カテゴリー「雑談(その他)」の13件の記事

2012年1月 7日 (土)

これからは「目的本位」で

最近すっかりご無沙汰ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

先ほど、久しぶりに見たら、アクセス・カウンタが20万を超えていました。アクセス解析を見ると、ほとんど書き込みしていない最近でも、発明や特許などのキーワードによる検索エンジンからのものを初めとするアクセスが、毎日50件以上ありました。

 

こんなブログでも20万アクセスを突破できたこと、素直にうれしく思います。これもブログを訪問してくださる皆さんのおかげです。ありがとうございました。

 

さて、新しい年を迎えましたが、発明のことだけやるわけにはいかず、今まで、いろんな雑用や雑念を抱えながらやってきましたが、今までのやり方では到底、無理だと感じました。

 

それで、今年初めに、これからは「目的本位」に徹しようと誓いました。

 

目的本位とは、昔、森田療法(心身症などを直すためのリラックス法の一種)を始めた森田という心理学の先生が提唱された言葉なのですが、見栄とか世間体とかメンツとかその他もろもろのくだらない雑念は振り捨てて、大目的だけを考えてやっていけ、という思想です。

 

今、40数件の特許を抱えて、その毎年の維持年金の支払いにも結構頭が痛い状態ですし、大手企業へのライセンスの売込みも継続的にやっていますが、なかなかうまくいっていません(もっとも交渉は秘密裏に行うべきものなので、もし交渉がうまく進行してても、このブログでは一切書けないですけどね)。でも、何とか良い方向に向かっているのではないかという予感はあります。

 

ところで、昨年(2011年)の「個人vs大組織」の立役者はオリンパスの浜田正晴さん(50)でしたね。

 

上司の不正を社内のコンプライアンス担当に通報したら逆にそのことを上司に密告されて左遷・イジメに遭いましたが、それにくじけず、オリンパスに勤めたままオリンパスを相手に訴訟を起こして、一審(東京地裁)では敗訴してさらに酷い社内イジメに遭いながらそれに耐えて、ついに昨年の二審(東京高裁)で逆転勝訴判決(内部通報漏れ報復事件判決)。

 

コンプライアンス室への通報からあしかけ4年間の長く孤独な戦い。とても僕なんかには真似できない、すごい精神力です。全国の「大組織と戦っている個人」の人たちに、大きな勇気を与えてくれたと思います。

 

僕も、全国の個人発明家たち、あるいは「大組織と戦っている個人」の人たちの力に少しでもなれるように、そして連帯できる日を目指して、これから死ぬ気でやっていこうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 4日 (木)

Wikileaks(ウィキリークス)

今日のNHKクローズアップ現代でやっていたWikiLeaks(ウィキリークス)。

個人が投稿した内部告発文書を、メンバーのジャーナリストが真偽を検証した上で全て公開する。

主な活動拠点は内部告発者の保護が法律で確立しているスェーデン。

代表者は元ハッカーの30代男性(名前は忘れた※)で、世界中に、エンジニアやジャーナリストなどの協力者がいて、投稿者=内部告発者の足がつかないシステムにしている。スェーデンの地下にサーバーなどが設置された広大な秘密基地が建設されていた。

 ※ウィキリークスの創始者はジュリアン・アサンジ氏

2007年から活動を開始して以降、現在、軍事秘密文書などを公開されたアメリカ、ロシア、中国などの政府が、国家への犯罪行為だとして目の敵にしている。今後、逮捕はもちろん暗殺される可能性も十分にある。

この元ハッカーの男性は、そんな危険を犯してまで、なぜこの活動をするのか、そんなことに興味を引かれた。アルカイダのビン・ラディンと似ていると感じた。アルカイダは宗教的信念が動機付けとなってテロという軍事行動をしている。こちらは、もっぱらネットでの言論活動だが、動機付けは情報を操作する国家への反逆心だろうか(元ハッカーの代表者は、ハッカーをしていた10代の頃、ペンタゴンやNASAのシステムにハッキングしたとき、国家の機密情報に触れて、国家の情報操作を目の当たりにしたのかもしれない)。

