にはインテリの常識となり、21世紀には先進国の大衆の常識になるでしょう。」(太字は当ブログによる)

マルクス主義は一種の宗教だったので、20世紀はマルクス主義を含む宗教の時代だったといえるだろう。宗教は一種のマインドコントロール=詐欺なので、その意味では、20世紀は、多くの大衆が詐欺にひっ掛かっていた時代だとも言えるだろう。その詐欺の一つに、自民党政治もあった。

21世紀になっても、まだオレオレ詐欺などは多い。今の「勝間和代ブーム」も、一種の新興宗教現象だろう。

でも、日本では、21世紀に入って9年目にやっと、過去60年間、国民を騙して壮大な「詐欺政治」を行っていた自民党政権が倒れて民主党政権になった。

多くの国民は、自民党の詐欺や欺瞞を見抜き、国民を騙さないで正直にやろうという姿勢をもつ政党だと感じたからこそ、民主党を選んだのだと思う。それには、ネット上の議論が大きな役目を果たした。

ニーチェは読んだことないけど、多分、ニヒリズムというのは、神とかで自分の人生をごまかさないで自分に正直に向き合え、ということだろう。そうすれば、詐欺や悪徳政治家からつけ込まれて騙されたり、宗教に引きずり込まれてマインドコントロールされることも少なくなるのではないだろうか。もちろん、心の平安を求めるという意味での宗教はずっと続いて行くだろうけど。

以下は、池田氏の上記エントリの「ルサンチマン」の部分の引用(太字は当ブログによる)。

・・・斎藤氏も指摘するように、社会変革と自己啓発は逆のベクトルをもつ心の動きである。前者は社会の現状を変えようとする外向きの動きだが、後者は現状を所与として「がんばれば報われる」と考える内向きの動きである。

この二つの動きを駆動している心理は何だろうか。私は、ニーチェのルサンチマンという
概念が似合うと思う。これは社会的弱者が抱く恨みや劣等感のような屈折した感情で、それが社会への攻撃に向かうと共産主義のような運動になり、内側に向かうとキリスト教のような宗教になる。乱暴にいうと、キリスト教は貧しい人々のルサンチマンに偽りの救済を売り込む史上最大の自己啓発運動だ、というのが晩年のニーチェの主張だ。キリスト教の与える「人生の意味」は偽りだから、その神学をつきつめると「人生に意味はない」というニヒリズムにたどりつかざるをえない。

・・・というニーチェの予言は現実のものとなりつつあるが、こういう自覚をもつのは、実は一部の知識層だけだ。大部分の民衆は、2000年前のキリスト教徒と同じように「貧しい者も努力すれば救われる」と信じて、何かにすがろうとするので、「生き方」本は同じようなことを書いても売れ続け、自己啓発セミナーや新宗教は次々に出てくる

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年11月11日 (水)

経済学と法律学

最近の勝間和代さんに対する批判など、池田信夫氏のブログなどを見ててよく感じることは、他人の主張に対して「間違いだ」という言葉を安易に頻繁に使っていることだ。経済学者には、こういう言葉の使い方が多いのだろうか。

そのような「間違ってる」という言葉で書かれた批判を読むと、そのときは、「間違ってる」と指弾された主張やそれを主張している人に対して、「とんでもない奴だ!」という気がしてしまうのだが、その後で、他の人(経済評論家や経済学者など)からは「いや、間違ってない、正しい」とも主張されて、どっちなんだ、という感じになる。

「間違ってる」とか「正しい」とかの「激しい言葉」が経済の議論を混乱させていると思う。「激しい言葉」を使っていると、内容から離れて感情的にもなってしまうので損だろう。

法律の世界では、「間違いだ」という言葉は、論理的に矛盾している場合を除いて、まず使わない。「どちらも正しい、どちらも理論的には成り立ち得る」ことを前提として、「どちらがより妥当か、どちらがより妥当でないか」を問題にするし、「(より)妥当だ」とか「(より)妥当でない」という言い方で議論する(判決では、妥当でないという意味で「失当である」なんて言葉がよく使われている。まぁ、これはこれで普通の人は使わないおかしな言い方で、ちゃんと「妥当でない」と言えばいいのにと思うけど)。

経済の議論の仕方は、法律に比べて、かなり幼稚というか遅れてると思う。

追記:法律も経済も、まず過去及び現在の事実認定をして、それを前提に自分の見解や解釈を立論するというのは、議論の構造として同じだろう。この事実認定の部分(経済では統計など)は、法律の議論でも「間違ってる、正しい」という言葉を頻繁に使ってるがそれは当然だ。そうではなく、見解や解釈を述べる部分では、法律の議論で、「間違ってる、正しい」という言葉を使うことはまずない。経済の見解というのは、自分の理論とそれによる将来予測だろう。例えば、リフレ論(物価上昇率の目標を定める、一種のインフレターゲット論)の立場なら、そのリフレ論と、この理論に基づく政策をやれば日本経済はこうなるだろうという将来予測との2つが、見解の中身だ。これについて、神様でもないただの他人が「間違ってる、正しい」という言葉を使うのはおかしいと思う。「私は妥当でないと思う、妥当と考える」ということができるだけのはずだ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

池田信夫氏が勝間和代バブル消滅を主張

管副総理に行ったという勝間和代さんのプレゼン内容に、池田信夫氏がブログで批判をしている。

僕は経済はさっぱりだが、読んだ限りでは池田氏の論旨の方がしっかりしていると感じる(他のことでは池田氏の意見には反対のことが多いんだけど)。

勝間さんのプレゼン資料を見ると、ド素人の僕から見ても疑問がある。例えば、この資料の最後の8ページに「円高は内需拡大に全く貢献しない」とあるが、本当にそうなのか? 円高か円安かの国全体への影響はプラマイゼロのはずだ。輸出振興の点では円高は製品の輸出価格の増加をもたらしてマイナスになるだろうが、その逆に内需拡大の点では円高は原材料や製品の輸入価格の低下をもたらし庶民の購買力が増加するからプラスになるのでは?(違うかな?) 他にもいろいろあるが、とにかく、いくら何でもこの資料はちょっとひどすぎると思う。

勝間さんの本がベストセラーになったりカツマー現象があったりしても、それはスピリチュアルと同じレベルで世間で騒いでるだけなら問題ない。

でも、それが政府の政策に影響を及ぼすのはまずい。いったい、誰が勝間さんを管副総理への教育係に指名したのだろうか? これは問題だと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2009年11月 5日 (木)

憲法解釈の変更もマニフェストに入れるべきでは?

内閣官房長官が憲法解釈とその変更について、内閣法制局長官の意見にかかわらずに政治主導でやると言っていた。

しかし、法解釈には「文言を外れない無理でない解釈」と「文言を少し外れるような無理な解釈」があるが、どちらも可能な解釈で、要するに法解釈は融通無碍で、ある意味、その解釈者の都合や好みでどうにでもできるものだ。

歴代の内閣法制局長官は、プロの立場から、文言を外れた無理な解釈はしないという方針でやっていたと思う。それが、政治家が解釈するようになると、どんな解釈もありになってしまう。しかも、その解釈は、安保政策などの高度に政治的な問題については統治行為論という考え方により裁判所のチェックが及ばない(裁判所が自粛して判断しない)ので、もし内閣が「無理な憲法解釈」で「暴走」したら、次の選挙までは誰も止められなくなってしまう。

だから、まぁ、今の鳩山政権なら大丈夫と思うが、少し前の安倍内閣のような「暴走」する内閣が出来たときはすごく不安な面はある。

だから、憲法解釈の変更も重要な政策の変更と同じと考えて、選挙でのマニフェストに入れて、それで選挙に勝って始めてその憲法解釈の変更をする、という手順をとるべきだと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年11月 4日 (水)

NHKの解説委員も成長戦略に疑問を提示

昨日(2009/11/3)の午前中にNHKの解説委員など数名が議論してる番組を途中から一部だけ見た。

その中で、1人が、民主党の「直接給付」の政策について、従来の自民党政権は企業を支援してその企業が潤えばその下の労働者も潤うという前提で企業に補助金などを出す間接支援をやってきたが、今は企業が利益を出しても多くの労働者の給料は増えないし貧しくなっているから、間接支援の前提が崩れた。だから、直接給付の政策は時代の要請だというようなことを言っていた。これに対する異論は出ていなかった。

また、同じ文脈だけど、民主党に成長戦略がないという批判があることについて、「そもそも何のための成長なのか」が問題だ、と指摘していた。つまり、企業が繁栄してGDPが成長しても、「企業が利益を出しても多くの労働者の給料は増えないし貧しくなる」とすれば、成長しても意味がないのではないか、そういうことに国民の税金を使っても意味がないのではないかという指摘が出ていた。これに対する反論も特に出てなかった。

要は、グローバル化によって、「成長戦略の意味」ががらりと変わったということだ。グローバル化の前は、企業の繁栄はそのまま従業員の給与アップ・豊かさに繋がった。しかし、グローバル化された以降は、企業は新興国などとの競争に晒されるので、利益を出してもその利益を従業員の給与にまわすことができない(従業員の給与にまわすと人件費が高くなって競争に負けてしまう)。だから、企業と労働者との利益が一致しなくなった。

こうした傾向は、今後、中国などとFTAを結んで行けばますます拍車がかかるだろう。

実は、サッチャーやレーガンが新自由主義的政策を進めて成功したのはグローバル化以前だったからだ。グローバル化された後に新自由主義的政策を単純に実施すると多くの国民が大打撃を受ける。それなのに、小泉・竹中は、そういうことを考えないまま単純に新自由主義的政策を進めたため、日本では、格差、ワーキングプア、ホームレスなどの問題が続出して、こういう悲惨な状況になってしまった。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月31日 (土)

JALは破産処理しかないのでは?

2009/10/28付け毎日新聞よりJAL再建問題の記事を引用。

・・・だが、現段階ではOBは引き下げに反発しており、もし同意が取り付けられなければ、事態の深刻さは増す。企業年金は賃金の後払いの性格があるため、受給権は強力に保護されている。法的整理の場合も、強制的に減額が可能なのは破産だけで、民事再生法や会社更生法では減額されない可能性が高い。また、企業年金の解散は、確定給付型に移行した日航では事実上困難。こうした事情から、政府内の一部には年金受給額を強制減額する特別立法を模索する動きもあるが、財産権の侵害になりかねないため慎重論が強い。 一方で、日航再建のために公的資金投入を判断する財務省と、債権放棄やつなぎ融資を求められる銀行団は、年金削減への圧力を強めている。藤井裕久財務相は「世間の良識ある方に答えられることをしなければだめだ」と語り、ある取引銀行幹部も「税金を年金支給に充ててはいけない」とする。日航を所管する前原国交相は難しい判断を迫られることになる。」(太字は当ブログによる)

まず、上の記事で政府の一部が検討しているという「年金受給額を強制減額する特別立法」は、上の記事にあるように、財産権を侵害する憲法違反の法律を作ることになるので、無理だろう。

そして、日航OBの年金減額が公的資金投入の前提だというのなら、また、上の記事の「企業年金は賃金の後払いの性格があるため、受給権は強力に保護されている。法的整理の場合も、強制的に減額が可能なのは破産だけで、民事再生法や会社更生法では減額されない可能性が高い」というのが本当ならば、破産処理しか無いというのが論理的な帰結だろう。

JALを破産処理しても、特に問題はないと思う(そもそもJALは今の時点で実質2,500億円の債務超過だとされている)。破産処理したくない人たちは、今までの経緯からのしがらみや責任逃れなどの思惑があるのではないだろうか。

前原大臣は、「飛行機が飛ばなくなったら大変だ」と言って法的整理はできないと言っているようだ。しかし、僕は破産法制は詳しくないけども、破産処理しても、飛行機を飛ばすことはできるはずだ。

まず、破産すれば、裁判所の監督の下、そのときの破産財産でそれまでの債権の全てを清算することになるから、銀行などが持つ債権もその破産財産から配分された範囲内で清算されるし、企業OBの年金もその破産財産から年金のために配分された範囲内で清算される(実際には、破産財産から年金のために配分された分を財団法人か何かに移して長期的に運用することになるのではないだろうか)。

破産・清算になれば、JALの法人格そのものが無くなる(消滅する)から、企業OBとの年金の契約や従業員との雇用契約はパーになるし、株券もパー、貯めてたマイルもパーだ(マイルだけは、後の新生JALが営業政策から事実上引き継ぐことも?)。

一方、これと並行して、新生のJALという新しい法人を設立し(資本金は政府やその他民間企業が出資)、破産した法人(前のJAL)の破産管財人または清算人から飛行機などの機材やJALの商標などを時価で購入し、失職した従業員たちと新たな雇用契約を結んで雇用し、各地の飛行場と新たな使用契約を結ぶなどすれば、飛行機を飛ばすことができる。

その間の数日間くらい、事務手続などの問題で飛行機が飛ばなくなることもあるかもしれないが、もしそうなっても、それくらいは止むを得ないだろう。新生JALならば、前のJALのOBやその年金問題とはもはや一切関係なくなるので、公的資金投入の前提が整うということだ。

ブログランキングへブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2009年10月20日 (火)

日経も成長戦略を放棄?

経団連を応援してる日経は、以前から、民主党の政策を、「(内需振興による成長戦略はあっても)大手輸出企業(大手メーカー)=経団連主要企業のための成長戦略がない」と非難してきた。

しかし、昨日(2009/10/19)付けの日経新聞では、この従来の主張を放棄するかのような記事が書かれていた。

「第6部 危機からのニッポン再生1 量産工場が消える日」というタイトルの特集記事(参考)なのだが、国を捨てて世界と一体化した企業の例として、IBMとネスレを出していた。IBMは2002年から2007年の6年間に世界で7万人の雇用を増やしたが、そのほとんどの6.8万人はインドIBMの採用で、米国では逆に、2006年から2008年にかけて1.2万人の雇用を減らした。IBMは米国から離れて世界と一体化することによって成長を果たした。食品のネスレも、世界で28.3万人を雇用しているが、スイスの本社の人員はわずか1,600人というように、スイスとは離れて、世界と一体化して成長している。

一方、GMは、「GMにとって良いことは米国にとっても良いこと」と公言して、国内の雇用を守り、米国と一体化する道を歩んできた。そのせいで、今年6月、経営破綻し日本の民事再生法にあたる米連邦破産法の適用を申請した。

このように、グローバル化の結果、大手メーカーの利益と国益・国民益は一致しなくなった。企業がこれからも成長を続けるためには、少なくとも潰れないで生き残るためには、国家のくびきから離れて世界と一体化するしかないのでは。日本企業もIBMやネスレのように世界で生きるのか、GMのように日本で生きるのか、選択を迫られる、というのが、この日経の特集記事の主張だった。

この日経の主張を推し進めれば、経団連の大手メーカーのために国費を拠出することが日本の国益・国民益に繋がる訳ではない、大手メーカーに対しては、むしろ日本と「離婚」することを容認して自由に世界と一体化してもらう方が大手メーカーの成長・生き残りにとってプラス、ということだ。

グローバル化により大手メーカーの利益と国益・国民益が一致しなくなった今、国益・国民益に繋がらない国内大手メーカー(経団連主要企業)のための成長戦略に国費を投じることは、「税金の無駄遣い」になるのでやらない方がよい、というのが、上記の日経記事からの論理的帰結だろう。

民主党政権としては、むしろ、大手メーカーのための成長戦略ではなく、これから大手メーカーがIBMやネスレなどのようにどんどん世界と一体化していく(日本から出て行く)ようになったとき、日本はどうなるのか、どうすべきか、という見通しと対策を考えていくべきだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2009年10月18日 (日)

検察から政治資金規正法違反の捜査権限を奪う方策?

昨日(2009/10/17)付けの朝日新聞に出ていたが、民主党の小沢幹事長が公職選挙法の改正に関連して、「欧米諸国の独立型選挙委員会をモデルとする日本版選挙委員会」を検討しているようだ(参考)。

英国と米国では、政府から独立した「選挙委員会」が準司法機関として選挙運動の監視や政治資金の情報公開を行っているようだ。

もし、この独立委員会に、公職選挙法違反の監視(捜査)権限だけでなく、政治資金規正法違反の監視(捜査)権限をも持たせるようにすれば、検察は、時の政権の意思を忖度して総選挙前に野党党首を国策捜査で失脚させるなどの行動が採れなくなる。

まぁ、小沢幹事長がここまで考えているのかどうか分からないが、もしこの独立委員会にこのような監視(捜査)権限まで持たせるようにすれば、「法務省所属の検察庁の組織改革」をしなくても、検察から政治資金規正法違反の捜査権限を引き剥がすことができる訳で、これはかなりうまい手ではないかと思った。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2009年10月13日 (火)

朝日新聞などマスコミの内部でも政権交代?

僕は朝日新聞を取っているのだが、最近、僕だけかもしれないが、政治欄で、星浩の記事が少なくなったと感じる。

その代わり、政治欄では、薬師寺克行とか、その他、今まで余り知らなかった名前の人の記事が多い。

おそらく、星浩とかは、今年5月に麻生太郎と会食したりしていたように、自民党と太いパイプを持っていたが、自民の野党転落でその価値が無くなった。だから、出番が少なくなったのでは?  2~3日前(2009/10/10)の朝日新聞では、僕としては久しぶりという感じで星浩の記事を見たが、それは、死亡した自民党の中川昭一・元財務相の関係の記事だった!?

まぁ、そういうことで、おそらく、朝日新聞を初めとしてマスコミの内部でも政権交代が既に始まっているのだろう。だから、星浩などは、総選挙前に、あれだけ、民主党を攻撃して自民党を支援していたのだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月12日 (月)

自民党が見えていないもの

昨日(2009/10/11)の朝日新聞で、ザ・アールの奥谷禮子が、自民党について、「この半世紀、ほとんどの政権を担ってきた自民党は慢心の病にかかっている。症状は、時代の空気がまったく読めない。グローバル化が進み、中国やインドなどが台頭する激しい競争の時代に・・・」(太字は当ブログによる)と書いて、自民党は安倍内閣から止まった小泉竹中改革路線に戻って小さな政府を目指せ、と論を展開していた。

奥谷さんが「自民党が見えなくなった時代の空気」というのは、要するに、グローバル化での競争激化の状況のことで、それが見えていないから、自民は大敗し病の中にある、というのが奥谷さんの見立てだ。

しかし、グローバル化での競争激化は、経団連と二人三脚の自民党には、よく見えていたばすだ。

だから、自民党が見えていなかったのは、「時代の空気」ではなく、小泉改革で疲弊した「国民の生活と国民の気持ち」だろう。もちろん、奥谷さんなど、新自由主義者にも見えていない。

もっとも、リベラルの民主党への対抗軸としては、小さな政府、新自由主義はまだ有効だろう。しばらくは無理でも、10年後くらいには、また出番がやってくるのでは。それまでに、自民党は、今回の小泉改革の弊害の反省を踏まえて、新自由主義とその弊害を無くすための政策をトータルで練っておけばよいのでは。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年10月 9日 (金)

マスコミ報道に電通の影

メルマガの「大前研一 ニュースの視点」に、マスコミ報道の歪みには電通の影があるという指摘があった。以下に一部引用。

▼ 正しい情勢認識をすれば、最初から東京はなかった
 ------------------------------------------

結果論としてリオデジャネイロには勝てなかったけれど東京も頑張った、というのが日本のマスコミの論調ですが、私はこの意見に賛同できません。

100億円以上の税金を無駄にしたという批判以上に、築地・勝どき・晴海といった東京都にとって重要な土地をオリンピック用地という理由で今まで有効活用できない状態にしておいたことが罪深いことだと思うからです。

に言わせれば、そもそも立候補すること事態、今の東京都の立場からすれば優先順位が違います。オリンピックのようなイベントで一時的に盛り上げるのではなく、日々「人・企業・情報」が集まってくるような、毎日を活性化するような街づくりを考えることが、今の東京に必要なことだからです。(中略)

このような状況で、なぜ東京にとって重要な土地を無駄にしたという事実をマスコミが糾弾しないのか? 私は非常に残念です。おそらく殆どのマスコミは電通への配慮から、表立ってオリンピック招致への反対意見を述べにくいのだと思います。電波に大きな影響力を持つ電通とあらゆる利権構造が背景に見え隠れしているからです。

現代は、間違った圧力のかかった情報にまみれています。今回の件について言えば、最初から東京には勝ち目は殆どなく、「期待できる」などと言うべきではなかったと思います。

日々私たちが接する情報、特にテレビから発信される情報には注意するべきです。それらを鵜呑みにすることなく、正しい情報と状況認識ができるように心がけてもらいたいと思います。

これは、総選挙前にしばしば指摘されていたことだ。

自公政権は、政府広報のCMを民放に値切らない正規の値段で発注するという大スポンサーだった。これに対して、民主党は無駄遣い防止でCMを出さないだろうから、もし政権交代が起きると、民放や新聞は何億か何十億の損失と言われていた。このことだけからみても、民放が政権交代を阻止したがってたことが窺える。

マスコミの論調には常にその裏を考えることが必要なのだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年10月 7日 (水)

経団連に責任があるとする亀井発言は的を得ているのでは

asahi.comで見たが、最近の親族間の犯罪の増加などの社会の風潮に関する大企業と経団連の責任についての亀井大臣の発言(次の通り)が波紋を広げているらしい。以下はasahi.comより引用。

 「(大企業は)従業員を正社員からパートや派遣労働に切り替え、安く使えればいいということをやってきた。人間を、自分たちが利益を得るための道具としか考えないような風潮があり、社会の風潮もそうなる。人間関係がばらばらになり、家族という助け合いの核も崩壊していっちゃう。改革と称する極端な市場原理、市場主義が始まって以来、家族の崩壊、家族間の殺し合いが増えてきた。そういう風潮をつくったという意味で、(経団連に)責任があると言った」(6日、閣議後の記者会見で)

亀井氏が「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったら、御手洗会長は「私どもの責任ですか」と答えたという。

波紋はあるとしても、亀井発言は、 的を得ていると思う。

人間をただの道具として扱い、個人の尊厳を貶める経営を行った結果として、社会にそういう風潮を作り出したという意味では。

ネットゲリラに一覧表(以下に引用)が出てたけど、ここ数年、大企業は利益を配当や内部留保に入れ込むだけで従業員給与は下がるばかりだった。ワーキング・プアが増えるはずだ。

平成11年度比の増減、資本金10億以上の企業。
配当は中間配当含まず
          企業配当    従業員給与
平成12年度     +470億     +1983億
平成13年度    -2221億      -619億
平成14年度    +4701億   -2兆1114億
平成15年度  +1兆6054億   -2兆2475億
平成16年度  +1兆6130億   -2兆2880億
平成17年度  +4兆2457億   -2兆833億
平成18年度  +6兆4260億   -1兆4435億
平成19年度  +4兆5706億   -8兆7967億

  合 計   +18兆7560億  -18兆8341億

亀井さんは、多くの国民の感覚をきちんと受け止めている人だと思った。

自民党議員や新自由主義者の池田信夫などは、そういう多くの国民の感覚とズレているし、そのことに気が付いてさえもいなかった。例えば、8/30の総選挙での民主圧勝・自民大敗の結果に対して、これらの人たちが「びっくりした、驚いた」というようなズレた感想を述べていたのは、それを証明するものだろう(僕なんかにとっては、当たり前の結果で全く驚くことではなかったのだけど)。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年10月 3日 (土)

裁判員制度と民主主義と自由主義

東京新聞の2009/9/21付け記事より引用。

でも、問いたい。刑事裁判を、行政の官僚主導と同じ文脈で語ってよいのか、本当に裁判は民主的であるべきなのか。従来の裁判は、多数意見が優先される民主主義でなく、自由主義的であるがゆえに「あいつはクロ(シロ)」という世論の大合唱を無視して無罪(有罪)判決を出せる。国民が裁判権を握るべきは、刑事裁判でなく、行政責任を問う裁判の方だ。

上記は、落合洋司・元検事のブログの記事で知った。

確かに、裁判は民主主義の多数決の横暴に対する「個人の最後の砦」という役割がある。その裁判が「民主主義」(=多数の裁判員)に支配されるのは問題といえば問題だろう。

だから、この記事が言っているように、刑事裁判だけでなく行政訴訟にこそ、裁判員制度を導入すべきだろう。また、官僚である検察にこそ、裁判員制度のような民主主義的制度を貫徹すべきだろう(今も検察審査会があるが、これをもっと拡充すべだろう)。

裁判の話に戻るけど、裁判に民主主義的要素を導入すること(=裁判員制度)は、今までの日本からみると確かに必要だったと思う。

裁判員制度の参考とされた米国の「陪審制」は、歴史的には、「権力の濫用に対する防御壁(不正なあるいは熱心すぎる検察官や、検察官に迎合的なあるいは偏った裁判官に対する防御壁)」として位置付けられていた(ウィキペディアより)。

つまり、民主主義の理念は「人民の、人民による、人民のための統治」というものだが、この中の「人民による」という部分は、「自分たちのことは自分たち自身(自分たちの代表である議員を含む)で決めるべきだ、たとえその決定内容がレベルの低いものになるとしても、またその結果が失敗に終わってしまうようなものになるとしても、『自分たち又は自分たちの代表』ではない者(=官僚や職業裁判官)に決めてもらうよりはましだ」という考え方を示している。そして、この考え方を司法にも貫徹したのが米国の陪審制だった。

これに対して、今までの日本の司法制度は、「自分たちのことを、自分たちの代表ではない(選挙で選んだのではない)職業裁判官に決めてもらう、自分たちが決めるよりも、司法試験に合格した優秀な職業裁判官や官僚(=お上)に任せた方が、より内容が高度で正しい決定をしてもらえる」という考え方に基づくものであり、上記の「人民による統治」とは逆の考え方に基づくものだった。

だから、今回の裁判員制度の導入は、裁判についても「人民による統治」という民主主義の理念を貫通させるもので、とても意義があると思う。

だから、要は、その「多数決の横暴」の面を持つ民主主義的要素(裁判員制度)と自由主義(少数者である個人の自由や人権の救済)との兼ね合いだと思う。その点からは、今の裁判員の数は多すぎるので、これを職業裁判官の数と同じくらいにする方がよいのかも。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月28日 (月)

経団連の自業自得

株式日記の記事「自民党が野党に転落した原因を作った御手洗経団連は責任を取るべきだ。」からJANJANの記事「経団連も自民党と一緒に「下野」ならぬ「出直し」を」(以下に一部引用)を見たけど、今の経団連に嫌悪感を抱いてるのは僕だけではないと実感した。

調子に乗りすぎた「自業自得」

 それにしても、経団連を代表してくれていた自民党政権をつぶしたのは他でもない経団連幹部ではないでしょうか?

