« 2010年9月 | トップページ | 2011年8月 »

2010年11月の2件の記事

2010年11月 4日 (木)

Wikileaks(ウィキリークス)

今日のNHKクローズアップ現代でやっていたWikiLeaks(ウィキリークス)。

個人が投稿した内部告発文書を、メンバーのジャーナリストが真偽を検証した上で全て公開する。

主な活動拠点は内部告発者の保護が法律で確立しているスェーデン。

代表者は元ハッカーの30代男性(名前は忘れた※)で、世界中に、エンジニアやジャーナリストなどの協力者がいて、投稿者=内部告発者の足がつかないシステムにしている。スェーデンの地下にサーバーなどが設置された広大な秘密基地が建設されていた。

 ※ウィキリークスの創始者はジュリアン・アサンジ氏

2007年から活動を開始して以降、現在、軍事秘密文書などを公開されたアメリカ、ロシア、中国などの政府が、国家への犯罪行為だとして目の敵にしている。今後、逮捕はもちろん暗殺される可能性も十分にある。

この元ハッカーの男性は、そんな危険を犯してまで、なぜこの活動をするのか、そんなことに興味を引かれた。アルカイダのビン・ラディンと似ていると感じた。アルカイダは宗教的信念が動機付けとなってテロという軍事行動をしている。こちらは、もっぱらネットでの言論活動だが、動機付けは情報を操作する国家への反逆心だろうか(元ハッカーの代表者は、ハッカーをしていた10代の頃、ペンタゴンやNASAのシステムにハッキングしたとき、国家の機密情報に触れて、国家の情報操作を目の当たりにしたのかもしれない)。

個人がネットワークで繋がって、国家という強大な組織と対峙し「見えない戦争」をしているという印象を受けた。個人vs大組織というテーマは、一応、このブログも同じなんだけど、まぁスケールは全く違いますね。

追記: 尖閣諸島における中国漁船衝突事件のビデオ流出はユーチューブからだったのでビデオを投稿した告発者が特定(場合により逮捕)されてしまう可能性はある。ユーチューブでなくてウィキリークスに投稿していたら絶対に安全だったろうに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 3日 (水)

ナチチャコ

僕の世代の多くはラジオの深夜放送を聞いてたが、高校時代、僕も金曜夜のパックインミュージックのナチチャコは欠かさず聴いていた。

 

多くの投書は「・・・でやんす」とか「・・・でありんす」とかの特殊な文体で、独自の世界を作っていた。

 

深夜2時半ごろからは、ナッちゃんが30分くらいかかる長めの投書を読んで、それにチャコちゃんがお囃子を入れるというスタイルで、最後の「シバの女王」が流れる頃、ナッちゃんが少しマジメな話をして、チャコちゃんも「そうよね~」なんて言って、何かシミジミした感じになって締めるというパターンだったが、それでこっちもジーンと来て、何か良い気持ちになって、寝床についていた。

 

あの高校時代、ナチチャコは、孤独な僕にとって灯台か道標のような存在になっていたと思う。

 

野沢那智さんが10/30に亡くなったという報道が出ていた。72歳だった。白石冬美さんは元気なんだろうか。

 

あれから35年くらいが経ったんだな。少し寂しい。

 

ご冥福をお祈りします。

 

以下は引用です。

 

2010年11月3日 読売新聞 編集手帳 

 

山田太一さんの小説『岸辺のアルバム』に、大学生の律子がラジオの深夜放送を聴きながら勉強した受験生の頃を回想する場面があった◆〈「ナッちゃん、チャコちゃん、おばんでやんす。初めてお便りする女の子チャンでやんす」…投書はすばらしく達者で、思わずふき出すようなものがいくらでもあったが、主調音は「孤独」だった〉(東京新聞刊)◆「ナッちゃん、チャコちゃん」はラジオの深夜番組でパーソナリティーを務めた野沢那智さんと白石冬美さんである。俳優・声優としても親しまれた野沢さんが72歳で死去した◆パソコンも携帯電話もない当時の深夜放送がもっていた意味合いは、いまの若い人には見当がつかないかも知れない。誇張した実話にせよ、創作にせよ、愉快な話を薪(たきぎ)代わりに持ち寄っては、ラジオに手をかざすようにして聴取者同士が互いに暖を取り合っていた、そんな気もする。暖の中央に野沢さんがいた◆暗い窓。卓上スタンドの明かり。ひらいたまま、はかどらぬ参考書。理由もなく仏頂面をした自分――訃報(ふほう)に接し、何十年か昔の深夜の情景を胸に浮かべた人もいるだろう。

 

2010.11.2 産経新聞【追悼】俳優・演出家 野沢那智さん-声優・白石冬美さん
野沢那智さん リスナーになりきって…「読み方の天才」

 

 先月末に亡くなった俳優で演出家の野沢那智さんは、ラジオで声優の白石冬美さんと長年コンビを組み、「若者向け深夜放送」という一つのメディア文化を定着させた担い手の一人でもあった。白石さんに、ラジオのパーソナリティとしての野沢さんの魅力を語ってもらった。                   ◇

 

 野沢那智さんが亡くなった日、愛息の野沢聡(そう)さんから、お父さんそっくりの声でそっとお電話をいただきました。私は「ナチちゃん、ありがとう」と安らかなお顔に初めて触れ、お別れが言えました。今までも大病を3回くらいされていましたが、「僕は治療中、お医者さんの言うことは全部聞くんだ」と、どんな時も必ず回復されていただけに、喪失感はとても大きいのです。

 

 野沢さんと私はTBSラジオが深夜放送をスタートした昭和42年、「パック・イン・ミュージック」の木曜日にコンビを組みました。後に文化放送に移っても計25年間、“ナチチャコ”を続けました。

 

 俳優、声優としても天才的だった野沢さんは、実は普段は人見知りで、どちらかというと静かなタイプの人でした。それがスタジオの赤ランプがつくと、パッと切り替わりました。

 

 リスナーからの手紙を読むという、当時としては斬新な番組スタイルでした。野沢さんは手紙の中の人物を「きっと、こういう人」と想像し、なりきって、読み方の天才でした。それがリスナーからの手紙の連鎖を呼びました。手紙が何でも伝え、答えてくれ、私たちはスタジオにいたのに、情報の送り手ではなく受け手だったのです。

 

 笑ったり考えさせられたりしたリスナーからの手紙は、私たちのカウンセラーになってくれました。

 

 今もリスナー同士の交流がネットで続いています。野沢さんのおかげで、今も至るところで「時代を作ったね」と声をかけていただきます。そんなラジオの時間は、ナチさんと会わなければ得られなかった、私の生涯の宝物です。(談)

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2011年8月 »