個人がネットワークで繋がって、国家という強大な組織と対峙し「見えない戦争」をしているという印象を受けた。個人vs大組織というテーマは、一応、このブログも同じなんだけど、まぁスケールは全く違いますね。

追記: 尖閣諸島における中国漁船衝突事件のビデオ流出はユーチューブからだったのでビデオを投稿した告発者が特定(場合により逮捕)されてしまう可能性はある。ユーチューブでなくてウィキリークスに投稿していたら絶対に安全だったろうに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月 3日 (水)

ナチチャコ

僕の世代の多くはラジオの深夜放送を聞いてたが、高校時代、僕も金曜夜のパックインミュージックのナチチャコは欠かさず聴いていた。

 

多くの投書は「・・・でやんす」とか「・・・でありんす」とかの特殊な文体で、独自の世界を作っていた。

 

深夜2時半ごろからは、ナッちゃんが30分くらいかかる長めの投書を読んで、それにチャコちゃんがお囃子を入れるというスタイルで、最後の「シバの女王」が流れる頃、ナッちゃんが少しマジメな話をして、チャコちゃんも「そうよね~」なんて言って、何かシミジミした感じになって締めるというパターンだったが、それでこっちもジーンと来て、何か良い気持ちになって、寝床についていた。

 

あの高校時代、ナチチャコは、孤独な僕にとって灯台か道標のような存在になっていたと思う。

 

野沢那智さんが10/30に亡くなったという報道が出ていた。72歳だった。白石冬美さんは元気なんだろうか。

 

あれから35年くらいが経ったんだな。少し寂しい。

 

ご冥福をお祈りします。

 

以下は引用です。

 

2010年11月3日 読売新聞 編集手帳 

 

山田太一さんの小説『岸辺のアルバム』に、大学生の律子がラジオの深夜放送を聴きながら勉強した受験生の頃を回想する場面があった◆〈「ナッちゃん、チャコちゃん、おばんでやんす。初めてお便りする女の子チャンでやんす」…投書はすばらしく達者で、思わずふき出すようなものがいくらでもあったが、主調音は「孤独」だった〉(東京新聞刊)◆「ナッちゃん、チャコちゃん」はラジオの深夜番組でパーソナリティーを務めた野沢那智さんと白石冬美さんである。俳優・声優としても親しまれた野沢さんが72歳で死去した◆パソコンも携帯電話もない当時の深夜放送がもっていた意味合いは、いまの若い人には見当がつかないかも知れない。誇張した実話にせよ、創作にせよ、愉快な話を薪(たきぎ)代わりに持ち寄っては、ラジオに手をかざすようにして聴取者同士が互いに暖を取り合っていた、そんな気もする。暖の中央に野沢さんがいた◆暗い窓。卓上スタンドの明かり。ひらいたまま、はかどらぬ参考書。理由もなく仏頂面をした自分――訃報(ふほう)に接し、何十年か昔の深夜の情景を胸に浮かべた人もいるだろう。

 

2010.11.2 産経新聞【追悼】俳優・演出家 野沢那智さん-声優・白石冬美さん
野沢那智さん リスナーになりきって…「読み方の天才」

 

 先月末に亡くなった俳優で演出家の野沢那智さんは、ラジオで声優の白石冬美さんと長年コンビを組み、「若者向け深夜放送」という一つのメディア文化を定着させた担い手の一人でもあった。白石さんに、ラジオのパーソナリティとしての野沢さんの魅力を語ってもらった。                   ◇

 

 野沢那智さんが亡くなった日、愛息の野沢聡(そう)さんから、お父さんそっくりの声でそっとお電話をいただきました。私は「ナチちゃん、ありがとう」と安らかなお顔に初めて触れ、お別れが言えました。今までも大病を3回くらいされていましたが、「僕は治療中、お医者さんの言うことは全部聞くんだ」と、どんな時も必ず回復されていただけに、喪失感はとても大きいのです。

 

 野沢さんと私はTBSラジオが深夜放送をスタートした昭和42年、「パック・イン・ミュージック」の木曜日にコンビを組みました。後に文化放送に移っても計25年間、“ナチチャコ”を続けました。

 