 すなわち、経団連が調子に乗りすぎて自民党と一体化してしまった。そして、日本経済全体ではなく『一部大手企業の利益団体』に堕してしまった。そのつけが今回っているだけではないでしょうか?

経団連を代表する大手製造業や金融業の奥田、御手洗、宮内(オリックス)などは調子に乗りすぎていた。今も、小泉改革に加担した財界人が日本郵政の取締役をやってるが、早めの交代を望みたい。

最近のマスコミは、政権交代前からの自民党寄りの主張とつじつまを合わせるためか、民主党に対してマニフェストの実現には拘らないで柔軟に変更すべきと盛んに主張している。

でも、民主党はそういう意見に乗ってマニフェストを破ると、直ぐに国民からの支持を失うだろう。民主は、ここはマスコミの意見には乗らないで、とにかくマニフェストを(一部の修正はいいけど)実現するために突っ走るべきと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月21日 (月)

新自由主義者の日本改造計画?

池田信夫さんによるアゴラでの記事「『地域間格差』はもっと拡大すべきだ」は次のように主張している。

・・・人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。

(中略)比較優位から考えても、農業や在来型製造業から知識集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前で、成長率を高める上でも、知的労働者を都市に集中しないと国際的な都市間競争には勝てません。過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうがいい。

このような都市化によって、古きよき日本のコミュニティが崩壊して伝統が失われるという批判もあるでしょう。しかし戦後60年以上の間に、日本の総人口の90%以上は入れ替わり、国土もすっかり姿を変えました。いま伝統と称されているのは、国宝や文化財を除けば、たかだか明治以降にできた習慣にすぎない。それを守ろうとするのは自由ですが、そういう趣味の領域に国家が補助金を出す必要はありません

ハイエクもいったように、伝統とは多くの場合、既得権の別名にすぎない。都市化によってそれが失われることを恐れているのは、地方公務員と政治家だけです。そして1票の価値に大きな差のある選挙制度が、島根県民の一人あたり公共投資が東京都民の2倍に達する「逆格差」を生んでいます。今後は高度化するインフラ整備はコンパクト・シティに集中し、過疎地は自然や文化財を保存してリゾートとして生き残ればよい。それぞれの地域が個性をもって競争するために、「格差」はもっと拡大すべきです。
」(太字は当ブログによる)

この池田さんの主張は、要するに、社会のインフラ整備や国際的な都市間競争の面からは、多くの人間が都市に移住して働くという形態が社会として最も効率的で有利なので、都市と地方との格差をより拡大させることにより、地方の人間の多くを都市に移動させて、都市は人間が住むところ、田舎はリゾートに行くところと、明確に分離すべき、というものだ。

この池田さんの主張は、富裕層や強者をより裕福に強い立場にするためには、「効率」が何よりも大事で、それについていけない者が落ちて行く、つまり「相対的貧困」が増大して行くのは仕方が無い、ただ「絶対的貧困」に対してだけは生活保護というセーフティネットを準備すべきという新自由主義の立場からは、極めて論理一貫している。

だから、これは、ある意味、「裸の資本主義」という新自由主義の本質をさらけ出した主張だろう。

僕は、この主張を読んで、裸の共産主義=マルクス主義と似ているような気がした。何が似ているかというと、人間を「効率だけでやっていける機械」とみなしている点だ。マルクス主義も、人間を機械とみなして、優秀な官僚が作る計画経済に従って労働する形態が、最も効率的なユートピア社会だと考えた。

人間が「機械」ならば、効率を最大限に高めて、都市と田舎を分離して、全ての人間を都市に移住させて働かせて、田舎には大規模農業とリゾートだけとするのが理想的な形態だろう(働けなくなった老人は田舎のリゾートで暮らしてもよい)。

ブロイラーなどの養鶏場でも、きゅう舎に多くの鶏を一列に整然と並ばせて定期的に餌を与える形態が、最も効率的に卵を産ませるための理想的な姿だ。

だけど、そういう「効率的で理想的な生活」に、人間は、長期間、耐えられるだろうか?

人間は「ストレス」に弱い生き物で、ストレスで病気になったり自殺したりするものだ。合理的に効率的にやれば幸せになれる、というものではない。

また、地域の文化、伝統、コミュニティにしても、「効率」からみればくだらないものかもしれないが、人間のストレスの緩和などに、それなりの役割は果たしていると思う。

新自由主義では、「相対的貧困」と「絶対的貧困」を明確に区別して、「相対的貧困」は善で対策は不要、「絶対的貧困」は生活保護などの対策が必要だとしている。

なぜ「相対的貧困」は善で対策は不要だとするかというと、「相対的貧困」は「社会格差」と同義(格差が生じるなら相対的に金持ちと貧困の差が生じるのは当たり前)だからだ。つまり、新自由主義のように、「競争」が最高の善だとする以上、その「競争」の結果として必然的に生まれる「社会格差」も善であり、その「社会格差」の一側面である「相対的貧困」も善、なのだ。

しかし、「相対的貧困は善」だという立論は、最近の研究で否定されつつあるようだ。昨日(2009/9/20)の日経新聞に出ていたのだが、相対的貧困は、その貧困の側に居る人間にストレスを与えて寿命を短くしてしまう(つまり不幸にする)らしい。例えば、世界の中で最も豊かだが最も格差の大きい国(ストレスも最も高い国?)である米国の貧困層の寿命は、他の国の貧困層よりも短いらしい。

それは、戦後直ぐの復興期には「皆が貧しかったので貧乏でも気にならなかった」と多くの人が言っていること、それに対して、現代のように「周囲に金持ちが居るのに自分だけが貧乏なのは、不公正・不公平だと感じる、ストレスを感じる」と多くの人が感じているだろうことからも、予想できることだ。

だから、新自由主義のいうように、「競争は善、だからその結果としての社会格差も相対的貧困も善だ」と単純に割り切ることはできない。

今の自民党の総裁選でも、河野さんは新自由主義に立つようだが、この辺も考えて、新自由主義の欠陥をきちんと見て政策を考えて欲しい。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2009年9月20日 (日)

大企業敵視、産業政策ほぼゼロの民主党政権・・・

「大企業敵視、産業政策ほぼゼロの民主党政権には言いたいことは山ほどありますが・・・」と財部誠一がTheJournalで書いてた。

確かに、民主党の幹部は財界の幹部と会ってないようで、大企業敵視はあると思う。でも、それは、今の多くの国民の「大企業敵視の気分」(自民党に消えて欲しいという選挙時の気分と同根だろう)を反映したものと思う。

小泉・竹中改革の中で、大企業や富裕層を潤わせれば下々にも恩恵が行き渡ると言われたが、実際にはそれは全く無くて、大企業優遇は、全く意味無かった。だから、もう、騙されたくないし、今はまだ、大企業への優遇などの話は聞きたくも無いのだ。

また、民主政権には、国民への直接給付(子ども手当てなど)による内需拡大という成長戦略はあるが、外需を稼ぐ大企業(大手製造業など)のための成長戦略は確かにない。

しかし、外需を稼ぐための成長戦略を描いても、今の日本では、うまく行く可能性が低いのだ(後進国なら先進国モデルがあるから2番手戦略を採ればうまく行くが)。だから、そういう成長戦略に税金をつぎ込んでも意味がない。大企業には、自主自律の精神で、自分で頑張ってもらうしかないし、それが本来の姿だろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年9月15日 (火)

製造業派遣禁止で大企業が日本脱出したら実際に日本はどうなるのか、まずシミュレーションしてみたら?

ホリエモンのブログから引用(製造業派遣禁止に反対する主張)。

ワーキングプアが社会的問題になったり、派遣村がニュースになったり、グッドウィルが叩かれたり、秋葉原の連続殺人が起きたりで製造業派遣が目の敵にされているような状況から、そういう話が出てきているのだと思うけど、それを禁止して上記のような問題が本当に解決できると思っているのだろうか?
あるいは、それがもっと事態を悪化させる可能性については、目を瞑っているのか、それとも考えていないのか、あるいは私がアホで実は私の考えが間違っているのか、ちょっと意見を聞きたいとおもっていたりする。

(中略)やはり前に比べると格差がついてきたのは事実なので、格差社会で負け気味の人たちは色々と格差社会を作り上げた原因を見つけてはつるし上げているというのが現実だと思うのですよ。

それは別に誰が悪いということではなく、世界が均質化に向かっているということであり、それ自体はいいことなのだと思うんですよ。でも日本人は割りを食いますけどね。

で、何が良いたいかといえば、いわゆる「日本企業」の大手はそれでも郷土愛から日本に工場を残していたわけですが、製造業派遣が全面禁止ということになれば、全面的に海外進出ということになるでしょうな。既に資本は多くの大手企業で外資系みたいになっていますし、マーケットも海外、優秀な人材も海外調達、そして工場も海外ということになっちまうんじゃないでしょうか。そうなると日本には、脱出できない人たちが残って困窮することになるでしょう。

ホリエモンの文章は、僕とは考え方が少し違うけど、正直なので昔から好きだ。

グローバル企業が日本を出て行くぞという話は、製造業派遣禁止だけでなく、企業税制など、いろんな論点で言われている。

でも、グローバル企業は、株主、市場、工場など、既に半分以上が海外に出てるのが実態だ。それが、完全に出て行くとして、日本社会への実際の影響はどのような感じになるのだろうか。

また、企業は日本脱出が経済的に合理的ならやるかもしれないが、個人として日本を脱出する人はそんなに居ないと思う(企業に働いてれば転勤で海外はあるけど)。個人としては、郷土愛もあるし、たとえ生活レベルが落ちても、それまでの人間関係や生活を切断したくないのが普通だろう。

また、グローバル企業が完全に日本を脱出しようとしても、日本の市場は(縮小するとしても)あるのだから営業所くらいは置いていくはずだ。また、日本の市場があるなら、そこで特許も取る必要があるし、紛争になれば裁判もやる必要がある。

一方、残された日本人には、出て行ったグローバル企業の配当収入などもある。福祉・医療・教育・農業・小売などのサービス分野は、中国などの新興国と競争しないで済むから、その分野で生産性を上げれば有る程度の高い賃金でやっていけるのでは。

グローバル企業が出て行ったら、全体のパイが縮小するから、国民全体の生活レベルが下がる」とはよく言われるが、今のワーキングプアは今以上に悪くなるのだろうか? 

全体のパイが縮小すれば、そして、所得再分配政策(累進課税)をすれば、金持ち(国民の一部)は確かに生活レベルが下がるだろうが、ワーキングプアなどの貧乏人の生活レベルはそのままか所得再分配政策により少し上がることも可能なのでは? 金持ちが皆、個人として資金を持って日本から出て行ったらかなり困ると思うが、多分、生活レベルが落ちるくらいでは(衣食住がほどほどにできるレベルに止まれば)、日本から出て行かないと思う。

僕は、製造業派遣禁止がよいかどうか、余り考えたことがなくて、よく分からない。

ただ、製造業派遣禁止や企業税制などの議論をする前提として、グローバル企業が日本を脱出したら実際にどんなことが日本で起こるのか、すごく大変なことになるのか、それとも大したことないのか、まずは冷静に且つ精密にシミュレーションしてみるべきではないだろうか。

追記: 要は、①本当に大企業が日本を出て行く現実的な可能性がどのくらいあるのか、②仮に出て行く可能性が高いとして、そうなったときに実際にどうなるのか、をシミュレーションしてみて、出て行く可能性が現実に高くて且つ出て行ったらすごく大変なことになるなら、大企業が出て行かないような政策、企業税制は欧米と同じにするなども必要だろう。他方、出て行かない可能性が高いか、又は、出て行っても大したことない(大手の輸出企業が出て行くと貿易赤字になるがそれは何とかできるとか)なら、また別の道も考えられる。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (2)

「日本の針路を間違わないようにしてほしい」なんて麻生が言ったらしいけど・・・

「日本の針路を間違わないようにしてほしい」なんて麻生が鳩山さんに言ったらしいけど、進路を誤った人間に言って欲しくないねw

相変わらずの上から目線のようで、まぁマスコミもそういう気持ちで記事にしているんだろう。

自民党は河野太郎が総裁選出馬を目指すようだ。

河野太郎は前から良いと思ってたけど、それでは民主との違いが出てこなくなる。そもそも河野太郎は民主のような主張をしてる(外務省の密約問題など)のだから、民主に移った方がいいんじゃないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月14日 (月)

公正の実現こそ成長戦略

「公正の実現こそ成長戦略」、2009/9/9付け朝日新聞で上智大准教授の三浦まり氏が言ってたことだけど、すごく気に入ったので、パクらせてもらいました^^;

人間の尊厳を傷つける派遣切り、絶対的・相対的貧困、ワーキングプア、格差拡大で人心が疲弊した状態から、社会の公正さを取り戻して、人間の尊厳を大切にする社会に変えることが、一般の人たちのやる気を生むことにも繋がり、中長期的な「成長戦略」になる、というような主張だったが、全くそのとおりと思った。

今まで、新自由主義の経団連の言うことばかり聞いてこんな悲惨な状況になったのだから、もう、しばらくは、経団連の言うことは無視した方がいいね。かといって自分たちに都合の良いことばかりの労組の言うことを聞くのも真っ平だけどw

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年9月13日 (日)

浜矩子さんのグローバル経済批判

文芸春秋10月号の、エコノミスト(兼 同志社大教授)浜矩子さんの主張は、ユニクロを例にして、ある企業が価格破壊を起こすと他の企業も価格破壊で対抗するので、どの企業も利益が削られて、どの企業の従業員も低賃金になり、従業員=消費者としても安い価格のものしか買えなくなり、皆が不幸になる、今のグローバル資本主義では「自分さえ良ければ」という気持ちで皆が動く(例えば自社だけでも生き残ろうとして価格破壊をする)ことによる合成の誤謬で皆が不幸になるから、「自分さえ良ければ」ではなく「他人のために」という気持ちで行動すべきというような内容だったと思う(立ち読みで、細かいところは覚えていないけど)。

これに対して、池田信夫さんが次のようにコメント欄で反論している。

浜氏の話は、私もあきれました。価格競争が失業を生む? これは逆を考えてみればわかります。もしユニクロが倒産して洋服の値段が2倍になったら、低所得者は衣類を買わなくなり、繊維部門の所得は減るでしょう。さらに中国との競争によって、高価格の日本の繊維産業は全滅するでしょう。こんな人物が「経済学部教授」をやっている同志社大学って大丈夫なんですかね。

浜さんの論文を読んだときはもっともと思ったが、池田さんの反論ももっともと感じた。

どうも、経済学者というのは、とにかく、立場によって言うことがバラバラで、1人の言うことを信用すると大変危険だ。法律では、条文があるので、いろんな法学者がたくさんいても、みな条文から離れることはできないので、それぞれの主張に根本的な違いはない。これに対して、経済学はそうはいかないようで、人によって全く正反対の主張になってしまうようだ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2009年9月12日 (土)

成長戦略なんか要らない?

「文芸春秋」で榊原英資が同じようなタイトルを書いてたのを立ち読みしたが、農家の戸別所得補償で地方の農業を振興して成長産業にすればうまくいくとか書いてあって、何を言いたいのか、よく分からなかった(そんなに直ぐ農業が成長産業になるとは思えない。それよりも、10月号の「文芸春秋」では、エコノミストの浜矩子(のりこ)さんのグローバル経済の分析が面白かった)。

竹中平蔵や池田信夫は「政府による成長戦略」が大好きのようだ。「政府による成長戦略」の意味がよく分からないが、おそらく、「内需」ではなく新興国市場を含むグローバル市場での「外需」を狙って経済のパイを大きくすることに重点を置いているようだ。とすると、「グローバル展開できる国内大手の製造業や金融業、すなわち、経団連所属の上場企業のための成長戦略」を主に想定しているのだろう。

つまり、バイオとかクラウドコンピューティングとかの将来が有望だと予想される特定の分野を政府が選択して、その選択した分野でグローバルに活躍できそうな経団連所属のグローバル企業(及び、一部のベンチャー)を国家戦略として支援する、具体的には補助金を出して研究開発を支援したり、規制緩和をして参入しやすくする、ということだろうか。

しかし、バイオが良いとかクラウドが良いとかいっても、その将来の予想が本当に実現するのか、その目利きは(特に政府という役所にとっては)難しいし、仮に補助金を出したおかげでその業界や企業が繁栄したとしても、それが国益に繋がるのか、つまりその繁栄の分け前が多くの国民に分配されるのかは、分からない。というか、分け前の分配は、全く期待できない。

というのは、現代のグローバル経済の下では、グローバル企業が利益を上げても、その利益が従業員に賃上げの形で還元されることはほとんどありえない。なぜなら、もし利益が出たからとって従業員の賃金を上げてたら、製造コストが上昇して、新興国を含むグローバル経済下での国際競争力を失ってしまい、企業そのものが存続できなくなるからだ。だから、グローバル展開する企業が利益を上げても、それは海外の製造拠点とか株主配当とか経営者の役員報酬とかに回されるだけだ。

だから、自民党の業界団体や天下り団体に補助金を配る「間接支援」の政策は、大企業の経営者とその株主配当を受ける富裕層たちを潤すだけに終わってしまい、国内の圧倒的多数の貧乏人たちがその「おこぼれ」を受けることは全く期待できない。

だから、グローバル経済の下で、国内の多くの貧乏人たちの生活を向上させようとすれば、「直接給付」の政策しかない。

それを民主党は分かってやったのならすごいが、多分、偶然にそうなっただけなんだろうと思う(農業の戸別所得補償とかは数年前から民主の公約になっていたらしいので、タイミング的に上記のことを意識していた可能性は低い)。

このように、民主はたまたま時代の流れにマッチした「直接給付」の政策を出すことに成功したのだろうと思うが、その点で民主党はすごく運が良いと思う。

追記:これからの日本は低成長やマイナス成長の可能性が現実として高いのだから、まずは、低成長やマイナス成長を前提としながらそれでも多くの国民が幸福になるような政策、例えば「直接給付」(富裕層などからの所得の再分配)の政策を立案・執行していくべきで、成長戦略はその後の話でよいと思う(優先順位付けの問題)。

これからの日本にとって、仮に成長戦略を立案しても、それが成功する可能性は余り高くない。成熟経済に入った日本にとっての「成長戦略」とは、富裕層などからの所得の再分配をした上で、なお成長を求めようと思うなら成長戦略を描いてみても良いかなというぐらいのことでよいのではないだろうか。

個々の大企業が、こんな日本にいては成長できないと出て行くのなら、それはそれで仕方ないだろう。というか、そもそも、今のグローバル企業は、株主も外国人が多いし、生産拠点も海外が多いのだから、出て行くも何も、既に身体の半分は出て行ってるようなものだし、そもそも国境なんか関係ないだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年9月 7日 (月)

消費者庁の長官人事の見直しは国家公務員法上、不可能なのか?

2009/9/1に発足した消費者庁の長官人事について、麻生内閣が任命した長官は元官僚出身で不適当だから見直すと民主党は主張しているが、消費者庁の幹部は「国家公務員法で長官の身分は保障されており、人事の見直しは法的には簡単ではないはずだ」と余裕を見せている(参考)。

国家公務員法75条第1項(身分保障): 職員は、法律又は人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはない。

国家公務員法がある限り、法律の事由がなければ、免職はもちろん、部長などへの「降任」もできない・・・orz。

(※なお、もし成果主義や実力により降格してよいという法律を新たに作ったら、それが「法律の事由」になるから、成果主義や実力による降格が可能になるだろう)

官僚支配の打破を掲げる民主党にとってはすごい難題だと思う。

それで、さっき一つ思ったのだが、ちょっとウルトラCになるが、今の消費者庁設置法を国会でいったん廃止し、それと同時に同じ内容の消費者庁設置法を国会で成立させて即日施行するようにすればよいのでは?

