発明のコツ・公私混同
今週のアエラ(2008.05.26号)の17ページの糸井重里さんのコラムを見ました。
糸井さんは、このコラムで、「工業社会の時代に、労働者が自発的でない仕事に従事していたころは、・・・公私をはっきり分ける意味があった・・・。現代においては、生産と消費は混同している・・・。モノを作るとき、消費者としての『私』が充実していないと、『公』にウケる商品も生み出せない。」と言われてました。
僕の「私」は、あまり充実していないな・・・。だから、最近、あまり発明が出なくなったのか・・・。
小説や映画などのコンテンツや芸術の世界では、昔から、「私」生活と「公」である作品とは、密接に結びついていました。それが、近年の知価社会では、工業製品なども同じような傾向が出てきたのでしょう。
ただ、僕が最近思うのは、芸術の世界も変わりつつあるというか、弱体化しつつあるということです。昔の小説家は、太宰治や中原中也などみても、「破滅的で芸術的な私生活」を実践して、それを作品の肥やしにしていました。それが、最近の小説家を見ると、多くは、毎朝、サラリーマンよろしく自宅から近くのマンションなどの事務所に「出勤」して、夕方5時ごろまで執筆して帰宅するという「規則正しい生活」をしているようです(雑誌か何かで見ました)。
これは、芸術の弱体化なのか、時代がそれを要請しているのか。同じことは、将棋の世界でもそうで、昔は「飲む打つ買う」が棋士の私生活だったけど、最近はコンピュータを使ったりしてスマートになって、規則正しい生活をしているようです。まあ、今の時代、「飲む打つ買う」なんてやっていると、メタボになったりして、周りから総スカンを喰いますよね。
発明家の世界はどうなのかなあ。僕はこの15年、規則正しい生活をしています。だから、発明が出なくなったのかなあ。
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