 俳優、声優としても天才的だった野沢さんは、実は普段は人見知りで、どちらかというと静かなタイプの人でした。それがスタジオの赤ランプがつくと、パッと切り替わりました。

 

 リスナーからの手紙を読むという、当時としては斬新な番組スタイルでした。野沢さんは手紙の中の人物を「きっと、こういう人」と想像し、なりきって、読み方の天才でした。それがリスナーからの手紙の連鎖を呼びました。手紙が何でも伝え、答えてくれ、私たちはスタジオにいたのに、情報の送り手ではなく受け手だったのです。

 

 笑ったり考えさせられたりしたリスナーからの手紙は、私たちのカウンセラーになってくれました。

 

 今もリスナー同士の交流がネットで続いています。野沢さんのおかげで、今も至るところで「時代を作ったね」と声をかけていただきます。そんなラジオの時間は、ナチさんと会わなければ得られなかった、私の生涯の宝物です。(談)

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月 7日 (土)

飲んで何になるんすか?

http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20100805/104478/

 

引用開始

 

「飲んで何になるんすか?」

 

 (中略)酒についても、クルマによく似た傾向がある。

 

「ビールって、飲んで何になるんすか?」。20代の若者たちに、何度こう聞かれたことかわからない。「だって、飲むと楽しいじゃない」と返すと、決まってこう言う。

 

 「シラフでだって、ガンガン盛り上がれますよ」
 「酒ってジュースより高いし、何も残らない。もったいないじゃないすか」

 

 酒は金もかかるし、飲んでも酔いが覚めれば終わりだから「ムダだ」「エコじゃない」と言わんばかりだ。思わず、「これだからケチな世代は!」と食ってかかりそうになったが、そこをグッとのみ込んでさらに聞いてみると、草食系世代の意外な本音に気づいた。

 

 それは、「飲んで酔っ払うと、周りに迷惑がかかる」という気持ち。
 少しだけ飲んでほどよく酔えば楽しいのは、20代の若者も知っている。しかし、飲み慣れない酒を無理に飲んで酔っ払えば、周りに迷惑がかかる。そうなる自分が、極端に嫌なのだ。

 

 実際、昔から父親が家でよく酔っ払っていたり、「酔って帰って来て玄関で寝込んでいた」といったシーンを目撃していた草食系世代ほど、「酒が嫌い」「飲んで何になるんすか」と漏らす割合が高かった。

 

引用終わり

 

hikasuさんのブログで知ったんだが、最近の草食系男子の考え方、僕と同じなので意外に思った。

 

僕は20代の頃は酒に弱いくせに飲んで、道端で寝てしまって危うく轢かれそうなったり、転んで頭を打って数か月モノが二重に見えたりして、それから酒をがぶ飲みするのを止めた。今は、酒を飲むと次の日に響くし腹の調子も悪くなるので、最初ビールを飲んだら早めにウーロン茶に切り替えてなるべく話しを中心にするようにしている。

 

こうすると、帰ってから仕事したり、翌朝から仕事したりできて便利だ。

 

そういうオッサンの僕から見ると、世代を超えて、「飲んで何になるんすか?」というのはすごくよく分かる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 8日 (木)

世界史

こんにちは 

 

最近はほとんど書き込みしてないのに、毎日100件以上のアクセスがあります。検索サイトから来られるのですが、まぁ、ほとんどの人ががっかりして他に飛んでいかれるのでしょう(笑)

 

ワールドカップで、最初、ウルグアイとパラグアイの区別がつきませんでした。

 

チェコとスロバキアも今は別になってますね。

 

ネアンデルタール人と北京原人とは、昔は発見された場所が違うだけと思ってたのに、それぞれが、現人類とも、互いに別の「種」(属?)に属するものだったとは(同じヒト科なので交配は可能なのでしょうが)。

 

もう高校時代の世界史の知識はほとんど役に立ちません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 5日 (月)

孫正義ライブ2011

孫正義ライブ2011

 

確かに良かった。今後の日本でエレクトロニクスや自動車が再び輝くことはもうない。孫さんは、だからIT一次革命(米国・PC中心)からIT二次革命(アジア・モバイル中心)といっているが、IT以外ではどうなのか。コンテンツとか、バイオとか、発明・発見とか、そういう方向か?

