発明は必要の母・必要は発明の母
栗原潔さんのブログ、よく見ているのですが、「発明は必要の母」というタイトルの記事が出てました。
その中から引用(元ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一さんの言葉らしい)。
「(発明は必要の母だというのは)イノベーションは最初の発明者が想定したのとは違う方向に進むことが多いからだ。蒸気機関は最初は炭鉱用のポンプとして生まれ、長い間交通機関には使われておらず、エジソンは録音技術をボイスメモとしか捉えておらず、音楽産業を想像できなかった。つまり発明は予測の範疇を超える。」
普通は「必要は発明の母」だけど、発明は「必要の母」つまり「発明の母の母」になる、ということだ。
これは、基礎科学の分野、大発明・大発見を見ると、当然だね。アインシュタインの相対性理論など革新的な理論が発表されると世界中の人々が触発されてあちこちで議論が沸き起こって新しい理論が次々に生まれたみたいな。
コンピュータの発明も、最初は数学者のチューリングが設計した計算モデル(チューリング機械)から始まったけど、トランジスタの発明と半導体の発明が結婚してコンピュータに適用されて小型で高速のコンピュータになって、徐々に通信の世界(インターネット)やロボットの世界まで進出してきた。
本当の科学者は「何のため」なんか考えないで「ただ面白いから」という好奇心だけで突き進む。本当の大発明はニーズなんかすっとばして、そのニーズは数百年掛けて徐々に多様に生まれていく、そして、その次々と生まれるニーズのためにその大発明が数百年掛けて使われていく。
これに対して、僕のような普通のレベルの発明家や通常の企業の研究者や開発者がやる発明は、まずニーズをつかまえてそれを解決するために何とかひねり出すというだけで、大発明のような雄大なロマンや発展性はない。一つのニーズを解決したらそれで終わりという単発の発明だ。
もう一度生まれてきたら、今のようなチマチマした発明ではなく、一生に一つだけでもいいから、大発明をやれるような人間になってみたい。
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