つまり、こうすれば、現在の長官は、その地位を基礎付ける根拠法(旧・消費者庁設置法)が無くなり、自動的に失職する(と思う)。他の職員も全員失職するが、その直後に、即日施行される新しい消費者庁設置法に基づき再任すればよい。長官だけは再任しない。

消費者庁は未だできたばかりで活動をほとんどしていないので、設置法を切り替えても影響は少ないはずだ。

今のままでは官僚に舐められたままになってしまう。こういう非常手段を使っても多くの国民は是認するのではないだろうか>民主党

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「特許庁の知的財産活動調査票の無駄遣い」についてコメントを頂きました

2009/9/3付けの「特許庁の知的財産活動調査票の無駄遣い」の記事>について、次のようなコメントを頂いた。

いま出先で正確な情報を確認できないのでざっくりした数字になりますが、例年2500万円前後で落札されているようです。8000サンプルの調査のようなので分析や報告書の作成まで含めた票単価で3000円程度というのは、それなりのクオリティを担保できていると考えれば郵送調査としてはリーズナブルな方です
コストだけでみればネット調査の方がはるかに安くなりますが、公的機関が実施する実態調査の場合は機会平等の観点から郵送調査や訪問留め置き調査(国勢調査が代表的ですね)が選択されることが多いようです。
とはいえ、世論調査やイメージ調査などはすでにネット調査も多くなってきているようですから調査方法の妥当性などは追及されるべきでしょうね。
ただ、それを追及しようとすると、数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだというジレンマもありますね。法律を書き換えるためのコストもかかってくる可能性もありますし。
そう考えると新政権にはなるべく大きなところを見極めて切り込んでもらいたいと期待しています

今回の調査票が8,000サンプルというのはそのとおりのようだ。特許庁のホームページで確認した。http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htm 

このページでは8,000サンプルと記載されている。しかし、「落札額」が2,500万円という数字は、このページにはない(僕の見方が悪いのかもしれないが)。(追記: 今回の新しいコメントで指摘されたが、こちらにあるようだ。http://www.jpo.go.jp/koubo/choutatu/sougou/h20sougou/pdf/h20_sougou_hyouka/200711_42.pdf 平成20年度は、みずほ情報総研が2,500万円で落札している)

この前の記事の一部に事実誤認があったのはお詫びして訂正しますが、それでも、かなり疑問がある。以下に、疑問を列記しておきます。

1.コメントでは「例年2,500万円前後で落札」とあるが、上記のURLには、そういう「落札額」は書かれていないし、どういう団体に落札されたのかも書かれていない。おそらく、これは、「落札」のある「一般競争入札」ではなくて「随意契約」なのでは? おそらく、1億円以上にすると一般競争入札にする必要があるので、2,500万円以下にして随意契約でよいようにしているのでは? ※後でみたら、上記のように、コメントの指摘のとおり、一般競争入札らしいhttp://www.jpo.go.jp/koubo/choutatu/sougou/h20sougou/pdf/h20_sougou_hyouka/200711_42.pdf

2.特許庁は、少なくともhttp://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htmでは、知的財産活動調査の概要だけ説明しているが、それ以上の詳しい情報、一般競争入札か随意契約か、どこの団体に委託したか、どれだけの金額で委託(落札?)したかは一切、公開していない。公開すべきだろう。 ※上記1のとおり、一般競争入札らしい。

3.昨年は同じような調査を7,500サンプル行って、45%の回収率だったようだ(上記のURLに記載されていた)。それで思い出したが、確か、昨年も僕のところに同じような調査票は来た。無駄と思ったので回答しなかった。今年も無駄と思うので回答する気はない。45%の回収率だと、今回8,000人(法人と個人)に送っても、回答は3,600人程度。しかも、各回答の入力項目は10-20件程度なので、入力作業は自動化してるだろうけど人手でやっても大したことない(仮に1人のオペレータが手入力でやるとしても、1人当たりの回答の入力は1~2分くらいで終わる。だから、たった3,600人分の回答の入力なら、1人が手入力しても、1~2週間で済むはず)。また、回答人数が3,600人しかないから、それを処理するだけなら普通のエクセルやアクセスで十分だろう。それなのに、「わずか3,600人の回答の入力と統計処理だけで1,500万円」(=2,500万円から、8,000件の調査票などの作成と郵送代との予想費用額1,000万円程度を引くと、1,500万円となる)というのは高すぎると思うがどうだろうか。

4.対象の8,000人に送る調査票と資料の作成費用の予想額1,000万円にしても、十数ページの調査票と記入要領と付録を分厚くて表面がツルツルの超高級紙を使って印刷し、しかも記入要領は多色刷りとするのは「無駄使い」ではないだろうか。分厚い超高級紙ではなく、普通の用紙にすれば、資料制作費も安くなるし、軽くなるので郵送代も安くなる。

5.この調査の委託先は、おそらく随意契約のため公開されていないが、多分、天下り団体だろう。そもそも、このような知的財産活動調査は、今の多額の費用に見合うだけの社会的意義があるとは思えないので中止すべきだろう。

6.特許庁は、このような無駄な知的財産活動調査ではなく、「今の特許庁の政策に対する、ユーザー(出願人)側からの不満・要望」をどうして調査しないのだろうか? このような調査をすれば、今の特許庁の「迷走」(僕はそう思う)を脱して、特許庁がユーザー(出願人)のために、これからやるべきこと、そのためのいろんな改善策が、すっきりと見えてくると思う。

例えば、今の拒絶査定に対する不服審判請求の特許印紙代が高すぎることもその一つだ(そもそも不服審判請求は審査官の審査結果(拒絶査定)が不当であるからこそ行うという面がある訳で、そうだとすると、特許庁の方がユーザーである出願人側に「うちの審査官の不手際で不服審判請求までさせてしまって申し訳ありません」という迷惑料を払うのが本筋と思うが、今はその逆で、しかも極めて高額の印紙代が要求されている)。

こういう調査は、費用の掛かる紙でなくネットで十分だし、特許庁のホームページに不満や要望を入力する掲示板を出しておくだけでもよいのでは。

7.上記のコメントでは「ただ、それを追及しようとすると、数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだというジレンマもありますね。法律を書き換えるためのコストもかかってくる可能性もありますし。そう考えると新政権にはなるべく大きなところを見極めて切り込んでもらいたいと期待しています。」という意見が記載されている。

しかし、「はした金なら、無駄遣いがあっても見逃してよい」という感覚は公務員にはあるかもしれないが、民間にはない。民間では、消しゴム一つでも、無駄を排除している。それに、「数千万規模の事業では、議員や公設秘書の人件費も勘案すると、追及に要する費用の方が高くついてしまいそうだ」という点は違うと思う。

今回の知的財産活動調査(例年2,500万円)については、社会的意義の高低による中止の可否の判断は優秀な人なら1人で1時間もかからないだろうから、「追及に要する費用」は1時間程度の人件費(数千円程度?)で済むと思う。だから、費用対効果は問題ない。しかも、この調査は例年行っているので、1年で2,500万円でも4年間では1億円になる。中止すべきかどうか検討する価値は十分にあると思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

鳩山代表のニューヨークタイムズへの寄稿論文と池田信夫の誤訳?

鳩山・民主党代表のニューヨークタイムズへの寄稿論文についての池田信夫さんの論説を見てると、今まで頭の良さをひけらかして周囲の人間をバカにしていた池田信夫さんも、日本で新自由主義が劣勢になって相当焦ってるのが透けて見える。

例えば、池田さんによる、アゴラの記事「民主党は「世界の田舎者」になるな」。

以下に一部引用。

NYT論文の冒頭の文章は、鳩山事務所の公式訳にそのままあります。

During the time since then, post-cold war Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a US-led movement which is more usually called globalization. Freedom is supposed to be the highest of all values but in the fundamentalist pursuit of capitalism, which can be described as ‘freedom formalized in economic terms’, has resulted in people being treated not as an end but as a means. Consequently human dignity has been lost.

日本の次期首相が「日本はアメリカ主導の市場原理主義すなわちグローバリゼーションに打ちのめされた」と語り、経済的自由主義を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定しているのは、欧米人の目から見ると異様だから、彼らがニュース価値があると思って抜粋するのは当たり前です。しかもこの英訳は、鳩山氏の公式サイトですでに3週間以上、世界に発表されているのです。」(太字と赤字は当ブログによる)

しかし、上記の鳩山論文の"Freedom・・・in the fundamentalist pursuit of capitalism"は、文脈からいっても、その上にある"market fundamentalism"(市場原理主義)とほぼ同じ意味の「市場原理主義者が求める自由」とでも訳すべきで、「ただの経済的自由主義」と訳すのは明らかに「強引すぎる翻訳(=誤訳)」ではないだろうか?

 (「経済的自由主義」=私有財産制度は、日本国憲法29条でも定めているし、日本共産党でさえ肯定しているのでは? つまり、経済的自由主義=私有財産制度が、「人々を目的ではなく手段として扱うもの」ではないことは当たり前のことであって、鳩山さんがそんなことを言っているはずがないということは明らか)

つまり、上の”Freedom・・・ in the fundamentalist pursuit of capitalism・・・ has resulted in people being treated not as an end but as a means. ”は、市場原理主義者が求める自由は「人々を目的ではなく手段として扱う」結果をもたらした、くらいに訳すべきものだろう。

池田さんが言っている、「経済的自由主義市場原理主義者が求める自由を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定しているのは、欧米人の目から見ると異様」だというのは、世界的にみても事実に反している。欧米において、市場原理主義≒新自由主義≒新古典派経済学に対する多数の認識は、鳩山論文と共通している。

おそらく上記の「市場原理主義者が求める自由」を「経済的自由主義」にすり替えた誤訳は、自分の論理を成り立たせるために無理にやったのだと予想されるが、この辺に、最近の池田信夫さんの焦りが透けて見えてきて面白い。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (3) | トラックバック (1)

無駄遣い、特許庁にも沢山あるかも>民主党

特許庁には、民主党が狙う「無駄遣い」がかなり眠っている可能性が高い。

特許庁も特別会計だが、特許印紙代の収入が年間で1,500億円超、支出は1,000億円超で、毎年、かなりの剰余金=埋蔵金が貯まっている感じだ(例えば、特許庁ホームページに出てる平成19年度決算)。まぁ、会計の知識は余りないので深追いはできないが、外郭団体も幾つかあるし、実感として、かなりの無駄使いがあるのは間違いないだろう。

ずっと前からそう思ってたが、最近も、そう感じる事例に出会った(今までも、同じような事例は幾つかあったが、その一つ)。

それは、特許庁から、おそらく全ての出願人宛てに送られてきた「知的財産活動調査票」というやつなのだが、これが来る前には、「近日中に知的財産活動調査票を送りますので、ご回答をよろしくお願い致します。」という内容の予告のハガキがくるという丁寧さ、というか気前(金遣い)の良さ

そして、「知的財産活動調査票」が大判封筒で来たのだが、中身は、10数ページの調査票、10数ページの記入要領、数ページの付録が入ってるが、この各ページの紙質が、通常のコピー用紙の2~3倍の厚みがあり表面もツルツルのすごく立派な紙質(薄茶色のエコ仕様)で、記入要領にいたっては多色刷り、これら3つの印刷代だけでも、1人分で500円から1,000円くらいは掛かってるような気がする。さらに、大判の返信用封筒、統計資料(多色刷り)のオマケも同封されているので、往復の郵便代まで含めれば、1通当たりのコストは、軽く1,000円を越してると思う。次は特許庁からの封筒とその内容物の画像。

Img_0200

この郵便代を含めて1通当たり1,000円超の資料を、おそらく全ての出願人(特許だけでなく商標なども含む)に送ってると思われるので、少なくとも数万人以上の法人と個人に宛てて送っているのだろうの中の約8,000サンプルに送っているらしい。とすると、これらの資料の作成と郵便代だけでも、少なくとも1-2千万円。さらに、この調査票が帰ってきたら、そのデータを入力したり統計処理したりするのに、どこかの外郭団体を使うのだろう(さらに、その外郭団体は、中間搾取のマージンを抜いてから、その仕事を何処かの民間企業に「丸投げ」するだろう)から、少なく見積もっても、トータルで1億円以上の支出になる1回の調査の委託額は2,500万円くらいらしい(頂いたコメントによる。正式には確認してない)が、例年行っているので、例えば4年で、トータル1億円となる。

この「知的財産活動調査票」の返送先は、「特許庁 総務部 企画調査課」となっている。

国勢調査などのように、ある程度の社会的意義が理解できるものならよいが、この「知的財産活動調査票」の質問事項を見ても、「知財コンサルティング」のニーズを探るなどの目的があるらしいが、各出願人に知財のために支出した費用額などを聞いてるだけで、少なくとも僕には1億円以上もかけてやるだけの社会的意義があるとは思えない。

また、仮に社会的意義があるとしても、なぜ、「すごく立派な紙質」で調査票を印刷するなど、「わざわざ金が掛かるような方法」を採用するのか。何か、邪推かもしれないが、とにかく何でもいいから金を使いたいという意図が透けて見えるような気がする。

この「知的財産活動調査票」、既に、1-2千万円以上の金額を使ってるが、今後も、統計処理などで1-2千万円以上の支出が必要になってしまうことを考えると、今、ここで「中止」も選択肢として検討すべきだろう。

昔から、特許庁は、特許印紙代で運営してて、「お金が余っている」という噂はあった。しかも、ここ10年は知財ブームもあって出願件数が伸びたため、その傾向はより顕著になっているはずだ(2009年はサブプライムローン破綻の関係で出願件数は急降下しているらしいが)。お金が余ってるのなら、印紙代を下げるとかすべきなのに、それをしなかった(最近になってやっと商標更新登録料などの値下げはしたが、極めて高額のままの拒絶査定不服審判請求や出願審査請求の印紙代は、早く下げるべきなのに、まだしていない)。だから、特許庁では、相当、埋蔵金が膨らみっぱなして、お金の「使い道」に困っている状況だと推測される。

特許印紙代の収入だとしても、知財のことだけに使うべきだということはなく、こういう財政の危機的状況なのだから、一般財源として使ってもよいのではないだろうか。また、「金が余ってる」のなら、ユーザー(出願人)のために特許印紙代を下げるのが筋であり、それをしないで(天下り団体のためかどうか知らないが)「必要性の乏しい事業」をやるというのは「無駄遣い」そのものだろう。

まぁ、特許庁は理系の技術者が多くいて利権も比較的少ない官庁だと思うが、その特許庁でさえ「無駄遣い」に関してこうなのだから、他の省庁は推して知るべしだろう。

民主党には、「特許庁 総務部 企画調査課」を調べてみることを勧めたい。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記(2009/9/7): コメントで、調査票は8,000サンプル、2,500万円とあったので、改めて検索してみると、特許庁ホームページの中のhttp://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toukei/tizai_katsudou_list.htmに概略情報があって、サンプル数は8,000件と正しくて、委託金額はホームページには記載がないので確認できないが、このコメントはかなり信用性があると思われたので、一応、これに沿って訂正しておきます。ただ、やはり疑問はあるので、新ためて記事を書いておきました(次のURL)。http://hatumeika.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3423-1.html

追記(2009/9/4): コメントで、「上記の調査に関する情報は特許庁のホームページで簡単に見られますよ。調査結果も公表されていますし、調達情報を見れば応札企業や応札価格、落札価格も全部出ていますから、エントリーで書かれているような法外な額でないことは明らかです。」 とありましたが、今のところ、落札価格がどれくらいだったのか、僕の方で確認できてません。確認できて、僕が書いた「トータルで1億円以上」という予想金額が間違ってたら直ぐに訂正しますが、とりあえず、このままにしておきます。もし金額が分かる方がおられたら、コメントなどでご指摘下さい。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年9月 2日 (水)

アゴラの記事のレベルが気になる件について

アゴラは池田信夫さんが中心メンバーなので新自由主義者たちが集まってて、ある程度のレベルは確保してるのだろうと思いたいが、題名に釣られてたまに読んでみると、レベルが気になる。

例えば、この松本徹三という人の論説「内需拡大の原資を如何にして作るのか?」はどう考えたらよいのだろうか。

この論説から一部引用。「(民主党の)内需拡大策と言っても、「大企業から税を取り立てて、これを一般家庭に配る一方で、労働組合を支援して、配当原資を削らせて賃上げを実現する」といった類の空想社会主義的な考えは、この際あらためて論じる価値もないでしょう

空想社会主義的な考え」とか「この際あらためて論じる価値もないでしょう」とか言われても、こちらはちゃんと「理由」を言ってもらわなければ、なぜそうなのか、分からないんだが。多分、大企業に課税すると外国に逃げちゃいますよということかな。大企業についてはそれはあるかもしれないね。しかし、個人の富裕層(配当課税も含む)についてはそうでもないだろう。税金が高いから外国に1人寂しく出て行くという人はそうそういないだろうから。1年の半分くらい外国に居れば税金がかからないと言って外国に住んでる人もいるらしいが、日本には家族がいるだろうし、そういう生活は見ててすごく辛いように感じる(しかも、よほど緻密にやっておかないと、バレたら刑事法的に問題がある可能性は高い)。だから、「富裕層から税を取り立てて、これを一般家庭に配る」という古典的な方法は別に悪くないはずだ。

もう一つ引用。「そもそも、民主党などが今言っていることは、「官僚支配を改めれば、無駄遣いがなくなり、この分を一般家庭にばら撒けば、消費が拡大する」という、失礼ながら高校の生徒会の会長選挙の演説のようなレベルの話ですが、無駄遣い(例えば公共事業)をやめれば、これまでこの無駄遣いで潤ってきた人達(例えば地方の土木建設会社)の仕事がなくなり、この人達の消費がなくなりますから、結局は同じことです。(勿論、私は「無駄遣いをやめないでもよい」と言っているのではなく、「これは別次元の問題だ」と言っているのです。)

これも、なぜ「失礼ながら高校の生徒会の会長選挙の演説のようなレベルの話」なのか、ちゃんとした「理由」が書いてないので、よく分からない。天下り団体や業界団体などに巣食ってる老人たちに中間搾取されてる無駄遣いを一般家庭に配ったり、無駄な公共事業に使う税金を一般家庭に配れば、自民党の族議員への政治献金や料亭通いなどの澱んだ消費でなく、「より良質な消費」や「環境などの成長分野の消費」に向けられる可能性があるので、経済成長にも資するのではないだろうか。しかも、ほんの一握りの天下り役人や工事会社の社長や悪徳政治家に「消費」してもらうよりも、多くの一般家庭に「消費」してもらう方がずっと国益にかなうはずだ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (11) | トラックバック (0)

山崎元さんの「民主党路線は、小さな政府・高福祉」論

山崎元さんが、民主党路線は、「小さな政府・高福祉」になりえると主張している(末尾に引用)。

これは「政府のサイズ」をどう定義するかの問題だ。

つまり、民間でいうと、人件費や家賃などの固定費に注目して政府の大きさを問題にするのか、材料費などの売上に対応して変わる変動費に着目して政府の大きさを問題にするのか、ということだ。つまり、民間で、「高コスト体質かどうか」と「売上・収入が大きいかどうか(=変動費が大きいかどうか)」とは論理必然の関係にはならないが、それと同じだ。

つまり、人件費や家賃などの政府の固定費に着目した「高コスト体質かどうか」の観点から政府のサイズを問題にすれば、民主党の「直接給付」方式は、自民党が補助金でやってきたような天下り団体や業界団体に中間搾取させる「間接支援」方式に比べて、政府の固定費=政府のサイズはずっと小さくできる。これと民主の「無駄遣い排除」とをあわせると、「小さな政府」路線と言える。

これに対して、政府の変動費に着目した「福祉のための支出を大きくするかどうか」の観点からは、富裕層や大企業から税金をたくさんとって弱者を救済するという再分配政策を進めれば、「高福祉」になる。

「高福祉」になっても、それを実現するための政府の固定費を直接給付方式や無駄遣い排除で減らしていけば「低コストの小さな政府」になり得る。

だから、民主党路線では、「低コストの小さな政府・高福祉」が実現し得る。富裕層にとっては「高負担・高福祉」になるが、弱者にとっては「低負担・高福祉」も可能になる。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

以下に山崎元さんの論説を一部引用。

言葉の上では政府の大きさの定義の問題だが、所得の再分配的な財政支出と、政府関連組織の経費や公共事業の経費などをまとめて「大きな政府」「小さな政府」を対置する議論があり、これは不正確だと思う。

 民主党は既存の政府支出のムダを削ることを重要公約として掲げており、これは「小さな政府」の価値観だ。一方、子供手当や最低保障年金のような給付金は政府の支出ではあるが、これに介在する官僚組織を小さく保つなら、主な効果は所得の再配分であり、お金の使い道は民間(個々の国民)が自由に考えるわけだから、行政コスト上も資源配分への影響上も「小さな政府」を保つことが出来る。

 一方、所得の再分配を大きくするなら、福祉の効果としては大きいということになるだろう。(中略)

 仮に、「霞ヶ関のムダづかい」を削減することができて、この支出を経済的弱者への減税や給付金に振り替えることができれば、「より小さな政府」と「より大きな福祉」が少しずつ実現することになり、官僚以外に誰も反対しないだろう。

 所得の再配分としての福祉のサイズがどのくらいであるべきかは今後重要な検討課題だが、「ムダづかい」を「福祉」に切り替える置き換えには反対は少ないはずだし、非効率とされる政府の支出を民間の需要に振り替えるのだから、長期的には「成長戦略」的な効果があるかもしれない。」(太字は当ブログによる)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 1日 (火)

政治家には「エリート」は必要なく「普通の人」の方がよい

今日(2009/9/1)の午後5時半頃、テレビ朝日系の報道番組をみてて、キャスターの男性(坪井直樹さん?)が民主党の政治の特徴について述べていたのが興味深かった。

このキャスターは、今回の選挙で、静岡県の「片山さつき」さんというキャリア公務員出身の超優秀なエリートが落選して、長崎県の薬害肝炎訴訟の「福田衣里子」さんという普通の人が当選したのは、象徴的だと言っていた。

つまり、福田衣里子さんのような薬害患者は、障害者などと同じように、自分には全く責任の無い被害者であり、そういう人にこそ政治が目を向けなくてはならない。そういう人に目を向けることは、官僚には絶対に無理。だから、まず政治家が、普通の人の目線で、世の中で、そういう不条理や理不尽なことを見つけて、その対策を立てて、その執行を官僚がやるというのが正しい。

今までの自民党政治(官僚依存の政治)では、その、もともと政治家がやるべきことを、官僚に丸投げしていた。それが、やっと、まともな形になるだけだ。

以上がこのキャスターが言ってたことだが、そう考えると、政治家には、「エリート」は必要ない、むしろエリートではない「普通の人」(普通の人の目線で世の中を眺められる人)の方がよい、と思う。まぁ、外交や金融などの分野では普通の人でない専門知識を持っている政治家も必要だろうけど。

役人・行政には専門家・エリートが必要だが、民主主義の下では、国会は「普通の人」たちの代表こそが相応しい

テレ朝などマスコミも、政府広報などで多額のCM料を支払ってくれた自公政権に擦り寄っていた姿勢から転換して、一気に「民主よりの考え方」を前面に出すようになるのだろうか。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (3)

自民党は小泉・竹中構造改革の総括を

自民党は、再起に向けて、是非、小泉・竹中構造改革の総括をして欲しい。

日本の中では、今の格差、ワーキングプア、失業、ホームレス、自殺などが溢れている悲惨な状況の原因について、

①小泉竹中構造改革が原因だとする者(民主党など。読売新聞社説も)と、

②小泉竹中構造改革が途中で止まってしまったからだ(だから、これから小泉改革をもっと推進すべき)と主張する者(竹中平蔵や池田信夫などの新自由主義者。財界寄りの日経新聞社説も)と、

に分かれている。

これについて、是非、自民党としての理論的な結着を付けて欲しい。それは、小泉改革を進めてきた自民党の責任でもあるだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月31日 (月)

保坂展人さん、残念。来年の参院の比例で出て欲しい。

社民党の保坂展人さんが自民の石原さんに敗れて落選になってしまった。

多くの国会議員のブログの中でも、出色のレベルの高い情報発信、特に「かんぽの宿」など郵政民営化の問題などでは、国会議員だからこその独自の情報が多く、すごく貴重なブログになっていると思う(ジャーナリスト出身だからというのもあるだろう)。

「(非力な)社民党の中にも面白い仕事をする議員はいるのだが・・・」とよくマスコミなどで言われることがあるが、それは保坂さんのことだった。

保坂さんは、全国へのブログでの情報発信に特徴があり、全国に支持者が散らばっている(また、必ずしも社民党支持でなくても保坂さんを支持するという人は多い)のだから、他の人のブログにも書かれてるが、参院の全国区が向いているような気がする。仮に無所属でも、参院の全国区なら当選できるのではないかと思うがどうだろうか(参議院選挙の制度のことは詳しくないので想像にすぎませんが・・・)。参院の比例区の出馬がよいのでは? (追記: 選挙制度、よくわからないのだが、参院にはもう全国区はないみたいですね。参院の選挙制度ってどうなってるのか、よく分かりません。)

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (7) | トラックバック (0)