 

http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-41.html

 

孫さんの講演のライブ配信は停止されているようです。

 

孫さんの講演で特に気になった一部、以下はその引用です。

 

そもそも、インターネット革命とはなんぞや。
Sonlive371
産業革命とは、農耕社会から、工業社会へ。
第一次産業革命というのは、軽工業。イギリス中心にですね、軽工業。

第二次産業革命は、重工業。これはアメリカを中心に。

今は、その第二次産業革命の末期です。
日本が最近輝きを失っているのは、この第二次産業革命の後期・末期で、日本の存在意義が揺らいでいる。

アメリカを中心として日本が後追いして、産業革命・工業革命という意味では、より賃金の安い、より材料が安い、中国・インドに全部移っていく。だから日本の競争力がなくなった。

組み立て産業、ものづくり産業で、日本がもう一度競争力を取り戻すのは、ほぼない。
私は断言します。

皆さんまだ20代なったばっかりですよね。
皆さんにとって、これから50年人生がある。
これから50年の人生で、皆さんにとってですよ、日本にとって、これから50年の人生で、賭けてもいい。
日本のものづくりの工業生産国家として、競争力を取り戻して、世界の一位二位を争うような、競争力を取り戻すという時代がもう一度来るか。輝かしい日本のエレクトロニクス産業、ものづくり産業、自動車産業、そういうことで日本がもう一度輝ける時代が来るか。

私に言わせれば、ありえない。
断言します。

一部ではありますよ。一部の会社。一部のセグメントではある。でも大きな山で見ると、大きなものさしで見れば、賃金の安い中国、インド。国内の市場のボリュームが大きい彼らに、どうやって競争できるんだ。

少なくとも今のままの日本の延長線ではない。
なんか大きな革命がおきれば話は別です。
今のままではおそらくないだろう。

私は少なくともそう思う。
(中略)

ITの第一次革命は、アメリカでした。
でも産業革命の第一次革命がイギリスで、第二次革命はアメリカに移った。

IT革命では第一次IT革命はアメリカですけども、第二次革命として、アジアが中心のIT革命になりえる。

PC中心からモバイル中心に。
ということでもう一度スタートラインに並びます。というチャンスがある。

この2つの面でチャンスである。

アジアを制するものが世界を制す。
モバイルを制するものがインターネットを制する。

こういう、もう一回だけ、最後のスタートラインの仕切りなおし。
だから私はモバイルインターネットということを言ってるわけです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年11月 7日 (土)

人生の本質

ドラマ「不毛地帯」のエンディングが、最近の私は気に入っていて、極寒の地の中に立つ主人公の姿は、私がいつも感じている気持ち、気分に非常に似ていると、毎週、エンディングを見ながら思っています。一言で言えば、寂寥感ということでしょうか。流れている歌も、そこはかとなく寂寥感が出ていて、しみじみとさせられます。

 

人生の中では、晴れがましい場面があったり、人に誉めそやされたりといったこともありますが、その本質は寂しさではないかと私はいつも感じています。そういった寂しさをいかに乗り越えてゆくかが、人生における最大の課題なのかもしれません。

 

上は落合洋司弁護士のブログからの引用だが、人生の本質が寂寥感、寂しさ、空しさではないかというのは、僕もよく感じる(落合弁護士は「空しさ」までは書いてませんでしたが^^;)。

 

無常観とか、人間は1人だというのも最近よく感じる。

 

俳句はよく分からないが、松尾芭蕉のわびさびなどもそういうことだろうか。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月16日 (日)

夏休み

xtcさんのブログにもコメントしたことだけど・・・。

僕が子供の頃の夏休みは、いつも身近に入道雲と木陰の涼しさがあった。

夏休みは毎朝、朝顔を見ながら、近くのお寺でラジオ体操、日中は近所のガキ大将たちと近くの川で泳いだり・・・。そういう毎日も、お盆が過ぎて夏休みが残り少なくなると、胸が痛いというか、胸が締め付けられるような感じがしてた。名残惜しい感じ、今から思うと、夏にサヨナラしなきゃいけない、セミが死ぬように人間もいつか死ぬんだっていうような感傷的な気分。吉田拓郎の「夏休み」の世界だった。

