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2008年6月22日 (日)

日曜発明家

僕が今も付き合っている発明仲間の一人がJさんだ。Jさんとは、13年前に知り合った。Jさんは、僕が「この道」に入る切っ掛けになった恩人だ。

Jさんは、僕の郷里に住んでいる。ある発明の会合で知り合ったのだが、知り合った当時、Jさんは、ちょうど大阪の大手電気メーカーからUターンしてきて、地元のメーカーに転職した後だった。大手電気メーカーを辞める前は、エンジニアとして年に30数件のペースで発明の出願をするなど、少なくとも発明の数はトップクラスだったらしい(実力もトップクラスだったろうと思った)。特許明細書の書き方も、企業研修で習っていて、慣れているようだった。アナログ回路やデジタル回路について基礎からの体系的知識を持ち、最先端の知識も持っていたので、地元のメーカーでは勿体ないと感じた。年は僕と1歳違いだった。

Jさんと親しくなってから聞くと、Jさんは、地元にUターンした直後から、自分で次々と発明して次々と出願していた。家電製品の発明が多かったと思うが、他の全く別分野の発明、例えば道路関係とか自動車関係の発明なども出願していた。内容は斬新な基本発明が多かった。

サラリーマンとして生計を立てながら自分の自由時間で発明して出願する「日曜発明家」とでも言うのだろうか。Jさんの転職した職場も少しは電気関係の仕事があるらしいが、家電製品などは全く作っていないので、「自由発明」は自分で出願しても全く問題ないよね、と2人で話した(Jさんは、以前の大手電気メーカーに居たときは、その大手電気メーカーは家電製品なども販売していたので、家電製品の発明をしたら会社に譲渡して会社の名で出願していたらしい)。

Jさんは、前回の記事のUさんとは違って、礼儀正しく温和な人だった。まあ、会社に勤めながら発明をする人は大体そうだろう。でないと会社勤めは続かない。

僕は25歳のときに実用新案の出願をしたりして、発明には興味はあったのだが、それはあくまで趣味と思っていた。しかし、Jさんは、姿勢が全く違っていた。Jさんは、大手電気メーカーの技術者が研究しているのと同じ分野(ターゲット)の発明を一足早く発明・出願して、大手電気メーカーにライセンスする(大手電気メーカーがライセンスを受けざるを得なくなるようにする)ことを狙っていた。まさに、個人発明家のビジネスモデルの2番目のものを、自分で考えて実践していた。

そんなことは無理ではないかと思ったが、Jさんは、「自分は大手電気メーカーの中に居たけど、内情を見れば、所詮は同じ人間がやっているので、大したことない、やれる可能性は十分ある」、と言った。それを聞いて、「それなら、オレもやってみよう」と思った。それから、僕は、「この道」に突き進み、発明を加速し、出願をどんどん出して行った。

それが今から13年前なのだが、その後、Jさんはストレスからか体調を崩して、それまでの次々と発明をして出願するということは抑えるようになった。知り合った当時、Jさんから、前の会社(大手電気メーカー)に居たときは楽しかった・・・という話を聞いていた。地元でいろいろストレスがあったのかもしれない。

でも、今も、自分の出願や特許についてのメーカーへの売込みなど、いろいろやっているようだ。電気や物理の知識はすごいので、今でも、技術的に分からないことなど、いろいろ教えてもらっている。これからも、ずっと付き合っていきたい発明家の一人だ。

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