国会議員は「期限付きの契約社員」(非正規雇用)なのだから、「○○先生」と呼ぶのは止めよう

今回の民主が圧勝した総選挙により、自民党からは、国民との雇用契約の「更新」を拒否されて「職を続けられなくなった人」が大量に生まれた。

今回の選挙で、選挙とは、国会議員の雇用契約を「更新」するかどうかを決める手続なのだ、ということが明確になった。

つまり、国会議員(衆議院議員)とは、国民が税金で雇っている被用者(雇われ代理人)、それも「4年間という期限付きで雇っている契約社員」(雇用期間付きの非正規雇用)に過ぎない、ということが明確になった。

もう、これからは議員を「○○先生」と呼ぶのは止めよう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月30日 (日)

自公の大敗は自公政権が「民主主義を滅ぼす禁じ手」を使ったからでは

あるサイト(TheJournal)に投稿したコメントです。

僕は、ここまで自民党が大敗することになったのは、自公が「民主主義の敵」になった、マスコミや検察を自公の政権維持のために利用するという「民主主義を殺す禁じ手」を使ったからではないかと思います。

政権与党が自己の政権を維持するためにマスコミや検察を使ったり、投票操作することは後進国ではありますが、民主主義国ではあってはならないことです。

それなのに、自公は、特に小泉時代から、マスコミを政権維持のために利用するようになったと思います。

麻生内閣になってからも、小沢秘書を逮捕した西松事件やその後の検察とマスコミを利用した世論誘導などはそうですね。
それ以外にも、定額給付金や休日のみの高速料金割引きなども、選挙直前における国家予算を利用した国民の買収であり、政治の私物化だと思います。

政策で争うのならともかく、検察やマスコミを利用して世論を誘導して政権を維持しようとしたり、国民を買収しようとするのは「民主主義を殺すこと」であり、決して許されない禁じ手です。それを自公政権はやってしまった。

格差があるのは良いのか悪いのか、新自由主義かリベラルかとかを議論できるのは民主主義があるからこそなのに、その「民主主義が殺される」ことになったら、大変なことです。

多くの有権者は、西松事件などを見ながら、理論的にはともかく、直感的に、「自公はヤバい橋を渡っている」と見抜いていたと思います。マスコミについても、どうもおかしいな、と感じてたと思います。

だから、「これ以上、自公にヤバいことされると本当に怖い(日本の民主主義が殺される)」と感じて、自公には絶対に投票しないとなったのでは、と思います。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主鳩山代表の論文に米国で批判

民主党の鳩山代表がニューヨーク・タイムズに寄稿した論文「A New Path for Japan (日本の新しい道)」が米国で批判されているらしい。論文の翻訳がこのサイトに出ている。

この論文の主張の要点を自分なりにまとめると、次のとおりだ。

米国が主導する市場原理主義(グローバリゼーションと称されるもの)への批判・・・日本は常に、米国が主導する市場原理主義(今では「グローバリゼーション」と称するのが一般的だが)に揺さぶられてきた。市場原理主義者達が追及した資本主義社会において、人間は「目的」ではなく、「手段」「人件費」として扱われた。結果的に人間の尊厳が失われた。※この部分は、前回の記事で引用した森永卓郎さんの論説(新自由主義が立脚する新古典派経済学によれば、経済成長の担い手は資本家なのであって、けっして労働者ではない。だからこそ、資本家を大切にすべきだという論理になり、彼らへの分配を手厚くするわけだ。資本家にとって、労働者は付加価値を生むための部品に過ぎない)と同じ内容だ。

「友愛」の精神への回帰を・・・今こそ、我々はフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の精神、「友愛」の精神に回帰すべきである。それは自由主義に付随する危険を緩和する為に有効である。友愛の精神は、行き過ぎた、現在のグローバルな資本主義を、伝統的に育まれてきた、ローカルな経済活動に適合するよう調整する為の原則と言って良い。政治家として、我々には、このような、グローバリズムで見捨てられた「非経済的な価値」に、再度、光を当てる責任がある。

東アジア経済統合へ・・・イラク戦争の失敗や、金融危機を見るにつれ、米国主導型のグローバリズムが最早、終わりに近づいており、米国の影響力は低下しつつあり、国際社会は多極化の時代に向かいつつある。我々は、東アジアの経済的な統合、通貨統合や東アジア共同体の建設を目指すべきである。

上記の①~③は、上記の翻訳のサイトを読んでまとめた(英文は読んでない)だけだけど、特に変なことは書いてないと思った。民主党が今まで主張してきた「小泉・竹中構造改革路線への批判とその修正」と同じことを述べているだけだと思う。

ただ、「イラク戦争の失敗・・・」「米国主導型のグローバリズムが最早、終わりに近づいており・・・」「米国の影響力は低下しつつあり・・・」などの文言があるので、米国側は、(本当のことだとしても)格下から指摘されてプライドを傷つけられたというか、いままで大人しく後ろを付いてきた「ポチ」が歯向かってきた、「敵対的」になったと感じて、過剰反応して鳩山論文を批判しているのではないだろうか。日米安保条約の重要性についてもリップサービスでもう少し強調しておいた方がよかったかも^^)。まぁ文章の表現には気をつけた方がよいということで、国内向けなら全然問題ないけど、米国で発表するのなら、もう少し、いろいろと表現を変えた方が良かったとは思う。

新自由主義が立脚する新古典派経済学を信奉している池田信夫さんが鳩山論文を強く批判しているのは当然だろう。ただ、この池田さんの批判を読んだが、「友愛(fraternity)」という言葉の使い方がおかしいというような重箱の隅をつつくような批判だけで、正面からの批判は無かった。もっと「新自由主義からの批判・反論」をして欲しいと思ったが、それが難しいからこそ、こういう重箱の隅をつつく批判になったんだろうな。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記: この件では「ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」(2009/8/31)が面白い。以下に一部引用。

朝日新聞も29日にアメリカでは民主党政権が懸念をもって見られているというような報道をしていますね。

しかしね~、よくそこまでバイアスがかかるかな、と思いますよ。

もうたくさん例はあるんですけど、例えばウォールストリートジャーナル・・・(中略)

アメリカ政府当局者は ここ数年に渡り、日本の与党サイドの悪化する一方のリーダーシップの麻痺に直面し、散々な欲求不満を抱えていたわけだが、より効果的に共通の目標を処理する枠組みを提供しうる新政権に期待している

どうですか?

随分印象が違うんじゃないですかね。
ウォールストリートジャーナルにしてはかなりポジティブな書き様で、他のメディアでも多数のこういう「やっと無責任なやつらがいなくなった」的ニュアンスの記事は実はたくさんあるのですが・・・。 日本では全く報道されないですよね。フシギです。

同記事は更に続いて・・・・

2005年から直近まで駐日大使だったシーファーは彼の任期中の凋落し続けた自民党に言及し、政府が政策における支柱を持っていない時ほど物事を難しくするものはない、と言及。今後はこの選挙ですべてがクリアーになり、日本が国際社会においてより強い役割を果たすように望むと述べた。

いかがです?

鳩山論文がアメリカで笑いものになっているとか、大問題になっていてオバマ大統領も頭を抱えてるなどと、今NHKテレビで堂々と発言している細田元幹事長とは何者なのでしょうか??

いい加減にしてもらいたい以外の何者でもない訳です。

(中略)

財源についてどうのこうの、と書こうかと思ったんですが、結局まあ、新聞はバイアスだらけでほんとにいい加減だ、というオチになってしまうわけですね。

サワリだけ書いておくと・・・

これまでの自民党の無駄遣いにより、たまりにたまった800兆円の公債残高があるわけですね。この借金の塊、ここまで来るのに10年以上、500兆を超えてから約3年でココまで来ている。

今まで黙っていて、何もしなかったくせに民主党の10兆円の支出、つまり借金のわずか1%を増やすのはケシカランといっている新聞がよほどケシカランのです。

もっと言うと、日本には100兆円の予算規模があるわけです。そのうちの10%経費を節減してこっちにまわせ、といっている訳でして、皆さんの会社で10%の経費節減を無理だ、とか不可能だとか言っていたらクビでしょう、それは。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年8月28日 (金)

小泉・竹中構造改革と新自由主義(新古典派経済学)

小泉・竹中構造改革と新自由主義(新古典派経済学)について、森永卓郎さんの解説が面白かった。小泉・竹中構造改革の本質が、経済理論の面から、良く分かる(ような気がする^^;)。以下に一部引用(ちょっと長いけど)。

(小泉構造改革時代の5年間に)雇用者報酬が減少した理由について、構造改革派の人たちは次のように説明していた。「激しいグローバル競争のなかでは、価格競争力を高めないと生き残ることはできない。人件費抑制はやむをえないことなのだ」。

 だが、それは完全な偽りであった。2000年度と2005年度の決算をくらべてみると、大企業の経常利益は52%も増加しており、大企業の1人当たり役員報酬は85%も増えている。さらに、企業が支払った配当金は159%と、大幅に増えているのだ。なんのことはない。人件費が減らされた一方で、経営陣や金持ちの所得は大幅に増えたのである。

 しかも、庶民が増税や社会保険の負担増にあえいでいるなか、株式配当の減税、研究開発減税、IT投資減税、連結納税制度の創設、欠損金の繰越期間の延長など、主として金持ちや大企業向けの減税が3兆円も実施された。財政が厳しいからやむなく庶民の負担が増やされたのだと思っていたら、金持ちと大企業を減税するための増税だったわけだ。

 これが小泉構造改革の姿である。庶民に厳しく大企業や金持ちへの分配を手厚くするというのが、その本質なのだ。だが、小泉構造改革がよって立つ経済学的な立場を考えれば、それも不思議ではない。いわゆる構造改革論者が信奉している新自由主義というのは、新古典派経済学に立脚しているからだ。

 新古典派経済学がそれまでの経済学と大きく違っているのは、付加価値創造に関する考え方である。新古典派経済学によれば、付加価値をつくるのは資本家である。資本家は、財の市場からトラックや製造機械などの資本財を調達し、労働市場から労働力を調達する--この2つを組み合わせた瞬間に付加価値が生まれると考えるわけだ。

 これに対して、それまでの経済学では、付加価値をつくるのはあくまでも労働者であった。労働者が、一生懸命努力していい製品やサービスを創造することで、付加価値をつくっていくと考えてきたわけだ。

 要するに、新古典派経済学によれば、経済成長の担い手は資本家なのであって、けっして労働者ではない。だからこそ、資本家を大切にすべきだという論理になり、彼らへの分配を手厚くするわけだ。資本家にとって、労働者は付加価値を生むための部品に過ぎない。だから、道具と同じであって手厚く処遇する必要はないと考える。できるだけ低い報酬でこき使い、稼いだ報酬からも徹底的に税金を搾り取る。使えなくなったら、使えるものと交換すればよいだけのことである。

 (中略) (小泉構造改革による)2つ目の禍根は、金融資本の暴走を許したことだ。新自由主義は資本家が付加価値をつくると考えるため、金持ちはどう金を使おうといいという発想になる。人の頭を踏みつけようが、足を引っ張ろうが、基本的なルールを守りさえすれば何をやっても構わないし、誰も責められない。そうしたやり方が、極端な金融資本主義につながっていった。確かに、それで一時は非常にうまくいったように見えていた。金が金を呼んで、金持ちがますます金を増やしていったのである。

 だが、小泉構造改革で強くなったように見えた経済というのは、リーマンショックによって、単なる金融バブルであったことがわかった。だからこそ、5年半もつらい思いをして積み上げた付加価値が、一瞬で吹っ飛ぶという現象が起きたわけである。現在の政権は、日本の不況の原因を米国に押しつけているが、それは正しくない。確かに米国にも問題はあったが、日本もまた同じようなことをしていたのである。

 (中略) 郵政民営化では、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の株式を完全売却する段取りを整えた。しかし、郵政民営化が国民を豊かにするためのものではなかったことは、かんぽの宿の売却問題でも明らかになった。旧田中派に代表される利権や癒着との対決を叫んできたはずの構造改革推進派の人たちは、自分たちが権力を握ったことによって、新たな利権と癒着と腐敗の構造にどっぷりとつかっていたのである。

 結局のところ、構造改革というのは、構造改革推進派の仲間たちの間で、改革の利益を山分けするための権力闘争だったのだ。」(太字は当ブログによる)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

もし小沢秘書が逮捕された西松事件がなかったら、ここまでの地殻変動は無かったのでは?

2009/8/26付けの朝日新聞の早野透、星浩、坪井ゆづるによる総選挙での「民主圧勝」予測に関する対談「なぜ、地殻変動は起きたのか」では、2009/3/3に小沢秘書が逮捕された西松事件の話は出ていなかったが、この西松事件がなかったら、ここまでの地殻変動は無かったのでは、と思う。

この「地殻変動」と関係ありそうな事実を、時系列でちょっと追ってみる。

2009/3/3 小沢秘書を検察が逮捕(西松事件)・・・この後の2009年3月と4月は、マスゴミが検察からのリーク情報と世論調査を次々と繰り出して、「小沢辞めろ」と騒ぎまくった。

でも、この事件の直後から、ネットでは、検察批判(国策捜査批判)、マスコミ批判、これらと絡めた自公批判、小沢擁護の論説やブログが徐々に増えていって、4月、5月には沸点に達していた。2009/5/29には、ニューヨークタイムズも西松事件について日本の検察とメディアを批判する記事を出したほどだ(参考)。

このようにして、検察やマスコミが長年、標榜・偽装してきた「不偏不党」が”まやかし”だったのでは、と多くの有権者が気付き始めたのが、西松事件だった。

2009/5/11 小沢氏が代表辞任を表明、その約1週間後に、鳩山代表が就任・・・これで、また民主党の支持が盛り返し、麻生内閣の支持率が低迷をし始めた。

2009/5/21 朝日新聞編集委員の星浩、読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞編集委員の岩見隆夫が、麻生総理と会食・・・この頃は、まだ(僅差での敗北はあり得るとしても)自民が大敗するとはほとんど誰も思ってなかった。思ってたら、自己保身に長けたこの3人のマスコミ人が、負け犬となる麻生と誇らしげに会食するはずがない。

2009/6/12 鳩山総務相(当時)が日本郵政の西川社長の問題で辞表提出(実質解任)・・・これはすごく大きな事件だったろう。これで、内閣支持率は大きく下げた。麻生が、「かんぽの宿」の不透明な売却問題などの責任で西川社長の辞任を要求していた鳩山総務大臣を切って西川社長を守ったということは、ワーキングプア及びホームレスを増大させた小泉・竹中改革を大きく変えられないということを示したものだから、多くの有権者は失望した。

2009/6/16 鳩山代表に「故人献金」問題が発覚・・・メディアは自公の意向を受けてこれで世論を変えようと必死で騒いだが、政党支持率などはほとんど変わらなかった(※この部分は2009/8/29に追加)

2009/6/23 東国原・宮崎県知事が自民の古賀選対委員長と会談して衆院選出馬条件として「自民総裁」を提示・・・「自民が元お笑い芸人からコケにされた」というこのときから、自民党の劣化・没落・大敗予想が顕わになった。

2009/7/12 東京都議選で民主圧勝・自民大敗

こうみると、5月21日の大新聞の星浩、橋本五郎、岩見隆夫が麻生総理と会食した時期あたりまでは、自民党の大敗はほとんど誰も予想していなかった(僅差で負けることは予想されていた)。その後、6月12日の鳩山総務相の実質解任があって内閣支持率は急落した。その直後から、鳩山代表の故人献金問題を挟みながらも、千葉市長選などの地方選で自民が民主に敗北を続けたということもあった。6月12日の鳩山総務相の実質解任から約10日後の6月23日の東国原知事の「自民総裁」発言の頃には、一気に、自民の劣化・没落・大敗予想が顕わになっていた。

しかし、6月12日の鳩山総務相の実質解任だけから、一気に自民の劣化・没落・大敗が決定的になった、ということは無いだろう。そのかなり前から徐々にマグマが溜まってて、それが鳩山総務相の実質解任が引き金になって噴出した、つまり、有権者の中で、それまでの西松事件で感じた胡散臭さと「かんぽの宿」などの日本郵政の問題で感じた胡散臭さとが化学反応を起こして、マグマが噴出したのではないかと思う。

つまり、自民の「劣化」は事実として10年以上も前からずっとあって、でも有権者にはそれが見えなかったのだが、それが、2009年6月頃から、多くの有権者にも透けて見えてしまうようになったのだろう。そのような「有権者への学習効果・覚醒効果」が、西松事件によってもたらされたのではないだろうか。

多くの有権者は、小沢秘書が逮捕された当初はよく分からなかったしマスコミを信じていたので、小沢が悪いのだろうと思っていた。でも、何か、小沢秘書逮捕に関しては、自公と検察とマスコミがグルになってるのではという「嫌な感じ」を持っていて、徐々に、自公政権と検察とマスコミに対して、「どうもおかしい、胡散臭い、自公はヤバイのでは」と感じるようになっていった。そういう感じが2009年の4月、5月、6月と経過していく間に、徐々に熟成されて、だんだんと「覚醒」して行ったのだと思う。

だから、結局、こうなったのは、自公・検察・マスコミが(西松事件で)墓穴を掘ったんだと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

民主圧勝報道による「揺り戻し」はない

昨日(2009/8/26)付けの朝日新聞で、早野透、星浩、坪井ゆづるの対談「なぜ、地殻変動は起きたのか」が少し面白かった(以下の青字部分が引用したもの)。

星 「民主圧勝報道への揺り戻しがあるかどうか、これは、ほぼないと見る。半官びいきは負けている側に何か理があって、かわいそうだから起きる。いまの自民には考えにくい。自民党には『政権にいるから応援する人』と『政治家個人のファン』の2種類ある。前者は情勢が悪くなって一気に逃げている

・・・『政権にいるから応援する人』って言うと、経団連も一気に逃げ出したね。まぁ、野党になる自民に献金しても意味ないし、そんなことすると株主代表訴訟の餌食になるからなぁ。

星 「首相が『安心実現』といわなければならないほど、安心じゃない国に、誰がしたのか。そこを有権者は見抜いている。

・・・星は、一応ジャーナリストの端くれとして、よく分かってるようだ。有権者は、少し前に麻生と会食してたアンタのこともよく見抜いてるけどね。

坪井 「だけど、こんな形で片方を圧勝させる有権者というのは、ただ溜飲を下げたいだけに見える。投票が圧倒的なフラストレーションの表現手段になっていないか。

・・・確かにその面はあるかもね(。_・☆。 でも、それよりも、今の「ここまで最低に劣化した自民」には怖くてとても任せられない、という気持ちが大きいと思うけど。

星野 「ただ、民主党の子ども手当のような直接給付か、自民党の間接支援方式かの違いはマニフェストで鮮明でしょう。各省の補助金を関係団体を通して渡す途中にムダがあった。それを排除する民主党に、有権者は『そうだ』と思っている。

・・・星野は、星と違って、かなり民主よりなのかな。

※後で調べたら、この対談はネットでも出てるようです。http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908260028.html

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月26日 (水)

自民の党税調も事務次官会議も、要は「収賄罪」から逃れるための仕掛けだろう

民主が与党としての税制調査会は設けず政府税調に一本化すると決めたとの記事を見て、書きたくなった。

自民の党税調も、自民の党議拘束をかける法案は全て総務会を通すという事前審査制も、事務次官会議も、要は、族議員が「収賄罪」にならないで済むための仕掛けだったのではないかと思う。

2009/8/15付け日経の元官房副長官の石原信雄氏へのインタビュー記事の中で、石原氏は、事務次官会議の存続を主張する立場から、「事務次官会議で重要な政策を決め、閣議は追認するだけという民主党の指摘は事実に反する。政策案件は与党と調整した上で(事務)次官会議にかける。」と述べていたが、これは、事務次官会議が、実は、与党の族議員と官僚が裏で調整して得られた政策をそのまま内閣に追認させるために作られた制度だったということを、図らずも「自白」してしまったものだろう。

つまり、族議員は、企業や業界団体から多額の献金を受けてその意向に沿う活動をしても、その活動が、単なる私党である自民党の党税調や党政調会の部会の中で騒いでいるだけに止まるなら(副大臣や政務官として活動したり国会で関連の質問をしたりしない限りは)、そのような活動は、法的な「職務権限」を伴っていないので、「収賄罪」に問われる恐れはない。

本来なら、「職務権限」が無いただの議員に献金しても意味がないから、企業や業界団体も相手にしないはずだが、族議員は、法律上の「職務権限」がなくても、「政策や法律案を決定する事実上の権限」を持っていた。

そして、そのような「事実上の権限」を確保するための仕掛けが、党税調、党議拘束をかける法案は全て総務会を通すという自民党の事前審査制、事務次官会議だった。

事務次官会議を経た議案だけを閣議の議題とするという、法的根拠のないおかしな制度を作っていた(下記)のも、要は、族議員と官僚とが裏で調整した内容の政策だけを閣議の議題とさせることによって、内閣が族議員と官僚の意向に逆らって「暴走」するのを防ぐための仕掛けだったに過ぎないと思う。

つまり、政策決定のルートが、内閣側と党(族議員)及び官僚側とのダブル・トラックになっていて、最後のところで、党(族議員)と官僚の意向を、閣議で決める政策の中に確実に落とし込むための仕掛けが、事務次官会議だったのだろう。

※事務次官会議の説明について、池田信夫ブログを一部引用しておく。

事務次官会議というのは、不思議な会議である。閣議の前日に、それと同じ議題を各省庁の事務次官が集まって審議し、その結果が翌日そのまま閣議決定される。法的根拠はないが、これが実質的な政府の最高意思決定機関である。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月25日 (火)

民主圧勝の報道は「勝たせすぎは良くない」というマスコミの思惑?

hikasuさんのブログ(下記に一部引用)を見て思ったこと。

「だから今回の選挙で民主党が圧倒的に勝利しそうとマスコミがいくら言ってもだったら自民党にいれようかとかそんなわけのわからないことを国民はもう考えないんだよ。
政治を動かせる一票とわかってしまったから自分の考えのまま投票するはずだ。
もっと言うと、政治を動かせたと実感できる方に入れるかもしれない。
今回なら民主党に入れることだろう。
そういう意味では郵政選挙の良かった点もあるんだって感じている。」

僕は、朝日、読売、日経などの民主圧勝の記事を読んだとき、これは、急激な変化を嫌う日本人のバランス感覚に訴えて、民主を勝たせすぎないように自民にも投票しようと裏から呼びかけたものでは、つまり、そういう自公政権を裏から支援する意図で書いたものでは、という気がした。

実際はどうか分からない。ただ、「民主に勝たせすぎは良くない」という論調で書いている評論家は、その裏のスタンスが「自公」なのかどうかは分からないが、何人かいる(ここなど)。

でも、今は、マスコミが民主圧勝と書いたからといって、じぁあ、急激な変化は良くないからバランスをとって自民の方にという人はほとんどいないだろう。民主が本当に勝つのなら、オレも民主に入れるかという人の方がむしろ多いだろう。また、そもそも、ほとんどの国民は、今まで官僚に頼ってるだけで能力がないくせに威張り散らしてきた自民に嫌悪感を持ってるから、民主が圧勝しようがしまいが、何があっても自民にだけは入れたくないという気持ちのはずだ。

今の日本人はハードランディングが平気になってるような気がする。これも、小泉時代の竹中の(銀行の不良債権についての)ハードランディング路線やワーキングプア及びホームレス増加政策などで急激な変化に慣らされたおかげかもしれない。その意味では、竹中も良い仕事をやった。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年8月23日 (日)

政権交代で「団体・組織が主役の社会」から「個人が主役の社会」へ

よく、マニフェスト比較で、自民党は「(団体経由の)間接支援」、民主党は「(国民への)直接給付」と言われるが、政権交代があって、民主党の「直接給付・直接支援」が広がると、社会の在り方が「団体・組織が主役の社会」から「個人が主役の社会」へと、大きく変わる可能性があると思う。