大人の夏休みはそんな感傷も何もない薄っぺらだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月12日 (水)

同窓会

先週の土曜日に中学校の同窓会があったので出てきた。皆、昔から付き合いの悪い僕が出てたので驚いてたようだけど。今までに5回くらいあって、僕は今回で2回目の参加だった。

 

僕は高校は地元の進学校といわれる高校(地方なので県立)に行ってて、この高校の同窓会はかなり頻繁に開かれてるんだけど、みな同じような人種が多く集まってるという感じがして、余り面白いと思わなくて(高校時代も余り面白いと感じなかった)、僕はほとんど出ていない。

 

これに対して、中学校は田舎のどこにでもある地域の中学校で、卒業生もいろんな方面に行ってて多様で、中学時代の良い思い出も幾つかあるし(肥溜めの思い出など?)、話をしてて面白いし楽しい。

 

子供の頃は全くウマが合わなかったのに、すごく変わってて、ウマが合いそうだなと感じた奴もいた。まぁ自分の方も変わったんだろうけど、そいつをみて、人間はここまで変われるんだな(表面だけかもしれないけど)と思った。いろんな目にあって、変わらなきゃと思って変わっていったのではないだろうか。

 

でも、この同窓会、出席したのは30人ちょっとで、同窓生全体の4分の1以下で、出席率はかなり低い。

 

以前、どこかのブログで、同窓会は見栄の張り合いで調子の良い人が行くところ、とあった。先日の同窓会で見栄の張り合いがあったのかどうか全部は知らないけど(僕が見た限りでは無かった)、調子が悪いときに少し行き難いというのは確かだろう。僕も若いとき、25歳の頃、無職でニートだったときに高校の同窓会に出て、少し気まずい思いをした経験がある。

 

まぁ、これから、子供が独立して、定年になって仕事から離れたら、また昔のような利害関係のない付き合いが再開できるのだろうが、子供も完全に独立してなくて仕事もあるような年代ではまだ微妙な問題もあるんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月19日 (金)

勝間和代さん

勝間和代さん、今、すごく売れてるようです。本屋にはめったに行かないので分からないが、平積みされてどんどん売れてるらしい。

 

まあ、僕自身は最近はハウツー本は全く興味がないのでどうでもよいと思ってたが、今週号のアエラで特集していたので読んでみた。本人のインタビュー記事やカツマーという勝間さんを師匠として本のとおりにやろうとしている人たち(30歳代の女性が多い)のことが出てるのを読んだけど、やっぱり、興味が湧かない、フィーリングが合わないという感じがした。

 

記事を書いてた記者も30代の女性で、「起こったことは全て正しい」という本のタイトルに感銘を受けたとかあったけど、僕は、この言葉を聞いて直ぐ、僕がまだ30歳代の20年前にブームになった船井幸男(コンサルタント)の「物事には全て理由がある」(事故で死んだり障害を負ったり病気になったりすることも含めて物事には全て理由がある)という言葉を思い出して、似てるなと思った。この言葉も別に船井さんの独創ということではなくて、キリスト教か何かの宗教の言葉からとってきたらしいが。

 

まあ、こういうのは、大体、10年とか20年くらいのサイクルで、その時代の衣装をまとって何回も出てくるものだ(バブルと同じか)。勝間さんの場合はグーグルなどのITの衣装をまとっているのが20年前との違いなのだろう。

 

そういえば、僕も、20年前の30歳代の頃は、船井幸男の本は5~6冊は買って読んだものだし講演にも行った。30歳頃は、まだ自分なりのハウツーを持っていないから、誰か適当な師匠が居ればその人のやり方を直ぐに吸収しようとする。それだけ、柔軟性も吸収力もある。年をとると、それが無くなってしまうのだろうか、自分なりのハウツーもあるので、特に師匠が必要ないというのもある。

僕は、僕よりも若い勝間さんよりも、今年ノーベル物理学賞を取った益川敏英さんのやり方や発言に魅力を感じる。益川さんは70歳前後だろうが、僕のような人にとって師匠というのはやはり、そういうものなのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