「肥溜め」の思い出
「肥だめ絶賛、循環型社会ヒントは江戸時代 環境白書
政府は3日、08年度の「環境・循環型社会白書」を閣議決定した。白書では、江戸時代の社会システムを検証。特に「肥だめ」の効用についてほぼ1ページを割いて詳細に解説した。し尿は放置しておくと悪臭ばかりか感染症の源にもなる。しかし、し尿を肥だめに入れておくと嫌気性細菌の代謝作用で、安全な肥料として安定化された。こうして都市住民のし尿が肥料として農村に運ばれ、その肥料でつくられた作物が都市で消費されており、白書は「まさに循環型社会を構築していた」と絶賛している。 」
上の「肥溜めの循環型社会に学べ」というasahi.comの記事(リンク先は既に無い)を見て思い出した。
「肥溜め」には、懐かしい思い出がある。
僕が生まれ育った田舎には、田圃や畑の畦道の側など、いたるところに、肥溜めがあった。僕の実家も周りもほとんどが兼業農家で、肥溜めから肥料を汲んで畑にまくことなどいつもやっていた。
それで、僕が通った中学校では、裏に大きな山があった。中学校3年の春、その裏山で火事があった。朝、歴史の先生が教室に飛んできて、「お前ら、みんな、火事を消しに行け!」と叫んだので、皆が走っていった。僕も田圃の間の畦道を皆と走ったが、途中で片足を何かに突っ込んで転んだ。よくみると肥溜めだった。片足がスッポリと肥溜めに突っ込んでいた。火消しの手伝いは全くできなかったというか、それどころではなく、どうしようか、途方に暮れた。
友達の中には笑っているヤツが多かったが、一人だけ、Kという親友がいて、そいつだけは側にいて親身に心配してくれた。でも、体操服などの着替えもなく、田舎者なので、家に帰るという智恵もなくて、校舎の横の水道で片足をズボンごと適当に洗っただけで、そのまま授業に出た。肥溜めは堆肥化していたので、ほとんど臭くなかった。ただ、運の悪いことに、その日は、ちょうど4月のクラス写真を撮る日で、ズボンは黒色で分からないのだが、運動靴は白色が片方だけ肥溜めの色になっていた。隣に座った女の子が嫌そうに僕から離れるように斜めになっていて、そのクラス写真は今も手元にある。まあ、これは有名な話で、中学校のほとんどの同級生はまだ覚えているだろう。
あの頃の僕は、こういう風に、全くドジなヤツで、周りからもそう思われていた。でも、それが、発明家としての才能の元になっているような気がする。つまり、うまくいえないが、ドジということは、世の中や周囲にうまく適応できないということであり、それは発明の原動力になるような気がするのである。
また、田舎の自然に囲まれて(人工的な刺激に惑わされないで)、のんびりと平凡に育ったこと、本が好きだったことなども、発明を生み出すために最も大切な「想像力」(創造力ではない)を育てるのに役立ったのではないかと思う。
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