自民党のマニフェストでは、例えば農業支援は農協に補助金を与えて農協を通じて個々の農家を支援するという従来通りの「団体経由の間接支援」の手法だ。自民党はこの手法で、様々な業界団体・天下り団体に補助金などを支給して中間搾取させながら、選挙のときは応援させるという、持ちつ持たれつの関係を構築してきた。

こういう「団体経由の間接支援」が主流の社会では、政府からの補助金などの恩恵が全て団体経由なので、団体に所属していない個人はその恩恵に浴することがない。だから、個人は団体に所属していないと損をすることになるから、皆が競ってどこかの団体に所属していた。

その結果、個人の力は弱く、団体・組織が大きな力を持ち、世の中すべて団体・組織中心で回っていた。役所に対しても、個人が道路の補修などの要望しても、自治会を通して下さいとか言われて、個人だと相手にしてもらえなかった(10年くらい前の話)。市役所からの紙の市報も、自治会に入ってない個人には届かない。

ほとんどの個人が、団体に属してないと損をするので、とにかく団体に属してそこの管理下に入るという形で、社会の中に組み込まれてた。どこの団体にも属していないニートやフリーターは、変り者のバカという感じで、一段低くみられていた。

それが民主党政権になると、業界団体や天下り団体への補助金の支給(中間搾取あり)を通じての個人の支援ではなく、各個人への直接給付になる(子供手当てとか農家の戸別所得補償など)。

そうすると、個人は農協などに所属していなくても、政府からの補助金などの恩恵に浴することができる(「中抜き」になる)ので、団体に所属するインセンティブが少なくなる。ニートやフリーターと同じような、団体に所属しない個人がこれからは増えていくだろう。

また、政府が各個人に直接給付・直接支援するという形で、政府と各個人が「直結」する「中抜き」の体制になると、各個人は、団体に所属していなくても、個人として政府と直接に交渉したり政府に直接に要求したりできるようになるから、それだけ、個人の力が増大していく。その反作用として、団体の力は弱くなっていくだろうし、団体に所属している個人に関しても、団体が各所属メンバーを締め付ける力は弱くなっていくだろう。

そういう流れで、これからは、団体に管理されない個人、力を持った自律した個人が増えていき、「団体・組織が中心の社会」から「個人が主役となる社会」に変わっていくのではないだろうか。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月21日 (金)

リベラルと保守

米国や日本の民主党がリベラル、米国の共和党や日本の自民党が保守と一応、思ってきたが、リベラルとか保守の定義を確認していなかった。

それを書いてるブログ(極東ブログ)があったのだが、それを参考に自分なりに表現すると、次のような感じらしい。

「リベラル」は、個人的自由(思想・表現の自由など)はすごく尊重するが経済的自由は有る程度しか尊重しない主義。

「保守」は、個人的自由(思想・表現の自由など)は有る程度しか尊重しないが経済的自由はすごく尊重する主義。

なぜ、人はリベラルと保守に分かれるのか。その一つの理由は、「出目や現状が裕福かどうか」というのは、かなりあると思う(日本有数の金持ちの鳩山由紀夫さんがリベラルであることを考えても、出目や現状だけではないのも確かだが)。

つまり、個人的自由は、現実には、経済的自由に支えられている。例えばサラリーマンが上司にゴマスリを言うのは個人的自由を失っている状態だが、それは経済的自由がないからそうなってしまう。逆に、経済的自由がある富裕層、例えば会社のオーナーは、従業員の個人的自由を侵害することが多い(セクハラやパワハラ)が、自分の個人的自由が侵害されることは少ない。

だから、富裕層にとっては、自分の力の源泉である経済的自由を確保できれば、その上に乗っかっている自分の個人的自由も確保できるので、経済的自由の保護が一番の関心事となる。

他方、富裕層でない多数の人たちは、もともと経済的自由がないから、富裕層の経済的自由の国家による適法な侵害(累進課税などによる所得の再分配)を支持する。また、経済的自由がない人たちは、しばしば経済的自由をもつ富裕層(会社のオーナーなど)から自分の個人的自由を侵害される(セクハラやパワハラ)ので、自分の個人的自由の確保に関心が高くなる。

日本国憲法では、思想の自由・表現の自由を経済的自由よりも価値の高いものと序列付けていると憲法学者が話していた。それからすると、経済的自由よりも個人的自由を尊重するリベラルの方が、今の憲法により適合した考え方だと言えるだろう。

以下「極東ブログ」より引用
・リベラル
 精神的自由や政治的自由のようないわゆる「個人的自由」の尊重を説く一方、経済的活動の自由を重視せず経済活動への介入や規制や財の再配分を擁護する。
・保守派(コンサバティブ)
 個人的自由への介入を認めるが経済的自由は尊重する
・リバタリアン
 個人的自由も経済的自由も尊重する
・権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)
 個人的自由も経済的自由も尊重しない
・全体主義者
 権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)の極端な形態。ファシズムや共産主義。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月20日 (木)

新自由主義者たちの退場に花束を

竹中平蔵と同じような主張を繰り返している池田信夫さんのブログを見てると、新自由主義者たちの発想が良く分かる。

新自由主義者たちは、「全体のパイを増やすための成長戦略と構造改革」にしか興味がなく、「庶民の生活」や「所得の再分配」にはほとんど関心を持っていないようだ。

「富裕層や大企業に有利な方向に制度を改革すれば、経済が成長して、全体のパイが増えて、富裕層はより肥え太って格差が拡大するなどの歪みは生じるとしても、経済成長のおこぼれは下層階級にも及ぶから、下層階級を含めて皆が満足するはずだ、だから、何よりもパイを増やす成長戦略とその基礎となる規制緩和などの構造改革が必要だ」、こう表現すると極めて単純な内容に見えてしまうけど、でも、これが新自由主義者たちの発想の全てだ(私見)。

でも、これって、かつての「昭和の高度成長政策」の発想と同じだよね。

違うのは、高度成長のための戦略を、税制改革や労働法制の規制緩和など、より緻密にしたことくらいで、根本的な発想は同じだ。

確かに、竹中がやった構造改革で、うまく経済成長できてパイが増えて、下層階級に少しでも「おこぼれ」が及んでいたら、今のような激しい批判はなかったかもしれない。

経済が成長し続けさえすれば、仕事は幾らでもあるし時給も上がるので、非正規雇用の人たちは、そこそこの所得を得ながら、正規雇用者のような窮屈さとは無縁の自由で気ままな生活を送れて、それなりに満足できたのかもしれない。

でも、現実は、日本の経済は昨年から停滞し、非正規雇用者の首切りとそれに伴うホームレス化や日本社会の分断など、構造改革による格差拡大の歪みが社会で極大化してしまった。結局、下層階級への「おこぼれ」は全く無かった。

なお、竹中などは、米国のサププライムローン破綻がなければ今でもうまく行っていたはずだと主張するかもしれない。しかし、それは違う。なぜなら、そもそもサブプライムローンは新自由主義から出てきたもので、昨年からの経済停滞は新自由主義の政策を実行する中で必然的に生まれたものだからだ。

今回の総選挙では、経済の低成長・現状維持を前提として、その中での「国民の生活」、「所得の(金持ちなどから下層階級や子育て世帯への)再分配」、そのための「予算の優先順位の組み替え」などがテーマになっている。

昨年の中頃までは、僕も、正直、池田さんのブログを見て、こういうのが新しい考え方なのかなと思っていた(経済はド素人なので)。でも、最近、池田さんのブログを見ても、内容的に、どうも魅力を感じない、古臭く感じる。

新自由主義者たちが退場していく理由も、つまり、そういうことなのだろう。

※公職選挙法とブログの関係、よく分からなかったが、山崎元さんのブログによると「公示後はさらに制限が厳しくなる。先ず、特定候補者の氏名をウエブサイトに記載することは、それ自体、公職選挙法146条に反することになるようだ。特定政党であっても、同様らしい。」ということのようだ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月15日 (土)

詭弁の天才・竹中平蔵への反論

テレビによく出る竹中平蔵はすごく詭弁が多いんだけど、それは文章にすると直ぐ分かるのだが、テレビなどではベラベラと早口でまくしたてるのでその場で反論するのはなかなか難しいんだろうな。

竹中平蔵の詭弁の一例を、北海道大学教授・山口二郎さんのブログ(2009/8/14)からみてみよう。以下は、山口教授の「小泉・竹中の構造改革が日本の格差を拡大した」という指摘に対する竹中平蔵の主張の部分。

私が社会科学者としてとても興味があるのは、なぜ山口先生のように政策の中身をきちんと理解している方でも、今おっしゃったような、現実とかけ離れた話をされるのか、ということです。

 例を挙げましょう。「構造改革のせいで格差が拡大した」という話が出てきたときに、私はまったく相手にしませんでした。なぜなら、そんな主張は、経済学的に正当化されないからです。

いいですか。ジニ係数(所得分配の不平等さを測る指標)で見ると、一九九〇年から、つまり小泉改革の一〇年も前から、高福祉国家とされるスウェーデンやフィンランドも含めて世界中の国で、格差はずっと拡大しています。これは日本も同じです。九〇年代に公共事業のバラマキをしていたときから格差は拡大し続けていた。それが小泉内閣の五年間で、ジニ係数から見える格差の拡大は止まるんですよ。つまり、「構造改革のせいで格差が拡大した」ではなくて、「構造改革のおかげで格差の拡大が止まった」んです。にもかかわらず、ワイドショーによる間違った刷り込みで、真実が捻じ曲げられてしまいました。」(太字は当ブログによる)

竹中は「小泉内閣の五年間で、ジニ係数から見える格差の拡大は止まるんですよ。」と盛んに主張している。確かに、詳しく確認してないけど、小泉政権の途中では、ホリエモンや村上ファンドが注目を浴びて、株価も上昇していた。そういう過程で、かなりの国民が経済繁栄の恩恵を受けて、格差拡大も止まっていたのかもしれない(確認してない)。

ただ、山口教授が問題としているのは、「小泉政権の5年間の間に格差が拡大した」というのではなくて、「小泉構造改革の結果により(つまり、時期的には小泉政権による構造改革が行われて小泉が退陣した後の3年間に)格差が拡大した」ということなのだ。

この山口教授の指摘に対して、竹中も最初は「構造改革のせいで格差が拡大した」という話が出てきたときに、私はまったく相手にしませんでした。なぜなら・・・」と問題を正確に表現している。

それなのに、竹中は、その直後から、「構造改革のせい=構造改革が成し遂げられた後の(郵政民営化されて小泉が退陣した後の)3年間」ではなく、「構造改革が行われる前とその途中=小泉政権の5年間」というように意図的に時期をずらしてこの期間は格差拡大はなかったですよとジニ係数の統計を持ち出して主張している。「小泉・竹中の構造改革が行われた後(小泉退陣後)の3年間に格差が拡大したかどうか」はワザと触れていない。そこで議論をすり替えている

こういうのを見ても竹中は議論のすり替えの名人という気がするが、まぁ、頭がクルクルとよく働く人であることは確かだろう。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

自民党による民主党の財源批判のまやかし

民主党が政権をとったら前政権の補正予算を凍結して無駄使いを無くすと言ってるので、総選挙前の今、予算に組み込まれた公共事業の前倒し発注が猛烈な勢いで進行してるらしい(こちらから)。

自民政権下で建設業者に発注しておけば、民主党が政権をとって、もしキャンセルに持ち込まれても、キャンセル料だけは発生するので、そのキャンセル料だけでも手に入れさせるから自民党の選挙に協力しろ、ということでやってんだろうね。

民主党に明け渡す前に日本全土を焼け野原にしてやろう(そうして民主党に失政させて政権に返り咲こう)という、自民党の「焦土作戦」の一環だ。

総選挙前の今、官僚の天下りも殺到してるらしいし、めちゃくちゃな状況だ。

自民がここまで劣化して、モラルを無くしてるのは驚きだ。

ところで、一昨日の自民と民主の党首討論の記事を見たが、財源についての論点がずれてると感じた。

自民は年金改革や子育て支援などのために財源が必要でそのために消費税を上げるのが「責任政党だ」と主張している。民主は、子育て支援などの予算のためには、まず今までの予算の組み替えを行って無駄遣いを無くすことで財源を捻り出す(それでもカバーできない年金改革の財源などは4年後に消費税を議論する)と主張している。

工程表で言えば、自民は「無駄使いの排除はしないでいきなり消費税上げ」、民主は「まず4年間は無駄使いの排除をして、その後に消費税上げ」ということで、最後の「消費税上げの工程」は同じなのだが、その前に「予算の無駄使いの排除の努力をするという工程」を入れるかどうかが違っているだけだ。

いったい、無駄使いの排除の努力もしないで、官僚が無駄はないと言ってるのをそのまま受け入れて、官僚の天下り団体・業界団体が中間搾取する形での「間接支援」(補助金)の無駄もそのままにして、消費税上げによる国民の負担で財源を確保しようっていう、何も考えてないような安易な態度が「責任政党だ」と言えるんだろうか?

また、自民党政権下で、いままで国債を大量発行してきたために国債残高が膨大になってるのだが、そのことについての総括や反省を全く表明していないのは「無責任」だろう。

建設業者など自民政権下で便益を受けてる人たちは別として、そうではないかなりの人たちがまだ自民支持といってるのは、全く理解できない。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月10日 (月)

阿久根市長の裁判対応は天才的?

こちらからの2009年7月30日 読売新聞の一部転載

阿久根市職労訴訟 「市は裁判放棄」職労側、勝訴に自信 鹿児島地裁で29日に開かれた、阿久根市職員労働組合が同市を相手取り、庁舎内にある組合事務所の使用許可取り消しの無効を求めた訴訟の初弁論。市側は全面的に争う姿勢を見せながらも、「裁判費用に税金が使われることや、裁判官も公務員であり、公平な立場に立てない」などを理由にして出廷しなかった。(中略)この日、取材に応じた竹原市長は「裁判官は自治労と同じ公務員の仲間。負けると分かっている裁判に税金を無駄遣いさせるつもりはない」と語った。」

この記事を見て、竹原市長は裁判を軽んじる人だとかの印象があるかもしれない。

確かに、市役所などの役所が裁判を欠席するというのは「ぶっ飛んでる」というか、前代未聞だろう。

しかし、僕は、この役所による裁判への欠席というのは、今まで公務員や役所の建前や呪縛にとらわれていたために誰も考え付かなかっただけで、本当は素晴らしいやり方ではないかと思う。

まず、この裁判の事件では、市長の選挙中に、阿久根市の担当職員が、市長代理の形で、いったん自治労に1年間の使用許可を出しているから、これを覆すのは、もともと市長側には難しい。だから、まじめに裁判をやっても、税金の無駄、時間の無駄になる可能性が高い。

また、そもそも、この裁判は自治労が起こしたものであり、それにいちいち「応訴する法的義務」は全くないのだから、欠席したからといって裁判軽視などと言われる筋合いはない。

さらに、この裁判で頑張らなくても、自治労に対して、「来年の4月の契約更新はしない、だから来年の4月からは直ちに退去せよ」、とすることは完全に有効だ。とすると、どうせ、あと数ヶ月で来年の4月になって出て行ってもらうのだから、これ以上、無駄なエネルギーや税金を使う必要はない。

極めて合理的で戦略的なやり方だと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 7日 (金)

民主と自民のマニフェスト

民主党はマニフェストを訂正するようだが、訂正するときは、①10年後の目標・国家像、②4年が経過した以降の将来の政策・手段、③4年間内に実現させる政策・手段、というように分けて記載した方がよいと思う。
民主党のマニフェストは「4年間の約束」が中心だが、自民党のは100万円の所得増加など「10年後」の「目標」を多く掲げていて、比較しにくいからだ。
自民のと比較しやすいように、「10年後の目標」と「5~10年目の政策・手段」は別個に掲げて、それと併記して、「4年間内に実現させる政策・手段」を掲げた方が、比較しやすい。
今のままでは、マスコミが比較するときでも、自民党の10年後の政策と民主党の4年内の政策との比較になってしまい、民主に不利になっていると思う。
民主のマニフェストを、①10年後の目標・国家像、②4年が経過した以降の将来の政策・手段、③4年間内に実現させる政策・手段、というように分けて記載して、それを自民のと比較すれば、比較が容易になるし、自民党のと比較してみたら、自民党のマニフェストには、③4年間内に実現させる政策・手段でほとんど見るべきものがないということが露呈されると思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

朝日新聞の公明党偏向

今日(8/7)の朝日新聞を見ると、同じ面に次の①~③が同時に露出していた。

①下側には、創価学会の池田会長の顔写真などが出ている雑誌「潮」の広告、

②そのすぐ上には、「公明党の太田代表と北側幹事長は、組織が緩まないように、比例重複立候補はしないと決めた」という公明党を賞賛するかのような記事、

③その隣には、「公明党がコストの高いテレビ広告を中止してネット広告に切り替えた」という記事、

という感じで、その一面だけ見ると、まるで公明党の機関紙というか、公明党と創価学会に一面を乗っ取られたような様相だった。創価学会の人が見たら狂喜乱舞するだろうが、それが狙いか?

幾らなんでも露骨過ぎると感じるが、そういう感覚も、もう朝日新聞の社員は失ってしまったのだろうか。

それとも、朝日新聞の上層部は、もう自民党はアテにできないので、これからは公明党寄りの立ち位置に立つと決断したのかもしれない。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 2日 (日)

マニフェストのメリットとしての「限定委任」

少し前、朝日新聞で見たのだが、自民党は「とにかく任せてください、という包括委任」、民主党は「これだけは任せてください、という限定委任」、そういう文化の違いがある、と。

今まで、国民は、キャッチフレーズだけの「公約」なるものを言うだけで「とにかく任せてくれ」という自民党候補者に投票して、その度に裏切られてばかりだったけど、それでもすぐに忘れる国民性から、選挙のときはいつも自民党に投票し続けたので、自民党からすっかりなめられて、こういう、今の現状になってしまった。

マニフェストは、自民党に対しても限定委任にもっていくという効果があると思う。

また、マニフェストには、それを掲げる政党が政権を取った場合、その政策に「国民が支持した」という正統性を与えて、それを遂行しやすくするという効果もある。

今度の選挙では、民主党がマニフェストの政策を遂行しやすいように、官僚やマスゴミが抵抗できないほどの正統性を政策に与えられるように、「圧勝」といえるくらいの数を取らせる必要があるのではと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2009年8月 1日 (土)

阿久根市長による職員の懲戒免職に賛成!

阿久根市庁舎で人件費の張り紙を剥がした40歳代係長を懲戒免職にした記事、最初みたときはエッと思った。厳しすぎる、懲戒権の乱用では、などの意見が多いようだ。

けど、この人件費の張り紙は、市職員が貴族のようになっている状況を改革するという竹原市長の政策の根幹に関わるものだ。それを、積極的な行為(残業とかして夜1人だけになってからやったのだろうか)により剥がした、というのは、ただのサボタージュとかと違って十分に悪質だと思う。

公務員は、通常の会社員以上に、懲戒免職をすごく恐れていると思う。なぜなら、民間企業と違って、公務員の場合は、それまでの経験が十分に行かせるという民間の転職先が少ない(政策シンクタンクや大学などしかない)からだ。

だから、今回のことで、阿久根市役所にはすごい緊張が生まれたと思う。これで、市長の命令がビシッと通る体制ができたのではないだろうか。その意味では、市長はうまくやったのではと思う。

まぁ、この係長には気の毒だが、これから裁判をやれば、懲戒権の乱用とかで、地位保全は可能だろう。裁判の弁護士費用などは自治労が出してくれるのかどうかしらないけど。

それにしても、この竹原市長は奇跡のような人だ。どこから、どうやってこういう人が生まれたのか、興味がある。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月31日 (金)

自民党のは「4年間の約束」としてのマニフェストとは言えない

鳩山由紀夫メールマガジンで知ったが、自民党のマニフェストは、道州制にしても、可処分所得100万円アップにしても、「4年間の約束」としていないものが多いらしい。

これでは、「4年間の約束」としてのマニフェストとはいえないだろう。

ホントに、劣化してるというか、いい加減な政党だ。

以下、鳩山由紀夫メールマガジンからの引用です。

「・・・自民党も漸くマニフェストを出すようですが、いち早く出すべき政権党が混乱があったとは言えこんなに遅れてはいけません。しかも、この4年間の契約なのか分からないものが多々存在しています。例えば、景気が回復したら遅滞なく消費税を上げると言われても、4年以内なのか判然としませんし、道州制の実施は2017年とまだ8年先の話です。可処分所得を100万円アップするのは10年後です。これでは次の選挙時にマニフェストが達成されたか否かを問うことは出来ません。こんないい加減なマニフェストを出されても国民のみなさんは判断できません。むしろ、自民党にはこんな程度の意識しかないと言うことを国民のみなさんには審判していただくことが大切なのでしょう。」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

新自由主義とリベラル

新自由主義とリベラルとの経済政策の違いは、大企業・金持ち優遇の税制にするかどうかなどが典型だろう。
確かに、リベラル政党が与党になって、大企業や富裕層に高い税金を課すと日本脱出してしまうので問題。ただ、「日本脱出させないでなるべく高い税金を取る」という「工夫」も考えたらあるかもしれない。しかし、今のような財界から献金を受けている自民党(新自由主義の人が多い)に任せると、「財界の言うがまま」の政策になるので、そういう「工夫」が出る余地はなくなってしまう。それが今の日本だと思う。

新自由主義が行き過ぎると今の日本のように人間が商品として使い捨てにされ退廃し不安定な社会になってしまう、リベラルが行き過ぎると、ぬるま湯の悪平等で停滞した社会になってしまう。それぞれが10年くらいずつ、交代するのが理想と思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

「麻生おろし」で「新総裁」なら分かるけど「新総理大臣(新首相)」はあってよいのか?

都議選の敗北で、「麻生おろし」が激化するらしい。

「麻生おろし」で「(自民党の)新総裁」だけの総理・総裁分離(つまり、自民党の新総裁は、新総理大臣(新首相)にはならない)なら自民党の勝手でまだ分かるけど、「(国会・内閣の)総理大臣(首相)」も新しくするというのがもしあるとすれば、完全に、自民党による「総理大臣の私物化」だよね。

政権交代の可能性が極めて高いのに、今、総理大臣を新しく代えても、1~2ヶ月の任期しかない訳で、この間に、新しい総理大臣で何をやろうというのだろうか。天皇の国事行為も必要になるし、諸外国への外交ルートを通じた新首相のお披露目なども必要になる。完全に税金の無駄遣いだ。

「選挙管理内閣」をやるというのなら、今の麻生さんで十分のはず。

こんなことをすれば自民党に愛想をつかす国民は多いと思う(思いたい)が、実際にはどうか、今の日本の民度がどの辺なのか、分からない。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (2) | トラックバック (0)

鳩山代表と「国策捜査」発言について

小沢秘書が逮捕されたとき、鳩山代表(当時は幹事長)が「陰謀の匂いがする(国策捜査では)」と発言したが、これに対しては、批判する人が少なくない。

でも、僕は、その発言を聞いたとき、すごく勇気ある発言だと思った。
なぜなら、そんなことを言うと、検察から睨まれて自身が国策捜査される可能性がある。そういう発言をすることは、検察を敵に回すことになるわけだから、後ろめたいことのある議員なら、到底できないことだ。

それと、「国策捜査」という言葉を使ったことに対して、「自分たちが政権を取ったら、検察を政治的に利用して国策捜査をやってやろうという気があるのではないか」とか、「少なくともそのような連想をされるから安易に国策捜査という言葉を使うのは良くない」と批判する人がいる。

しかし、もし、自分が将来、政権を取ったら検察を政治的に利用して他の政治家を失脚させてやろうと考えている政治家が居るとしたら、その政治家は、安易に、国民の前で「国策捜査かも」なんて発言するだろうか? するわけ無いと思う。後でバレバレになってしまうからだ。むしろ、鳩山さんにそういう「私心」がなかったからこそ、とっさに出た言葉だろうと感じた。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「格差と貧困」とリベラル・新自由主義

新自由主義の理論などは詳しくないが、「格差と絶対貧困(セーフティネットの問題)は全く別問題だ」という考え方があるらしい。

しかし、理論はともかく、事実として、格差と貧困は連続した一つの問題(格差が拡大した結果として貧困も深く拡大している)として出現していると思う。

そういう「事実」を見ないで、「理論」だけで完結しようというのが新自由主義者の傾向かなと思う。

竹中平蔵氏などのサプライサイドの理論はその典型で、とにかく供給を伸ばせ、そうすれば需要も付いてくる、だから、需要のことなんか考えないでとにかく供給をどんどん伸ばせ、という。で、「供給を伸ばしても需要が付いて来ないぞ」と文句を言うと、「それはまだ供給の伸びが足りないからだ、だからまだまだ供給を伸ばすんだ!」という。「現実(需要)が付いてこない」と文句を言うと、「それは現実が悪い、需要が付いてこないことが悪い、それはまだ供給が足りないからそうなるんだ、だから供給をもっと増やすんだ!」と答える。きりが無い。

郵政民営化でも、「うまくいってない」と文句をいうと、「今うまくいってないのは、まだ民営化が足りないからだ、だから民営化をもっと徹底させろ!」という。一事が万事この調子で、とにかく、「現実がうまく付いて来ないのは理論どおりにちゃんとやってないからで、理論は正しいんだ」というばっかりで、何か宗教と似ている気がする。

まぁ話を戻すと、今の日本では、「格差と貧困」という互いに切り離せない一つの問題が大きな課題だから、まずはこの格差と貧困の問題を優先順位第1として取り組もうというのがリベラル(平等と公平の重視)・友愛の考え方だろう。その考え方から、同一労働同一賃金(正規社員か非正規社員かを区別しない)などの政策や、最低賃金を上げるという政策も、民主党から出てきている。

「経団連に所属する大企業の保護?」はやるとしても、その優先順位はかなり低くなるということだ。その点が新自由主義(自由競争・弱肉強食・自然淘汰の重視)と異なる点だ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

「鳩山秘書による故人献金(虚偽記載)で税控除を受けてたら脱税」という自民党の主張について

※記事の中に事実誤認があったので、一部書き直しました(「税の控除」と「還付」を間違えてました。次の読売新聞を見て気が付きました)。

読売新聞によると、「個人が政治家の資金管理団体などに寄付した際には、所得税の控除を受けられる。政治資金収支報告書に寄付者として記載されることが必要で、寄付を受けた団体が総務省などに控除の書類を出し、寄付者が証明書を使って確定申告を行う仕組みになっている。」ということらしい。

だとすると、もし、今回問題になった「寄付をしてないのに寄付をしたと名前を虚偽で記載された人(故人)」が、それを利用して、国税への申告で、税の控除をすると、脱税になる。

そして、もし、鳩山氏側がそのような事情を知った上で、「寄付をしてないのに寄付をしたと名前を虚偽で記載された人(故人)」の税の控除に協力したと仮定すると、鳩山氏側には、幇助犯が成立する。

他方、もし「寄付をしてないのに寄付をしたと名前を虚偽で記載された人(故人)」が所得税の控除を受けたとしても、控除して得られる(脱税で儲けられる)金額は、「寄付で税の控除を受けたことにより減少する所得税の額のみ」だ(この場合の寄付金は経費に相当するから、この寄付金を収入から控除できて「課税対象額」を減額できたとしても、最終的に「所得税」として減る(=脱税できる)金額は、各人に適用される税率や他の控除額などにもよるが、多くてもせいぜい寄付金の1割くらいのケースが多いだろう)。

例えば、100万円の寄付を、していないのにしたと虚偽の記載を鳩山氏側にしてもらって、それを元に税の控除を受けたら、10万円くらいの脱税(儲け)・・・、その代わりに脱税の罪(鳩山氏側はその幇助)で逮捕のリスク・・・。

上記の読売新聞によると、(鳩山氏の資金管理団体が総務省に税控除の書類を提出し証明を受けたのは)「2005年~07年の3年間で延べ75人、寄付金額で計1186万2000円に上るとしており、総務省も事実関係を認めた。(自民党の)菅氏は「脱税行為、詐欺行為ではないか」と指摘し、国税当局に調査を行うよう求めた。」とのことだ。

仮に、上記の「2005年~07年の3年間で延べ75人、寄付金額で計1186万2000円に上る」の全てが「税の控除=脱税」をしたと仮定し、その寄付の総額の10%が「税の控除=脱税」で儲けた金額だと仮定すると、3年間で計75人が計118万円、脱税で儲けた(一人当たりでは、1万6千円弱(=118万円÷75人)、脱税で儲けた)となる・・・。

こんな「はした金」で割に合わないアホらしいこと、鳩山氏側がやるはずないよね。

ていうか、自民党の「重箱の隅」攻撃も、ここまで来ると税金の無駄(自民党には多額の税金=政党交付金が渡されている)としか思えない。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記: ZAKZAKによると、税の控除の手順は次のとおり。「政治家の資金管理団体などに個人が寄付した場合には、所得税の控除を受けることができる。その手順は(1)寄付をして収支報告書に氏名が記載される(2)寄付を受けた団体が総務省や都道府県選挙管理委員会に税控除の書類を提出、証明を受ける(3)寄付者が証明書を使って確定申告し、税の還付を受ける-となる。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

鳩山さんによる「虚偽記載をした秘書の動機の説明」は十分に納得できる

鳩山さんによる「借入金についての(献金・寄付についてではない)虚偽記載」をした秘書の動機の説明は、僕にはかなり納得できる。

最近、少しずつ政治資金の知識が頭に入ってきてる状態なのだけど、政治家の資金管理団体に政治家本人が寄付できるのは1000万円が上限だというのは最近になって知った。

この1000万円が上限という趣旨は、おそらく、元から金持ちか貧乏人かによって政治活動が不平等にならないようにする、ということだろう。つまり、元から金持ちの人が自分の資金を無制限に使って沢山の秘書を抱えて政治活動(調査とか宣伝など)をすると、貧乏な政治家は不利になるのでよくない。だから、政治資金は原則として国からの補助と献金によるべきで、個人資産を無限に政治活動に振り向けるのは望ましくない。だから、本人からの寄付は1000万円を上限とする、ということだと思う(予想)。

つまり、この本人からの寄付は1000万円が上限という趣旨(元から金持ちの政治家が有利にならないようにする)からすると、資金管理団体の運営資金として「政治家本人から持ち出す金」は、「上限が1000万円の寄付」が原則であり、それ以上の金を本人から持ち出すこと(その持ち出しは、「政治家本人からの借入れ」として処理・記載するしかない)は望ましくない、それは、「貧乏人の政治家に対して後ろめたいことだ(元から金持ちの政治家が貧乏人の政治家と比べて有利になるのは法の趣旨に反し望ましくない)」というのはあると思う。

ところで、今回の鳩山さんの資金管理団体は、鳩山本人からの借入れの累積が既に8千万円になっていたらしい。(前々回の記事の「鳩山由紀夫メールマガジン」からの引用を参照)

この「政治家本人から8千万円も借入れて、潤沢な政治活動を行っていた」ということは、貧乏な政治家にはできないことだから、貧乏な政治家に対しては「後ろめたい(望ましくない)」ことだ(違法ではないが、上記のような法の趣旨には反している)。

だから、鳩山さんの、「秘書は、資金管理団体が鳩山本人から借入れた金額が既に8千万円になっていた(これは、上記のように貧乏人の政治家に対しては「後ろめたいこと」で望ましくない)ことから、これ以上、鳩山本人からの借入れ(上記のように「後ろめたく望ましくないこと」)は増やせないというプレッシャー・焦りがあったのではないか(秘書としては、鳩山本人からの借入れという安易な方法ではなく、個人献金や企業献金を増やすという努力を自らがしなくてはいけないというプレッシャー・焦りがあったのではないか)、そのために、鳩山本人からの借入れを、故人などからの寄付に、帳簿上、付け替えてしまったのでは」という秘書の動機についての説明は、僕には、かなりというか十分に、納得できるものだと思える。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (12) | トラックバック (4)

2009年7月 5日 (日)

鳩山秘書の「借入金の虚偽記載」が何故「脱税」になるのか?

鳩山秘書の「借入金についての虚偽記載」(「献金(寄付)についての虚偽記載」ではない。前回の記事を参照)について、ネットでは、「多額の自己資金を個人献金の形にして脱税行為を行ったのではないか」というような主張がある。

しかし、ここでの「脱税」とは、何の意味だろうか?

マネーロンダリングだという意味だろうか?

つまり、誰かからもらった金を、自分の所得として申告しないで、個人献金として処理したのだろう、だから所得税などを脱税したのだろう、ということだろうか?

しかし、鳩山さんは、「自分の元からの保有資金(既に適法に税金処理している金)を、団体に貸し付けて、それを秘書が本来は借入れとして処理・記載すべきなのに寄付と記載して、借入金についての虚偽記載となってしまった」(「献金(寄付)についての虚偽記載」ではない)と説明している。そして、鳩山さんは、この説明に沿って、収支報告書の訂正も既に行っている。
鳩山さんの説明としては、これで、もう十分だと思う。

それに対して、「いや、自分の元からの保有資金ではなく、誰かからもらった金だったのだろう」と主張するのなら、その主張をする人が証拠を出すべきだ。証拠を出せないのなら、単なる「空想」「憶測」に過ぎない。
検察は、証拠がない憶測だけで、動くことはない。

上記の「多額の自己資金を個人献金の形にして脱税行為を行ったのではないか」というネット上の主張に対して、上記のマネーロンダリング以外の意味で「脱税」を想定することは、僕にはできない(税金に詳しくないからかも)。

そもそも、今回のように「自己(鳩山氏本人)の保有資金」(鳩山氏の銀行預金から秘書が資金管理団体のために引き出した金額)について帳簿上「借入金」から「故人などの他人からの寄付」に付け替えた場合、得られるのは「故人などの他人宛ての領収書」だけ。そのような領収書を使って、一体どうやって脱税をしようというのか?

つまり、まぁ当たり前の話だけど、所得税の脱税をするには、収入(売上)を実際より少なく見せるか、経費を実際より多く見せるか、しかない。「自分宛ての虚偽の領収書」があれば、経費を実際より多く見せられるので脱税できる。しかし、「故人などの他人宛ての虚偽の領収書」がいくらあっても、それを使うと「収入(売上)」が実際よりも多くなってしまう(つまり所得税が高くなってしまう???)ので、脱税とは逆の方向にしかならない。全く意味がない。 

今のところ、僕が脱税の方法として想定できるのは、上記のマネーロンダリングだけだ(そして、マネーロンダリングについては、上記のとおり、全く証拠はなく、ただの憶測に過ぎない)。

他にどういう脱税の方法が考えられるだろうか? もしあれば教えてもらいたい。

追記1: コメントにもあったが、僕が、「多額の自己資金を個人献金の形にして脱税行為を行ったのではないか」という主張を見たのは、TheJOURNALというサイトの山口・週刊朝日編集長のコラムに対するコメント欄でした。

追記2: コメントにも書いたけど、誰でもそうで、もし、自分の銀行預金の中身について、いきなり、「それは元は他人から裏でもらった金だろう」とか「相続税や贈与税を脱税した金だろう」と主張されても、困りますよね。そういう主張をする人に対しては、「そういう主張をするのなら、その証拠を出せ(出せないなら、ただの空想・憶測に過ぎない)」というしかない、と思います。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2009年7月 4日 (土)

そもそも「献金」が存在していないなら、鳩山秘書に「虚偽記載の罪」が成立する余地はないはず

鳩山由紀夫メールマガジン第406号の一部を以下引用。

「実際に、平成17年頃あるいはその暫く前から、亡くなった方々を含め、事実ではない寄付者が毎年数十件記載されていました。その総額は年間400万円から700万円になることが判明しました。この行為は経理担当の秘書が独断で行い、会計責任者にも報告していなかったのです。そして、事実でない寄付に相当する資金は、私が当該秘書を信頼して預けていましたお金の中から拠出されていました。その事実は弁護士とともに、私も確認したところです。貰ってはいけないお金とか、隠さなければならないお金ではなかったことがせめてもの救いでした。

 ただ、なぜ当該秘書がこんなことを行なってしまったのかですが、当該秘書は弁護士に対して、本来ならば寄付をお願いすべき方々に対してそれを怠ったことから、事実でない記載をし、それを繰り返してしまったと述べたようです。本人からの寄付には1000万円の上限がありますが、本人が資金管理団体に貸し付けるという方法をとれば上限はありません。したがって、収入の不足分を私が預けたお金を貸付の形にすれば問題がなかったのですが、既に過去の私の貸付総額が8000万円を超えていたので、これ以上借りられないと思ったのかもしれません。弁護士は当該秘書の行為は保身のためだろうと記者会見では述べていました。その通りかと存じます。」(引用終わり。太字は当ブログによる)

この鳩山氏の説明を読むと、次の①~③のような事実が推測できる。

①秘書が勝手に故人などの名義で「寄付(献金)」として記載した金額は、「鳩山氏の資金管理団体の収入の不足分」=「鳩山本人からの資金の中、鳩山本人からの寄付(献金)の上限額(1,000万円)を超える部分(その中の2,200万円弱)」だった、

②この「鳩山本人からの資金の中、鳩山本人からの寄付(献金)の上限額(1,000万円)を超える部分(その中の2,200万円弱)」は、本来的に、「寄付(献金)」ではなく、「鳩山本人からの貸付」とすべきものであった、

③よって、秘書が勝手に故人などの名義を使って「寄付(献金)」として記載した部分は、正しくは、「鳩山本人からの貸付」として処理すべきなので、今回、政治資金収支報告書を、そのように訂正した。

ところで、前回の記事でも述べたが、小沢秘書が起訴されている寄付(献金)をした者の氏名を偽って記載したことによる虚偽記載の罪」(政治資金規正法9条違反。下記参照)は、そもそも「寄付(献金)」が存在していることが前提だ。

これに対して、鳩山秘書の場合は、秘書が故人の名義などを使用したとしても、その名義を使用した金額は「鳩山本人からの貸付」なので、そもそも「寄付(献金)」自体が存在していない。

よって、今回の鳩山秘書の行為については、「寄付(献金)」の存在を前提とする「寄付(献金)をした者の氏名について虚偽の記載をしたという意味でも虚偽記載の罪」(政治資金規正法9条違反)が成立する余地はない。なお、秘書が故人などの名義を勝手に使用したことについては、政治資金規正法の他の条項には違反する可能性はある(※訂正しました。下記の追記のとおり、「借入先について虚偽の記載をしたという意味での虚偽記載の罪」になる可能性はある)

政治資金規正法

第九条  政治団体の会計責任者(会計責任者に事故があり、又は会計責任者が欠けた場合にあつては、その職務を行うべき者。第十五条を除き、以下同じ。)(会計帳簿の記載に係る部分に限り、会計責任者の職務を補佐する者を含む。)は、会計帳簿を備え、これに当該政治団体に係る次に掲げる事項を記載しなければならない。

 すべての収入及びこれに関する次に掲げる事項

ロ 寄附については、その寄附をした者の氏名、住所及び当該寄附の金額

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記: 少し時間ができたので、改めて政治資金規正法を見てみると、鳩山秘書も、小沢秘書のケースとは大きく違うが、一応「虚偽記載」には該当するようです。「借入先」の記載について虚偽の記載をしたという「第九条 一 チ」の違反となるようです(これも「虚偽記載の罪」だといえばまぁそのとおり?)。

このように、確かに鳩山秘書について「借入先についての虚偽記載の罪」が成立する可能性はあります。なぜなら、「鳩山本人からの借入金なのだから、きちんと鳩山本人からの借入金だと記載すべきだったのに、故人などの他人からの寄付(献金)だという虚偽の記載をした」ということになるからです(まぁ、賄賂性などはまず考えられないので、悪性は極めて少ないと思いますが)。

しかし、それはあくまで「借入先についての虚偽記載」です。

したがって、「検察は、寄付(献金)についての虚偽記載の罪で小沢秘書を逮捕・起訴したのだから、他の議員(二階、林など)についても同様に逮捕・起訴すべき、でないと政治的に公平な検察捜査とは言えない」という論理(検察への要求)が自民党議員(二階、林など)について主張されていますが、この論理は、鳩山秘書のケースについては妥当しない、と考えます。

政治資金規正法

第九条  政治団体の会計責任者(会計責任者に事故があり、又は会計責任者が欠けた場合にあつては、その職務を行うべき者。第十五条を除き、以下同じ。)(会計帳簿の記載に係る部分に限り、会計責任者の職務を補佐する者を含む。)は、会計帳簿を備え、これに当該政治団体に係る次に掲げる事項を記載しなければならない。

 すべての収入及びこれに関する次に掲げる事項

 寄附については、その寄附をした者の氏名、住所及び当該寄附の金額

チ 借入金については、その借入先、当該借入先ごとの金額及び借入年月日

第二十四条  次の各号の一に該当する者(会社、政治団体その他の団体(以下この章において「団体」という。)にあつては、その役職員又は構成員として当該違反行為をした者)は、三年以下の禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

 第九条の規定に違反して会計帳簿を備えず、又は同条、第十八条第三項若しくは第十九条の四の規定に違反して第九条第一項の会計帳簿に記載すべき事項の記載をせず、若しくはこれに虚偽の記入をした者

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

鳩山氏の秘書が「虚偽記載」の罪になる余地はないのに日経は・・・

鳩山・民主党代表の事務所の「故人献金」の件で、本日付け日経の社説が、「鳩山氏本人は記者会見で「全く知らなかった。一秘書のやったことだが監督責任はある」と語った。すでに修正報告をし、秘書を解雇する意思も示した。 しかし政治資金報告書の虚偽記載は故意でなくても重大な過失があれば「3年以下の禁固または50万円以下の罰金」の罪に問われる。長期間にわたって事実と異なる記載を放置してきた鳩山氏の責任は重い」と書いていたのを見てびっくりした。

この日経社説の「しかし政治資金報告書の虚偽記載は故意でなくても重大な過失があれば「3年以下の禁固または50万円以下の罰金」の罪に問われる。長期間にわたって事実と異なる記載を放置してきた鳩山氏の責任は重い」という記載は、鳩山氏の秘書の行為が、小沢秘書の起訴事実と同様の政治資金規正法の「虚偽記載の罪」に該当することを前提として書いているように読める。

しかし、小沢秘書を起訴した検察の主張は、「他人から献金を受けた場合において(他人から献金を受けたことを前提として)、寄付行為をした者の名前として別の者の名前(虚偽の名前)を記載したこと」が「虚偽記載の罪」に該当する、というものだ。

これに対して、今回の鳩山代表の説明では、「故人献金」の記載をした金額は、「そもそも他人からの献金ではない、もともと自分の資金だった」(※下記の追記のように「政治団体への貸付」だったとする場合)と言っているのだから、そもそも「他人から献金を受けた場合」ではないのだ。

だから、(※下記の追記のように、少なくとも「鳩山氏から政治団体への貸付」だとする場合は)鳩山氏の秘書について、仮に検察の解釈を前提としても、少なくとも小沢秘書と同様の「虚偽記載の罪」が成立するという余地は全く無い。

日経は、こんな基礎的なことも無視して社説を書いてるのだろうか・・・。日経は、民主党の政策が財源などで心配だとか言っているが、日経の方こそ「大丈夫か」と心配だ。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記(2009/7/2):上記の内容に関わることなので、名音さんへのコメントをコピーしておきます。

>「自分」も自分の政治団体から見れば「他人」では?

>だから献金額の上限とか、貸付とかいった話になったのだと思っていました。

確かに、そうですね。言われてみれば、そのように思います。
「自分=他人」までは考えませんでした。

だから、(1)鳩山さんの資金が「献金」だとする場合は、「自分(鳩山)=他人」の献金だから、形式的には「虚偽記載の罪」になるということでしょうね。ただ、実質的にみると、虚偽記載の罪が設けられたのは、主として「闇献金」や「迂回献金」を抑制するという目的でしょうから、鳩山さんのように「自分=形式的には他人」が出したという場合は法律が罰則を予定していない事態で、違法性は少ないとはいえるでしょうね。
他方、(2)鳩山さんの資金が「献金」ではなく「貸付」だとすると、そもそも「献金=寄付」は無かった(「寄付行為」が無かった)のだから、やはり、「寄付をした者の名前として、別の者の名前を記載した」という意味での(小沢秘書が問われているのと同じ意味での)「虚偽記載の罪」が成立する余地はないのでは、と思います。ただ、この場合も、政治資金規正法の何らかの条文には違反しているのかも知れません。」(コピー終わり)

※1 鳩山さんが「貸付」と言っているのか「献金」と言っているのか、ここ数日ニュースをあまり見てないので、分かりません(TheJournalのコメントによると、鳩山さんは「貸付」と主張しているようです)。

※2 僕は、政治家の政治団体は、政治家個人の事務所で、個人とイコール(個人事業主の「屋号」のようなもの)かと思っていました。そうではなく、政治家個人とは別個の「法人格」が認められているのでしょうか・・・?

※3 仮に「貸付」ではなく「献金」だったとしても、政治団体に「法人格」がないならば、「政治団体の代表者個人=政治団体」なので、政治家個人から政治団体への「自分から自分への献金(資金移動)」は法律的に在り得ないので、そもそも「献金=寄付」それ自体が存在しない、「寄付をした者」も居ない、だから、「寄付をした者の名義を偽って記載した、虚偽記載の罪」も成立する余地はない、と言えると思います。

つまり、「献金=寄付」は、「他人と自分との間」でのみ成り立つもので、「自分(政治家個人)と自分(法人格のない団体=個人)との間」では法的に成り立たない。「献金=寄付」とは、「他人からの資金移動」の一種であり、「自分から自分への資金移動」は、正確な意味における「献金=寄付」には該当しない(当ブログでも呼んでるが、比喩的な意味で「献金」と呼ぶことはあるとしても)。

よって、もし政治団体に「法人格」がないならば、政治団体の代表者(政治家)個人の資金を使うことは、「献金=寄付」ではなく、「単に自分が自分の資金を使っているだけ」ということになると思います。

※4 ただ、他のサイトで「公職の候補者が、登録してある自分の資金管理団体に寄附する場合は特例があり、年間1000万円までは認められる。」とあった。これが本当なら、「自分(政治団体の代表者個人)から自分(の政治団体)へ寄付すること」は法的に存在するらしい(政治団体の法人格の有無とは別の問題なのか? とすると、上記の「※3」は誤り、となる)。どうもよく分からなくなった・・・。政治団体は税金がかからない?ことと関係あるんだろうな。僕が政治資金の基本をよく理解していなかったのかも知れない(今もよく分からない)。

※5 鳩山由紀夫メールマガジン406号によると「本人からの寄付には1000万円の上限がありますが、本人が資金管理団体に貸し付けるという方法をとれば上限はありません。したがって、収入の不足分を私が預けたお金を貸付の形にすれば問題がなかったのですが、既に過去の私の貸付総額が8000万円を超えていたので、これ以上借りられないと思ったのかもしれません。弁護士は当該秘書の行為は保身のためだろうと記者会見では述べていました。その通りかと存じます。」とされている。

政治資金規正法

第9条 政治団体の会計責任者は、会計帳簿を備え、これに当該政治団体に係る次に掲げる事項を記載しなければならない。
1.すべての収人及びこれに関する次に掲げる事項
ロ 寄附については、その寄附をした者の氏名、住所及び当該寄附の金額

第22条の6 
1何人も、本人の名義以外の名義又は匿名で、政治活動に関する寄附をしてはならない。
3 何人も、第1項の規定に違反してされる寄附を受けてはならない。

| | コメント (4) | トラックバック (5)

2009年6月27日 (土)

民主党は検察の国策捜査・起訴に対する対策案をマニフェストに

今、政治的な思惑で動いているとの検察批判は国民の間で強い。
民主党は、マニフェストに「検察改革」を入れるべきと思う。

例えば、次のような内容だ。
1. 今の検察審査会の議決は検察の処分が不当とする場合としては「起訴相当(不起訴としたのは不当で起訴すべき)」及び「不起訴不当(不起訴としたのは不当でもっと捜査すべき)」となっているが、これに、「起訴不当(この起訴は選挙が差し迫った時期に行われており選挙に政治的影響を与える可能性が高いので不当であり、起訴を止めるか起訴するとしても時期を選挙の後にずらすべき)」という議決も新たに入れるべきと思う。

つまり、今回の小沢秘書の逮捕・起訴のように、極めて総選挙が差し迫った時期に、政治的思惑の疑いがある起訴について、検察審査会が「起訴したのは不当だ(不起訴とするか起訴するにしても時期をずらすべき)」という議決ができるようにすべきと思う。

これは、民主党第三者委員会が「今回のような選挙が近づいている時期に逮捕することに対しては、法務大臣の指揮権発動もありえたのではないか」という見解を出しており、僕は妥当と思うが、反対の意見(新聞社説など)も少なくない。

そこで、法務大臣の指揮権発動に代わって、国民から選ばれた検察審査会がこのような「起訴は不当だ」との判断をすることは妥当と思う。

そして、この「起訴不当」の決議があったときは、例えば、①起訴はそのまま維持して公判を(選挙に影響を与えないように)選挙の後に強制的に繰り延べる、②被告人は拘置・拘留から直ちに開放する、などの法的効果を生じさせるべきだ。

2. 法改正により検察審査会の「起訴相当(不起訴としたのは不当で起訴すべき)」が2回出たら自動的に起訴されるようになったが、「不起訴不当(不起訴としたのは不当でもっと捜査すべき)」が2回でても何も特別な効果がないというのは妥当でない。

そこで、「不起訴不当」が2回出たら、「特別(独立)検察官」を弁護士の中から裁判所が指定して、起訴に向けての証拠の「捜査」をさせる、という制度を導入することが必要と思う。

3. 今の法務省の中枢には検察官が登用されているが、このような人事を続けていると、検察官は、検察庁に居る間も、法務省での出世を考えて、政権に擦り寄る姿勢になってしまう。だから、検察官は原則として検察庁のみで、法務省には入らないようにすべきと思う。検察官の人事交流は、弁護士などの民間や法務省以外の官庁や地方自治体との間で行えばよいと思う。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月25日 (木)

検察にはどんどん逮捕・起訴して自爆してもらいましょう(笑)

毎日新聞のスクープで明らかになった、自民党の与謝野さんと離党した渡辺さんがオリエント交易などのダミー団体からの献金を受けてきて、収支報告書にはオリエント貿易とは書かないでダミー団体の名前を書いたことが「虚偽記載」になるのでは、という話。

民主党の小沢秘書の逮捕・起訴が国策捜査であり不当だ(「虚偽記載」ではなく無罪だ)と主張してきた者としては、どのように対応すべきか?

政治資金規正法の「虚偽記載」にいう「寄付をした者」とは「形式的に見て寄付行為をした者」と解すべきであり(形式説)、小沢秘書は「外形的に献金を行った団体」の名前を書いたのだから「虚偽記載」ではない(むしろ、背後で資金を拠出しただけで形式的には献金を行っていない西松建設の名前を書けばその方が虚偽記載になる)という立場からは、与謝野氏や渡辺氏の秘書も同じく無罪のはずだから逮捕すべきではないというべきかもしれない。

しかし、郷原・元検事や岩井・日大教授などのほとんど全ての民間の専門家(弁護士や学者)の解釈(形式説)よりも、たとえ極めて少数でも一つの役所(検察庁=法務省)の公権解釈は公的な権威があるとされている。現状では、総務省が「虚偽記載」の解釈を分からないと言っている(民主党第三者委員会の総務省担当者とのヒアリングのビデオ参照)以上、検察=法務省の解釈が唯一の公権解釈だ。

その検察の公権解釈が「虚偽記載」にいう「寄付をした者」とは「実質的に見て献金をした者で、例えば背後で資金を拠出した者だ」というもの(実質説)である以上、検察には、この立場に立って粛々と迅速に処理してもらうしかない。

検察は速やかに、与謝野・渡辺両氏の収支報告書を記載した会計責任者を捜査・逮捕して起訴すべきだ。検察審査会も、検察の公権解釈を信頼?して、バンバン「起訴相当」を出すべきだ。

ただし、法律の解釈を最終的に決めるのは裁判所で、検察ではない。

検察には、頑張って、与野党を問わず、どんどん政治家秘書を逮捕・起訴してもらって、その後に、裁判所でどんどん「法解釈の誤り」で無罪にしてもらって、思いっきり自爆してもらいましょう(笑)

およそ戦いは、常に、「相手の嫌がること困ることをやる」のが鉄則だ。

では、検察は、今、何を一番嫌がっているのか? 

それは、世論から「与野党を問わず、虚偽記載の議員秘書は全てどんどん逮捕・起訴しろ」と迫られて、それをせざるを得なくなることを、一番嫌がっているはずだ。

なぜなら、そんなことしてたら、後で、ホントに、裁判で「虚偽記載に関する検察の解釈(実質説)は誤りである」として全ての公判で全員が無罪になってしまう可能性が高く(実は、検察も、そんなことは十分に分かっている)、もしそうなったら、検察はホントに玉砕・炎上してしまうことになるからだ。

検察には、是非、頑張って、全員無罪になって華々しく逝ってもらいましょう(笑)。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

民主党は「検察改革」をマニフェストに

民主党がマニフェストを固めつつあるようだが、野党への弾圧・国策捜査を続ける検察に対する批判は強いのだから、「検察改革」は是非入れて欲しいテーマだ。

先日の記事でも書いたが、今の法務省の要職を検察官が占めている現在の人事システムだと、どうしても、検察庁に居る間も、法務省での出世を考えて政権に擦り寄る姿勢を採ってしまう検察官が多く出てくるので、検察官の政治的中立性を保つことが難しくなってしまう。

だから、検察官を検察庁以外の法務省には原則として配属させないようにするという人事システムの改革が必要と思う。

その代わり、検察官と弁護士・民間との間での人事交流を行うようにすべきだろう。

また、この前の検察審査会で西松の国沢氏の二階大臣側への献金について「起訴相当」が出て、これが2回あると強制的に起訴される。これに対して、二階大臣の政治資金規正法違反については「不起訴不当」とされただけで、これは2回あっても何も無い。

この検察審査会が「不起訴不当」とした場合の手当ても、これからの法改正でやっておくべきだろう。一つの例としては、「不起訴不当」が2回出た場合は、裁判所が弁護士などから「独立検察官」(特別検察官)を選定して捜査させることだ。

追記: 「独立検察官」については、阪口徳雄弁護士のブログに書かれている。以下に一部引用。

今回の「他の被疑者」のケースのように、検察がまともに捜査しない場合に「起訴相当」決議は難しい。満足な証拠を集めていないからである。その結果、市民の怒りの「不起訴不当」決議になった。
検察審査会の「不起訴不当」決議に関する、検察の再捜査の義務があることは当然.
検察はこの議決を重く受け止めキチント捜査をして起訴すべき。
今後のあり方として、不起訴処分をした、同じ検察に再捜査を命じても、殆ど同じ結論になる可能性が大。
裁判所が「独立検察官」を選任し、新しい視点で捜査の補充をするスキームなどの法改正が必要となろう
」(太字は当ブログによる)

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年6月20日 (土)

西松事件(国沢被告)の公判・判決は小沢秘書の公判にどう影響するのか

西松事件(国沢被告)の公判は、被告が起訴事実を争わないため、昨日(6/19)だけで結審し、判決は7/14とのことだ。

6/19の公判(裁判)では、法律解釈も事実認定も、予め裏で司法取引?をして争わない、裁判所も特に法解釈などについて訴訟指揮はしなかったから、7/14の判決は、起訴どおりの判決になるのだろう。

この判決が出ると、小沢秘書の公判にどう影響するのだろうか。郷原・元検事などの専門家の解説を待ちたいが、とりあえず、私見を述べておきたい(以下については、素人なので、とんでもない勘違いもありえます)。

国沢被告の政治資金規正法違反の起訴事実は「他人名義での寄付・献金」の禁止の違反ということだ。つまり、「西松建設が他人(ダミーの政治団体)の名義を使って寄付をしたこと」が違法だというものだ。この行為は、寄付・献金をした西松建設から眺めたものだが、この寄付・献金を受け取ったのは小沢氏側、そして小沢秘書はこの受け取った寄付・献金を収支報告書に政治団体からの寄付・献金と記載した(寄付行為者として、西松建設ではなく政治団体の名前を記載した)ために「虚偽記載」だとして起訴されている。

この国沢被告に関する「他人名義で寄付した」という犯罪構成要件の解釈は、小沢秘書に関する「寄付をした者」の解釈とは異なるべきと思う。

すなわち、まず、小沢秘書に関する「寄付をした者」の解釈については、今では広く知られているように、「形式的に見て寄付をした(銀行振り込みをした)者」(形式説)か「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」(「背後で実質的に資金を拠出した者」も含む)(実質説)かという争いがある。

しかし、国沢被告に関する「他人名義で寄付した」という文言については、そもそも形式説はありえないのではないだろうか? なぜなら、「他人名義を使う」ということは「形式的な名義を偽ること」なのだから、「他人名義を使ったかどうか」は「形式的な名義の背後に居る者」を実質的に見て決めるしかないだろう。つまり、「他人の名義で寄付した」かどうかは、その名義が実質と合致しているかどうか、という実質を考える(つまり実質説)しかない。形式説のような考え方はありえないと思う。

だから、「他人の名義で寄付した」罪に関して、「実質的に見て、西松建設が、他人である政治団体の名義を使って、寄付した」のだと検察は主張し、被告もそれを認めた。裁判所も認めるだろう。僕も、これは妥当だろうと思う(国沢被告・前社長は、総務部長?当時に、主導的に2つの政治団体を設立して、社長になってからも献金を担当していた)。

これに対して、小沢秘書のケースは、受け取った側だ。「寄付をする側の行為」に関する罪と、「寄付を受ける側の行為」の罪とは、それぞれ別個に検討されるべきものだ。それは、例えば、著作権者の許諾を得ないでコンテンツを「送信する」のは違法(公衆送信権の侵害)だが、それを「受信する」(ダウンロードする)のは適法とされているのと同じだ(今国会で無許諾コンテンツの受信=ダウンロードも違法(ただし罰則なし)だと著作権法が改正されてしまったが)。

小沢秘書が「虚偽記載」となるかどうかの決め手となる「寄付をした者」の法解釈については、既に郷原さんなど多数の専門家が述べているので、ここで繰り返す意味はないのだが、簡単に述べておきたい。次のA(形式説)とB(実質説)との2つがある。

A.(形式説) 「寄付をした者」とは、「形式的に(外形的に)見て寄付をした(銀行振り込みをした)者」と解釈すべきで、このケースでは西松の政治団体(なお、このケースでの西松の政治団体は、代表者も事務所もあってパーティもやるなどある程度の実態があり全くのペーパーの架空の団体ではない)。

B.(実質説) 「寄付をした者」とは、「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」と解釈すべきで、例えば「実質的に背後で資金を拠出した者」もこれに含まれると解釈すべきで、このケースでは西松建設。

郷原さんや岩井・日大教授(政治資金規正法の第一人者)などの通説はAの形式説で、岩井教授によると、今までも現在もほぼ全ての政治家がAの形式説を前提に処理しており、もしBの実質説に解釈が変更されると、今までの政治資金の処理が根底から覆って大混乱になるとのことだ(民主党第三者委員会での議論のビデオより)。

これに対して、検察はBの実質説(検察が今回の小沢秘書を逮捕して初めて考え出した少数説、というかほぼ検察だけの1人説)に立っているようだ。Bの実質説に立つことを前提とすれば、今回の国沢被告の「他人名義での寄付」の罪を認める判決は、小沢秘書を有罪にもっていくための「ポイント稼ぎ」になってくれるだろう。なぜなら、「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実を、7/14予定の判決が認めてくれることになるからだ。

つまり、もしBの実質説に立つならば、「寄付をした者」とは「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」だと解釈すべきで、それは本件では西松建設である。そして、この「形式的にではなく実質的に見て寄付をしたと評価できる者」≒「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設であるという事実は7/14(予定)判決も認めている。そして、故意(認識)の問題についても、小沢秘書が「実質的に背後で資金を拠出した者が西松建設だということは知っていた」という供述をしている(?後述)、だから小沢秘書は有罪だ、という結論になる。要するに、検察は、今回の国沢被告の公判(司法取引して検察と被告とが馴れ合ってる公判)と判決を、今後の小沢秘書の公判で小沢秘書をうまく有罪にもっていくための「仕込み」として利用しようとして、そのシナリオは一応成功したということだ(裁判官が検察の狙いどおりの内容の判決を7/14に出してくれるかどうかはまだ分からないが)。

しかし、Aの形式説(通説)に立つことを前提とすれば、「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実が7/14の判決で認定されたとしても、何も問題はない。なぜなら、Aの形式説からは、「形式的に見て寄付行為をした者」は政治団体であり、西松建設ではない(西松建設は「実質的に背後で資金を拠出した者」に過ぎない)から、小沢秘書は政治団体の名前を書くべきであり、それで十分だったからだ(むしろ、もし西松建設の名前を書いていたら「虚偽記載」の罪になってしまっただろう)。

検察は、6/19の国沢被告の公判の中で、小沢秘書が「献金が実質的には西松建設からの資金だろうと知っていたと供述した」と主張したそうだ。しかし、仮にそのような供述が真実だと仮定しても、それは、この「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったという事実(Aの形式説からは犯罪とは関係のない事実)を小沢秘書も認めたということに過ぎない。それは、あくまで、Bの実質説に立って初めて意味がある(故意が成立するという意味で)が、Aの形式説に立つならば全く意味がない供述だ。なぜなら、Aの形式説(通説)に立つ以上、「実質的に背後で資金を拠出した者」が西松建設だったかどうかは、「虚偽記載」の罪の成否に全く関係ないからだ。だから、Aの形式説に立つ以上は、そのような犯罪の成否に関係のない事実を小沢秘書が認識していようがいまいが、また、そのような犯罪の成否に関係のない事実について小沢秘書がどのような供述をしていようがいまいが、全く意味はなく、どうだっていいことだ(犯罪の成否に関係のない事実でも、動機や情状としての意味がある場合はあるが、Aの形式説からはそもそも無罪になるので、それもない)。

以上より、Aの形式説という従来の通説に立つ限りは、今回の国沢被告の判決の内容が小沢秘書の公判に対して与える影響は、ほとんどないと見てよいと思う。

ただ、それは、あくまで純法律的にはということで、判決が出てマスメディアが騒ぎまくって小沢氏や民主党のイメージが毀損されることは十分にありえる。

なお、最後に、上記のAの形式説とBの実質説とについて、Aの形式説が妥当だという理由を書いておきたい。

理由① もしBの実質説を採用したとすると、郷原さんも書いているが、会計責任者は、正しいだろうと思って形式的に寄付行為をした者の名前を書いていても、後から検察が来て実質的に見たらそれは違うから「虚偽記載」だということになって逮捕・起訴されてしまうことになり、すごく不安で怖いことになる(行動の自由が不当に害される)。というか、そのような解釈をもし採用するのならば、有罪となる行為を予め明確に一般の国民に示して国民の自由を保障することを要求する罪刑法定主義(憲法31条、同39条など)に反することになり、そのような不明確な「虚偽記載」の罪を定めた規定そのものが違憲・無効となるだろう。これに対して、Aの形式説を採用するならば、有罪かどうかは一般の国民にも予め明確に分かるので、「虚偽記載」の罪を定めた規定は憲法違反ではない。以上より、検察(だけ)が主張するBの実質説は妥当でない。

理由② もしBの実質説を採用したとすると、政治家は、団体から献金を受ける度に、その団体の背後に実質的な資金の拠出者などの黒幕がいないどうかを団体に確認したり調査しなくてはならないが、「政治権力を持つ政治家」が「献金してくれるという団体」に対してそのような確認や調査を行うことは、その団体の内部に対する干渉になり、団体の政治活動の自由や団体自治を侵すことになるし、団体の各構成員の個人情報を侵害することにもなってしまう。Bの実質説は、このような団体の政治活動の自由、団体自治、団体の構成員の個人情報を侵害する行為を政治家に強要するものであり、妥当でない。

それから、「二階俊博・経済産業相が代表をしている「自民党和歌山県第3選挙区支部」に計600万円を献金していたとされる疑惑だ。国民が刑事司法に参加する検察審査会の仕組みが変わったこともあり、これまで以上に慎重な証拠の検討を迫られた特捜部の捜査は長期化している」というニュース。これは、おそらく小沢秘書と同じ「虚偽記載」の問題だろうが、これは、検察は本当に困っていると思う。

つまり、検察審査会が頑張って「起訴相当」を2回やってくれると、二階側が起訴されるが、それを検察はすごく恐れていると思う。なぜなら、上記のAの形式説とBの実質説との法解釈の争い(小沢秘書の弁護団との解釈の論争)を、もう1人の裁判官の前でもやらねばならなくなるからだ。小沢秘書だけなら、つまり1人の裁判官だけなら、プレッシャーをかけたりして何とかなる(有罪率99%の実績は十分なプレッシャーだ)かもしれないが、2人もはきつい。逆に、小沢秘書側には、二階側が起訴されると助かると思う。

また、この件では、植草一秀さんのブログも参考になる。

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

追記: 上記のAの形式説とBの実質説とについての文献として、民主党第三者委員会の報告書があるので、その一部(おそらく郷原さんの執筆)を引用しておく(なお、以下で太字と赤字は当ブログによる。なお、以下の赤字の部分の「法務省」とは「検察」とイコールだ。検察は法務省に所属している)。

「2-1.違反の成否
(1) 法解釈上の問題
ア 「寄附をした者」とはどのような意味か
検察側の主張は、「寄附名義の政治団体は西松建設のダミーであり、本件の寄附について収支報告書に『寄附者』として西松建設と記載しなければいけない、それを政治団体と記載したことが虚偽記入に当たる」というものと考えられるが、検察の主張の重要な根拠とされているのが、寄附の資金の実質的な拠出者が西松建設だということだと思われる。
ここで問題になるのが、政治団体や政党が寄附を受けた場合に、会計責任者に政治資金収支報告書に記載することが義務づけられている「寄附をした者」とはどのような意味なのか、ということである。寄附者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と資金の拠出者が異なっている場合に、外形的行為者と資金の拠出者のいずれが「寄附をした者」に該当するのか
(中略)
イ 関係当局の見解と問題点
この点について関係当局の見解を把握するため、政治資金規正法を所管する総務省及び罰則について審査を行う立場にある法務省の担当者にヒアリングへの出席と回答を求めたが、法務省当局からは、出席も回答も得られなかった。
総務省からは担当補佐が出席したが、「収支報告書上、寄附の内訳への記載が求められる寄附者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄附を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか(例えば、寄附として現金を持参してきたのはAだが、その資金はB が拠出していると認識していた場合に、その寄附を受領した政治団体Xの会計責任者は、寄附者をAと記載したら良いのかBと記載したら良いのか)」との質問に対して、「法律上『寄附をした者』を記載することとされているので、総務省としては、会計責任者が法の趣旨に則り、実態を把握して『寄附をした者』を記載してくださいとしか言えない」との回答に繰り返すのみであった。
この点に関し、衆議院法務委員会で、「『寄附をした者』というのは、資金を拠出した者という意味なのか、自分の名前で振り込みや金銭の行為などの外形的行為を行った者を意味するのか」との質問が行われたのに対して、大野恒太郎刑事局長は、「これは寄附した者をいかに認定するのかという事実認定、当てはめのことになる。実際に誰が寄附をした者なのかという認定をするに当たっては、金銭交付に至った経緯やその意図、金銭交付に関与した者の状況等、諸般の事情を個別具体的な事案に応じて判断することになる」旨、答弁した
要するに、法務省は、寄附の外形的な行為者と資金の拠出者が異なっている場合、いずれが「寄附をした者」に当たるかは、形式的に判断すべきことではなく、諸般の事情を総合的かつ実質的に判断しなければ結論を出せないというのである
このように、「寄附をした者」の判断について、一般論を示すことなく、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解によれば、政治団体、政党の政治資金の処理を行い、政治資金収支報告書の作成・提出を行うことを義務づけられている会計責任者は、寄附者をどう記載すべきかを自ら判断しなければならず、しかも、そこで、結果的に記載が誤っていたと認められた場合には、虚偽記入罪の刑事責任を問われるリスクを負わされるということになる。それは、政治資金収支報告の実務に重大な影響を与えることになりかねない。
(2) 寄附をめぐる実態との関係
このように、政治資金規正法の解釈としては、「寄附をした者」とは、基本的に、「寄附
者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、このように解したとしても、例えば、寄附名義の団体、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような存在で、寄附行為者としての実体がまったくない場合には「行為者」と認められず、資金の拠出者が寄附者となる場合もあり得る。
そういう意味で、実態とまったく無関係に判断できるわけではない。
本件は、刑事事件として起訴された事案なのであるから、実態に基づく判断は、最終的に
は、公判手続の中で証拠による事実認定に基づいて行うほかない。しかし、実態に基づいて検討を行うための一つの手がかりとなる資料がある。それは、西松建設が2009 年5 月15 日に公表した内部調査委員会による調査報告書である。
同報告書に記載された政治団体の実態及びその政治資金の寄附の実態によれば、これらの団体を、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような実体のない団体とは認め難い。「寄附をした者」が政治団体ではなく西松建設であるとの検察の主張立証には相当な無理があり、「寄附をした者」を政治団体と記載したことは虚偽記入罪には該当しないのではないかと思われる。」

| | コメント (2) | トラックバック (3)

「検察官が法務省の要職を占めている」現在の人事システムを改めることが必要

昨日の西松事件公判(被告:国沢前社長)についてだが、今日(6/20)の新聞を見てたら、記事中に検察に批判的な部分を幾つか見つけたので、一部を引用する(以下の引用で、太字は当ブログによる)。検察批判が少ないとはいえ以前と比べると格段に増えているが、マスメディアも政権交代後の保身を考えたのだろう。

・6/20日経新聞より引用。渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事法)の発言として「・・・検察は政党の動きに巻き込まれてはならない。検察官が法務省の要職を占める人事システムを改めるなどして中立性を高めることが必要だ。

・6/20朝日新聞より引用。郷原・元検事の発言として「・・・容疑を認めている国沢幹雄被告らの公判で、何の文句も言われないからといって、検察側は言いたい放題だった。争っている大久保被告は完全にかやの外で、反論の機会も無いまま、有罪のイメージができあがる。こんなやり方が裁判員制度のもとで許されるのか。アンフェアだ

・6/20日経社説より引用。「西松建設は多くの政治家に政治団体名義で献金をしてきた。その中でなぜ小沢代表代行への献金だけを立件したのか、検察は明快な説明をしておらず、総選挙が近いだけに政治的意図を勘繰る声さえ出ていた。

・昨日(6/19)の日経夕刊より引用。岩井奉信・日本大学法学部教授(政治資金規正法の研究の第一人者)の発言として、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は実質的な選挙期間だから、検察の捜査は選挙妨害だ、と言って、検察を批判していた。

上記(一番上の引用)のように、今回、渥美東洋教授は、現状の検察が政党(自・公)からの影響を受けている可能性があることから、中立性を高めるため、今の「検察官が法務省の要職を占めている人事システム」を改めることが必要だという一つの具体的な処方箋を示されている。

民主党・日本新党・社民党は、政権交代後を踏まえて、渥美教授や郷原元検事などを含む委員会を作って、今回のような検察の政治的な動きを是正・コントロールするためのシステム作りを検討して欲しい。

ブログランキングへブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

実質的な選挙期間に検察が民主党を狙って捜査や公判をするのは「選挙妨害」では?

今日(6/19)の西松建設の前社長・国沢氏の公判の冒頭陳述の新聞記事などを見たが、検察は、またまた小沢氏側が談合で「天の声」を発したとか何とか、小沢氏側に大きな風評被害を与えていた。マスコミの報道は、小沢秘書側の弁護士にも取材するなど、かなり抑制的だったと思う。与党議員は大騒ぎしてたが。

ところで、今日の日経夕刊にあったが、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は、公職選挙法は、立候補者個人のポスター貼りを禁止するなどの規制を加えているらしい。

そして、また、今日の日経夕刊では、岩井奉信・日本大学法学部教授(政治資金規正法の研究の第一人者)が、衆議院の任期満了から6ヶ月内の期間は実質的な選挙期間に既に入っているのだから、この実質的な選挙期間内に検察が政界ルートを捜査したりするのは選挙妨害だ、と言って、検察を批判していた。

衆議院の任期満了から6ヶ月内という実質的な選挙期間に、検察は、郵便不正・悪用事件で民主党の石井議員に風評被害を与えたり、今日の西松事件の公判の冒頭陳述で小沢氏側に風評被害を与えたりと、民主党への選挙妨害のやり放題だ。捜査も公判もやるなとは言わないが、「総選挙に大きな影響を与える捜査や公判」については、総選挙後に時期をずらすことは可能なはずだ。

民主党第三者委員会で小沢氏が「検察の権力行使を外からチェックするシステムが必要だ」と言ったらしいが、ほんとに、検察が政治に干渉して国民による投票活動に影響を与える(選挙妨害をする)などの民主主義を破壊する行為をすることを第三者が規制・コントロールする制度(自衛隊のシビリアン・コントロールと同じような制度)を作る必要がある。

自衛隊と同じで「野放し」にするのは本当に危険だと思う。

ところで、今回の西松建設の前社長・国沢氏は、新聞によると、①2つのダミー団体の名義で計500万円を(小沢氏側の睦山会などに)政治献金した政治資金規正法違反の罪、②外為法違反の罪、という2つの「形式犯」で起訴されているらしい。

このうち、①の政治資金規正法違反の罪が、小沢秘書と関連する部分だ。

新聞記事だけでは、今日のところは、具体的な罰条・起訴事実がよく分からない(そのへんは明日の新聞で詳しく出るだろう)。

ネットで見たら、産経の記事の次の国沢氏の弁護人の最終弁論の部分が、参考になった。次に一部引用。「《弁護人は、政治資金規正法が寄付者を記すべきだという説と、資金の拠出者を示すべきだという説があると主張する》 「仮に(寄付者を記すべきだという)形式説が正しいとしたら、法の趣旨は収支の公開であって、違法性はさらに低いものになるのではないか」 《続いて、新政研と未来研を設立した経緯に話は及ぶ。弁護側は2つの政治団体を国松(沢?)被告が「主導して設立したのは間違いない」と認めた。・・・」(太字は当ブログ)

この太字の部分は、このブログでも何回も述べている郷原・元検事その他の従来より一般的な解釈(「寄付した者」とは「献金を振り込んだ者」で「背後で資金を拠出した者」ではないから、小沢秘書は「献金を振り込んだ団体」の名前を記載すればよかったのであり、西松建設の名前を書くとかえって「虚偽記載」となってしまう)を、国沢前社長の弁護人がそのまま述べたものだ。この部分は、「情状」として述べたものだろう(小沢秘書側の違法性が無いかもしれないし仮にあるとしても低いから、国沢前社長の違法性も低いはずというような意味?)。

まぁ、国沢前社長の方は「献金した罪」の該当性、小沢秘書の方は「虚偽記載の罪」の該当性と、それぞれ罪が問われている対象の行為が違うので、国沢前社長が仮に政治資金規正法違反の有罪となったとしても小沢秘書が有罪と決まるわけでは全くない

また、今日の冒頭陳述で、検察は、「小沢秘書が、実質的に西松からの献金だと知っていたと供述した」と主張したらしい。しかし、ここでは「実質的には(背後では)西松からの資金だろうと知っていた」ということに過ぎない。つまり、もし仮にそのような供述が本当にあったと仮定しても、小沢秘書は「実質的に拠出した」のが西松だと知っていただけのことに過ぎない訳で、あくまで客観的に見て「形式的に献金をした」のは西松ではなく政治団体なのだから、小沢秘書としては、きちんと政治団体の名前を書くべきなのであり、その政治団体の名前を書いておきさえすれば「虚偽記載」にはならず、無罪となる、と考える(郷原さんなども同じだろう)。

ブログランキングへブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年6月18日 (木)

自公議員だけじゃない、マスコミも自分の立ち位置探しに必死?

The Journalによると、東京新聞が6月17日から、小沢一郎前代表の秘書が逮捕された西松献金事件について、検察の一連の捜査を検証する『誤算 西松建設巨額献金事件』と題する連載を同日付朝刊から開始したらしい。

マスメディアの中で、「検察批判」?をするところが出てきた。

機を見る敏で、政権交代が現実になると見越して、「勝ち馬に乗ろう」という変わり身の術?もあるのかな(^^ 

どうせ、民主党政権になれば、記者クラブは廃止だから、検察から出入禁止になっても被害は大きくないと踏んだのでは?

東京新聞もそうだが、最近は、読売新聞も、反小泉・反郵政民営化の社説(鳩山弟支持・西川辞任すべし)を書いて、「民主党=与党」の立ち位置を獲ろうと舵を切ったようだ。

イス取りゲームで、早い者勝ちだ。

朝日は乗り遅れて、「検察・自民党=野党」の立ち位置しか残っていないかも。朝日が乗り遅れているのは、もしかして、郵政不正事件関連で検察に弱みを握られているとのネット上の噂と関係があるのか?

毎日は、・・・まさか公明・○○学会というのはないと思いますが(^^

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月16日 (火)

郵便制度悪用事件の政治家ルートの捜査は総選挙後に

今回の郵便制度悪用事件で、大阪地検が、割引制度の適用条件を満たす障害者団体であるとの証明書を偽造した容疑で、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長の村木氏を逮捕したことから、民主党が「第2の西松事件(国策捜査)か」と警戒しているらしい。

ここより引用「・・・(「凛(りん)の会」(現・白山会)の)倉沢容疑者は、かつて民主党の石井一副代表の私設秘書を務めていたうえ、白山会会長側は同党の牧義夫衆院議員側に24万円を献金していた。 このため、民主党幹部は「民主党議員が関係者として実名で報道されているのは知っている。常識的には、特捜部も総選挙前には(政界ルートに)動かないだろう。ただ、西松事件の前科がある。ここまで内閣支持率が下落すると、政権維持のために禁じ手に踏み込む可能性もゼロとはいえないかもしれない」と警戒している。」(太字は当ブログによる)

今までも「総選挙が近づいているときは、政界ルートの捜査は総選挙の後に」というのは常識だったのだろうが、黙ってると最近の検察は何をしでかすか分からない。

この「検察と総選挙」の問題は、国会でも早急に議論すべきだろう(本来はマスメディアが議論すべきだがマスメディアは検察・政権側に擦り寄っているのが現状だ)。自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題が内在していると考える(検察国家軍事政権、民主主義を破壊する点で同じようなものだ)。

何年も前の事件を総選挙前に蒸し返す手法も合せ考えると、少なくとも、今回も西松事件と同じ「国策捜査」であることが明らかになった。」というこちらのブログ(謙虚と謙譲の音楽)の見方は説得力がある。

今回の郵便不正事件における検察の「何年も前の事件を、総選挙の直前のタイミングと合うように、時期を選びながら徐々に蒸し返していく、という手法」は、西松事件と全く同じだ。

しかし、検察は、今回は、前回の西松事件のときのように国策捜査の誘惑にかられることなく、政治家ルートの捜査(逮捕を含む)は総選挙の後まで遅らせるべきだ、と考える。その理由は、次のとおりだ。

1.総選挙における投票活動は、憲法上最も重要な、主権者たる国民による政治行為だ。その「憲法上最も重要な、総選挙における国民の投票活動」の内容に、どういう方向であれ、選挙を経ていないただの検察「官僚」が(間接的にでも)影響を与えることは許されない

2.検察の捜査、特に政界への捜査は、常に政権側の政治的意図による国策捜査の可能性、それがなくても冤罪の可能性がある(歴史上多いし、現代でも韓国を初めとして諸外国の例を見れば明らか)。しかし、もしそのような検察捜査の不当性・恣意性があったとしても、それが明らかになるのは、裁判が終わった後なので、少なくとも捜査・逮捕が行われてから数ヶ月か一年以上後になってしまう。つまり、もし総選挙の直前に検察による政界ルート捜査が行われると、必ず、その捜査が正当なものか不当で恣意的なものかが分からないままの状態で、つまり、国民の投票行動に影響を与えたままの状態で、総選挙における国民の投票活動が行われてしまう。その結果、もし総選挙の直前に政界への捜査がなされてマスコミによる世論操作が行われることにより「総選挙における国民の投票活動」の内容が影響され歪められてしまうと、もしその後に検察捜査の不当性・恣意性が明らかになっても、既に後の祭り、「民主政治上、取り返しの付かない甚大な損失」が生じてしまう

 ※民主党の第三者委員会の報告書でも、「西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。」と述べられている(18ページ部分)。

3.特に、検察による「野党側」の政治家の捜査は、総選挙前は行われるべきではない。なぜなら、歴史上及び最近でも韓国、ペルー、ミャンマーなどの諸外国の例を見れば、検察の政界ルートの捜査の中でも、特に野党側に向けられた捜査は、後で不当性・恣意性が判明するものが多い傾向があるからだ(そもそも検察官僚は政権側に所属しており、政権側に利用されやすいことからも当然)。

4.他方で、検察による政界ルートの捜査を総選挙が終わるまでの数ヶ月だけ遅らせたとしても、個々の政治家について、時効が成立してしまう、証拠隠滅の時間を与えてしまうなどのマイナスはあり得るだろうが、仮にそのようなマイナスが生じたとしても、上記2.で述べた「民主政治上、取り返しの付かない甚大な損失」と比較すれば小さなものに止まる。

5.民主党の第三者委員会の桜井敬子委員(学習院大教授)も堀田元検事を呼んでの議論のビデオの中で発言されているが、安保条約や自衛隊などの極めて高度な政治性を有する問題については、政治を取り扱う民主主義ルート(国民の選挙での投票活動と国会での議論)によって決めるべきで、国民の選挙を経ていない裁判官が決めるべきではないという「統治行為論」が認められている(判例・通説)が、同じことは検察の政界ルート捜査にも当てはまる。憲法上最も重要な国民による投票活動(総選挙)が近づいている時期に、国民の選挙を経ていない「ただの検察官僚」が政界ルートへの捜査・逮捕を行うことを通じて「国民の投票活動」の内容に(間接的にでも)影響を与えることは、憲法上、許されない自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題が存在しているのだ(検察自衛隊、いずれも実力・武力装置であり、その制御を誤れば民主主義が破壊されてしまう点で、同じような性質を有している)。

なお、当ブログの末尾に、民主党の第三者委員会の報告書の18~19ページ(おそらく桜井敬子委員(学習院大教授)による執筆と推測される)を引用しておく。この部分の特に指揮権発動について述べた部分(「法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる」)について、森法相が批判しているようだ(「雑感」に記載がある)。6/11付け読売新聞・社説も「・・・さらに、法相に捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現も盛り込まれている。一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われても、仕方あるまい。」と批判的に書いている。

確かに、この部分は少し誤解を受けやすい表現かもしれないが、僕は、ここの「指揮権の発動」とは、「仮に捜査・逮捕をやるとしても、国民の投票活動に影響を与えないように、捜査・逮捕の開始時期を、総選挙の後になるように数ヶ月だけ遅らせること」という意味だと思う。その意味で、この部分の論説には、上記5.で述べたとおり、全面的に賛成だ。この「検察と総選挙」の問題は国会でも議論すべきだろう。

追記1: 6/12付け毎日jpも上記の民主党・第三者委員会の報告書に批判的な記事を載せている。以下に一部引用。「報告書は今回の事件に関し「法相は高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断に委ねるという選択肢もあり得たと考えられる」とした。 検察庁法は個別事件に対し、法相による指揮権を認めるが、「検事総長のみを指揮できる」と制限している。戦後、実際に指揮権が発動されたのは1954年の造船疑獄事件だけ。当時の自由党の佐藤栄作幹事長への捜査が事実上ストップし、発動した犬養健法相は辞任に追い込まれた。その後、歴代法相は指揮権を事実上の「抜けない刀」と位置づけている。検察捜査が政治的に利用されないための配慮からで、今回の事件を巡っても森英介法相は「私は検察に全幅の信頼を置いている。指揮権行使は毛頭考えていない」と、国会答弁で繰り返した。 ある検察幹部は「法律専門家も入っているのに、信じられない議論だ。独立性が保たれているから公正な捜査ができる」と不快感を示す。また、法務省関係者は「民主党が政権をとったら積極的に指揮権を使うべきだとも読める内容で、恐ろしさを感じる」と漏らした。 小林良彰・慶応大教授(政治学)は「第三者委員会は独立したものであるべきだが、小沢氏への批判は薄く、検察批判や報道批判に多くを割いた。多くの人は、民主党の別動隊かとの印象を持つだろう」とした上で、「昨今、自民党も取り上げない法相の指揮権発動に言及したことに違和感がある。三権分立との関係をどう考えているのか」と批判する。 元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授は「仮に自民党側に捜査が及んでいた場合でも、指揮権に言及するような報告書を出しただろうか」と疑問を呈した。

この毎日jpの記事に対する当ブログのコメント。上記の毎日jpで「森英介法相は「私は検察に全幅の信頼を置いている。指揮権行使は毛頭考えていない」と国会答弁で繰り返した」と書かれている。確かに、法務大臣という政権内部の人間が恣意的に指揮権を発動するのは良くない。だから、「政権内部」ではなく「国民の代表である国会」が、予め、法務大臣が指揮権を発動するときのルール・ガイドラインを議論して決めておくべきだと思う(今回のような、総選挙が近い時期では政界ルートへの捜査・逮捕は総選挙の後に延期する、というのも、このルールの一つだ)。そして、もし指揮権発動したら、その後で国会でそれがルールどおり行われたかどうか、事後チェックすればよい。森法相のように「検察に全幅の信頼を置いて、とにかく何も手出しはしない」という方がむしろ怖い。検察に全幅の信頼を置いて国会が何もしないのなら、検察が国会の上位に立つ検察国家になってしまい、民主主義が破壊されてしまう。自衛隊のシビリアン・コントロール(文民統制)と同じ問題だ。

追記2: 6/12付けの元検事の落合洋司弁護士のブログでも、上記の森法相の発言について触れてあり、基本的に当ブログと同じ立場のようだ。以下に一部引用。「検察庁法上、法務大臣は、個別の事件につき検事総長のみを指揮できるものとされていて、検察権の行使が政治の不当な影響を受けることを防止しつつ、検察権が民意に反して暴走することも防止できるようにしています。 (中略) 森法務大臣は、「検察はこれまで一環して不偏不党を旨として活動してきた」と言っていますが、不偏不党が見せかけだけで、一党一派に偏った検察権行使が行われようとしていたり、一見、証拠に基づいているように見せかけながら、証拠が、脅迫や利益誘導等を織り交ぜながらでっち上げられたようなものであるといった正義に反するような事態に直面すれば、暴走を阻止するため指揮権を発動すべき場面というものはあり得るでしょう。 (中略) その意味で、森法務大臣が言うように、現在の検察庁が「全幅の信頼をおく」に値する存在なのかどうかということは、今後も検証する必要がありそうです。」(太字は当ブログによる)

検察やマスコミが標榜・偽装してきた「不偏不党」が”まやかし”だったと露わになったのが、この前の西松事件で、あれはあれで良かったのだろう。

追記3(2009/6/17): 元検事の郷原弁護士も報告書の「指揮権発動」部分へのマスコミの非難に対する反論を日経ビジネスオンラインで書かれている(「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を)。以下に一部引用。「・・・逆に言えば、この造船疑獄を巡る史実は、検察の権力に対する何らかの抑制システムの必要性を如実に表していると言えよう。そして、そういう意味での検察の捜査権限や公訴権の行使に対する唯一の民主的コントロールの手段となり得るのが、現行法上、この法務大臣の指揮権なのである。 「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」という検察庁法第14条の規定は、本文で、検察庁も法務省に属する組織であることから検察官の職務は法務大臣の一般的な指揮監督に服することを規定する一方で、但し書きで、具体的事件の捜査や処分について法務省と検察庁との関係を限定している。この規定により、一般的な事件については法務省が検察庁の捜査や処分に関わることはなく、検察庁から法務省への報告も行われないが、例外的に、検事総長にも報告されるような重大事件については、法務省が「法務大臣の指揮権」を前提に、検察庁から報告を受けることがあり得る。  この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「…大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない。  (中略) ・・・法務大臣として、「総選挙を控えた時期に、このように重大な問題がある政治資金規正法違反事件で、野党第一党の党首にダメージを与えることは、与党側の選挙対策上は有利になることではあっても、民主主義政党たる与党としても不本意なことである。国民に政権選択の機会を与えることを尊重すべきだ」と判断して、捜査の着手を遅らせるよう指揮権を発動する「選択肢」は十分にあり得たのではないか。それを行っていたとすれば、法務大臣の判断は、党利党略ではなく、本当の意味で検察捜査と民主主義との関係を真摯に考えた末での客観的で公正な立場から行った指揮権発動の判断として、歴史的な評価に値するものとなったのではなかろうか。」(太字は当ブログによる)

要するに、報告書の「指揮権発動」部分へのマスコミの非難は、またまたマスコミの勉強不足と思考停止の現れということだ。僕も全く同感だ。

以下、民主党の第三者委員会の報告書の18~19ページより引用:

3.検察権の行使と民主主義の関係

3-1.議院内閣制との関係
国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である

西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。

3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚
裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。

3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性
本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。

このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことを謳い、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとの謗りを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。
」(太字は当ブログによる)

ブログランキングへ←ブログランキングに参加してます。ポチッと^^

| | コメント (0) | トラックバック (4)

西川辞任が許されない「郵政民営化の裏のシナリオ」はあるのか

小沢秘書が逮捕されてからすっかり影が薄くなっていた「かんぽの宿」の問題が最近になってまた息を吹き返した。鳩山弟が「出来レース」と言い出したあの頃はほとんど注目されてなくて、何故マスコミは報道しないのか(オリックスなどがマスコミのスポンサーになっているからだろうと一応結論付けた)とやきもきしてたもんだけど。

あれから5ヶ月くらい経って、その間に、徐々に国民の間にも浸透したんだろう。読売新聞の世論調査では「西川辞任すべき」が67%だったらしい(ここより)。

郵政民営化に賛成という前提に立っても、西川続投支持という結論だけでなく、不透明な取引を主導したか止めなかった責任から辞任というという結論は十分可能だったはず。それなのに、小泉、竹中、これらに繋がる管(すが)、中川などの各議員はなぜ必死で西川氏に固執するのか。

以前からネットでは「小泉・竹中・西川と米国金融資本が描いたシナリオ」というのがいろんなところで言われていたのだが、当初は僕も「陰謀好きな人たちの見方」かなと思っていた。しかし、この見方はかなり説得力があるし、最近は賛同者が増えているようだ。

6/13付け日刊ゲンダイでは平沼赳夫元通産大臣が次のように発言しているらしい(ここより引用)。「西川さんが辞めないのは、そもそも就任のときから大きなシナリオがあるからでしょう。そのシナリオの中では西川さんは必要不可欠の人物だ。だから、辞めるに辞められないのだと思います。そのシナリオとは、日本の郵貯、簡保資金の解放ですよ。私が経産大臣をやっていたころから郵政問題は日米の政府間協議に上っていた。何度も政府間協議が開かれましたが、その会合には米国の民間保険会社の社長が来ていて驚いたものです。年次改革要望書でも郵政問題は取り上げられた。そうしたら、米国では研究よりも人脈づくりに励んでいたのではないかと思われる竹中平蔵さんが郵政民営化を推し進め、その竹中さんや米国のゴールドマン・サックスと強い絆がある西川さんが、前任者の生田正治氏に代わって日本郵政の社長に就任したわけです。彼が辞任しないのは、裏の大きなシナリオ抜きには語れない。鳩山大臣も当然、それを知っているから引けないのでしょう」(太字は当ブログによる)

これをより詳しく解説したのがここの記事だろう。以下一部引用。「・・・これ以降は私の推測であるが、「竹中平蔵・三井住友銀行・ゴールドマン・サックスのトップ二者」の密談では、西川善文氏を日本郵政株式会社のトップに据え、四分社化によるゆうちょ株式会社と、かんぽ生命の株式上場までの道のりを整えて置くことが話し合われたに違いない ここで竹中平蔵氏の役割は、2007年の4月に四分社化を実現して、郵政民営化を無事にスタートさせることであった(実際は生田正治氏の抵抗によって10月に延びたが)。一方、西川善文・三井住友銀行頭取の役割は、分割民営化された郵政事業を統括する日本郵政のトップに収まり、「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式をそれぞれ半分以上、つまりゴールドマン・サックスが経営支配権を持つまで買わせる計画ではないだろうか。それまではその計画が円滑に行くように、西川氏が日本郵政の舵取りをする必要があるのだろう。 2002年夏から、2003年1月にかけて行われた、西川氏とゴールドマン・サックス二名の三者の会談、及びそれに竹名平蔵氏を加担させた四者の会談では、四分社化と株式上場までの基本計画がじっくりと話し合われたと思う。郵政三事業を、いったんバラバラにしたうえで、アメリカの垂涎の的である郵貯と簡保は、全株を市場に放出する形に持って行く必要があったわけである。」(太字は当ブログによる)

何か、スケールが大きな話で今のところ証拠がない(関係者の「自白」などがあれば証拠になるが)だけに陰謀論に過ぎないといえばそれまでだが。

上記の裏シナリオを少し変形して、米国金融資本の代わりに国内の政商(オリックスなど?)を持ってきて「郵政民営化利権」という形にすれば、スケールが小さくなった分、ぐっと身近に感じられる議論になる。

週刊朝日編集長の山口一臣氏のブログの論はこういう系譜のものだろう。以下に一部引用「・・・これはいったい何なのか。ぼくは「規制緩和利権」の一端がはからずも露呈してしまった事件ではないかと疑っている。 郵政民営化には表の「志」とは別に裏コンセプトがある。それは郵政資産の売却だ。かんぽの宿などの不動産だけでなく、総資産300兆円以上といわれる「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命」の株売却もある。そこには当然、利権が発生する。郵政資産の売却に関する規制は、過去に民営化した国鉄(JR)や電電公社(NTT)に比べてかなりルーズだ。1万円で売却された物件が、すぐに6000万円で転売されてしまうことでもわかる。 民営化直前に「かんぽの宿」などの資産を5年以内に売却するよう法律に書き加えたのは、当時の竹中総務相だったといわれている。その竹中氏の盟友が、「かんぽの宿」の売却先だったオリックスグループを率いる宮内氏だ。宮内氏は、規制緩和を利用して自らの企業グループを急成長させてきた。「現代の政商」と呼ばれるゆえんである。(中略) こう考えると、なぜ「改革派」があれだけ西川氏にこだわるのかも見えてくる。別に西川氏でなくとも郵政民営化論者の財界人はたくさんいる(そもそも西川氏は全銀協会長時代は銀行の利益代表として郵政民営化に反対していた)。同じ民営化論者でも、コンプライアンス